第3話 こん畜生のこんこんちきさ♪

 白目を剥いて痙攣し、無様に漏らしている男からいったん視線を外し、私は倒れ伏していてる二人に声をかけた。


「フジカワさんにレイカ姐さん。一段落しましたよ。もう狸寝入りの必要はありませんので、起きて頂けますか」


 私の呼びかけに、突っ伏していたフジカワさんが首をもたげ、仰臥していたレイカさんが半身を起こす。眠剤入りの酒を飲まされたり直接薬を打たれたりした二人であるが、その程度の事で二人がダウンする事などまずありえない。二人の人外ぶりは私もよく知っているのだから。いやまぁ私もどちらかと言えば人外だけど。


「あーあ。何か臭いと思ったらウンコでも漏らしてるみたいじゃん。折角のほろ酔い気分が台無しだわー」

「私の手を介して被害者のを彼に直接伝えたのですが、いささか刺激が強かったようです」


 マイペースな口調で言い放ち、少し顔をしかめるフジカワさんに私はそう言った。フジカワ女史にはもう少し緊張感を持ってほしい……と思ったのだが仕方のない事だ。彼女は不死の呪いに罹っているという。何があっても死なないがゆえに、自分が死ぬ可能性のある事にわざわざ近付く事があるという。そのために元人間ながらも怪現象の解決に身を乗り出してくださっているんだけど。

 というか今回も、あの男にバラされてみたいかも♡ なんて思っていたに違いない。触れなくても解るのは長年の勘だ。


「……それにしても、メメトさんの異能は中々に恐ろしい物ね」


 それまで黙っていたレイカさんが口を開く。琥珀色の獣の瞳には、あからさまな警戒の色が浮き上がっていた。その眼差しを向けているのは無様に転がっている男に対してではない。この私に対して、だ。その様子に、私は若干の違和感を覚えはしたけれど。


「サイコメトリー、だったかしら。触れた物の念を読み取る事が出来るって事は私も知ってたわ。だけどまさか、残っていた想いを相手に転写させる事まで出来るなんてね」

「私も何のかんの言っても管狐ですからねぇ。サイコメトリーなんて能力自体がイレギュラーな物なのですよ。相手の心に入り込み、取り憑いて侵蝕させる。そちらの方がよほど管狐らしい能力でしょうよう」


 そう、ですね。ややあってからレイカさんはため息とともに呟いた。彼女に対して抱いたが心の中で膨らんでいく。さほど親しい間柄ではないが、私はレイカさんの事を知っている。本物の妖狐――純度百パーセントのホンドギツネの妖怪であり、何者をも恐れぬような孤高の女狐だった。もちろん彼女は私の事も恐れてはいないはずだった。不思議な能力を使う管狐だと思っていたはずではなかっただろうか。

 しかし今日の態度は何かが違う。そんな風に思っていた私だけど、それを深く追求する事は出来なかった。考えを巡らせ始めたまさにその時、部屋のインターホンが鳴って来客を知らせたからだ。


「首尾はどうだね」

「ああ、もう終わってますよ。すっかり大人しくなっちゃいましたぁ」


 来客は私たちの今回の依頼人だった。依頼人たちの中には娘をあの男に愛された人がいるらしく、そのお礼参りの代行として私たちに仕事が転がり込んできたって話の流れである。妖怪変化である私たちに依頼を持ち掛けてきた事からもお察しの通り、依頼人たちだってアングラな世界をきちんと知っている。糞まみれになってる男はその事に気付かなかったんだ。

 ああ、好き放題やってたらその報いはいずれやって来るというのに。その事に彼は最期まで気付かなかったんだろうね。


「まぁちょっと臭うみたいですけどね。いい歳した大人なのに、漏らしちゃったんでそこはしょうがないですかね」


 フジカワさんはそんな事を言ってニヤニヤと笑っている。余程男が漏らした事を面白がっているらしい。彼女の感性は私にも測りかねる所がある。もしかしたら悪酔いした影響でもあるのだろうか。

 男たちもフジカワさんの言葉には一瞬だけ眉を動かした。だけどそれだけで、またしても冷徹な表情に戻っている。


「だがそれにしても、この狡猾で邪悪な男をここまで完膚なきまでに再起不能にするとはな」

「再起不能と言えども、一応は生きてはおりますのでご安心を。と言っても、正気に戻るか否かは保証しませんが」

「べ、別に構わん」


 口惜しさと怒りと狂気的な歓喜を織り交ぜながら依頼人の一人が言う。娘の事がきっかけで、私たちに依頼を持ち掛けた彼である。


「本当は正気を保ったままの方が良かったんだろうが……どの道こいつの寿命も数時間程度だろう。それにこれからの事は我々の気が済めばいいだけの事なんだから」

「ああなってしまったのは彼自身の責任ですからね。思っていた以上にやって来たことが蓄積していて、しかもそれを受け止める程の強さが無かったのでしょう」

「……まさしく畜生らしい物言いだな。まぁ悪くはないが」

「その畜生に依頼を振っておきながら、良く言いますよ」


 やり取りが終わると依頼人たちは男を黒い袋に詰め、米俵のように運び去っていったのだった。完全にモノ扱いだったけど、その事について私がとやかく言うつもりは無い。臓器移植に使ったり脳を食べたりするのはやめといた方が良いかもねー。フジカワさんはここでも気の抜けた声でそんな事を言っていた。


「ねぇメメトさん。あの男はどうなるのかしら?」


 問いかけたレイカさんは、血の気の失せたような青い顔をしていた。今にも嘔吐しそうだとその顔には書いてある。だけど私は頷きながら問いに答えた。


「どうって……そりゃああの方たちで私刑にかけるんでしょうね。そうでなければ警察に突き出すなりなんなりすれば良いだけでしょうし」


 レイカさんの表情は晴れない。それどころか一層顔の青さが強まったような気もする。不思議だなぁ、と思いつつ私は言葉を続けた。


「ま、そんな事は私たちが気にするような事ではありませんって。私たちは畜生かもしれませんが、あいつもあいつで道理にもとるような外道だったんですよ。外道が外道な目に遭うのは、まぁ自然な事なのですから」

「そうよね、そうかもしれないけれど……」


 レイカさんは弱弱しく言うと、視線を落として俯いてしまった。

 ああ、やはり彼女の様子はおかしい。私はここではっきりと思った。全くもってレイカさんらしい態度ではないじゃないか。傭兵として殺し合いに身を投じてきた彼女が、まさかこんな事件ごときでここまで顔を青くしたり、釈然としない態度を見せるだろうか? 私の知っている彼女ならば平然としているはずだ。これではまるで別の誰かが彼女に成り代わっているようではないか。

 別の誰か。ここで私は断片的な違和感がぴったりと当てはまるのを感じた。そうだ。初めからここにいるのは私の知るレイカさんではない。そしてレイカさんの替え玉になりうる妖物じんぶつ――それは唯一の存在なのだ――を知っている。

 

「いえいえ、あなたが狼狽えるのも無理からぬ事だと思い直しましたよ。お坊ちゃま気質の抜けぬあなたであれば、事件そのものもその顛末も遺族の報復すらも腑に落ちない事でしょうね。そうでしょう――島崎源吾郎君」


 レイカさんの目が丸く見開かれ、それと共にその身体の輪郭がブレた。赤味の強い金髪の美女妖狐の姿は、黒髪の青年姿に瞬時に変貌していた。その背後には銀白色の巨大な尻尾が四本ある。

 この青年の名は島崎源吾郎という。半妖であるが玉藻御前という大妖狐の直系の子孫であり、要するに彼自身も強大な力を持つ存在なのだ。そして――レイカさんと彼は今や夫婦なのだ。


「あれーっ、米田ちゃんかと思っていたら、米田ちゃんの彼氏さんだったんだね」

「彼氏じゃなくて夫です」


 頓狂な声を上げるフジカワさんに対し、島崎君は律義に訂正していた。まぁ彼氏だと思われるのはしょうがないかなと私は思う。まだ結婚して数週間ほどしか経っていないらしいし。


「それにしても、この仕事はレイカ姐さんにお声がけしたはずなのに、旦那様である島崎君がわざわざ参加なさるとは……」

「危険な仕事だと判断したから肩代わりしただけに過ぎません」


 島崎君の言葉は淀みなく力強いものだった。そこにあるのはある種の責任感と、その根源になる妻への愛情だけだった。


「もしかしたら、今回の仕事も僕の妻なら何ら問題なくこなしていたかもしれません。メメトさんやフジカワさんもご存じの通り、妻は場数を踏んでおりますからね。ですがそれでも、愛する妻を危険から護りたくなるのは夫としての務めだと思うのです」


 随分とアツアツなんだね~、というフジカワさんの冷やかしは島崎君の耳には入っていないかのような雰囲気だった。


「別に私は島崎君の事を責めたりレイカ姐さんに後でとやかく言うつもりはありませんよう。私はレイカ姐さんの事を存じておりますからね。勝手に替え玉が動く事を容認する事は無いでしょうし、そもそもそれはあなただって同じ事でしょうから。

 それに今回の事だって、奥様であるレイカ姐さんも承知したからこそ、島崎君もレイカ姐さんに化けて仕事に参加なさったのではないでしょうか」

「ええ、ええ。メメトさんの仰る通りです。替え玉になるって話は妻も頷いてくれましたからね。むしろ『いい勉強になると思うわ』って言ってくれましたし」


 そう語る島崎君の顔には照れたような笑みが広がっていた。余程奥さんが好きで、しかもそれは軽薄な物ではないという事を思わしめるようなものだった。

 そしてその考えが補強されるような出来事が数分後に起きた。要するにレイカさんが島崎君に電話をかけてきたのだ。電話に応じる島崎君の声は甘く、また話している内容からもレイカさんも島崎君の身を案じている事がひしひしと感じ取れたのだった。


「ねぇメメトちゃん」


 島崎君が電話に興じている時に、フジカワさんがそっと囁く。


「島崎君も純朴な子だって思っていたけれど、やっぱり外道に立ち向かい外道を食い散らす畜生としての素養を持ち合わせているんじゃあないかしら」

「それはそうでしょうね」


 フジカワさんの言葉に、私も素直に頷くのだった。

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ガールハントの夜 斑猫 @hanmyou

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