『運命の相手』を探すあなたと落選した私

月親

『運命の相手』を探すあなたと落選した私(前編)

「俺は両親みたいに、一目惚れ同士の相手と結婚したいんだ」


 私が一目惚れした幼馴染みのルシアンは、そう私に照れくさそうに言った――



 初恋の運命の相手に落選して、早十二年。

 二十歳になった私――カエナは、片田舎の村では相当の行き遅れである。

 にもかかわらず、未だに不毛な恋を引きっていた。それも、五年前に王都へ行ったきり一度も故郷であるロッソ村に帰ってきていない相手に、だ。

 ――いや、もう『帰ってきていなかった』になる。

 私は調薬したばかりの粉薬を入れたベルトポーチを見て、次いで今から叩くべき目の前の扉を見て、たんそくした。

 五年前より空き家だったルシアンの家の、彼の自室。今、この扉の向こうにルシアンはいる。

 二年前に王都で騎士となったルシアンだったが、一週間前に怪我のため復帰は困難として騎士団を除隊した。

 怪我というのは、魔物の毒を受けて目が見えない状態だということ。

 幸い、指定の薬を服用することによって、半年ほどで日常生活に支障がないまでには快復するという。その薬が作られている地域が自然豊かなロッソ村周辺ということで、ルシアンの出身地だと知った騎士団長が気を利かせて馬車の手配までしてくださったとか。

 ルシアンの怪我が騎士団長をかばってのものという背景もあり、罪滅ぼしの意味もあったのだろう。彼には騎士二年目としては破格の退職金が出たという噂も耳にした。

 単に出稼ぎ目的で王都へ行ったのであれば、このまま村に落ち着いただろう。経緯はともかく、ルシアンは文句を言わせない額を稼いできたのだから。

 でも彼は、きっと目が快復すれば再び村を出て行ってしまう。

 五年前、王都へ行くことを報告に来たルシアンは、村を出る目的をはっきりと言っていた。


『村を出て、運命の相手を探しに行きたい』


 ロッソ村に、彼の運命の相手はいない。

 ロッソ村にいる私は、彼の運命の相手ではなかった。


(……二回も振られたようなものなのに、私もおうじようぎわの悪い)


 すぅっと一度、深く息を吸う。

 その息を静かに吐いて。それから私は、意を決して目の前の扉を叩いた。



 ノックの音に、「どうぞ」という返事が来る。

 扉を開けて中へ入れば、五年前と変わりないルシアンの部屋がそこにあった。

 王都で早々に嫁を見つけて戻るつもりだったのか。それとも王都へ行くと決めた瞬間、居ても立ってもいられなくて飛び出すようにして村を発ったのか。

 そんなふうに、十五歳のルシアンの姿に思いをせていたからだろう。

 私は目に映ったルシアンのベッドに腰掛ける美しい青年に、酷く動揺した。

 銀糸を思わせる髪に、サファイアのようなんだ青い瞳。その色合いは確かに記憶にあるルシアンのもの。

 けれど一瞬、まったくの別人に見えてしまった。

 もっと言えば、私はまた、ルシアンに一目惚れしてしまった。


(私も本当、りないわね)


 でも、そうなるのも仕方がない部分があると思う。ルシアンはあまりに容姿が整っている。

 それもそのはず。彼の両親は騎士と貴族のお嬢様で、駆け落ちしてロッソ村まで来たという話だ。私に限らず、村で年頃の娘は誰もが一度は彼に淡い恋心を抱いたに違いない。

 一方、ルシアンはその誰にも目もくれなかった。

 彼の両親の出身を考えれば、「村を出て、運命の相手を探しに行きたい」というルシアンの言葉も納得だ。きっとその通り、彼と似合いの麗しい容姿の相手がどこかにいるだろう。

 髪も瞳も茶というパッとしない私たち村娘では到底釣り合わない。だから私以外の娘は早々に現実を見て、ルシアンではない男性と結婚した。

 半年後に三度目の失恋をすれば、さすがに私も懲りるだろうか。まあそれが無理でもあと数年で結婚適齢期は過ぎる。そうすれば否応なく彼をあきらめられるだろう。

 だからそれまでは――せめて『ルシアンの幼馴染み』のままでいたい。


「ルシアン」


 「私はルシアンの幼馴染み」。そう心の中で唱え、私は平然をよそおって彼の名を呼んだ。

 私の声に反応したルシアンが、焦点の合わない目でこちらを見上げてくる。


「ああ、カエナ」


 だからそう返してきた彼に、「えっ」と声を上げてしまった。


「どのくらい見えているの?」


 聞いていたより軽症だったのだろうか。私は彼の側に歩み寄りながら尋ねた。


「まったく見えないな。月のない夜みたいだ」


 人の気配を辿たどっているのだろう、ルシアンの顔は私の動きに合わせて動くものの、やはり目の焦点は合っていない。まったく見えないという彼の回答に嘘はなさそうだ。

 だからこそ私は首を傾げた。


「よく私だとわかったわね」

「そりゃあ耳は問題ないから。声を聞けばわかるさ」

「……っ」


 当然だというように言ったルシアンは知らないだろう。今、私の心を大きく揺さぶったということを。

 目が見えていたなら、「あなたが好きでたまらない」という顔を眼前にさらしてしまっていたことを。


(ああ、もう……不意打ち!)


 私の声を覚えていてくれた。私のことを忘れないでいてくれた。

 私が特別というわけじゃないことは、わかっている。ある程度交流のあった人たちなら皆、「声を聞けばわかる」対象なんだろうとは思う。

 それでも……舞い上がるほどに、私の胸は歓喜でいっぱいだった。

 そんな爆発しそうな感情をどうにか押さえて、再び平然を装う。


「……まったく見えないのに、随分、落ち着いているのね」

「半年後にはある程度まで快復すると聞いているからな。前例が何件もあるっていうのも、落ち着いていられる理由かな。軽い風邪くらいではいちいち大騒ぎしないだろう? それと同じ」

「それと同じって……」


 一時的とはいえ盲目なんて、風邪と比較していいようなレベルではないと思うのだけれど。


「ははは。あの騎士団に二年もいれば図太い神経にもなるよ。二の腕から下を魔物に食べられた先輩が、神殿に行って帰ってきたら新しい腕が生えているんだから」

「それは……なるほど」


 そんな衝撃体験をしているのなら、治るのがわかっている盲目も「ゆっくり療養」くらいの感覚になるのかもしれない。そういうことにしておこう。


「カエナは俺の薬を持ってきたんだよな?」

「ええ」


 ルシアンがパシパシとベッドを叩く。昔と変わらない、自分の隣に座るようにという合図だ。

 私とは違い、ルシアンの言動は本当に幼馴染みに対するそれだ。その落差に躊躇ためらいながらも、結局私は彼の隣に腰掛けた。


「ロッソ村で薬と聞いて、カエナのお母さんの世話になると思ってた。隣が薬師の家だから自宅にいられるなんて、これ以上の療養先はないよな」


 薬の話題が出たことで、ベルトポーチの中を探ろうとした手が思わず止まる。

 そうしてしまったことに気づいて、私は慌てて再び手を動かした。


「あ……お母さんは、一昨年に病気で亡くなったの。今は私が後をいでる」

「え」


 努めて自然に事実として伝えたつもりだったが、失敗したようだ。


「……その、……ごめん」


 ルシアンはちんつうな面持ちで私のひじ辺りに触れた。

 その仕草に、彼の癖を思い出す。

 彼は私が落ち込んだとき、はげます際に私の肩に手を置いていた。おそらく今も、本当は肩に手をやるつもりだったのだろう。

 ルシアンの「ごめん」には無神経な発言をしたという他に、きっと「大変なときに独りにさせて」という意味が含まれていた。幼馴染みとしての情とはわかっているけれど、それでもつい鼓動が早くなるほど嬉しかった。


「大丈夫、気にしないで。もう、一昨年の話よ。昨日までの村の話題はレクソンさんとこの三人目の孫の話で、今日からはあなた一色だわ」

がいせんじゃなくて出戻りで話題の中心とか、勘弁してくれよ」


 重くなった空気をふつしよくするように軽口を言えば、ルシアンがそれに乗ってくれる。

 こういうところも、昔から変わっていない。


「でも、幾ら自宅だからといって、目が見えないのに一人暮らしなんて無茶する?」

「自分の部屋なら見えなくても大体家具の位置とかわかるし、食事も薬を持ってきてくれるときに一緒に運んできてくれると期待してた」


 悪びれた様子もなく、ルシアンがそう返してくる。

 少し惜しい気持ちがあったが、私は私の肘に触れていたルシアンの手に粉薬の包みを握らせた。それが何かをすぐに把握した彼が、迷いのない手つきでサイドテーブルの水差しに手を伸ばす。

 見えなくとも大体の家具の位置がわかるというのは、本当のようだ。

 やはり迷いのない手つきで粉薬を飲むルシアンの横顔をながめる。

 ルシアンの両親は、彼が王都へ発つ前に亡くなっている。そのことも、彼が村を出て行くのを後押ししたのだろう。仲の良い夫婦を見て育ったルシアンは、自分もそういう家庭を築くことに強く憧れていたようだったから。

 だから間違いなく、目が治れば彼は再び運命の相手を探す旅に出てしまう。


「……もういっそ、あなたの家に泊まって作業しようかしら」


 後ろ暗い気持ちを隠して、ここまでの軽口の続きのように私は自分の願望を口にした。

 サイドテーブルに水差しを戻したルシアンが、飲み終わった粉薬の包み紙をくずかごに正確に入れながら私を振り返る。


「俺はそれでもいいぜ。父さんたちの部屋が空いてるし、どうせ食事は俺の部屋で食べるからキッチンに機材を持ち込んでもいい」


 彼は拍子抜けするほど簡単に、許可を出してきた。


「おばさんがいないってことは、カエナも一人暮らしだろ。周りに誰もいないよりは、俺でも近くにいた方が安全じゃないか? そういう点でも良い案だと思う」

「……そう? じゃあお言葉に甘えてしばらくお世話になるわ」

「まあ世話になるのは俺だけど」

「違いない」


 二人同時に笑って。けれど、私のは半分以上が苦笑いだった。「自分は安全」だと言い切ってしまうルシアンに、寂しさを感じてしまったから。

 彼がよかれと思って、えてそう言ってくれたのはわかっている。そんな善人な彼の環境につけ込んで、家に上がり込もうとしている私が一方的に悪い。


「じゃあ早速、機材と日用品を運んでくるわ」


 苦笑いがバレないうちに、私はベッドから立ち上がった。

 罪悪感があるくせに嬉しくて堪らないと私の心臓が早鐘を打つのを、彼に知られるわけにはいかなかった。



 ルシアンと同居を始めて二ヶ月が過ぎた。

 ルシアンに勧められて、ずっと食事は彼の部屋で一緒にっている。

 私が二人分の朝食を彼の部屋まで運んできて――ここまでは、昨日までと同じだった。


「ルシアン?」


 部屋に入った途端、彼は目をらして私を見ているような素振りを見せた。


「……カエナ、背が伸びた?」

「えっ」


 私は思わず早足で、部屋の中央にあるテーブルに朝食を載せた盆を置いた。

 それからルシアンの側へ行き、私を視線で追っている彼の目をのぞき込む。


「見えるようになったの?」

「あ、いやぼんやりりんかくがわかるようになったくらいだ。悪い、驚かせて」

「ああ、そういうこと……」


 私が驚いたのは、果たしてルシアンの回復の早さだったのか。もう彼との生活が終わってしまうことへの恐怖ではなかったか。

 ルシアンが快復するのは、素直に嬉しいと思っている。けれど、それと同時にこのまま彼が快復しなければと思ってしまっている自分がいることを、私は知っている。

 ルシアンの目が完全に快復する前に、もっと感情が表に出ないように気を付けなくては。彼が再び村を出て行くその日まで、一日でも長く彼の側にいられるように。


「ルシアンの方こそ、随分と伸びたじゃない。五年前は今の私より小さかったはずだもの」


 言いながら食卓に着けば、ルシアンも「そうだったか?」といつもの場所に着席した。


「そうよ。ちゃんと目が見えるようになったら、背比べした柱の傷を見てみるといいわ」

「そういえば、そんなものもあったな」


 感謝の祈りをして、それから他愛もない話をしながら食事をする。そんないつもの食事風景。

 毎日繰り返される「いつもの」が消えてしまう日が着実に近づいているのを、私は見ない振りをした。

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