面白い蛇口

水瀬白龍

面白い蛇口

 夏は暑い。家でのんびりとテレビを見ていたのだが、喉が渇いてしまった。クーラーはつけると快適だが、喉がカラカラになってしまうのは困ったことだ。男は冷蔵庫からペットボトルを取り出すが、中は空だった。そういえば、昨日全部飲んでしまった。男は仕方なく水道水を飲もうと、蛇口をきゅっと捻る。すると、小さな蛇口から大きな牛が飛び出した。


「うわっ、一体何なんだ!」


 男は突然蛇口から出てきた大きな牛に腰を抜かして、慌てて蛇口を捻って閉めた。

 蛇口から飛び出た牛はのんびり辺りを見回すと、大きくげっぷをする。牛は狭い部屋をうろうろ歩いていたが、やがてウトウトと眠り始めた。男は一体全体どうして蛇口から牛が出てくるのかと首を傾げた。

 もう一度やってみよう。男は試しに蛇口を捻ってみることにした。

 すると、今度は蛇口からぬるんと真っ赤なタコが飛び出した。男は蛇口を捻って閉めるが、タコはそのままヌメヌメと男の体を這って、ぺたりと床にへばりつく。


「これはたまげたな。今度はタコが出てくるとは」


 男は驚きながらも、段々面白くなってきた。今度は何が出てくるだろうか。男はまた蛇口を捻った。

 今度は生き物ではなく、野菜がごろごろと蛇口から飛び出してきた。キュウリに、トウモロコシ、なんとダイコンまで出てきた。


「ダイコン! こりゃあいい、俺の大好物だ!」


 それにしても、随分立派な野菜だ。食べたらすこぶるおいしいだろう。男は一旦蛇口を捻って閉じた。

 再び蛇口を捻って開ける。さて、今度は何が出てくるか。

 次に出てきたのは、魚だった。それも小魚ではない、大きな魚だ。蛇口から飛び出てきたそれは、ピチピチと水を求めて跳ねまわる。男は慌ててぬめる魚を抱えて、まだ水が溜まったままの風呂に放り込んだ。水を得た魚は生き生きと狭い浴槽の中を泳ぎ始める。


「水は出てこないのに魚は出てくるとは、全くうちの水道はどうしちまったんだ」


 男はまた部屋に戻って開きっぱなしにしていた蛇口を捻って閉める。


「さぁて、次は何が出てくるかな」


 男はウキウキしながら蛇口を開ける。

 すると、蛇口から握りこぶしくらいの卵がぽとりと落ちた。それはシンクの底に当たって割れて、とろりと中身が零れ落ちる。透明な白身の上に、丸い黄身がちょこんと乗った生卵だ。男は割れてしまった卵を見て肩を落とした。


「割れちまったら、食べられないな」


 新鮮でおいしそうだったのに残念だ。卵が出てくると分かっていたら、フライパンを用意していたものを。男は水道の蛇口を捻って閉めた。

 それにしても、よくもこんな小さな蛇口から色々と出てくるものだ。男は蛇口を下からのぞき込んで、穴の大きさを確かめた。

 こんな小さな穴から、牛やらタコやら野菜やら卵が出てくるとはなぁ。うちの蛇口がこんなにも面白いとは知らなかった。

 男は再び蛇口を開ける。今度は何が出てくるだろう。

 今度出てきたのは、収穫したばかりのふさふさした穀物だった。黄金に輝くそれは、男もテレビで見たことがある。


「おおっ、これは稲か! 米がとれるぞ!」


 男は大喜びした。先程出てきた野菜と一緒に食べたら、さぞやおいしいことだろう! 男はそう考えたが、そこでふと気がついた。

 そうだ、これは食べ物だ。先程から出てきたものも、全部食べ物だ。

 そういえば、少し前にちょっと奮発していい牛肉を食べた気がする。それに、先日友人とタコ焼きを家で焼いて食べた。夏に食べたキュウリやトウモロコシはいつもよりうまかった。ダイコンは好物だから、昨日も食べたはずだ。朝食はいつも生卵をかけて食べている。米は言うまでもなく主食だ。食べない日はない。

 なんてこった。この水道は、俺が食べたものが出てくるというのか! 男はようやく辿り着いた結論に驚愕した。

 それにしても、どうして自分が食べたものが蛇口から出てくるのか。男はしばらくの間考え込み、そしてはっと気がついた。

 成程、俺が食べたものは便として排泄され、下水道を通って川に捨てられる。その川からまた汲み上げられて、上水道を通って家に届けられるのだ! だから、俺が食べたものが水道から出てくるのだろう。考えてみれば当たり前のことではないか。

 男はそうすんなりと納得して、一旦蛇口を閉じた。

 さて、次に蛇口を開いたときに出てくるものは何だろう。米が出てきたのならば小麦が出てくるかもしれない。それとも、塩がどっさり出てくるのだろうか。蛇口からマヨネーズが出てくるのも面白い。鶏肉もよく食べるから、鶏が出てくる可能性もある。そうしたら、庭で飼ってやろう。キャビアでも出てきてはくれないだろうか。いや、食べていないものは出てこないだろう。

 男は想像を膨らませながら、きゅっと蛇口を捻って開けた。

 出てきたのは、ペットボトルだった。それはポンッと蛇口から飛び出てきた。


「え?」


 どういうことだ? 俺はペットボトルなんて食べてないぞ。

 もしかしたら、俺が飲んだお茶がペットボトルとして出てきたのかもしれない。男はそう思って蓋を開けて中を覗いてみるが、お茶どころか水すら入っていなかった。男は首を傾げる。蛇口から出てくるのは、俺が食べたものだけのはずだ。だから、間違いなく俺はペットボトルを食べたのだ。しかし、男に心当たりなどある訳がない。男は呆然となった。

 ……俺はいつ、ペットボトルなんて食べたんだ?

 すると、つけっぱなしにしていたテレビからちょうどニュースが流れ始めた。


『次のニュースです。皆さんはマイクロプラスチックというものをご存じでしょうか。マイクロプラスチックとは直径五ミリメートル以下の小さなプラスチック破片のことで、ペットボトルなどのプラスチック製品が主な発生源となっております。人間の捨てたプラスチックごみなどが川や海で様々な要因により細かく砕かれ、マイクロプラスチックとなります。それを飲み込んだ海洋生物をさらに人間が食べることで、人間もまたマイクロプラスチックを摂取してしまいます。他の摂取ルートとしては、私達が飲んでいる水道水からも現在マイクロプラスチックが検出されています。人間が受ける悪影響としては、マイクロプラスチックに含まれる環境ホルモンなどの化学物質により、男性の場合は精子数の減少や精子濃度の低下、および精子の奇形率が増加し、女性の場合はホルモンバランスを崩すことで子宮内膜症や乳がんを引き起こすと言われています。胎児に対しても発育や知能へ影響を与えるのではないかと指摘されており、他にも様々な害を人間に与える可能性が報告されています。既に人間の血液や排泄物からもマイクロプラスチックは検出されており——』


 男は手に持っているぺットボトルとテレビ画面を交互に見る。ニュースはその後もマイクロプラスチックの問題を伝え続けた。

 男の手からペットボトルが滑り落ちて転がり、牛の巨体にコツンと当たった。


 (終)

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