第4話
叔母夫婦と息子が住んでいたのは、どこにでもありそうな町だった。
駅の周辺には色んな店が乱立し、二十分も歩けば閑静な住宅街に行き着く。叔母達の家は既に売りに出されていた。
家を背にすると、道は右と左に分かれている。
「どっちから行く?」
「じゃん、じゃんけん、しましょう」
丸めた右手を出され、それもいいかと俺も右手を出す。
「どっちが勝ったらどっちに行く?」
「辰雄さんが勝ったら……右?」
「分かった、負けたら左な」
俺が勝って、右に向かう。
息子が姉さんと呼ぶたびに、通行人が不思議そうに振り返る。視線を下に向け、時に塀の隙間を覗き込む息子の姿は奇異に見えるのだろう。何故止めないのかと目で訴えてくる輩もいたが、息子の好きにさせた。
猫探しが俺たちの主目的だが、息子は時折、思い出の場所についても語る。
「この公園でとうちゃんに自転車の練習をしてもらいました」
「このスーパー、かあちゃんとよく一緒に来ました」
「この駄菓子屋、かっこいいお兄さん達がやってて、若い女の人がすごい来るからなかなか買えないんです」
「ここで花見もしたんですよ」
息子の思い出は尽きず、心なしか表情が明るく、そんな息子を見ていると、徐々に、後悔の念に駆られてきた。
俺は息子から、思い出を奪ってしまったんじゃないか。
押し付けられるままに息子を俺と妻の暮らした家に住まわせているが、本当は俺がこの町に来るべきだったんじゃないか。通勤に今の倍時間が取られるとしても、いやなんなら、転職をするべきだったのでは。息子の為に行動するべきだったんじゃないか。
最初に捨てておいて何を言っているのだろう。
もう全ての手続きは終わったんだ、後戻りはできない。
「ここは……辰雄さん?」
不思議そうに俺を見る息子に首を振り、猫探しを続ける。
猫は見つからない。
日が暮れる。
「もう遅いから、今日は帰ろうか」
「……今日は?」
「右からの道でしか探してないだろう? 次の休みは、左の道から探そう」
「……姉さんのこと、探していいんですか?」
「何言ってるんだ、気が済むまで一緒に探そう」
「……迷惑じゃないんですか?」
「迷惑なんかじゃない」
自然とそんな返事が口から溢れていた。この前は出なかったというのに。
息子は目を丸くして、俺をじっと見つめた後──俺の手を掴んできた。今度は俺が目を丸くする番だ。
「なっ」
「これも、迷惑じゃないですか」
震えた声。拒めば二度と、息子はこんなことをしてこないだろう。
何も言えずに見つめ返していれば、掴む手から力が抜け、離れていく。──俺は慌てて掴み直した。
「迷惑、じゃない」
我ながら、どことなく焦りを感じる声だった。
そんな自分の声を耳にして、ふいに思い出す。前にもこんなことがあったことを。
──妻との初めてのデートの時。
あの時も、妻から手を繋いできたんだ。
「……また来ましょうね、辰雄さん」
「あぁ、次の休みにな。──
初めて名前で呼んでみれば、息子は──巳景はとても嬉しそうで、もっと早く呼んでやるべきだったと、また後悔した。
それこそ、十年前に。
手を繋いだのは君からだった 黒本聖南 @black_book
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