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  • 最終話 慶長八年 文月への応援コメント

    桃山時代版の「落窪物語」という感じですね。

    ただ、落窪姫よりもいちの方が芸術を理解し相手の男性も守ろうとするなど個性や主体性が見えますし、旬の造形も絵師の息子に成り済ますなど鮮やかです。

    虐待する継母のポジションが本来はヒロインの血を分けた伯母の淀君であり、怨憎に凝り固まった彼女の中では本来は一緒に育った実妹である江も姪のいちも分断させるべき憎悪や迫害の対象でしかないという真相に根深い闇が見えますね。
     
    秀頼はいちを虐待する陰湿な加害者ではありますが、憎悪に凝り固まった生母にスポイルされたもう一人の被虐待児とも言えるでしょう。

    「いち」と本来はヒロインの祖母であり、淀君・江姉妹の生みの母でもあるお市の方と同じ名前にされたヒロイン。

    彼女を虐待する淀君と秀頼母子の姿からは本人たちが美人の誉れ高いお市の方や織田家の血筋を誇りにしているようで実際には無意識に憎んでもいる呪いめいた運命が感じられました。

    離れて暮らしていても情愛で繋がっているいちと江の母子との対比が鮮やかです。

    実際には生さぬ仲である北政所がいちを助けるという展開が皮肉ですね(恐らくは北政所の目には憎しみの渦巻く淀君やそこに毒された秀頼の矮小さ、彼女らが主となった豊臣家の遠からぬ破滅が見えていたのでしょうね)。


  • 編集済

    第2話 いちと旬への応援コメント

    興味深く拝読しています。
    いちに与えられた源氏物語の巻がいずれも脇筋の女性(明石、花散里、玉鬘)たちの物語である点にいち自身の豊臣家での扱いが重なりますね。
    ただ、「時系列」という言葉はちょっとこの時代の話し言葉として違和感を覚えますので、「順(番)」とか「巻の並び」などにすべきでは。

    追記
    これも細かい点になりますが、いちと千姫の生母は同じ江ですから、「異父妹」(いちの父は豊臣秀勝、千の父は徳川秀忠)では。

    追記2
    「時系列」の意味、了解しました。

    作者からの返信

    吾妻様
    コメントありがとうございます。
    「時系列」はおっしゃる通り、舞台とした時代では違和感のある表現かと存じます。
    私もこちらの原稿を推敲した際、とても悩んだ点です。
    まず、「順」や「順番」という表現は、紫式部が源氏物語を書いて巻として世に出していった順番が時系列に沿ったものでないため、私の中でしっくり来ませんでした。
    次に、源氏物語をある程度読み込んでいる人であれば「巻の並び」という言葉が何を指すか察すると思います。
    吾妻様のように「明石、花散里、玉鬘」について、深い意味を見出す方もいらっしゃいます。

    けれど、源氏物語に馴染みが薄い・または源氏物語そのものを知らない方はどう思うかと考えました。

    私はこの場面で「源氏物語という話があり、どうやらヒロインはストーリーをちぐはぐにしか知らない」という点を際立たせたく、あえて【時系列】としました。このような理由から、ご指摘の場面は現状維持させて頂きます。

    【異父妹】については、吾妻さまのご指摘どおりですので、すぐに修正させていただきます。ご教授頂きありがとうございました。

    感想を送ってくださり、ありがとうございました。
    励みにさせていただきます。