第3話 旅立ち
夕方になり、俺は家に帰った。そこでまたあの生活が待っていた。一人で食事をとり、妻や子供たちの会話を聞くという・・・
「おじちゃん!」
玄関で陽菜が呼ぶ声が聞こえた。
(今頃、どうしたんだ?)
俺は玄関のドアを開けた。
「おじちゃん。退屈だから来ちゃった! みんなはどこ?」
陽菜は笑顔で俺に言った。
「いや・・・それが・・・」
俺は答えに詰まった。キッチンからは妻や家族の会話が聞こえてきていた。
「そこにいるの? おじゃまします!」
陽菜はうれしそうに家に上がってキッチンに行った。俺は止めることもできず、慌ててその後を追いかけた。
キッチンに入った陽菜は固まっていた。そこには誰一人おらず、ただスピーカーから人の声が流れているだけだったからだ。
「おじちゃん・・・」
陽菜は初めて悲しそうな顔を俺に向けた。
「ごめんよ。嘘をついていた。実は俺一人しかいないんだ」
「いいの。でもおじちゃん可哀そう。一人でいるなんて・・・。ねえ。私たちと一緒に行こうよ。絶対楽しいから」
その時、外で「陽菜! 陽菜!」と美玖が呼ぶ声が聞こえた。俺は窓を開けて答えた。
「ここにいます」
「すいません。陽菜が迷惑をかけて」
美玖はそう言って家に入って来た。
「ごめんなさい。陽菜、先に帰っていなさい」
美玖が言うと陽菜はしょんぼりして帰っていった。相変わらず家の中には妻たちの会話が流れていた。
「これは・・・」
俺は嘘をついた言い訳をしようとした。
「いいんです。すべてわかっていました」
美玖はそう言った。俺はきょとんとしていた。
「家族全員が生き残る確率なんてとてつもなく低いのですよ。多分そうだろうと思っていました。ごめんなさい。ご家族を亡くしたあなたがどれほど苦しんだかと思うと・・・」
美玖はそっと目を伏せた。
「いえ・・・」
「実は私もそうだったのです。家族をすべて亡くし、ただ私だけが生き残った。でもそれを受け入れられずに家族の映像や声を聞いて過ごしていたのです。そんな時、陽菜と出会ったのです。陽菜は違った。こんな世界でも強く生きようとしていたのです。前向きに・・・。だから私も過去を忘れてこれからを生きようと思ったのです。だからバンで旅をしているのです」
美玖はそう言った。俺はそんな彼女たちを少しうらやましくなっていた。
「あなたも来ませんか? きっと張り合いをもって生きていけるはずです」
美玖は俺を誘ってくれた。しかし俺はその気はなかった。ここにいればずっと家族とともに居られると思ったからだった。
「すいません。俺はここにいます。どこにも行きません」
俺はきっぱりと言った。
「そうですか・・・。明日朝、出発します。でもまた会いに来ます。あなたに会って楽しかった」
美玖は少し悲し気に行ってしまった。俺はため息をつくと、またキッチンに戻った。そこではまだ妻や子供の会話が続いていた・・・。
俺はベッドに横になった。いつもならすぐに眠ってしまうのに、この日はなかなか眠りにつかなかった。美玖に言われたことがよほど気になっていたのだろう。
俺はずっと孤独にさいなまれている。それを解消することができるのだ。彼女たちとともに行けば・・・。だが妻や子供たちからは離れられない。それは音声だけのもう存在していない過去のものだとしても。明日になれば心の中でまたいつものように家族とともに居られるのだ。
そう考えているうちに俺は眠っていた。すると夢を見ていた。それは小さい頃からの思い出が次々に現れた。妻と出会い。子供が生まれ、楽しく暮らし・・・まるで走馬灯のようだった。
(俺は死ぬのか?)
そう思った。そんなものを見るのは死ぬ前と決まっている。だがそれは現在を通り過ぎた。これから数年、いや数十年、俺は同じように暮らし、老いさらばえてキッチンの床に倒れて息を引き取った。そこにはただいつもの家族の声だけが流れていた・・・。
「うわっ!」
俺は飛び起きた。辺りはいつもより明るくなっていた。なかなか寝付けなかったせいか、いつもより遅く起きたようだ。
俺はすぐにキッチンに行った。だが家族の出かける会話の時間はとうに過ぎていた。静まり返った部屋の中はただがらんとしていた。
(これが今の俺だ。もうすっからかんで何もないんだ!)
俺はそう思うと、いてもたってもいられずにパジャマのまま家を飛び出した。
道を見ると美玖たちのバンは走り出していた。俺は大きく手を振って叫んだ。
「おーい! 待ってくれ!」
だがバンは止まろうとしない。
「待ってくれ! 俺も連れて行ってくれ!」
俺は必死になって叫び続けた。するとようやく俺に気付いてくれてバンが停まった。
「どうしたの? そんな恰好で」
美玖はパジャマのまま走って来た俺が妙におかしく見えたらしい。だが俺は真剣だった。
「俺も連れて行ってくれ。やっと決心ができた。だから何もかも放り出してきた。すべてを捨てて新しい人生を送るために・・・。俺は心の中では、ずっとここから抜け出したいと思っていたんだ! その勇気を君たちがくれたんだ!」
俺は勢い込んで話した。美玖は唖然として俺を見ていた。だが笑顔になって言ってくれた。
「そうね。これからは私たちが家族よ。一緒に行きましょう」
「おじちゃん。よろしくね!」
陽菜も笑顔で声をかけてくれた。俺がバンに乗ろうとすると美玖が尋ねた。
「その前に身の回りの物、着替えとか持ってこなくてもいいの?」
「いいんだ。もう戻らない。決心して出て来たんだ。町の店に行けばまだなんでも残っているさ」
俺はそう言ってバンに乗り込んだ。
「さあ! 出発進行!」
陽菜が右拳を突き出して合図した。
「OK!」
美玖がクラクションをけたたましく鳴らして、バンは走り出した。俺は遠くなる家を振り返ろうともせず、後部座席で陽菜とふざけて騒いでいた。心が明るく楽しくなるというのを久しぶりに感じていた。
快晴の空の下、バンは次の町まで山道を快調に走って行った。
いつもと同じ7日前の朝 広之新 @hironosin
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