ボーナス出たらうなぎでしょ(下)

「あんたたち待たせたね。夕飯が出来たから降りておいで」

 三人の空腹三重奏がもはや限界に達した頃、階下からみつるの呼ばわる声がした。


「うなぎのひつまぶしに、かきあげソバだよ」

 先ほど座っていた入り口そばの席に通されると、三人の目の前には超豪華まかない飯が置かれた。


「俺のかきあげソバは」

「時坊は冷ややっことトマトを食べな。良いかい二人とも。時坊にかきあげを分けちゃだめだよ」

 三元は知ってたと力なくつぶやくと、恨めしそうにほかほかのかきあげソバを見る。


「さっくさく。いかとエビとホタテがお口の中でマリアージュや♡」

「餌……。歌舞伎揚げと言いかきあげと言い、一切容赦ようしゃねえのな」

 ハートマークを飛び散らせながらかきあげソバをすする餌。

 シャモはその様を呆れつつ横目で見る。

「ソバだけなら、良いんじゃねえか。揚げ物じゃねえし」

 餌を恨めしそうに見る三元を見るに見かねて、シャモが助け舟を出そうとする。


「三元さんに餌を与えないでください」

「この鬼畜パンダ!」

「最っ高の誉め言葉。ぞくぞくします」

 責め立てる三元をおかずにかきあげソバを完食すると、餌の箸はひつまぶしへと向かった。


「この大量のうなぎの切れ端は座敷のお客さんのかな」

「俺の知る限り、二人分でここまでは出ねえぞ」

「ボーナス後だからうなぎを頼む人が多かったのかもしれません」

 ほろ酔い気分のオジサンたちが一組、また一組と店を後にする。

 そして、座敷からは顔を赤らめた野田一八のだいっぱちが現れた。



『お姉さん、お手洗いはどちら。ってあれ?』

 一八はハンカチ片手に店の健康サンダルを突っかけてお手洗いに行こうとしたのだが――


『お姉さん。私の連れは。え、先に帰った。ああ、そう。いやいや今どき遊び方を心得たお人やな。こりゃええ客捕まえた大切にせなあかんな。で、私あてに、こんな感じの、白い、ええそれそれ。ってこれ勘定書やん。ちゃうで、お姉さん冗談きついわあ』

 演芸用関西弁的な話し方が、店中の耳目を集める。

 自然と三元達の意識も、一八に引き寄せられた。


『お姉さん、白いのっちゅうのはな、寸志すんし、とか心づけ、とか書かれとるアレ、アレの事言いよんねん。私あてにな。いや、預かってないの。せやからそれは勘定書やねん。それとちゃうねん。お代はあの人が払ったやろ。は? 払っとらん? 嘘や。私、あの人がおごりや言うからここに来たんや。それともあれか、あの人お宅の常連さんか。月締めでつけ払いしよりなさる』


「なあ三元。この展開、何か落語で聞いたような……」

「『鰻の幇間たいこ』だな」

「事実は落語より奇なり、です」

 三元達は、じっと一八を観察する。


『あの人は一見さんやと? お姉さん、嘘やろ。ああそれか、あんた新人さんか。それなら』

『ちょいとお客さん。この子は十三年選手でお客さんの連れは一見さん。ついでに言っとくと、土産みやげでうな重を六人前持って帰りましたよ』

『えっ、女将おかみさんも社長を見たことがない、と言う事は……。お会計は』

『旦那様に一席設けてもらってお土産を頂いたと伺いましたが』

『旦那さんって。まさか私の事』

 うなずく仲居に、赤らんでいた一八の顔が色を失う。


『どう見ても私がおごられる側でしょ。どうやったら私がそないに金をようさん持っとるように見えますのん』

 言い募る一八の今日のコーディネートは合計三千円以下。リユースショップのバーゲンで得たブランド物だ。


『どうしよ、本当に払ってへんの? それで、私の靴は。あの、黒のモンクストラップの」

『文句を言われてもねえ。こっちだって商売なんですよ』

 やり取りを見ていたみつるの顔が、見る間に険しくなる。

『文句やのうて、モンクストラップ。靴の種類。ほらこういうの』

『それなら御履きになって帰られましたねえ』

 モンクストラップの画像を仲居に見せた一八。

 その絶望的な返事に、一八はムンクの叫びさながらに頬をこけさせた。


『靴だけは本物はかなあかん思うて、清水きよみずの舞台から飛び降りるつもりで。八万円が。あかん、あかん。あああっ、財布も行かれてもうた!』

 やられたハメられたと散々騒いだ一八は、情けない声でどうしよ、とみつるを上目遣いで見る。


『どうしようと言われても。電話をされたらいかがです』

『それが相手の名前が分かりませんのや』

『名刺ならここに』

 一八いっぱちの逃げ道をふさぐように、仁王立ちになったみつるは社長から渡された名刺を手渡す。


『【合同会社ごうどうがいしゃ野だいこ 社長 野田一八のだいっぱち】ってこれ俺の名刺やん』

 完全に罠に掛けられたと気づいた一八は、『私』とネコをかぶるのも忘れて慌てふためいた。

『どんな事情があったかは知りませんが、うちも商売なんでね』

 今や、店中が野次馬やじうまのごとく身を乗り出している。


『払えませんはいそうですかとは行きません。お宅も財布と靴を盗まれたんだ。すぐ警察を呼びましょ』

『あかん。警察はあかんて。あの人、俺のお客さんかもしれへんのや』


『どこの世界に素性を偽って財布と靴を盗んでいく『客』がいるもんかい。こっちがババアだと思って舐めた事言ってんじゃないよ』

 みつるは一八を客扱いするのを止めてすごんだ。

 七十七歳になってますます意気軒高。

 一八は後ずさりかかるが、すんでの所で踏みとどまる。


『本当です。俺、ええと、私は流しで歌やらちょっとした芸やら披露しながら、お客さんの所を回っとりますねん。それで小遣いもろたりお相伴しょうばんに預かったりして、何とか生きとりますのや。

 今日はいよいよ金のあてものうなって、皇太宮こうたいぐうさんにこの世のお別れを言いに行った所でばったり出会でおうて。どうしても名前が思い出せんで、まさか名前を聞くわけにもいかず』

 みつるは鼻で一八をあしらいつつ、せめてもの情けに健康スリッパを貸してやった。



「落語なら面白いけど、いざ実際にやられちゃ迷惑だな」

 何とか自分のペースに持って行こうとする一八いっぱちに乗せられるほど、みつるは甘くない。

 それでも万一にも一八が逃げないようにと、三元さんげんは店先にでんと立つ。


『ホンマに私も被害者なんです』

 一八は本当に金目の物一つ持ってはいなかった。

 そんな一八に、酔いが回った客から助け船が。


『芸人ならここで一発芸をしろ。面白かったら金をやる』

 野次馬の一人が、現金をひらつかせる。


『お題は【食い逃げ】。はりきってどうぞ』

 半泣きで一発芸を披露した一八の足元に、五百円玉が投げられる。


『次はそこの健康スリッパで物ボケ。芸人だもの、やれるよな』

『うちは金の回収が出来りゃ構わないよ。だが警察にきっちり話すのが先さね。あの社長とあんたがグルじゃない証拠はどこにもないよ』

『そんな殺生せっしょうな……』

 やんややんやと店が盛り上がる中、みつるは淡々と警察を呼んだ。



 客の無茶ぶりについに泣き崩れた一八。

 いたたまれなくなった餌とシャモは店を出ようとしたのだが――


岐部漢太きべかんた(シャモ)様。しほりお嬢様がお待ちです」

 引き戸の前に立っていたのは藤巻家の家令。そして『味の芝浜』には不釣り合いな白いリムジン。

「え、今日は美濃屋みのやに帰る日ってあああああっ――!」

 白いリムジンの中からぬっとあらわれたしほりの腕。

 きゃしゃな見た目を裏切る怪力でシャモをリムジンに引きずり込む。

 そして、白いリムジンは国道16号線方面へと猛スピードで走り去った。


「その後の岐部漢太きべかんた(十八歳)の行方は、ようとして知れない」

「餌、縁起でもないナレーションを入れるな」

 推理ドラマ調に入れた餌のナレーションに三元が突っ込む。

 すると、うなぎ提灯を思わせる赤色灯を回したパトカーが、店先に止まった。

 夏の夜は、まだまだ長そうだ。



※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。



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ボーナス出たらうなぎでしょ 鈴木裕己(旧PN/モモチカケル) @momochikakeru

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