『運命の相手』を探すあなたと落選した私(後編)

 ルシアンが村に来て、三ヶ月目に入った。

 最近の彼は、ド近眼ではあるが目が見える状態にまでは回復したらしい。家の中を歩き回れるようになったルシアンは、私がキッチンで調薬しているときにしばしば様子を見に来ていた。

 テーブルの上でげんを使う私の真横に彼が立ち、興味深そうに私の手元を見てくる。


「ゴリゴリしてるだけなのに、見てて楽しいの?」

「意外とな。けど、それよりカエナの歌が聞いてて楽しい」

「歌? ……ああ、調薬の手順の歌ね」


 私の歌と言われて一瞬首をひねるも、すぐにそれが何を指すのか思い至った。

 調薬の歌二十六番、『上級解毒薬』の歌。


『ルイエをポリポリ、ササナはゴリゴリ。仲良し二人はスイスイ回る』


 そんな一節から始まる私の家に代々伝わる調薬の歌は、聞くのも歌うのも慣れすぎて最早『歌』という認識がなかった。息をするように自然と歌っていた。自分で調薬する前から、母が歌うのを真似て歌っていたからだろう。

 ちなみに出だしの意味は、「素材のルイエは乾燥させ、ササナの方は新鮮なまま薬研で砕く。二つの量が天秤で釣り合うようにして、多めの水を加えてぜる」となる。

 遠い異国には、「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いてもふた取るな」という、料理の手順歌があるらしい。どこの国も似たようなものがあるものだ。


「ほぼ擬音しかないけど、それでわかるんだよな?」

「わかってしまうのよね、やってみると」

「すごいな」


 ルシアンが揶揄からかいではなく、本気で感心したように言う。

 そんな彼に、得意になったせいか私は悪戯いたずら心が湧いてしまった。


「実は調薬の歌って、本当は家の者以外に聞かせては駄目なのよね。豪邸が買えてしまうほど高額な薬のレシピもあるから」

「豪邸⁉」


 焦った感じでルシアンが「大丈夫、全部は暗記してない」と口にするのが面白くて、さらに悪戯心を刺激される。

 私はつま先立ちをして、彼に耳打ちするように言った。


「……他言無用よ?」


 別に口止めしなくとも、ルシアンの性格からいって他の誰かに言いふらす真似はしないだろう。だからこの忠告は、あくまでおふざけのつもりでしたものだった。

 けれど、顔を離すと思いのほか動揺している様子の彼がいて、逆にこちらが驚く。


「わ、わかってる。絶対に言わない」


 せわしなく動くルシアンの目は、追っても追ってもツイっとらされて。

 そこまでおどしたつもりはないけれど。売るつもりはなくとも金勘定はしてしまって、後ろめたい気持ちにでもなってしまったのだろうか。

 内心首を傾げながら、私は調薬の作業に戻った。

 途中、ちらりと盗み見たルシアンの横顔は、どこか考え込むような表情をしていた。



 ルシアンの療養も五ヶ月目。

 来月にはまた彼が村を発ってしまう――そう考えていたときだった。


「え? このまま村に残るの?」

「ああ、この辺りが薬草の宝庫だからか、意外と護衛の仕事があるみたいだし。やっていけると思う」

「そうじゃなくて……」


 私は夕食後の皿洗いをしながら、隣で乾拭きをしているルシアンを見上げた。

 今はもうほぼ見えるようになったという、彼の目を見つめる。

 当初に彼が懸念したように、遥か遠くまで見渡せないといけない騎士団への復帰は難しいとは思う。けれど、地方領主の私兵に志願したり、王都でなくとも都会に出てそれこそ護衛の仕事にくという道もあるだろう。


「――お互いに一目惚れする運命の相手は、探しに行かなくていいの?」


 私の問いかけに、ルシアンが目をみはる。

 その目が語った彼の心の声は、「何を言っているんだ?」ではなく「どうして知っているんだ?」だった。

 それがわかってしまって、グッとのどが詰まる。

 けれどどうにかその喉をこじ開けて、私は話を続けた。


「ちゃんと目が治ったんだから、改めて探しに行けばいいじゃない」


 ルシアンの目から視線を外す。

 その代わりに見てしまうものも、結局は彼の手なのだけれど。

 ルシアンの手が、乾拭きを終えた皿を食器棚に戻す。


「……カエナにとって、ものすごく腹が立つだろうことを告白していい?」

「え?」


 洗い終えたばかりの皿が、私の手からするりと抜き取られた。

 妙な前置きをしたくせに黙ってしまったルシアンに、つい彼が皿を片すまでの一連の動作を見守ってしまう。

 その間、何度も口を開いたり閉じたりしていた彼は、空になった両手にとうとう観念したのか、ようやく私を振り返った。


「俺はカエナと初めて会ったとき、君が俺に一目惚れしたこと……知っていたんだ」

「えっ⁉」


 寝耳に水とはこういうことか。言い渋るルシアンを見ても大袈裟に考えているだけだろうとたかくくっていた私は、とんきような声を上げてしまった。

 次いで、彼の言葉がジワジワと身に染み込んで来て、頬がだってくる。


「しかも、今でも俺のことを憎からず思ってくれていることも知ってる。君は何でも顔に出てしまうから、多分、俺じゃなくても察しのいい人なら知ってると思う」

「嘘……」


 先程、ルシアンは「腹が立つ告白」と言った。確かにこれは腹が立つ。

 でもそれは、知っていて黙っていたルシアンに対してではない。自然を装えていると信じて疑っていなかった自分の馬鹿さ加減に対して、腹が立った。


「ずっと、知ってて……気づかない振りをしてた。俺はそうじゃなかったから、カエナの想いには応えられない、そう思って」

「! 待って。世話になったからといって、私に遠慮なんてしなくていい。ルシアンは、運命の相手を諦めなくて――」

「そうじゃない!」


 息を呑んだせいで、私の台詞は最後まで発せられなかった。

 初めて聞いたルシアンの大声におくしたからではなく、両腕を力強くつかまれた衝撃からでもなく。ただ――間近に迫った彼の青い瞳が綺麗で、意識が吸い寄せられて、私は言葉を失った。


「……俺は、こうしてまた目が見えるようになった。けど、もし生まれつき盲目だったなら、相手が誰でも一目惚れしなかったわけだ。見えないんだから。だったらその場合、運命の相手ってどうやって探すんだろう。そう考えたとき――これ以上ないってくらい納得の行く、答が出た。俺はカエナに……一聞き惚れしてた」

「? どういう……?」


 耳慣れない単語に、まだ夢見心地のまま反射的に聞き返す。

 私の両腕にあったルシアンの手が離れる。その手が、今度は私の頬にえられる。

 彼に向ける目がどこかぼんやりしているのがわかったのだろう、私を現実に引き戻すようにルシアンの指先が私の頬の表面をすべった。

 けれど――今、私にそうしているルシアンは、本当に現実の彼なのだろうか? そんなことを考えてしまうほど、熱を持った瞳で私を見つめるルシアンというのは現実味がなかった。


「俺たちが初めて会った日、挨拶を交わす前に俺はカエナの歌にせられてた。何度でもそれが聞きたくて、よく君の家に遊びに行ってた。五年ぶりにここへ戻ってきたときも、カエナだけは声を聞いただけで誰なのかわかった。カエナの想いには応えられないのに、カエナから離れたくない。君が同居していいか聞いてきたときも、罪悪感より喜びが勝ってしまった。正直言ってカエナ、君の男の趣味は悪いと思う」

「自分で言っちゃうんだ」

「言うだろ。こうやってばくしてもまだ、君が俺を好きって顔をしてるなら」


 言ってルシアンが、私の肩にポンと手を置く。

 見覚えのある、彼の癖。しかしそうされる心当たりはなくて、私は首を傾げた。


「何の励まし?」

「……この状況で逃げる素振りも見せないカエナが、可愛いを通り越して可哀想に思えてきての励まし」

「? 一体、何の話――ひゃあっ⁉」


 突如ルシアンに腰を抱き寄せられ、私は慌てふためいた。

 さらに私の肩口に彼が顔を寄せてきて、ただでさえドキドキしていた心臓がバクバクと余計に激しく鳴り出す。


「……あの、ルシアン?」


 よくわからない励ましの延長線上でのハグかと思いきや、そこから一向に動こうとしない彼の名を呼んでみる。

 それにルシアンがじろぎという反応を見せて、ようやく彼が離れるとほっとしたのも束の間。ルシアンは何故か、さらに私を抱き締めてきた。


「だからその俺が好きって声、まずいから。この状態で俺の名前を呼ぶとか本当にまずい。冗談抜きで襲いかねない」

「ふふっ、私に興味を示すルシアンだなんて、見てみたいかも」

「ああもうっ、その口、ふさぐしかないな⁉」

「え」


 ルシアンが顔を上げたかと思えば、それは直ぐさま私の眼前に降りてきた。

 今度は青い瞳に見惚れる間もなく、気づけばゼロ距離。彼の瞳以上にせんれつな感触が唇に来て、それが私のすべての感覚をさらっていった。

 頭がぼうっとなったまま、近すぎて見えないルシアンの顔を見る。


(よく見えなくても、やっぱり好きだなあ)


 そうしているうちに、長いようで短かったキスは終わりを告げた。

 表情がわかるくらいまでルシアンが離れて、そのせいで耳まで真っ赤になった彼の顔が目に入る。


「またそんな顔して……。自覚がなかっただけで、俺も十二年好きだったんだ。これで終われると思うなよ?」


 どこかくされたようにして言うルシアンに、私はおかしくて声を上げて笑ってしまった。


「ぐっ……笑ってるだけでも良い声だな、本当」

「ルシアンだって、ムスッとしていても良い顔よ」


 私がそう返す間にも、ルシアンが再び距離を詰めてくる。

 二回目のキスが来る前に、私はまぶたを閉じた。

 優しいキスを交わしたまま、静かな時間が流れる。

 今、私はルシアンの顔が見えなくて、彼もまた私の声が発せられるのを彼自身が止めていて。


(それでもルシアンが好きだし、ルシアンからも好きって気持ちが伝わってくる)


 十二年前、私はルシアンの運命の相手に落選した。

 けれど、どうやらいつの間にか敗者復活を果たしていたらしい。




 ―END―

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『運命の相手』を探すあなたと落選した私 月親 @tsukichika

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