雲の糸

高黄森哉

雲の糸


 二人の少女が、学校の屋上にいた。塔屋の上には、衛星用のアンテナがあり、屋上の地面には所狭しと太陽光パネル、風力発電が並べられている。発電のプロペラと、その軸は、海鳥を連想させた。


「ねえ、ずっとあれ、消えないね」


 二人と、無数の風車の、目線の先には、巨大な竜巻がある。グラウンドよりも、少し向こう。まだ、ぎりぎり背景と言える。真っ青な空から、突如として伸びるそれは、ゆっくりと時間をかけて回転していた。


「天気予報委員の予測によると、今週の金曜日には、校舎にぶつかるって」


 背の高い、髪の長い方が言った。彼女の髪は、竜巻から吹く風にそよぎ、その吹き付ける気流は、海風のような新鮮さを含んでいた。あの災害の持つエネルギーを地肌に感じて、身体へ力が充電される高揚感がある。


「どうするんだろう」

「どうって、誰かがどうにかするんでしょ」

「でも、誰にもどうにもできなかったら」


 背の低い方はそう言ってから、その真逆の顔を、まじまじと見つめた。


「その時は、死ぬしかないね」


 竜巻は真っ青な空を背景に、巨大な糸杉のように静かに、そびえている。静止しているように見えて、しかし着実に近づいてくる尖塔。二人は、それが激突する金曜日が、遥か遠くすぎて、やってこないように思えた。


 *


 そのころ、対策班は、あわただしく、竜巻の対処を考えていた。対策班は、各委員や部活動から選ばれた代表が寄り集まって出来た、即席の組織である。


「科学部にかかっているんだ」

「と言いましても、ああも、巨大な竜巻は、科学の力でどうにかできるものではないのですよ。生徒達には避難してもらった方が」

「そしたら、彼らはどうする」


 委員会長は、激怒した。


「ここが陥落すれば、居場所はないのだぞ。どこで暮らしていけばいい。校舎が復旧するまで、ホームレスでいろというのか」

「それもそうですがしかし。我々の与えられた予算では、どうにもこうにも」

「グラウンドにプレハブを建てる応急案もありますよ」


 眼鏡の女は提案する。彼女は、学生管理課の課長だ。胸に抱えるボードには、生徒の名簿があり、彼らの入居情報が仔細に載っている。


「プレハブは、雨季を耐えるために、浮く構造にしなければならない。それか、少なくとも地上五メートルの支柱の上に建設しなければ。予算が足りそうにないな」


 ガラガラガラ、と戸が引かれ、活発そうな男子生徒が入室する。彼の手には、沢山の本が抱えられている。


「図書委員の君、なにか発掘できたかね」


 図書室は、データが壊れて以来、どこにどんな有益な情報があるかは、難しく、ずっと図書委員による発掘と解析、分類が推し進められてきた。学校で暮らしていくには、災害対策の知識は不可欠で、優先的に整理が進んでおり、探し出すのは楽だったようだ。


「これは科学部にどうぞ。そして、この文献。対処法がありますね。どうやら、生贄を使うようです」

「生贄か。学校を破壊されるよりも、一人の人間に、役に立ってもらう方が、被害は少ないかもしれない」

「待ってください。委員長は、人の命よりも、施設の方が大切だというのですか」


 と、名簿を抱える彼女。人を管理する仕事に就いているくらいだから、きっと人間が好きなのだろう。


「施設が壊れれば、衛生管理が難しくなります。特に下水類は、死守するべきです。この間、下水が使用不可になった時は、保健室の使用率が二百パーセントに達し、医療崩壊が起こるところでした」


 今まで静かにしていた、環境美化委員の眼鏡の男は、ホワイトボードにプリントを貼った。それは、こうもりグラフだ。それぞれが死守するべきライフラインであり、一つでもかけると、それがボトルネックとなる。

 課長は静かな目つきで、この部屋の住人へ、目を配った。誰も、一人の命を仕方なし、と考えている様子はない。これは、仕方がないことなの。


「誰を選ぶかが重要だ。この場合、ランダムに選ぶのが重要だと思われる。生贄は、誰だってやりたくないだろうからな」


 と会長はいうものの誰も同意しない。とりあえず話題は、実行の手順に移行した。


 *


 それから二日。

 まどから見える漏斗雲は、今日も止まった姿で地面を突き刺す。暗い教室と、燦燦と輝く外。真っ白な槍は、太陽に反射して絹の光沢を見せてる。入道雲の白さだ。


「誰かが死ななくちゃならないんだってさ」


 あの二人の少女だった。のっぽとちびは、一つの机を囲んでいる。教室の左端、窓側の一番後ろの席。


「誰になるの」

「それが、くじ引きで選ばれるんだって」

「ええー、そんなの不公平じゃん」

「なんで。確率で選ばれるんだよ」

「だから、不公平じゃん」


 のっぽの方は、頬杖を突きながら、その続きを待った。そのことに気づいて、彼女はその先を語り始める。


「どんなに頑張った人も、どんなに寂しい人も、どんなに屑でも、運動神経が良くても、ずるくても、くそみそにされちゃう、ってこと」

「まあ。そうだけど」

「不公平じゃん」

「だけど、災害って、そういうものじゃん。その災害が、ただ、個人に起きるだけだよ。個人的に起こる方が被害が少ないよ」

「そうかもしれないけど。それでいいのかな。もし、生贄になったら、納得する」


 尋ねられても、頬杖を突いたままでは頷けない。そうでなくても、頷けはしないだろう。もしも、その個人的な不幸が自分に降りかかれば。だが、そういったことを考えている時点で、彼女にその不幸は起こりえない気がした。


 二百五十分の一。


 現在の全校生徒は、二百五十人。二年前の入学から、ずいぶん減ってしまった。去年のはやり病によるところが大きいだろう。種痘がうまくいかず、それゆえに、種痘への不信感が増し、それが伝染病の繁栄を呼び、病気の充満が、種痘への不信を強化する、負の渦。


「私だったらどうしよう」

「そしたら、私が変わってあげるよ」

「そんなのやだよう」



 *


 図書館某所。


「その儀式には、どれだけの根拠があるのだろうか」


 男は言った。


「わからない。昔の書物に書かれている、ということは、それはかなりのものなのだろう。でなければ、彼らは残さなかった」


 暗がりなので、二人の男の顔は分からない。ちらちらと、間にあるろうそくのか細い光が、口元を照らすのみだ。


「どうして、抽象的なのだろうか。もっと確実に書いてくれれば、解釈に悩まずに済む。我々は、解釈を誤れば殺されるのだから」

「それなりの理由があったのだろう。神罰に触れるのかもしれない。それは、秘密の合言葉のように」


 沈黙。そして、それを破る。


「始め書いた人はどのような人だったのだろう。彼らは、神託を得たのだろうか。それとも、理論を発見したのだろうか」

「前者だ。人が書いたにしては、不可解すぎる」


 沢山の不可解な叙述の山に、彼らは首をひねるしかなかった。それなのに、原理主義者が多いのは、彼らが、この鬱屈とした世の中からの、飛翔を夢見ていたからに違いない。


 *


 そして、金曜日がやってきた。今日も、晴れだった。今日くらいは、嵐になってもよさそうなのに。人一人の死というのは、こうも劇的ではないのか。生贄は、人生という物語から、見放された気分になった。また、日常の延長で、無感動に死んでいく存在は、人々に、自分の未来を幻視させた。


「死んじゃうの」

「竜巻に飲み込まれる。そして、みんながそれに続く。最初の人が、来るな、って言えば、竜巻は消える。空中で頬りだされて、だから死んでしまう」


 来るな、というのが、その雲の糸の切り方だった。古代の人が残した、対処法だった。


「嫌だよ」

「でも成功しなかったら、生きてても、どのみち死ぬ運命だから。くだらないよりかは、ましかもしれないよ。私たちが恐れるべきなのは、この竜巻の後、これほど劇的なことがなにもなく、尻切れトンボで、人生をお終いにしてしまうことじゃない。もうきっと、こんな集団の一体感や高揚感はありえない。ここがピーク、お終いにして」


 虚構への脱出。人間たちの上には、誰しもそんな竜巻が伸びていて、その鋭い先端を、脳溝へ深々と突き刺そうと、ゆっくりと回っている。


「嫌だよ、そんなの。わからないよ、そんなの」

「そうやって、人は、楽園を逃し続ける。怠惰の甘い果実を貪るから、決着を付けられない。一歩踏み出せば、後悔しない」


 尖塔。あれが糸ならば、地上は地獄、空は天国か。しかし、塔が逆さであることを、考慮しなければならないのか。ならば、上こそ地獄で、こここそが天国なのか。もしくは、その逆か。

 グランドに、巨大な竜巻はいた。ここまで近くにいても、相変わらず、停止したかのような印象だ。風はあるが、風音は聞こえない。

 その逆向きの三角錐を取り囲むように、全校生徒は座っていた。この儀式に、参加するのは任意ではなく義務だった。それでも、数人は、どこは別の場所へ逃げ出していた。

 開会の儀は、迅速に執り行われる。生徒会長は、これからの、流れを説明する。最初に生贄が中へ飛び込むこと。皆はそれに続くこと。そして、来るな、と叫ぶこと。

 そして、生贄が起立した。皆の視線が当然、集まる。彼女は、長い髪の毛を、束ねていた。竜巻の中で、乱れないように。


 そして、彼女はゆっくりと、竜巻に近づいていく。もし、竜巻にも事象の地平線があるならば、とっくに過ぎていた。


 ある一定の地点で、身体が救われるように持ち上がる。ついに、空気の渦は、彼女を空へと吸い上げ始めた。

 中は猛烈な状態だった。何がなんだか、どちらが上下だか、わからない。少し視界が開けると、かなり高いところだった。真下は、プール三個分はありそうだ。そして、竜巻に向かって、沢山の人間が、今まさに突撃している。


 彼女は、来るな、と言わなかった。


 少しづつ計画の失敗を悟り、死にたくない少数が、身を引こうとするが、しかし、ほとんどは蟻地獄の内側にいた。一人だけが、その捕縛から、どうにか、足を引き上げたようである。その少女は、安全な場所まで、走って、改めて竜巻を見上げる。

 それは、足まで届くワンピースを履いた巨大で真っ白い天使が、逆さになって、地上へと救いの手を差し伸べているかのように見えた。天国へ、引き上げるように。

 内部を、小さい、ひとがたが、くるくるパラパラと自由落下のように、舞い上がる。彼らは、いまどのような気分だろう。自分ではどうすることの出来ない境遇により、破滅へと向かうのは不幸だろうか、それとも幸福だろうか。

 目の前に、竜巻はもうなかった。グラウンドに、人は一人。きっと他はもうすでに死んでしまっただろう。それなのにひどく羨ましかった。彼女は置き去りにされた


 額を、ひんやりとした机につけたとき、夢から覚めたように、校庭の喧騒が耳に戻ってきた。そろそろ、昼休みが終わるらしい。

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雲の糸 高黄森哉 @kamikawa2001

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