感想という名の物語

snowdrop

感想の感想

 十二月二十日、深夜。

 真っ暗な室内に、ノートパソコンの画面の明かりだけが、ぼんやり浮かぶ。愛用のドテラを羽織り、ネックウォーマをつけ、布団にくるまり、ベッドに正座。湯たんぽを傍らに置きながら、薄い手袋をはめた手でキーボードを叩き、文字を打っていく。

 指の動きが鈍い。

 手元を見ずに打てるのに、幾度となく同じ間違いをくり返す。

 似た文面をコピペすれば手間が省ける、と毎度のごとく頭にちらつく考えを振り払う。楽だとしても、あえて打ち込んでいくやり方で、これまで書いてきたのだ。最後の一作だけやり方を変えるなんて性に合わない。

 今季一番の寒気が押し寄せ、数日前に腰痛の悪化でぎっくり腰に襲われているが、関係ない。

 すでに首や肩、背中と腰の悲痛は心地よいハーモニーを奏で、指先の痛みは霜焼けと打ち解け、ダンスしている。今日は頭痛も加わり、愉快な晩餐会の真っ最中だ。

 寒さと疲労の中、心身ともに年末の忙しい時間を削ってまでして、何故こんなことをしているのかと頭をよぎる。

 いつもいっているじゃないか。そういう小難しいことは、終わってから考えればいい、と。よくいう、あとで考えたことなんて一度もないじゃないか、と一人ツッコミすれば、かすかに息が白かった。


 ――高校生の作品は、凄い。

 二〇二三年のカクヨム甲子園を読んだ感想である。

 他の人がどんな理由を持って読んでいるかは知らない。

 私の動機は、異質だ。

 ストレスから活字が読めなくなった、二〇二〇年の年末に遡る。

 途方に暮れていたとき、カクヨム甲子園の受賞発表が、たまたま目に止まったのだ。

 読めなくなったとはいえ、文字を忘れたわけではない。

 書かれている内容が頭に入ってこなくなっただけ。

 喩えるなら、契約書に記載された細かな文字の羅列を前にすると読む気が失せる感覚に似ている。幸い、十文字程度なら理解できたので、テロップや見出しのおかげでテレビは視聴できた。

 見ていたとき、ふと気づく。

 文章を読み上げてもらえれば小説が読めるはず、と。

 ネットニュースで試すと、感触はよかったものの、興味のない記事では読む意欲がわかなかった。

 カクヨムには、たくさんの小説がある。

 だからといって、どの作品がいいのかわからない。そんなときに、カクヨム甲子園を見つけたのだ。

 やる気に満ちた高校生の作品から元気をもらえたら、あるいはまた読めるようになるかもしれない。根拠のない安易な発想をするほど、当時の私は困窮した状況に喘いでいた。

 音声読み上げソフトを用いてカクヨム甲子園の受賞作を、耳で聞きながら目で追って読んでいく。同時に、感想を書くことを思いつく。

 書かなくても良かったかもしれない。けれども、読むだけでは相手に失礼な気がした。ただそれだけだった。

 だが、すぐに頭を抱える。

 推敲や校正の入った書籍とは違い、カクヨムで公開されていた作品には誤字や脱字、文章の書き方は統一されていない。

 音声読み上げソフトも音読みと訓読みを間違うため、耳で作品を聞けば聞くほどストレスとなった。

 読みにくい作品は一次選考で落とされるはずなのに、どうして受賞しているのだろうと首を傾げながら感想を書く。

 あとで、十年くらい前からラノベの下読みは、文書の書き方が酷くても面白い作品なら通過するようになったと知り、カクヨムもその流れに則っているのだろうと、書き方については気にしないことにした。


 感想の書き方も工夫した。

 高校生だとしても、相手は書き手。

 主人公の葛藤の起伏、中心軌道はどうなっているのか。どんな型で作られ、物語の構成や展開、描写などのこだわりを読み解き、良いところは素直に褒める。さらに良くするにはどうしたらいいのかなど、書き手側に寄り添った感想を心がけていく。

 お話し作りに役立つことを書き溜めたノートを机の上に広げては、どのノートの、どこのページだったかしらんとめくりつつ、一作ずつ、感想を書いていく。

 音声読み上げソフトで作品を耳で聞きながら画面で目で追い、型や構成、中心軌道を読み解いてまとめるのに再読し、それぞれの箇所の感想を書くためにもう一度読み、書き終えたら全体を流すように目を通す。ショートはともかく、ロングストーリーとなると、五回は読まないと感想が書けない。それでも、満足のいく出来に仕上がらないことが多かった。

 そんな読み方をしていたせいなのか。二〇二一年の、死を描いた作品の多さに心身ともに疲弊し、メンタルがやられてしまう。

 それでも読み続けたのは、埋もれるようにして存在する、高校生にしか書けない作品の熱量を感じたからだ。

 

 二〇二二年のカクヨム甲子園は、ロングストーリー部門で、しがないさんの『クレーのいた冬』が大賞を獲得。

 前年のショートストーリー部門『私』に続いての大賞であり、ショートとロング、両方を大賞受賞したのは、カクヨム甲子園はじまって以来の快挙だった。

 二〇一九年では、朔(ついたち)さんは読売新聞社賞で『残夏 ――zange――』を受賞、翌二〇二〇年には『たんぽぽ娘』で大賞を取っているので、ロングとショート、二年連続受賞としては二人目だった。

 王道で尖った作品だったことが受賞に繋がったのだろう。

 受賞作に限らず、応募作品を読んでいると、これが高校生の書いたものかと驚かされる。彼女彼らのやる気と熱量の凄さはもちろんのこと、発想や着眼点は目新しく、今を感じ、各々こだわりをもって物語として形作られている。

 書きたいかどうかは別にして、果たして自分が同じものを書けるのかと推し量ったとき、難しいと思えるものが幾つも目に入った。

 それがわかるほど、活字が読めるようになった昨年末。

 二〇二三年のカクヨム甲子園を読むのはやめよう、と思った。

 そもそも活字を読むためにはじめた荒療治。読めるようになったのなら、読む必要はない。なにより、年末に発表される作品の感想書きに疲弊したからに他ならない。

 受賞結果発表の一カ月前に公表される中間選考作品の数は、ついに百を越えた。

 読むだけなら問題ない。

 だが、感想を書くとなると、時間と熱量を込めて書いた高校生に敬意を払うためにも、こちらも全力で読み込まなければならず、かなりの体力と時間を使う。

 ただ「面白かった」「楽しかった」「すごかった」だけの感想で良いのならば、どれだけ気が楽だろう。

 年長者であり、大人をやっている人間が、幼児並みの感想を書いて良いはずがない。

 どこが面白かったのか、どのように楽しかったのか、どんなふうにすごかったのかを書くのはもちろんのこと、どうしたらいま以上にもっと良くなるのか、作者と同じ視線に立っての感想を書かなければ、全力で書いたであろう作品に対して失礼な気がしていた。

 こだわる理由には、苦い過去がある。

 二〇二〇年のカクヨム甲子園の受賞作品の感想は、理由はどうあれ、敬意が足らなかったと思い続けている。活字を読めるようになりたい思いが強すぎ、配慮に欠けていた。

 不甲斐ない、のひと言だ。

 二〇二二年の中間選考作品が発表されたとき、一カ月で百作近い作品を読んで感想を書くのは無理と悲鳴を上げながらやりきったが、書き終わったのは発表前日。体が持たない。

 だから、もうやめようと思った。

 そんなとき、参加されていた白玖黎さんから、「感想を書いてもらうことで創作に役に立つ人が他にもいると思うので」といったコメントをもらう。

 白玖黎さんの作品『敖霜枝』は、封神演義を題材にしており、気になった書き手の一人だった。

 他人が書かない作品を書けるのは、それだけ強みである。せっかくの強みも、読みやすさ伝わりやすさに欠けていたのでは読者には届かない。少しだけアドバイスし、難しいかもしれないけれどもカクヨム甲子園では恋愛要素を含んだ作品を書いてみては、と伝えた。

 カクヨムコンに応募されていた作品『黙龍盲虎』を読んで、指摘もした。

 白玖黎さんからのコメントをもらわなければ、二〇二三年のカクヨム甲子園作品の感想は書かなかっただろう。


 二〇二三年七月。

 自粛制限が解除され、日常が戻りつつあった。

 抑圧された環境から解き放たれた高校生たちにとって、良い影響となることが想像でき、どれほどすごい作品が応募されるだろうと、密かに期待しながら待ちわびていた。

 そんなカクヨム甲子園の応募開始日の一週間前、私は風邪を引いた。

 不意に悪寒に襲われた。葛根湯や麻黄湯を飲んで悪化しないよう手を打つも、いつもなら効き目が出るのに、どういうわけか悪化する一方。以前、インフルエンザに罹ったときより症状が軽く、三十七度と三十八度を行ったり来たりのくり返しが一週間続く。しかもその間、咳が酷くて睡眠もろくにできず、好転する兆しがみられない。

 もはやこれまで、と病院へ足を運ぶ。

 インフルエンザとコロナウイルスの検査を受けるも、どちらも陰性。思ったとおり、ただの風邪だった。

 年に一、二度、風邪を引くのは常である。ただ、コロナ禍の二年ほどは奇跡的に風邪を引かなかった。世の人が懸命に手洗いうがいなど、清潔を心がけていてくれたおかげに違いない。

 点滴をうち、薬を処方され、寝起きが続く。良くなるまで長引くのはいつものこと。慣れているとはいえ、不本意である。

 七月末。体調が不完全な状態で、カクヨム甲子園に応募される作品を読んでは感想を書きはじめる。


 最初に読んだのは、白玖黎さんの『返魂香』。

 病み上がりとはいえ、この先も多くの作品の感想を書いていくことを考えれば、体力が削られる前にどうしても読みたかった。

 およそ半年、読むことを楽しみに待っていたのだから。

 高校生が書く作品の中にはときどき、読み手のこちらが襟を正しては正座し、気合を入れて読まなくてはいけないものに出会う。

 白玖黎さんの作品は、そういった作品の一つだった。

 相変わらず、他人が書かない作品を書いていた。

『返魂香』は中国を舞台にしたファンタジーかつホラーであり、恋愛要素も含まれている。ファンタジーといえば西洋ものが多いからこそ、他の人が書いていないジャンルで目を引く。

 落語『死神』に、本作に登場する香木が出てくるのを思い出す。けれども、あちらは出がらしみたいなもの。こちらの作品は原液と感じられるほどインパクトがあった。その点でも良い出来だった。

 以前よりも心情にこだわった書き方をされていたのは、本年度の選考委員を務める暁佳奈先生(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』にて第五回京都アニメーション大賞小説部門で同賞初の大賞を受賞しデビュー。現在電撃文庫にて『春夏秋冬代行者』シリーズを執筆)の影響だろう。

 他の高校生たちの作品も、同じように心情にこだわった小説が多く目に付いた。選考委員によって、参加を決めたり作風を変えたりするものなのかと、大いに関心もした。

 読み終わったとき、白玖黎さんの作品は最終選考までいくかもしれないと思った。その先は運なので、はたしてどんな結果になるのだろうかと楽しみにしながら、他の作品を読んでいく。


 応募作品の百八十一作目に、ロングストーリーの『忘川河の守り人』を読んだ。

 白玖黎さん自身の説明があったように、完成したのが締め切り日だったこともあって推敲ができていない。しかも文字数がオーバーしている。まさに生煮え状態。

 カテゴリーエラーで落とされるのは明らかだった。

 推敲して削れば、字数内に収まったに違いない。

 仮定の話をしてもしょうがないし、どんなふうに手直しされるかわからないけれども、完成していたら中間選考作品に入ったかもしれない。最終選考に残れるかといったら難しかっただろう。

 なぜなら、今年の応募作品の出来は、これまでで一番の良作が集まったと思えるからだ。

 

 昨年目を引いた作品に、ヤチヨリコさんの『「小説を書く」』があった。レベルが群を抜いていたため、今年も楽しみにしていた。

 応募していた作品すべてを読み、相変らず目を引く出来だと感服する。小説を書くことを題材にした作品を書かれている。昨年と似た路線に、こだわりを感じた。

 作品は悪くない。『キリンジ・ボンジン』『スパークリングレモンサワー』は三百五十枚にして、小説すばる新人賞などに出せそうな気がした。

 アルコールホリックかキッチンドランカー的なものを想起させる際どいラインを描いていて、なかなか挑戦的。選考する人間はどう判断するだろう。『たらこぎらい』も、芥川賞を狙えそうな雰囲気を感じる。妹ではなく当事者の姉を主人公にし、高校時代を思い出しては現代を描けば、より深く書けたのではと考えてしまう。

 カクヨム甲子園には、純文学や私小説を書いて応募している作品も多数見られるし、けっして受賞できないわけでもない。

 間口は広いからといって、高校生が書くものならどんなものでもいいわけでもなく、求められているレーベルカラーが存在する。

 現代ドラマはとくに、いまの高校生が現代に感じるものを作品に落とし込みつつ、読み手に伝わるよう書かれているのかが重要になってくるのだろう。

 はたして選ばれる作品だろうか。

 応募作品の出来次第では可能性はあるが、二〇二三年のレベルは、質と量ともに、これまでとは明らかに違う。

 推敲も甘い気がする。応募数を増やすより、作品の出来を上げるために時間を使った方が良かったのではと思ってしまう。


 他にも昨年、目に止まったのは醍醐潤さんの『目撃者 ~強行犯捜査~』だった。警察機構のことをきちんと調べ、作品に反映されていたところが良かった。

 今年はミステリーではなかったが、『14.1キロの追憶』に登場する京阪石山坂本線について、実際に乗車体験したことが生かされた作品だった。実体験を作品に落とし込む描写は、想像の産物である物語に現実味を感じさせてくれる。

 コロナ禍で東京に出た大学生の主人公が帰省し、路線に乗車しては亡き祖父との懐かしい日々を思い出す話。

 祖父と電車を乗ったときの、一つのエピソードだけにこだわって書いたらどうだろう。祖父がいつなくなったのかわからないけれども、大学合格が発表されたあと祖父と一緒に本線に乗車していたエピソードを作り、送り出してもらったあとで祖父は亡くなってしまったという展開をすると、より作品が深くできたのではと邪推する。

 読後感も明るいものにできないだろうか。懐かしい思い出も大切。見慣れた好きなところはどんどん変わっていく。だからこそ、これから新しい思い出を作っていくんだと、前向きに終われるラストだったら、印象がまた違ったかもしれない。


 その後、星合みかんさん、千蘭さん、御厨カイトさん、tiriさん、春野カスミさん、柊なのはさん、他たくさんの高校生が書いた作品に出会う度、同窓会に似た気分を味わっていく。

 応募される作品の出来の良さと数の多さから、熱量が伝わる。

 作者はもちろん、最初に目に留まるのはタイトル。

 長ったらしいものや内容が想像できるものより、どんな話だろうと興味をそそられなければ指が動かない。読み手としては、こちらの想像を越える作品に出会いたい。

 人気順に読んでは感想を書いてきた。でも今年からカクヨムの検索仕様も変わったこともあり、自分でランダムに、タイトルから選んで作品を読んでみる。

 気がつくと、宵町いつかさんの作品とよく出会った。

 ほかにも、明松夏さんや千桐加蓮さん、アンデココモモさんなど、目を引くタイトルの作品たちと巡り合う。

 ラノベやネット小説に見られるような、中身がまるわかりするタイトルはむしろ少ない。目を引く方が、読もうとする読者の期待感も高まるというもの。

 それにしても、毎年のことながら、どの高校生も凄い。

「本当に高校生?」と、冗談抜きで聞きたくなる。

 とくに今年は、予想の斜め上を行く作品が多い。

「いまの高校生は、もはや私の知る高校生ではない」と素直に認めることにした。

 否定するつもりもない。

 数年に渡り、カクヨム甲子園の作品を読んで来たけれども、今回参加した高校生の作品は、過去一番と思えてならなかった。

 まったく、彼女彼らはどのようにして、お話の書き方や作り方を学んでいるのだろう。

 実に興味深く、ぜひとも教えてもらいたい。

 聞いたら教えてくれるのかしらん。


 応募総数の一割くらいを読めば、傾向がある程度わかると考え、毎年大変な思いをしつつ、多くの作品を読んできた。

 今年の傾向は、「恋愛要素のある作品」「心情をよく描いた作品」「死に関する作品」といえる。

 とはいえ、この三つは毎年のこと。

 恋愛要素を含みつつ、心情を描き、いまを生きる現役高校生ならでは作品が受賞に繋がっている。

 中間選考、つまり一次選考を通過した作品数は、応募総数のほぼ一割。昨年までは一割に満たなかったことを考えると、それだけ今年のカクヨム甲子園には、出来のよい作品が多く応募されたといえる。

 いままで以上に心情をよく描いた作品が多いのは、本年度の選考委員を務めた暁佳奈先生の影響に違いない。

 自分の作品を暁先生に読んで評価してもらいたい、と思って参加された高校生もいただろう。選考委員によって、ここまで作風が変わるものかと、驚きとともに関心した。

 死に関する作品が応募されるのはいつものこと。

 多かれ少なかれ、心の何処かには闇を抱えて生きているのも、現代を生きる高校生らしさではある。だからといって、昨年よりも多い気がする。

 恋人や幼馴染、家族や友人はもちろん、幽霊やいじめによる自殺する作品も、これまでどおりみられたが、レモンティーが自殺したり、水槽に入れた恋人の死体を眺めたり、人類が死滅した電脳世界に訪れる終焉、家畜の鶏を屠殺する話、自殺の名所に殺した彼氏を捨てに行くなど、バラエティー豊かだ。裏テーマに「死」があるのかもしれない、と邪推してしまいそう。


 カクヨム甲子園にはさまざまな作品が応募される。

 亜里沙さんの作品『きっと繋がる』は、AYA世代が罹る希少がんの中でも前例の少ない腎臓がんの闘病を綴ったノンフィクション。小説と同じ構成で描かれており、出来の良さに目を見張る。病気というネガティブなものを扱いながら、作者の明るい性格を感じられる書き方が、いまを生きる人たちにも希望を与えてくれる気がした。

 楠夏目さんの『一夏の驚愕』は、恋愛抜きで夏の体験を経て大人になっていく姿が描かれた、最近では稀な作品に驚かされた。しかも書き出しは、主人公の少年ではなく秀鋼芽元素のセリフと視点からはじまる。その後、少年視点で書かれていくので、読み手としては誰に感情移入すればいいのか迷ってしまうのだけれども、喫茶店『秀鋼』から出るときの、夏の初めと終わりの描写の違いから、少年の心の変化が読み取れるように描かれているところが良かった。

 還リ咲さんの『グリッサンド』は、タイトルにしろ、読みやすさ、情景描写で心理描写を表しているところも本当に良かった。

 夏希纏さんの『生きていてほしかった』からは、時代性や社会性を感じ、ちょうどニュースにも取り上げられた話題を描いていたのも良かった。

 見咲影弥さんの『総てがまだ青いうちに。』からは、若者だけがもてる特権、これも青春と感じられる表現が良かった。

 沢田こあきさんの書いた『黄昏の盗人』からは、誰もがもっているけど胸に秘めている、戻りたくても戻れない望郷の香りを感じた。

 天井花姫さんの『水中夢中』からは、ただひたすらに速くまっすぐ泳ぐことに夢中となる姿から、高校生らしさと集中力がよく描けていて、選びたいと思える作品だった。

 姫甘藍さんの『キツネノエフデ』からは、題材もそうだけど、文章の表現や比喩はすごく、高校生がこういう作品を書くのかと恐れ入る。

 雨乃よるるさんの『僕は男の子だけど王子様に愛されたい』を読んだとき、読売新聞はこういう話題のある作品を選びそうだと思った。

 ShiotoSatoさんの『へべれけアクアリウム』は、文章の描写ではなく、アスキーアートのような見せ方の発想が良かった。ホラーなのだけれども、結構好きだった。

 翠さんの『Delete』は、ドラえもんのどくさいスイッチを彷彿させるような内容ながらオリジナリティーがあり、端的で平易な文章でありながら、読み手が想像できるような書き方をしているところが伝わりやすいのが良かった。

 蒼さんの『きょう運の箱』は、世にも奇妙な物語で放送されてもおかしくないような作品で、物語の運び方が上手かったし、身近に潜む怖さを感じさせられた。

 朝霧に唄う。さんの『春の標に、朧月。』は時代性を感じ、歴史ファンタジーの一時間ドラマで見てみたいと感じさせられる。

 坂口青さんの『火星と月と万有引力』は、物理を教えている先生は、ひょっとしたら主人公の男みたいに物理学者を夢見ていたかもしれないと思わされるほど、現実味を感じる作品だった。

 他にも、文章に長けた数々の人たちの作品に出会い、凄まじさに戦かされる。そんな作品に毎年出会うたび、彼女彼らがこれからの文学界を盛り立てていくのだろうと思わされた。


 十一月二十三日発表された中間選考作品二百七作のうち、先に読んで書き終えていた六十四作をのぞく百四十三作品の感想を書き終えたのは、十二月二十日。日付が変わる前だった。

 当初は、昨年よりも中間選考作品発表が一週間も遅く、選ばれた数も過去最高、しかも心情にこだわった読み応えのある出来の良い作品の感想を結果発表までに書き終えるのは不可能と諦めていた。

 計算上、一日六作品ずつ感想を書けば間に合うと算出できても、長く持続していくのは難しい。だから一日十作品読んで感想を書くという、無謀なこともした。

 笑い、泣き、心を揺さぶられながら、一作ずつ向き合う日々。

 カクヨムコンに参加する人たちを横目に、体力と睡眠を削り、体が発する痛みをBGMに変えながら、ただひたすらに作品を読んでは感想を書き続けた。活字が読めるようになったから間に合ったのだが、終わらせた感が否めない。時間や体力の制約がなければ、もっと深く読み、なにかもっと励みになること、プラスになる感想をもっと書けたのではないのか。自問しながらベッドに沈んだ。


 十二月二十二日、結果が発表された。

 受賞者と参加した高校生の人たちへ、伸ばせない腰を起こしながら、モニター越しに惜しみない拍手を贈った。

 白玖黎さんが選ばれていた。

 他にも良い出来と思った作品が入っているのを見て、この作品が選ばれたのかと感じ入りながら、自分ごとのように嬉しく思う。

 同時に、寂しさにも襲われる。

 あの作品もこの作品も選ばれていない。

 小説の出来が良いだけでは残れない。おまけに、レベルも上がった。

 毎年のことなれど、幸運の女神には前髪しかない。掴んだと思ったらウィッグだった、なんてことは世の中ざらにある。

 運はあった方がいい。だが、運任せでは駄目だ。

 研鑽を積んで、己の文筆力を磨いていった先に掴めるものなのだろう。

 来年に向けて次こそはと挑む者、受験や進路に励む者、新たな参加者、それぞれのスタートがはじまる。

 ここまでか。

 あるいは、これからもか。

 はてさて来年の感想はどうしたものかしらん、と霜焼けの指をさすりながらモニターを見続けるのだった。


 

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