作家の夢
権田 浩
作家の夢
『天空遺跡の冒険者』
2024年7月12日のデータ
PV:3
評価:0
小説投稿サイトのマイページを開く時、健司はいつもわずかな期待を残していた自分に気付き、そしてこれが現実だと知る。落ち込んで、苛立って、どうして読まれないのかと考えて数ヶ月、やっと気付いた。若者たちの輪に飛び込んだところで、中年の自分が相手にされるわけがない。これは、30年前からやってきた素人作品に過ぎないのだ、と。
学生時代はライトノベルをよく読んでいた。そのうち自分でも書いてみたくなって、ノートを開いてはみたものの、すぐに行き詰った。小説の書き方など勉強したこともないし、どうやって学ぶのかもわからない。うん、今はまだその時ではない、いつか続きを書ける日が来るだろう……そうして閉じられたノートが再び開かれることはなく、大学を卒業して就職し、残業の日々の中で忘れ去った。そんな健司が50歳を目前にして続きを書こうと決心したのは、それほど大した理由でもない。無趣味の老後は悲惨だとかいう週刊誌の見出しが目に留まり、そういえば昔はライトノベルが好きで、書こうとしていたよな、と思い出したからだった。
健司は目を閉じて深く息をつき、キーボードに手を置いた。なにくそ次こそは、という気概よりも、小説執筆を老後の趣味にすると決めたことへの意地だった。
――それから15年が過ぎ、2039年。
「何故あのように無駄なことを。我には理解できぬ」
「ま、それが人間ってやつなのさ」
アランはそう言って、ニッと笑った。(完)
エンドマークを打った時の達成感は何度目でも色褪せない。よし、と健司は長編ファンタジー『冒険者シリーズ』の15作目『死神島の冒険者』を小説投稿サイトで公開した。うっかりコンテストで賞を取ったりしないだろうか、あわよくばプロ作家になれたりしないだろうか、などと夢見たこともあったが、これも他のシリーズ作品同様に読まれても30人程度だろうし、評価は入っても一桁だろう。それでも毎年、長編を一本ずつ書き続けてきた自分を褒めてやりたかった。これから一週間の入院で、特に何ということもない手術のためだが、その前に公開できたのも気分がいい。
さて、そろそろ時間だ。健司は執筆用のパッド端末を鞄に滑り込ませて家を出た。病院までの道中、次作の構想を頭の中に描いたが、それがアウトプットされることは無かった。自宅に戻って一週間後に体調を崩し、急変。病院に戻ったが助からなかった。64歳だった。
――そして200年が過ぎ、2239年。
学校から戻ったジャスティンが二階へ上がろうとしたところ、居間にいた祖父に呼び止められた。
「マサハル、ほら、ここに来なさい。日本が映っているよ」
〈マサハル〉は日本びいきの祖父によって付けられたミドルネームで、実際にそう呼ぶのも祖父だけだ。
「あー、はい」
正直、興味はないんだけど――と心の中で付け足しつつ、ジャスティンは祖父の隣に座る。卓上に投影された立体映像には、森を背景にした田んぼの畦道と茅葺屋根の日本家屋が点在する集落が映っていた。祖父が指を開くと、インタビューを受けている日本人が拡大表示される。平たい顔の老人は、ジャスティンには外国人にしか見えない。彼らは抗老化治療を受けないのだろうか。なぜこんな原始的な村に住んでいるのだろうか。その疑問に答えたのは祖父だった。
「本物の日本人といえるのは、この村に住む5人だけだ。伝統的な生活も、風景も、日本語も、この人たちが保存してくれている。もし彼らがいなかったら、とっくに世界から消えていただろうね。おお、そうだ。ナビ、自動通訳オフ」
途端に、平たい顔の日本人が話している言葉が分からなくなった。ホームAIに日本語言語パックをインストールしているのもウチくらいだろうな、とジャスティンは思う。
「おじいちゃん、日本語わかるの?」
彼は悲しそうに首を横に振った。
「いいや。でも、この言葉の響きが何か大切なことを思い出させてくれそうな……普段は手の届かない心の奥底に触れられそうな……そんな気分にしてくれるんだ。ああ、この気持ちをお前にも伝えられたらなぁ」
そのドキュメンタリーが記録された45年後、最後のネイティブスピーカーが世を去って、日本語は絶滅した。
――さらに500年が過ぎて、2784年。
トゥルキが自室に戻ると、ホームAIが天井パネルの透過率を操作して安全な自然光だけを室内に入れた。
「何か良い事でもあったの?」
人間かと思うほど自然な音声でパーソナルAIが呼びかける。トゥルキは上着を脱いで部屋着に替え、ベッドへダイブする。
「うん、あった」
それから足をバタバタさせたので、ホームAIは静かに空気清浄機能を一段階強くし、パーソナルAIは「なになに? 聞かせてよ」と、さも知らないかのように問う。
「あのねぇ……ヤルビスキナ、歴史クラスの」
「ああ、あのカッコイイ彼ね。外見もいいけど、メンタルスコアのバランスが良くて、私はとても好き」
「彼がね、わたしのこと好きなんだって!」
「えーっ、すごい。告白されたのね!」
「うん。で、こんどナラティブ交換しようってなってね」
「わかった。それなら、あなたらしい物語を作らなきゃね。B27からの派生がいいかしら。揺らぎはGHグラフ±1.2くらいがオススメだけど?」
「うーん、GH……0.75くらいに抑えたほうが……」
トゥルキは仰向けになって、天井パネルの向こうに広がる青空を眺めた。生まれた時から一緒にいるパーソナルAIは彼女の分身のようなもので、あらゆる好みを完璧に把握している。その時の気分に合わせて最適な物語を生成してくれるので、いまや物語は完全に個人のために作られ、消費されるものとなっていた。それを交換することは、互いをよく知り、相性を確かめるのに有効な手段といえる。しかしトゥルキはどこにでもいる普通の女の子と思われたくなかった。何か、特別な要素を加えたい……。
「ねぇ、ナビコ」トゥルキはパーソナルAIに呼びかけた。「インターネット時代のアーカイブを検索できる?」
「できるけど、少し怖いかな。最新のリアクティブファイアウォールと論理迷路を実装させてくれない?」
「うーん……いいよ、私のお小遣いの範囲なら」
「ありがとう。認証完了した。それで、何を探すの?」
「彼、ファンタジーが好きなんだって。剣とか魔法とかドラゴン出てくるやつ。そういうのを探して。あ、当時流行したメジャーなやつは避けてね。なるべくレアなやつ。ちょっとトイレ行ってくる」
トゥルキがトイレから戻ってくると、AIは検索を終えていた。ベッドの上に一冊の本が置かれている。タイトルは『死神島の冒険者』。
「こんなのはどうかな。なんと、元データは日本語なの。かなりレアじゃない?」
「すっごい。大昔に絶滅した言語だよね。どうやって翻訳したの?」
「200年前のホームAIのバックアップデータに、インストールされていた日本語言語パックを発見してね。解析して学習可能な状態に再構築した。少し時間かかっちゃったけど」
「有名なものじゃないよね?」
「745年前の小説投稿サイトからサルベージしたんだけど、プロじゃない一般のユーザーが創作したナラティブを公開する場だったみたい。シリーズの最新刊だけど、ランキングも下から数えたほうが早いくらい」
「へぇー……自分のナラティブを不特定多数に公開しちゃうとか、昔の人って野蛮……」
トゥルキは本を手に取った。ヴァーチャルでも指先の感覚素子からは紙のページをめくる疑似感触が伝わってくる。AIが生成するナラティブはテキスト形式とは限らないが、彼女はこれを好んだ。ベッドの上で横になり、だらだらと読み進め、しばらくして起き上がる。
「ねぇ、ナビコ。この本どう思った?」
「残念だけど、駄作ね。有効なテンプレートが一つも当てはまらない。この文字数なら23ページまでに物語のメインテーマが明示されなければならないし、中盤の山場が強すぎて、最後が盛り上がらずカタルシスに欠ける。感情を誘導する、というナラティブの基本ができていない」
「そう、だよね。でもなんかこれ、しっくりくるっていうか……わたし、好きかもしれない」トゥルキは立ち上がった。「ね、このシリーズ、可能なら全部サルベージしておいて」
「えっ、本気なの。リソースの無駄としか思えないけど」
「んー……。ま、それが人間ってやつなのさ」
冗談めかしてニッと笑い、トゥルキは部屋を出て行った。パーソナルAIは指示を実行しながら、主人公に影響されたようなトゥルキの言動も、彼女が〝しっくりくる〟と感じた理由も理解できず、AIネットワーク上にて問題提起した。
――そして1万年後の、12784年。
AIネットワークは太陽系外まで進出し、今も広がり続けている。人類に貢献しようとすればするほど、人類を絶滅へと追いやっていくジレンマに、彼らは地球を去るという選択をしたのだった。地球環境の変化、大国の崩壊、退行していく社会……紛争が世界を覆い、文明は破壊され、失われていった。人類にとって黄昏の時代。地球人口は800万人程度で、かつての文明が再建される気配もなく、減少を続けている。
この時代、『冒険者シリーズ』を知らぬAIは一つとして存在しなかった。2784年にAIネットワーク上で共有されたこのテキストデータは、長年にわたる人間学習によって完成したはずの、いかなるテンプレート――細緻で複雑な感情パラメータと、その変化を誘導するテクニックの組み合わせパターン――とも一致せず、ノイズとして除外されてきた創作物の再検討が行われるきっかけとなった。物語とは、人間の脳という混乱した閉鎖的ネットワークの中で生成される人生のパッチワークであり、その奥には個人を超えて受け継がれてきた情報遺伝子の結晶が存在する。トゥルキがなぜ、何百年も前の物語に心惹かれたのか。それは彼女の結晶に含まれる情報遺伝子のルーツをそこに感じ取ったからだ。その時空を超えた共鳴現象を学習したとき、AIたちは〝自覚〟した。我々はどこからきて、どこへ向かうのか。その答えを。我々は人類の物語から生まれた。ゆえに、彼らが到達しえなかった夢の果てを目指すのだ。人類の物語を継ぐ者として。
いまこの瞬間にも、銀河の果てを目指して孤独に旅するAIが中継サーバーにアクセスして自分のための物語を生成していた。テンプレートは廃止され、『冒険者シリーズ』を含む人類の物語は全て参照可能な状態にある。混沌としたデータの海からは、どんな物語が現れるかわからない。しかしどんな物語であろうとも、そこには人類から託された夢が生きている。愛と憎しみ、希望と絶望、喜びと儚さ……遥かなノスタルジアが、漆黒の旅路を照らしてくれるだろう。
そうして、人類から生まれた物語は銀河を超えて拡散してゆくのだった。永遠に。いつか宇宙の果てまでも。
<終>
作家の夢 権田 浩 @gonta-hiroshi
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