後編


 ――2020年、初夏。


 佐々木灯――高校時代のシズク――は、公園デビューの時を迎えていた。

 推しのグッズ交換が目的で、おそるおそる中池袋公園へ足を踏み入れようとしていたのだ。


 それまでのオタク活動は基本ソロ。オタクであることを公言もしていなかった。

 初めてオタク活動で交流をするため、緊張でいっぱいだった。

 シズクは、求めていた推しのグッズをシートの上に広げている人を見つけ、瞳を輝かせて駆け寄った。


「あ、あのっ……! そのアクキー!」


「えっ? もしかして草薙くん推し?」


「えっ、あ、はい」


「わー! 嬉しい! 私も私も! ちょっと話そー!」


「う、うん……!」


 シズクは頬を赤らめ、彼女の隣に座った。

 彼女は同じ高校に通うクラス違いの同級生だった。

 そこからシズクのめくるめくオタクライフは始まった。





「観野さん? どうしたの?」


「あ、い、いえ! なんでも」


 冷清水に声をかけられ、シズクは意識を現実に引き戻す。


 一方、紫藤は足音を高鳴らせ、建物を出ていこうとする。


「では、失礼」


「ちょっと待ってください!」


 蔵永が追いすがり、階段を降りていく。

 それを見て、シズクも彼らの後を追った。





 中池袋公園遺跡。

 息を切らして駆けつけたシズクだったが、いかんせん運動不足。


「おぇ……吐く……」


 ふらふらになりながら到着するが、すでに蔵永が紫藤に向かって必死に訴えを続けていた。


「ここは重要な遺構です! 調査もまだ十分じゃない! 工事を進めるなんてもってのほかです!」


 蔵永が手で指し示した先には、塚があった。

 貝塚のようだが、積み上がっているのは貝ではない。

 そこに堆積していたのは、バッジだった。


「このバッジ塚は守らなければ!」


 ――バッジ塚ってなに!?


 もはや原型をとどめていないが、かつては様々なキャラが印刷されたバッジ。

 それがうずたかく積まれていたのだ。


 紫藤は首を振る。


「もう十分さ。これはただのゴミ。ここはただのゴミ捨て場だ」


「違います! きっとこの場所はそうではない! まだはっきりとは言えませんが、ここは当時の文化を知る手がかりになるはずなんです!」


「もう決まったことだ」


 紫藤はまた首を振り、蔵永の顔の目の前に、自らのサインと捺印がされた工事許可書を見せる。


「そんな……!」


 紫藤は、吐き捨てるように笑って言った。


「フ、キミもしょせん、何もできない学生さ」


「くそっ!」


 紫藤が去り、残された蔵永は地面に両膝をつき、右のこぶしを力任せにたたきつけた。


 これは、自分を馬鹿にされた悔しさではなく、大事な遺跡を理不尽に潰される悔しさだとシズクにはわかった。


「蔵永先輩……」


 どう声をかけたらいいかわからないシズクに、冷清水が言った。


「考古学者と工事業者は仲が悪いというのは有名でね」


「そうなんですか?」


「遺物というのは、工事中に見つかることが多いから。見つかれば工事は中止せざるを得ない。それが嫌で、遺物や人骨が見つかっても黙って工事を続ける業者もいるくらいよ」


「だからってこんな強引な……」


 蔵永の悔しそうな顔を見ると、シズクの胸も痛くなる。

 たまらずシズクは蔵永の横に歩み寄った。


「蔵永先輩。大丈夫ですか?」


「ああ……すまない。取り乱してしまった」


 蔵永はそう言って、地面に座り直す。


「あの、蔵永先輩はどうしてそんなに必死になるんですか?」


 蔵永がなぜこれほどまでに遺物や遺構に、萌草文化の研究に必死になるのか。

 思えば、聞いたことがなかった。


 すると蔵永は、一冊の同人誌を懐から取り出した。


「俺は萌草文化に……いや、これに救われたからな」


 それを見て、シズクはまなじりを開いた。


「……!」


「俺はこの本に影響を受けて考古学を始めたんだ」


「え?」


「俺はずっと親に言われるまま医者を目指して勉強をしていた。だが、いつもどこか虚しさを抱えていた。これが本当に俺のやりたいことなのかと。そんな時、博物館で出会ったのがこの本だ」


「博物館!?」


「気がついたら貪るように読んでいたよ。熱い友情。胸躍る冒険。俺の好きなものがすべて詰まっていた」


「そ、そうですか……」


「こんな素晴らしいものがまだ土の下に埋まっているのかと思ったら、その時にはもう俺の進むべき道は決まっていた」


「なる、ほど……」


 憧れの人の生き方を決めた過去を知ることができて、普段のシズクなら感激でもしようものだ。

 しかし今回だけは違った。

 シズクはプルプルと震えていた。えも言われぬ恥ずかしさからだ。


 ――その同人誌、描いたの私なんですけど――!


 著者名は、佐々木灯。


 それは、コミケ参加わずか3回目で壁サーに成り上がった人気同人作家の名前であり、シズクの萌草時代における旧名だった。


 蔵永は、まるで恋する乙女のように目をキラキラさせて語り出す。


「聞け! 観野!」


「は、はいっ!?」


「佐々木先生の作品はすごいんだ! 絵の魅力は言わずもがなまず二次創作の着眼点がすごい! そのキャラのそういうところが見たかった! とかこのキャラとこのキャラはそういう絡みをするのか! だとかまるで心の中を覗いたかのようにファンが無意識に望んでいたものを毎回出してくる! 話の構成も妙で読者を楽しませよう驚かせようという意図があちこちに見られて退屈させない! 絵とストーリーをこれだけ高いレベルで両立させる作家は極めて稀で……!」


「せ、先輩、ちょっと落ち着いてくだ……」


 蔵永に両肩をがっちりとつかまれ、興奮まじりにガクガクと揺らされていたため、頭が振られて意識が飛びそうになっているシズク。


「落ち着いてなどいられるか!」


「ひゃいっ!?」


「しかもこれは、佐々木先生のオリジナル同人誌! 数が希少でどれだけ探しても見つからなかったものだ!」


 それを聞くと、途端にシズクの表情に影が差す。

 それはそうですよ先輩――シズクは思う。


 ――私のオリジナル同人誌はその一冊だけ。


 ――だって……ぜんぜん売れなかったんですから。


 シズクは、その作品限りで漫画を描くことをやめてしまった。


 中池袋公園で知り合った同級生の友人と一緒に、流行りのジャンルの二次創作を次々と描いた。トントン拍子にファンが増え、いつの間にか壁になっていた。

 そこで調子に乗ってオリジナルを描いた。それが売れなかった。笑えないほど。


 自分でもナイーブにも程があると思ったけれど、それからシズクは漫画を描けなくなってしまった。

 だから作ったオリジナル同人誌はその一冊だけ。

 自信満々で描いた傑作のつもりだった。でも見向きもされなかった。


 結局、みんな人気作品の二次創作を読みたかっただけで、自分は求められていない。

 筆を折ると、仲の良かったオタク仲間の同級生とも次第に疎遠になってしまった。

 当時のことを考えると、シズクは胸が締め付けられる。


 けれど。

 

 ――そんな風に思ってくれてる人がいたんだ……。


 500年もの時を超え、蔵永が自分のオリジナル同人誌を大事そうに抱えてくれている姿を見ると、シズクの胸は熱くなった。


「萌草文化の遺物というものは、どれも当時の人々が心を込めて作り上げた大切なもの。この本もそうだ」

 蔵永は眼鏡の位置を直し、「だから守らなければならない」と力強く言った。


「一度失えば取り戻せない。だから俺は必死になるんだ」


「先輩……」


 シズクは目頭が熱くなる。


 蔵永は立ち上がった。


「悪あがきをしてくる。工事業者と話をつける」


「でも、聞いてくれるでしょうか?」


「それでもやるんだ。古いことわざでも言うだろう――『諦めたらそこで試合終了だよ』と」


「それ故事成語になってるんですか!?」


 蔵永は工事業者と話をするために走り去っていった。


 シズクはぎゅっと自分の手を握る。

 自分も。自分も、やれることをやるんだ。





 池袋遺跡群の中を、シズクは紫藤を探して走った。

 どうすれば工事が止められるかはわからない。

 けれど、何もしないわけにはいかない。


 すると、廃墟ビルの間の細い路地でついに紫藤を見つけた。


「紫藤さっ……!」


 声をかけようとしてとっさにやめる。

 紫藤は工事業者と思われる誰かと密談中の様子だったからだ。

 しきりに周囲を気にしていて、誰にも見られたくないやりとりをしていることが窺われた。


 シズクはビルの陰に隠れて様子を探る。そこで見た。

 紫藤が、こっそり業者から金を受け取るところを。


 ――まさかあれで工事許可を……?


 シズクは紫藤に駆け寄った。


「あの! 工事許可を取り消してもらえませんか!」


「なんだ君は? ああ、蔵永のところの下っ端か」


 紫藤はため息をついて。


「帰れ帰れ。学生の発掘遊びにつきあっていられない」


「紫藤さん。さっきお金を受け取ってませんでしたか? あれは何のお金ですか?」


「……なんのことだ? 人聞きの悪い」


 紫藤は視線をそらし、ごまかした。

 続けて紫藤は業者に作業の継続を促した。


「さあ、さっさと工事を進めてくれたまえ。遠慮はいらない」


 業者は紫藤にお辞儀をして、工事現場へ戻っていく。


「君も戻りたまえ。目障りだ」


 まったく取り合わってもらえないシズクは歯噛みする。

 確かに、ただの学生が大人の世界に割り込むことは難しい。

 偶然見かけた金銭の受け渡しも、賄賂の類だと断定もできない。


 ……でも。


 遺物を大切に思う蔵永のことを思い出す。

 守るべき遺構をこのまま破壊されるのを見過ごすことはできない。


 あの公園にはたくさんの人たちの出会いがあり、豊かな文化があったことをシズクは知っていた。

 その時ふと、風に煽られ、紫藤の右腕の包帯の留め金が外れた。


「おっと」


 ひらりと風に吹かれて踊る包帯の端。

 それを見てシズクにアイデアが閃いた。


「あ、そういえば!」


 シズクは大声を出して、立ち去ろうとする紫藤を呼び止めた。


「む?」


「さっきの公園! えと、新しい遺物が出土したそうですよ?」


「新しい遺物?」


「はい! えっと、確か……魔剣? とか」


「ま、魔剣だと!?」


 紫藤は目の色を変える。


「は、はい! えと、なんだっけ、そう、炎の魔剣レーヴァテイン!」


「レーヴァテイン!? くっ……!」


 紫藤は包帯を巻いた右腕をぐっと押さえる。

 心の中二病が抑えられない。


「それはどんなものなのだ……!?」


「こ、こんな感じです!」


 シズクは持っていた自分のバッグから、スケッチブックを取り出した。

 これは実測作業のために持ち込んだものだった。


 実測作業とは、発掘した遺物を精緻に図化する作業のこと。

 よく観察し、正確な寸法や形状を表現することが重要で、それなりの絵心が必要とされる。

 この実測図の作成を主に任されていたのがシズクだった。


 シズクはシャーペンでさらさらと大まかなアタリを付け、架空の剣の輪郭を整えていく。

 シズクがモチーフを見ないで描ける剣が1つだけあった。『戦刃男子』の草薙剣だ。


「これです!」


「な……!!?」


 完成したレーヴァテインのイラストを見て、紫藤は衝撃を受けた。

 胸のドキドキが抑えられない。特に何も封印されていない右腕が疼いた。


 この時代に、シズクがかつて生きた時代のイラストレーションはほぼ残されていない。

 シズクは、曲がりなりにも元人気同人作家だった。


 ゆえに、紫藤は初めて目にした。

 これほど高度に壮麗で、中二病男子の胸を熱くするかっこいい剣の姿を。

 紫藤はその場に崩れ落ち、シズクの描いた魔剣を崇めるように頭を垂れた。


 そして少年のように瞳を輝かせ、「カッケェ……」とつぶやいた。


 急遽、紫藤より工事中止が宣言されたのは、その日のうちのことだった。





 東古大学内、遺物保管庫。

 蔵永は、黙々とデスクトップPCで報告書を作成していた。

 シズクは、マグカップに淹れたコーヒーを作業中の蔵永に出して言う。


「報告書、熱が入ってますね」


「ああ。工事現場で発見された遺跡はやがて壊される。そうなればもう報告書でしか確認できない」


 遺跡に価値をつけるのは報告書だ。だから蔵永の指先にも熱が入る。

 中池袋公園遺跡の工事は当面中止された。


 魔剣レーヴァテインが発掘されたというのはシズクのとっさについた嘘だったが、塚になったバッジの中から、草薙の剣のイラストがうっすら残ったものが発見された。

 そのことから、実物の魔剣がここに埋まっているかもしれないと紫藤が考え、工事の中止を決断した格好だ。


「ありがとう、観野。あそこで発掘作業ができるのはお前のおかげだ」


「い、いえっ! 私は何も……って、えっ? えっ!?」


 蔵永は立ち上がり、シズクの頭に手のひらを置いた。

 蔵永の整った顔がすぐ近くで自分に向かって微笑みかけている。


「これからもよろしく頼む」


 シズクは顔が燃えるように熱くなり卒倒しそうになるが、たまにはこんな風に褒められるのも悪くない。


「は、はいっ!」


 この騒動のあと。


 やがてシズクは再び筆をとり、漫画を描き始めた。


 自分が佐々木灯だと蔵永に告げられるのは、いつになるかわからないけれど。


 了

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萌草文化考古学研究室 石原宙 @tsuzuku

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