最終弾 ぶっ放せ、いつの日か
きっと相手に全てを正しく伝えることは難しい。「うん分かった」と言われたとして、その後のやり取りで「君、分かってないだろう」ということは日常でよく起きるからだ。機械やマニュアルがあったとしても操作する人間に拠って結果が異なる現象と似ている。
そういう人間ならではのズレを私は面白いと思っている。今日はどんなすれ違いがあるだろうかと、誰かと会話するのを楽しみにしている。
それは、即座に言葉に出来ない私ならではなのかなと思う。どうせ私はのろまで打てば響く会話なんか出来やしないと諦めている。ところがそのまま放っておけば、おかしみを伴い大小の笑いや感動が時間差で返ってくるのだ。
最も思春期の色が濃かった数年間、毎年年末になると一年後の自分に宛てた手紙を書いていた。決まって「生きやすくなりましまか?」という内容だった。「夏原はふつうだよね」の「ふつう」が褒め言葉とは思えずにもがいていた。周りが全てきらきらと輝いていて、自分だけがくすんでいたあの頃。
マシンガントークにうまく言葉が返せなかった私も、授業のプレゼンでひと言も話せなかった私も。どんな自分でも大丈夫なんだと言ってあげたいが、過去の私には届けられない。踏ん張れるように祈るだけだ。
他者との活発な交流が良しとされていた教室の中で、丸腰でアワアワと右往左往するしかなかったあの頃の私が今の私を見たら、多少びっくりするかもしれない。別段口数が増えたわけでも無いのに落ち着いて座っているからだ。
平気だよと、喋りが不得手な自分を許している。なぜなら、私が喋ろうが喋るまいが、誰も人の話なんか聞いちゃいない。
全員が、好きな話題を一方的に話すばかりの天国か地獄か分からない居酒屋で、ごはんをむしゃむしゃ、ハイボールをがぶがぶしながら、以上のことを考えていた。
皆さんヘラヘラふらふらしているのに、幹事の言うことはそれなりに聞いている。
「いよーおっ!!」
パン。
そして奇跡的に揃う一本締め。不覚にも、なんかいいなとか思う私はどうかしているんじゃないだろうか。よく分からない。なにせ酔っている。
私は無表情でバズーカ砲を構えている。砲弾の中身は、何かに感動したり違和感を覚えたりしたときに心に仕舞い込んだ鮮やかな感情である。それらを言葉に変換した私の「声」だ。いつでもトリガーを引けるよう、最適なチャンスを窺っている。いつ来るのか、もしかしたら来ないかもしれないその日を待つ。
弾の形態は自由自在。槍か、盾か、爆弾か。あるいは花束や、手紙、紙吹雪。出来れば後者の前向きな形で、ぶっ放せますように。
私の心のバズーカは、魔改造砲弾を装填中。 夏原 秋 @na2hara
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