硯の海に波もなし

香久山 ゆみ

硯の海に波もなし

 縁側に敷いた座布団に正座する。山麓で近くに民家もなく、森閑としている。小鳥の囀り、風の音、樹々のさわめき、新緑の匂い。

 ここが私の職場だ。

 海をつくる仕事をしている。

 ここの家主にスカウトされたのだ。

 もう二ヶ月前のこと。かなしい出来事が続いて、その日私は勤めていた会社を辞めた。一人暮らしの家に帰る前に、公園のベンチで缶コーヒーを片手に夕陽が沈みゆくのを眺めていた。いつの間にか涙がこぼれていた。泣くのはずいぶん久しぶりで止め方が分からない。就学前に「みっともないから泣くな」と叱られたのを最後に、私は泣いたことがない。どれだけつらくてもぐっと涙を堪えてきた。それがついに溢れた。決壊した涙はなかなか止まりそうもない。どうしたものかとぼんやりしていると、声を掛けられた。

「うちで働かないか。ぜひ君にお願いしたい仕事がある」

 和服姿の初老の男性が立っていた。

 話を聞くと、男性の住まいがある山里での簡単な仕事らしい。たぶん私にしかできない仕事だという。失業中ということもあり、私は泣きながら頷いた。人間関係が苦手な私にとって、他に同僚がいないというのも有難かった。

 早速翌日から職場に向かった。

 電車で二時間、バスで一時間、さらに山道を三十分歩いたところに古い日本家屋があった。

 呼び鈴を鳴らすと、昨日の男性が出てきた。Tシャツに綿パンのラフな格好だ。「今日は着物じゃないんですね」と挨拶すると、「昨日は展覧会に顔を出した帰りだったから」と笑った。そのやりとりの間も私は泣いていた。昨日からずっと涙が止まらない。それを見て雇用主は「よかった」と言った。

 説明されたのは簡単なお仕事だった。

 ただ墨を磨ればよいのだという。

 私が小学校の頃に使っていたものの四倍はありそうな大きな硯。「十丁型」と刻された大きな墨を渡される。

「あの、水は?」

 水道の場所を訊いたつもりだったのだが、にこっと私の顔を指差された。私の涙で墨を磨るのだという。であれば、確かに私が適任かもしれない。なにせずっと泣いているのだから。

 好きな場所で作業していいと言われて家中うろうろした結果、この縁側が定位置になった。障子を挟んだ広間では男性が大きな和紙に向かって筆を振るっている。その文字はとても流麗で、私の涙で磨った墨がこのように美しい作品になるのなら、やりがいのある仕事かもしれないと思った。

 雨の日は休んでいいと言われた。職場までの道のりは険しいので有難い。雨だと和紙が湿気を含み、墨が滲んでしまうらしい。だから、そんな日は墨液を使って古典の臨書をしているのだと、先生は言った。

「多めに墨を磨って溜めておきましょうか」と申し出ると、「あれはナマモノだから溜めて使うものではない」と言われた。

 なので私は出勤日には、先生が存分に作品制作できるよう真摯に硯に向かった。黒い端渓の硯に向かって少し前傾に座り、一定のリズムで墨を握った右手を動かす。はらはらと硯の陸に落ちた涙の上に墨を滑らせる。墨が溶けて黒くなったら陸から海に流す。

 墨を磨る硯の平らな面を「おか」、磨った墨を溜める深くなった部分を「うみ」と呼ぶのだと教わった。海に流れるものだから、海同様に塩分を含む涙で磨るのがよいのだという。

 私の涙は適度に塩分濃度が薄くて、書をしたためるのにちょうど良いと先生は褒めてくれた。また、絶えることなく涙を流せるというのも稀有な存在だろう。出会ってから二ヶ月間、私は涙を流し続けていた。

 けれど、最近ついに涙が減ってきた。

 流れる量も減ったし、ふと気付くと泣き止んでいることもある。それで慌てて会社の嫌な人達のことを思い浮かべるのだけれど、あれほど酷い仕打ちをされて憎かったはずなのに、もう顔さえぼんやりとしか思い出せない。

「まあ気にするな」と先生は笑う。涙の代わりに、雨や小川を汲んで墨を磨っている。

「〝海〟に溜めるから塩分のある涙でないといけないんじゃないですか」

「〝墨池ぼくち〟ともいうからな。構わんよ」

 本当に気にしていなさそうに「わっはっは」と笑う。

 そんな先生の隣で、私は職を失うのではないかと不安でめそめそする。めそめそと涙が出てきて「やった」と硯に向かった瞬間には、もう涙が止まっていたりする。

 出勤するたび私がそのようにくよくよするのを見かねて、先生は空き時間に書道を教えてくださるようになった。先生は弟子は取らない主義なので、それは特別な計らいだった。

「人間関係が苦手だからこんな山奥でひっそり書いてるのさ」

 そうはにかんだ先生に、勝手ながら親近感を強く抱いた。

 当初は字形を整えるのに執心していたが、じきに線の太細や、墨の潤滑、余白の捉え方などにも言及されるようになった。師が良いからか、私の書はぐんぐん上達した。

 褒められた時には思わず嬉し涙がこぼれてきて、慌てて硯に向かい墨を磨った。嬉し涙で磨った墨はなかなか上々のようで、先生の書もいつもより躍動感のある明るい仕上がりだった。墨の提供者としても鼻が高い。

 先生の作品はどれも素晴らしい。

 かなし涙で書いた行草作品。

 悔し涙の篆書体。

 うれし涙の前衛書。

 雨水で書いた古隷。

 清流を汲んできた仮名作品。

 まるで魔法みたいに、先生の手からは次から次へと作品が生まれた。美しくて、力強くて、儚くて。先生は、筆と墨だけで一枚の白い和紙の中に世界を創造した。

「こんなにたくさんの素晴らしい作品をつくって、なお書くものがあるんですか」

 きっと私には一生かけてもこれらの内の一枚さえ完成させられない。先生は満更でもなさそうに目を細めた。

「そうだな……。どうしてもこれだけは書いてみたいという作品があるのだけれど、きっとそれは叶わないだろうな」

「ええっ! 先生でも書けないと思う作品があるのですか」

 一体どんな大作だというのだろう。その作品の構想を聞いても、先生は曖昧に微笑むだけで教えてくれなかった。けれど、そのための準備はしているのだという。「種を蒔いている」という言い回しをした。

 気候のいい時には縁側で、そうでない時には部屋の中からガラス窓を通して外の景色を見ながら、毎日墨を磨る。最近はすっかり涙の出ないことの方が多いけれど、代わりにどこへでも水を汲みに行った。井戸水、湖、滝壺、雪解け水、鍾乳石から滴る水。早朝から森に出て朝露を集めたりもした。

 先生は、墨さえ磨れば水道水でも構わないと言うけれど、とはいえ良い水で磨ると嬉々として筆を振るうので、俄然私も水集めから気合いが入る。しかし、南極の氷が溶けた水を調達するために一ヶ月間留守にした時には、流石に先生も寂しかったようだった。

 それは穏やかに充足した日々で、私はこの仕事を永遠に続けたいと思っていた。

 なのに、終わりは突然やって来た。

 先生が亡くなった。

 お齢を考えれば仕方ないことではあるのだが、「今」がずっと続くものだと信じて疑っていなかった私は、現実を受入れられずにわんわん泣いた。大きな硯から溢れんばかりの涙は、どれだけ磨っても薄墨にしかならなかったが、私はその墨が枯れるまで紙に思いの丈を書きなぐった。

「わあ、満開の桜みたいですね」

 部屋の隅に飾った私の作品を見て、青年は声を上げた。私はなんだか懐かしいような思いで彼を見つめた。

 法定相続人がいなかった先生は、遺言書で私に山中の家と作品を遺してくれていた。作品の多くは美術館へ寄贈したけれど、お気に入りのいくらかは手元に残してこの家に飾っている。そんな先生の作品の隣に、一つだけ私の作品を置いている。先生の死に対し泣きながら書いたあの作品だ。これを書いて以来、完全に私の涙は枯れてしまった。

 それで水道水や墨液を使っていたのだけれど、最近泣き虫の青年と出会い、スカウトした。とても真面目な子で、真面目過ぎて現代社会の中では苦労する性格だろうなと思う。けれど、ここでは伸び伸びできるようだ。よしなさいと言うのに、野良狸に餌をやってすっかり仲良くなったらしい。休憩時間には縁側できゃっきゃと小鳥や小動物たちと戯れている。泣き顔を見ることも少なくなった。

「こんな作品を書きたいって、夢とかあるんですか?」

「あるよ」

 青年の問いに答える。あるけど内緒だと返すと、青年はぷうと頬を膨らませる。

 ――私のために流された涙を使って、作品をつくりたい。

 そう思うけれど、無理な夢だ。代わりに青年に書を教える。素直だから筋がいい。彼に夢を託す。いつか私が死んだら彼は泣いてくれるだろうか。そうしてはなむけとして、その涙で私の代わりに作品をつくってくれればいい。

 私が種を蒔いて、青年が水を遣る。先生が耕した土壌だから、大輪の花が咲くだろう。

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