みつめる

 春のおとずれはいつも心地がいい。なにかがはじまりそうな予感がして、わけもなく足取りが軽くなる。新学期になりクラスが変わってそわそわするような。気になる人と席が隣になって浮かれてしまうような。その会場に向かうとき、大きく咲き誇った梅が視界に入った。ゆっくりとやさしく、春が私にほほえみかける。やってくる季節が、強いちからで祝福しているみたいだった。

「それでは、新郎新婦のご入場です」

 わっ、とあたたかな拍手が一斉に鳴って、だれもが幸福そうな顔をする。なかには立ち上がっている人もいた。私はその場で、目をつむる。想像が、事実になっていくのを感じる。

 間違いない。祝福されているのは私。中学校のころから、たくさんの人たちがあこがれた私たち。幼馴染みで結婚だなんて素敵だね、羨ましい、お似合いだよ、幸せになってね、絶対こうなるって思ってた。そんな言葉の数々を受けて、私とアキはにこやかに笑う。

 なにもかもがととのっている。完璧な笑顔で座る参列者たちも、純白のドレスも、豪華なブーケも、幸福が詰まったBGMも、見栄を張っていちばん高いランクにしたフルコースも、一生懸命考えた席次も、すべてが私を引き立てた。アキがいればずっと幸福だった。結婚式なんてただの見世物だ、なんて軽口をたたいたこともあった。けれど、たくさんの人たちがこれをしたがる気持ちがいまならよくわかる。

 幸福に限度はない。アキのお菓子はいまだにぽろぽろ落ちてくる。ほらまた高砂に友人があつまってきて、私たちの写真を求める。お菓子を拾う暇もない。私たちは彼らの願いを叶えるために、とびきりの笑顔をみせる。

 多くの人に祝福されるのに飽きてきたアキが、「もう五月の顔は見飽きたよ」と肩を竦ませる。だから私も負けじと「そんなの私だって」と頬を膨らませる。参列者たちは、そんな私たちのやりとりを、ほほえましく眺めている。その顔だ。私がずっとずっと待っていた顔だ。

 本当に仲がいいよね。いろいろあったみたいだけど、やっぱりアキくんと五月ちゃんが並んでいるのがしっくりくるね。また拍手。写真を撮ろうとする列が止まらない。司会が少し困った顔で「お写真の時間はこの先もまだありますから、そろそろ次に進めさせていただきますね」と笑いを取る。会場は、息を揃えて笑顔の渦。

「さて皆様シャッターチャンスです、ご夫婦初めての共同作業、ケーキ入刀です。メインテーブルへお集まりください」

 きゃあきゃあと騒ぐのは女の子がほとんど。けれど男の子だって持参した立派なカメラを構えている。プロのカメラマンだってお願いしているのに、自慢のカメラで新郎新婦を撮りたくて仕方がないのだ。これじゃあ写真の整理が大変だな、とケーキに入刀する直前にアキが冗談めかしてこぼす。私が焦がれ続けた魅力的な横顔。こんなに近くにある。ずっとみつめていたら、「みすぎ」とアキが笑った。だって本当は全然飽きてないんだよ。

「ご新婦からご新郎にファーストバイトです」

 シャッターの音がやまない。アキが大きく口を開ける。私はその口以上に大きく大きくケーキを掬い取る。お約束だ。ここはみんなで笑う場面。みんなやってる。盛り上がる見せ場のひとつ。繰り返されてきた茶番は、それでも会場すべてを幸福でつつむ。

「では次にご新郎からご新婦へ」

 私が口を開けて、アキがケーキを食べさせてくれる。やさしく正直で素直なアキ。にこやかに、控えめな一口分のケーキが私のもとへ。甘くてふわふわの生クリーム。アキの鼻についているクリームを指で拭って、ぺろりと舐める。ひゃああ、と興奮した声。動画撮った? と、こちらがときめくような騒ぎ。ああそうか、これが愛の味なんだ。甘くてやわらかくて、舌の上でとけてもずっと味が残ってる。

 私の一挙一動が、彼らの胸を高鳴らせていた。主人公は、ささいな行動もみられているから大変だ。


「本日は僕たちのためにお集まりいただき、ありがとうございました。天候にも恵まれ、皆様とともにあたたかく楽しい日を過ごせたことを――」

 アキのスピーチ。ひとつひとつの言葉をしっかり発音している。きっとたくさん練習したのだろう。少し緊張もしているようだけれど、友人、親、会社の上司、全員の目をみるように、真剣な眼差しを会場に向けている。

「――とは、中学のころから交際をはじめました。そもそものきっかけは、僕が彼女の国語のノートを拾ったことがきっかけでした」

 一体いつ練習していたのだろう、こんなに流暢に、人前で話せるような人だったのか。アキの新しい一面を発見して、込み上げる嬉しさに肩をふるわせる。

「なので、つきあいはすでに八年ほどになります。まわりからは飽きないのかと言われたりもしますが――」

 そこで飛び交う、くすくすという笑い声。私も思わず笑ってしまう。アキの冗談にじゃない。きっと緊張して言い間違えたのだ。八年どころではない、私たちのつきあいは、もう二十年以上。

「けれどいまさら特別なこともない、どこにでもいそうな、ありふれている彼女と僕だからこそ、結局これからもずっと一緒にいられるのではないかなと思います」

 どうぞ末長く、見守っていただけると幸いです。

 アキは、そうスピーチを締めた。


 鳴りやまない拍手があまりにもうるさくて、細いシャンパングラスを床にたたきつけた。各テーブルに飾られている花束を引きちぎった。私の好きな色じゃない。新郎新婦を撮ったカメラを片っ端から奪って投げ飛ばす。それは間違った記録。馬鹿みたいに裾の広がった松田美代が着ているドレスを思い切り引っ張って踏みつぶす。おまえじゃない。これを着るのは、これを着てアキのとなりにいるべきなのは、私のはずだ。

 私はまだ待たなくてはいけないのか。こんなにつらい思いをさせるくらいの幸福が私を待っているのか。もう、いまなのではないだろうか? 私とアキが結ばれる瞬間は。この茶番でしかない結婚式をぶち壊してアキを連れ出せば、さすがに気づいてくれるのではないか? いままでのことはすべて悪い夢。

 会場をぶち壊す想像はけれど事実にならなかった。実際は、シャンパングラスをひとつ割っただけで終わってしまった。結婚式のととのえられた空間を守るため、プランナーたちは私のもとに即座に駆け寄ってきた。ドレスにシャンパンがこぼれて濡れていたのをめざとく発見し、私をレストルームまで案内した。

 同じテーブルにいた女の子たちは、だれも私に声をかけない。私たちはみんな、松田美代の招待客だった。だってアキがこんなところに私を呼ぶわけない。本当に性格の悪い女。


 結婚式を終えて家に帰ると、分厚い封筒が届いていた。差出人は「興梠シズカ」とある。あれはいつのことだっただろう、私をモデルに小説を書くのだと言ってきた男性がいた。そうだ。私を応援してくれていた。私とアキを祝福してくれるはずだった。封筒を開けると、A4用紙の紙に文字がぎっしりと詰まっていた。

 普段こんなに文章を読むことがないから一瞬気が滅入ったけれど、これは私とアキのための小説だ。松田美代なんか、立ち入る隙はない。私たちの、私たちだけの特別な関係を知っている人はちゃんといる。

 ダンボールだらけの部屋のなかで、小説を読んだ。

 愛情が目にみえるなら、どんなかたちをしているだろう。触れたらどんな感触がするだろう。鼻を近づけたらどんなにおいがするだろう。もしも口に含んだら、どんな味がするだろう。

 愛情は、アキの寝癖のかたちをしている。かわいくてさりげない、魅力的なかたち。この小説のなかで私とアキはどんなふうに結ばれるんだろう。どんな理想的な小説に仕上がったんだろう。

 期待して読み進めたのに、胸が高鳴ったのは序盤だけだった。その小説のなかで、私はアキと結ばれていなかった。ただずっとひとりで、暗いところで、アキをみつめ続けて終わっていく。

 なぜ? なにもかもがわからない。分厚いその紙の束を一枚残らず破り捨てたくなる。こんなにも人を不愉快にする小説があっていいわけがない。なんの感動も起こらないのに涙がこぼれた。

 興梠シズカ、とネットで検索する。作家という情報は出てこない。ひとつだけ出てきたのは「作家志望です」と書かれているだけのプロフィールページだった。どうやら小説を投稿するサイトみたいだが、志望のままなら素人だろう。あんな小説が売れてたまるか。

 叫び出したい衝動を抑えて窓辺に立った。通販で買った安い生地のパーティードレスが夕日にさらされて光っている。

 アキは、松田美代と結婚した。動揺したけれど、時間が経って冷静さが戻ってきた。大丈夫。こんなのはたいしたことじゃない。結婚したからって幸福になるとは限らない。そんな見せかけの幸せ、簡単に壊れる。私はいつまでも待つ。大切なものはいつだって近くにある。近くにありすぎて、気づいていないだけ。


 アキはいつのまにか引っ越しをしていた。私に報告はなかった。だから彼の新居を、またみつけにいかなければならない。末永く見守られるのは私でないといけない。

 朝、七時三十分。カーテンを開けて大きく伸び。後ろ髪にはぴょっ、と寝癖がついている。それにさわって笑い合うまでが朝の日課。人からみたらただの繰り返しの毎日でも、私にとっては愛おしい。この想像が本当になるまで、私はアキをみつめつづける。

 小説のなかの主人公は馬鹿みたいにストーカー行為をはたらいていた。こんなことをしたら嫌われるだけなのに、なんにも気づいていない姿は間抜けで少し笑えた。

 分厚い小説の束を床に置き、ベランダに出てアキが住んでいたアパートの方角をみつめた。やわらかい風が私をつつんで離さない。すっかり手になじんだ双眼鏡をのぞいてみる。

 アキの姿は、いまはまだみえない。かわりに、名前も知らない小鳥が餌をくわえて飛んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ありふれていて見え透いていて 村崎 @mrsk351

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ