第8話 似たもの同士
千晶はスマホを取り出して、何やら操作を始めた。佐藤は予想通りに、自身のスマホが軽く振動するのを感じた。ポケットから、それを取り出し、画面に表示された通知に目を通す。かつて彼が記者として使っていた隠しアカウントに、例の謎のアカウントからの一言のメッセージが入っていた。
「お久しぶり」
「元気だった?」佐藤は返信した。
このやりとりをした千晶は、くすっと笑いを漏らした。芸能人とパパラッチ。宿敵同士の彼らが、スマホだけで繋がっていたのだ。それが互いに職を失い、都落ちして、こんな田舎で再会した。再会と言うのも、どうだろう。そもそも綾瀬千晶は、どうやって佐藤の居所を突き止めたのか。それこそ、ストーカーの所業だろう。そんな佐藤と千晶が、話すことのできる距離にいながら、スマホでメッセージを送り合っているのだ。その滑稽さを、二人で笑い合った。
夕焼けが農家の窓ガラスをオレンジ色に染める頃、千晶は佐藤家の広々とした食卓に着いた。
食事の支度を終えた佐藤の母は時折、手にしたハンカチで額の汗を拭いながら、緊張と興奮の入り混じった笑顔を千晶に向けた。
父親と祖父母も、国民的女優を前にしては、どう接していいか戸惑いながらも、暖かく彼女を迎え入れた。どこかでカメラが回っているのではないかと、キョロキョロしながら。
千晶は、この温かな空気を、すぐに感じ取り、佐藤家の皆に心を開く。小さな冗談を交えたり、自然体の振る舞いを見せて、じきに緊張はほぐれていった。
彼女が、食卓に並べられた家庭料理に心から感動しているのを見て、家族は嬉しさを隠せない。
緊張していた空気は、やがて温かい笑いに変わり、佐藤の家族は有名女優が持つ華やかなオーラよりも、彼女の地に足がついた人柄に心を惹かれていった。テレビでしか見たことがない女優が、目の前にいるという非日常感にも負けず、佐藤家の人々は彼女を、家族の一員のように扱った。
食後のお茶が出されたとき、話題は自然と千晶の仕事に移った。佐藤の祖母が千晶の演技を褒め称えると、彼女は頬を赤らめて感謝の言葉を述べた。
家族の静かな寝息が屋根裏部屋まで響く小さな農家で、佐藤と千晶は古ぼけた低いテーブルを挟んで、地酒を嗜んだ。
家族の目がない場所で、二人はようやく心の内を打ち明けることができた。千晶は、ランプの柔らかな光の中で、芸能界を引退する意志を静かに明かした。その声には決意がにじみ、同時にある種の解放感も混じっていた。
彼女は長い間、輝かしい舞台の上で生きてきたが、それと引き換えに失ったものも多かったのだ。彼女は、普通の生活に対する渇望も語った。
「私、おかしくなってた」
「ストーカーになるくらい?」
佐藤は、千晶の言葉に深く共感しながらも、彼女がいなくなったらテレビは、つまらなくなるだろうと思った。
朝露がきらめく畑に、佐藤と千晶は共に立っていた。千晶は、これまでスクリーンの向こうで見せていた輝かしいドレス姿とは打って変わって、手袋をはめ、帽子を深くかぶり、作業服を着て、準備万端だった。
彼女の手際の良さや根気強さに佐藤は感心しながらも、それを冗談の種にした。
「女優さんは、体力あるなあ。ずっと体鍛えてたもんね。スタイル維持するために」
「あなたが体力なさすぎるの。車に乗ってばかりのパパラッチさん」
冗談を交わしながらも、千晶は畑仕事のリズムをつかむ。その姿は、まるで長年の農家のようだった。綾瀬千晶は畑仕事をしたことがあるのだろうかと、佐藤は自分の記憶の中で、彼女の出演作品を検索した。
川のせせらぎを背景に、二人は土手に座って、将来の夢を語り合った。
「写真と文章で、今までにない本を書いてみたいなあ」
「ダイオウイカのフォトブックを作ったら?」
特殊な業界の中だけで育ってきた千晶の突飛な発想に、佐藤は笑ってしまう。この人となら、どんなようにでも生きていけるのではないかと思う。
千晶の未来は明確ではなかったが、この日を境に、佐藤と千晶が別々の道を歩むことにはならないだろうと、二人は感じた。東京にいたときから、みたり、みられたり。お互いのことを分かり合っている、二人なのだ。
日が暮れていく中、彼らは土手から立ち上がり、手を取り合った。柔らかな夕日が、二人の姿を暖かく照らした。彼らは平穏な未来を想像しながら、ゆっくりと家へと歩いていった。
そして、田舎の静かな夜が更けていく中、二人は自分たちの新たな物語を静かに、そして確かに紡ぎ始めていた。彼らの前に広がるのは、同じ過去を乗り越えて支え合う、新しい人生だった。
みるみられる 石橋清孝 @kiyokunkikaku
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