それはとても不気味なことで。
これは夢だ。
起きてから一番最初にそう思った。
理由は二つ。一つは、僕が机に突っ伏す様なかたちで寝ていたから。もう一つは、ここが学校っぽい内装だから。
僕は不登校なのだ。
高校は基本的にテストのときだけ行くようにしているのだが、テストはついこの間終わったばかり。僕が教室で眠っているなんて有り得ない。
ちなみに成績は結構良い。
実はその成績、タネも仕掛けもあったりするけれど……そんなことはどうでもよかった。今は、僕がここで座っているこの状況こそが問題なのだ。
とは言ってみても、僕はまだこれが夢であるという仮説を譲ってはいない。起きてから夢を見ているというのはなんだか奇妙な気もするし、夢と断定するには些か感覚がリアルな気もする。しかし、痛みのある夢が存在するのと同様に、こんな夢もたまにはあってもおかしくはない。
僕が知らない教室で眠りこけているほうが有り得ないくらいである。
夢であってくれれば、なんら問題は発生しないのでありがたいのだけれど。ひと息ついて、眼鏡の角度を直しながら僕は立ち上がった。改めて周囲を観察する。
ほぼ等間隔で並んだ机、一際存在感を示す教卓……背後には小さい黒板。まさに教室の見本といった感じだ。
僕が知る教室と全く同じ。新品みたいに綺麗だという点さえ除いてしまえば。
机の表面を撫でた。さらり、硬くて滑らかな木の質感。
きっと、落書きなどはされたことがないのだろうなと直感する小綺麗さ。この場に鉛筆でもあれば、端っこに文字でも書いてやったのだが。
ないみたいだ。残念。
そして──顔を上げた。真っ直ぐ前を見ると、大きな黒板。
黒板を見て、僕は顔を顰めた。
恐らくとても嫌なことが書いてあったわけではないと思うが、僕は顔を顰めた。
というのも、書いてある内容がよく見えないのだ。なにか書いてあるのは辛うじて判るけれど……この教室、暗い。冬の十七時に家の電気を全部消したときみたいな暗さ。一体今は何時なのだろう。
カーテンを開けてみた。
真っ暗だった。
……今どき、周囲に街灯ひとつない地域なんか生き残っていたのか。きっと田舎なんだろう。田んぼや畑どころか、住宅街すら見えないけれど。
……いや、まだ窓がスモーク仕様の可能性もある。窓を開けよう。
「あれ、開かない……?」
どんなに力を込めて引いても、窓はびくともしなかった。ガタガタとすら鳴らない。全身の力で引っ張っても、ただ指が痛くなるだけだった。
立て付けが悪いというレベルを超えている。
違う方向からも引いてみようと左を見ると、なんと鍵が掛かっていた。
「なるほど、鍵が掛かっていたのか」
声に出してみた。
馬鹿の気分になれた。
というか、馬鹿そのものだった。
僕はかぶりを振って鍵を開ける。切り替えよう。改めて、思いきり引っ張る。
どんなに力を込めて引いても、窓はびくともしなかった。ガタガタとすら鳴らない。渾身の力で引っ張っても、ただ指が痛くなるだけだった。
やっぱり立て付けが悪いというレベルを超えていた。
解錠しても変化が無いとは……何のための鍵なんだ、これは。
外から光を入れられれば良かったのだが、窓が開かないんじゃあどうしようも……。
ガタリ。
手元から音が聞こえた。
もちろん、窓からではない。
その音は、手元の──椅子から鳴ったのだった。
「…………」
あまりの暗さに黒板の文字は読めず、窓は開かず、場所の把握もできず……途方に暮れた僕は、椅子をじっと眺めた。
座る。木だから硬い。居眠りには最適な硬さに思えた。……いっそ二度寝でもしてしまおうか。
二度寝か、更なる探索か。
さんざ迷った挙句、僕は。
僕は、椅子を投げることにした。
下に人が居ようと知ったことか!
窓から少し距離をとる。助走距離だ。一歩、二歩、踏み出して──今!
椅子が僕の手から離れたと感じた次の瞬間、雷鳴にも似たものすごい衝撃が走った。体の芯にまでも振動が届くかのような、それはもう大きな打撃音が。
思わず耳を塞ぐ。
窓に椅子をぶつけてみたのは初めてなのだけれど、こんなにうるさいものなのか? 普通なのか……?
しかし、あれだけの破壊音ならば流石にあの窓も割れただろうと僕はそこそこ多大な満足感を得たものだ。が……実際のところ、ひびひとつ入ってはいなかった。
どういう素材で出来ているんだ、この窓。
ちなみに投げられた椅子はというと、綺麗な直角を描きながら反射していった。
強度が半端ではなかった。
窓は諦めろということらしい。
さて……どうしろと言うのか。
早くこの夢から覚めないと、姉さんを心配させてしまうのだけれど。
いや、これはどうせ夢じゃない。夢じゃないとすれば、これは誘拐事件の類に違いない。判ってはいたんだ。別にそれは認めてもいい。こんな意味不明な状況に遭っているのが僕だけなら、別にいい。問題はただ一つ、姉さんが同じ目に遭っているか否かだけだ。
だから、認めたくなかったのだけれど──ずっと、目を逸らし続けていたかったのだけれど。
ああ、駄目だ。
照明が、ついてしまった。
さっきまで見えなかった黒板に、何か書いてある。……違う、何かなんて曖昧なのじゃない。それは驚く程に明瞭に見えた。
隅のほうに、控えめでもなく大きめでもないそれは。陽──という字。
それを見た途端、全身、とりわけ頭に熱がこもった。発火しているとも錯覚できそうなほどに。冷たいとさえ錯覚できるほどに。
原因ははっきりしていた。
純粋な恐怖である。
ただただ恐ろしい。怖い。それだけ。
陽。陽──
陽は、僕の双子の姉の名前。
姉さんも攫われている可能性は、もとから高かった。僕達は一緒に住んでいるし、常に一緒に居たいものだけれど。
姉さんまで危険に晒されるかもしれないのは、違う。
黒板には、次の指示が書かれてあった。
どうやら僕は、この教室を出たら、右へと進まなければならないらしい。
どこまでも、右へ。道中何があろうとも。
……悪ふざけなんか、している場合じゃなかった。
僕は唇を噛み締めて、教室の後ろのドアを開けた。
魔女の祝福 @chanoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔女の祝福の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます