第41話 悠

納戸にもぐる。納戸には古いダンボールがいっぱい積んであってかなり狭い。恵梨香の家で思い出した空飛ぶパイの本をどうしても読みたくなって、子ども時代の本を探してるんだけど、どれかな。確かこのあたりだったと思うけど。開けてみた箱には、幼稚園の時のグッズがいろいろ入っていた。通園バッグにベレー帽とか。

通園バッグとベレー帽をどけると、幼稚園の頃に使っていたランチョンマットが出てきた。赤、青、緑、黄色、紫の5枚のランチョンマット。隅には果物のアップリケ。母のお手製。母はきっちり揃えるのが好きで、曜日によって色が決まってて、同じ色のガーゼのハンカチも母のお手製だった。そういう決められてるきっちりしたやりかたが自分にはわずらわしく思えるんだって自覚したのは小学の高学年くらいだったかな。幼稚園の頃は、言われたままで何も考えてなかったと思う。ランチョンマットを手にとって眺める。あの頃は気づかなかったけど、このアップリケのつけかた、控えめに言っても上手じゃないんだな、今だからわかるけど。縫い目がガタガタ。わたしのほうがまだうまいかも。


階下に降りると、母がリビングで本を読んでいた。母に聞く。

「タイトル忘れたけど、昔よく読んでた空飛ぶパイの出てくる本、どこにあるか知らない?急に読みたくなって」


母が顔をあげる。


「昔の本はまとめてお父さんの部屋の本棚のほうに移したから。探してみて」


「わかった」


わたしはついでに聞いてみる。

「ね、裁縫って実は苦手だった?幼稚園の頃の手作りのもの見つけて思ったんだけど」


母は笑いながら言った。

「小さい頃はきづかないよね。そう、実は裁縫って大の苦手」


「なんで苦手なのにあんなにいろいろ手作りだったの?今だから言うけど、友達のキャラクターものの市販のランチョンマットとか実はちょっと羨ましかった。あんなに手作りじゃなくてもよかったのに」


「そっか。そうだよね。でもあの頃は、悠にちゃんとした幼稚園生活送ってほしくて、恥ずかしくないように頑張って揃えなきゃって、悠が何が好きか何を喜ぶかよりもそれで必死だったんだよね、ママ」


母が自分のことをママって呼ぶのは久しぶりだ。ママってわたしが呼ぶのやめてお母さんって使いだしたらそれにあわせて、ママは自分のことママって呼ぶのやめたはずなのに。


「実はママ、幼稚園に通ったことないの。保育園もね。ママのお母さん、要するにあなたのおばあちゃんだけど、生活に疲れ切ってておまけにアルコールの問題も抱えてて今考えてもまともに子育てできるような人じゃなかった。ママは多分、あなたの幼稚園生活に自分がこうしたかったっていうものを詰め込んでしまってたんだと思う。入園前、幼稚園用品のソーイング系の本を何冊も買って、下手で不器用なのに必死でいろいろ作ってたのを思い出す。でも、あの頃はそれが楽しくてしかたなかった。自分ができなかった幼稚園生活をあなたが過ごせるって思うと、それだけで嬉しかった。あんなのもこんなのも欲しい、作りたいってね。あれは自分のためのソーイングだった。ごめんね、エゴ丸出しで。」


はじめてきいた……


「高校でいい先生と巡り合えて、うちの家計の状況とかも全部わかってくれて、それで働きながら大学に行く道を考えようって協力してくれて、自宅から通う範囲に適当な大学なくて、ママは地元から出て夜間の大学に行くことにしたの。高校出て働きながら二部の大学に通った。こんな話、したことなかったね。うちの家の話はちょっと重いので、悠に伝えるタイミング逸しちゃったのかもしれない。年に数回だけ実家に帰るとね、母は自分がどんな悲惨な暮らしぶりなのかを見せつけてきた。母を置いて大学に行ったことを責めるかのように。あれがトラウマで、悠に片付けのことをうるさく言ってしまうんだと思う。自分にも悠にもあの血が流れていると思うと怖くて。足の踏み場がないっていうのはあの家のことを言うんだと思う。家って言ってもアパートの二間だけの家だったけどね。帰省するとまずすることはゴミ出しだった。昔はゴミ袋も有料じゃなかったから、とにかく山ほどゴミ出しをして家をなんとか片付けてると帰省は終わる。そして母はまた家をゴミ溜めにして、母を置いて未来を掴もうともがいて出ていった娘に復讐するの。そんな母も大学4年の時に急死してね、その頃はもう、母を愛してるのか憎んでるのかわからなくなってたな」

「悠が大きくなるにつれ、あなたがいろんなことに苛立ってるのは感じてた。ママがあれこれ家事に必死なのを疎ましく思ってたよね。わからなくはない。だってこれはママのエゴだもの。あなたのため、お父さんのためとかじゃなくて、ママは自分ができなかった、ちゃんとした子供時代、ちゃんとした高校生活、ちゃんとした家庭生活、それをあなたができることが、ママにとってとても大事なことだった。そんなの、それはそれは鬱陶しいだろうなって思うわ。勝手にこどもで追体験しないでよって思うよね。でも、悠が、人並みでちゃんとした楽しい高校生活を送ってるだろうなって思うだけで、ママの気持ちは救われたの。しんどかった自分の学生生活がなんだか報われる気がして。ごめんね、自分勝手で」


そんな子供時代だったんだ、そんな大学時代だったんだ。今のママからは想像つかない。


「悠は、自分のために頑張りすぎって思えてしまって不快なんでしょ。でも全部言っちゃったからわかったよね?ママが朝から掃除して家をきちんとしておきたいのも、朝からパン焼いたりしてしまうのも、全部ママがやりたいことなの。こういう生活をずっと夢見てたから、ママがしたいの。まげわっぱのお弁当箱、嫌だっていうからもう使ってないけど、ああいうお弁当、ママが高校に持って行ってみたかった。全部ママのため。だから、嫌だっていうことはなるべく控えるけど、そうじゃないなら、こんな年になってもまだ割り切れてないママのこと笑っていいから、許してほしい。しばらく、納得いくまで好きにさせて?駄目かな」


駄目じゃないよ、駄目じゃない。人はいろんな過去や感情、屈折を抱えてて、年齢重ねてオトナになったとしても、そう簡単に過去を割り切れずに抱えたまま生きていくのかもしれないね。オトナになるってことや親になるってことは、すべてのわだかまりを解消させる魔法なんかじゃないんだ。

こんなに近くにいたのに、いろいろ知らなくて、わかろうともしなくて、なんかごめんなさい。



「ね、わたしたちさ、わたしが高校にはいったくらいからなんかしっくり来てないよね。あれって、わたしがママって呼ぶのもうやめるって思って、お母さんって呼ぶことにしたあたりからだと思う」


「そう?そうだったかな。そんな話なの?」


「そんな気がする。で、『お母さん』がどうしてもしっくりこないんだ、前から感じてたけど。だから、呼び方変えていい?」


「呼び方なんて悠の好きにしたらいいよ」


「じゃね、何がいいかな。うーん。ほら、宗介はリサって呼んでるでしょ?だから、美禰子は?」


「宗介ってなんだっけ。でも、美禰子ねえ。お父さんにも呼ばれないのに」


「いいじゃん。呼び捨てはなんだかしっくり来ないから、美禰子ちゃんで行くわ、いい?」


「いいよ。悠の好きに呼んで」

そう言うと、母はティッシュをとろうと立ち上がる。わたしは今、ずっと抱えてたもやもやがようやく晴れたような気分になってる。




* * * * *




「美禰子ちゃん行ってくるね」


朝、玄関で声をかけると、美禰子ちゃんがリビングから出てくる。


「気をつけてね?」


私達は笑顔を交わしあい、そして家を出る。閉じられたドアの向こうからカチリと鍵が閉まる音。



なんていい朝。

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世界は荒野でできている 立夏よう @rikkayou

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