犬のお巡りさん

或淺(Aruasa)

第1話

 本官は都市から少し離れた小さな村の駐在所に勤務する警察官、いわゆる「お巡りさん」だ。

 種族はイヌで系統はラブラドールレトリバー。黒い毛色が自慢である。

 この村は多少のいざこざはあれど、事件という事件は起きないのどかな場所だ。元々田舎の出身ということもあり過ごしやすい。

 最近の大きな出来事といえば、酒屋を営むトメさんとシゲさんの1週間に渡る夫婦喧嘩の仲裁に入ったくらいだ。その程度なのできっと今日も別段大きな事件もなく過ごせるだろう。そう思っていた。


 午後の見回りの途中、集落から少し離れた山間で子ネコが歩いていた。その場所は2年ほど前まで住民の1匹が管理していたが、その住民が亡くなってからはすっかり荒れてしまっている。また集落から離れていることもあって、普段はあまり村民が立ち入らないので随分と静かである。

 しかしこんなところで子ネコ1匹で一体何を。いくらのどかな土地とはいえ、犯罪に巻き込まれてはいけない。本官はその少女の元へと走り、子ネコの背丈に合わせて屈んだ。

「こんな所でどうしましたか?」

「……!」

 話しかけるとその子ネコはビクリと体を震わせた。威圧感を与えてしまっただろうか。さらに腰を落として少女に話しかける。

「お父さんやお母さんは?」

「……」

「おうちの場所は分かりますか?」

「……分かんない」

「名前は?」

「……分かんない」

 要領を得られない回答しか得られなかった。容姿に何か手がかりが無いか、少し観察する。

 この辺りではあまり見かけないネコ族だ。系統は分からないが、グレーの毛並みとエメラルドグリーンの宝石のような瞳が特徴的である。

 整えられた毛並みと服装からして良いとこのお嬢さんだろうか。

 しかしこの村にも、村の周辺にもそのような者はいない。しかもあまり見かけない種族なので、全くと言っていいほど思い当たらない。しかしながら、放っておくわけにもいかない。

 現在は夕方だ。まだ西に日が傾き始めた頃なので明るいが、近頃はめっきり日が沈むのが早く、住民と街灯の少ないこの村は夜になると暗闇と静寂に包まれる。不審者が出るという情報は特に出ていないが、用心するに越したことはないだろう。

「もうじき暗くなります。今夜は駐在所に泊まっていってください」

「ちゅう?」

 子ネコは駐在所の存在を知らないようだった。この国ではそこらじゅうにあるが、国や地域によって差があるのだろうか。

「駐在所というのは警察官が駐在している場所で、本官の仕事場兼自宅になります。本官1匹ですので心許ないかもしれませんが……」

「……」

 子ネコは黙ったままこちらを見つめていた。

「ええと……」

 尚も子ネコはこちらをじっと見つめていた。

 困った。ワンワンと吠えてしまいたいほどである。もしや誘拐犯と思われているのだろうか。心外だが、この状況では致し方ないとも言える。

 無言の葛藤が続くこと約2分。事態は動いた。

「クシュンッ」

 子ネコがくしゃみをしたのである。

「ああ!冷えてきましたね!とりあえず駐在所に行きましょう!室内は暖かいですから」

 子ネコに手を差し出し、そして改めて子ネコの方を見ると、子ネコはおずおずと本官の手に自らの手を重ねた。

 駐在所までは少し歩いたが、子ネコは難なくついてきた。そして駐在所に入ると子ネコはキョロキョロと不思議そうに辺りを見回していた。

「なんだか狭いね」

「たしかにそうですね。まあ、本官1匹ですからこれで十分ですよ」

 子ネコを椅子に座らせ、あいにくジュースは置いていないので暖かい緑茶を出した。それを子ネコは口にすることなくじっと見つめている。いつまでも湯のみを見つめたまま、手に取ることがない子ネコを不思議に思いつつ、自分用にも入れた緑茶を飲んだ。

 見回りの後で渇いていた喉が潤いを取り戻していく。胃の腑に温かさが広がり、段々と体が温度を取り戻すような感覚を覚えた。気が抜けてふうと息が漏れる。ちらりと子ネコを見ると視線がかちりと合った。茶を飲む様子をずっと見ていたのだろうか。しばらくすると子ネコはおずおずと茶を口に運んでいた。

 もしや他から出された食べ物や飲み物をあまり口にしないのだろうか。上流階級の中にはそういう者もいると聞く。この子ネコが上流階級かどうかは分からないが、一般市民でないことは確かである。


 そしてすっかり夜も深くなった。この時刻になれば駐在所を訪れる者はまずいない。子ネコの保護者が迎えに来ることもなかったため、居住スペースに移動した。居住スペースといっても寝るだけの部屋なので広さはあまり無い。成犬であれば少し厳しいかもしれないが、子ネコであればあまり詰めることなく眠れるだろう。

 煎餅布団しか無いことに申し訳なさを覚えるが、こればかりは仕方がない。

「あいにく来客用の布団は無くて。本官が使っている布団になりますがこちらをお使いください」

 子ネコは黙って布団を見つめていた。昨日干したばかりなので、おそらく臭いは大丈夫なはずだ。

「おじさんは布団いらないの?」

 子ネコが口を開いた。

「本官のことはお気になさらず」

「……」

 子ネコは特に答えることも無く少し不思議そうな表情を浮かべたと思うと、またひとつ、くしゃみをした。

「おっと!とにかく布団にお入りください。風邪を引いてしまいます」

 何年も使ってきているようで、薄くなった布団であるが、被らないよりはマシだ。子ネコを布団に入れ、本官は入口近くの壁際に横になった。

 朝になったら見回りがてら子ネコの親探しだ。明日の予定を決定し、電気を消すとすぐに眠気がやってきた。そうしてしばらくすると子ネコの耳に寝息が聞こえるようになった。

 真っ暗な部屋に子ネコのエメラルドグリーンに光る瞳が浮かんでいた。



 翌朝。まずは村の中心部にある商店街。その一角にある「ワタリ宝飾店」を訪ねた。

「おや、お巡りさん。いいところに来たね。新しいのが入ったんだ。見ていきなよ」

「ワタリさん。それはまた今度に。今日は少し聞きたいことがありまして」

「ほう?」

 カラス族のワタリは売り物となる宝石の仕入れのため、各地を飛び回っている。それ故に不在にしていることが多い。しかし戻るとワタリは旅先での土産話を住民たちに披露してくれるのだ。それを楽しみにしている者も多く、ワタリは村の人気者である。そんなワタリの見聞の広さを頼りにきたのだ。

「迷子のようでして。どこかのお嬢さんだと思うのですが、顔の広いワタリさんであれば、この子によく似た親ネコを見たことがあるのではと訪ねた次第です」

 すると子ネコは本官の背中からひょっこりと顔を出した。ワタリは子ネコを丸く真っ黒な目で観察した。

「へえ、ロシアンブルーか。まるで宝石みたいな目だ。取って置いておきたいぐらいだよ」

「ひえっ」

 ワタリの鋭く尖ったクチバシの先端が子ネコの眼前に迫る。カッカッと喉を鳴らすワタリに子ネコは怯えた様子で本官の衣服の袖を掴んだ。

「ワタリさん!」

「そう吠えるなよ。冗談じゃないか。目玉なんかに興味は無いよ」

 またカッカッと喉を鳴らして笑うワタリに少し警戒したが、元々ワタリは風変わりで有名であり普段から掴みどころのない性格だ。満足したのかワタリはところで、と本官を見た。

「何か身分を証明できるような物は無かったのかい?ネコなんてここらじゃそう見かけない。ここから1番近くてネコが大勢いる場所といえば隣国。であれば通行証を持っているはずさ」

 隣国はネコ族が治めており、それもあってネコ族が多い。しかしながら自分もその可能性を考えて、子ネコが持つ小さなバッグの中やポケットも見せてもらったが、これといって手がかりになるようなものは無かった。それを伝えるとワタリは困ったねと首をすくめた。

「さてどうしようか……ん?」

 うんうんと唸っていたワタリは、言葉を切ると大きな羽の先端を使い、子ネコが付けているペンダントをすくい上げた。

 ワタリはそれをまじまじと見つめると丸い目をさらに丸くし、顔を黒く艶を帯びた羽で隠しながらまた笑いだした。

「なるほど、これは……。ハッハッハッ!たしかにお巡りさんが言うようにこの子はお嬢様だよ。でもそこらの貴族とは全然違う。比べ物にならないくらいもっと高貴な家柄さ!」

 ワタリはちらりと子ネコを見た。その目はなぜか愉快なものを見るような目だった。子ネコはびくりと体を震わせると視線を逸らし、本官の背中に隠れるように後ろに下がった。

「高貴?」

「ククク。いやあ、笑いが止まらないよ。良い拾い物をしたね」

「この子は物では……いや、そうじゃない。この子の素性が分かったのですか!?」

「検討はついた。まあでも、分からないということにしておこう。ワタシは自分の身がかわいいのでね」

 何やら曖昧なワタリの返答に眉間にシワが寄ったが、ワタリはそれを気にするでもなく、さあ行った行ったと自身の店から本官達を追い出すように出口へと誘った。そして外へ出る直前にワタリは耳打ちしてきた。

「その迷子の子ネコちゃん、ワケありで厄介だ。頑張ってね」

「え?」

 どういうことだとワタリに聞こうとしたが、ピシャリと扉を閉められてしまった。

 再びワタリの店の扉を開けようとしたその時、背後から視線を感じた。鼻をすませると、あまりこの辺りでは嗅いだことのない匂い。そして数は1匹といったところである。

「どうしたの?」

「いえ、何もありません。行きましょう」

 背後を警戒しつつ、ここはそれなりに他の目がある商店街の中だ。何か行動を起こそうものなら誰かしらが勘づく。また嗅ぎなれない匂いであることから、外から来た者であることはたしかだ。

 この村は住民のほぼ全員が互いを知っている間柄であるため、見ず知らずの者は目立ってしまう。

 道中、子ネコは本官を見上げるとクイクイと服の裾を軽く引っ張った。

「おじさん、お巡りさんって何?」

「お巡りさんは皆を助け、町の平和を守るヒーローのようなものです」

「じゃあおじさんはヒーローなの?」

「ううん……」

 お巡りさん、厳密に言えば警察官をヒーローだと思っていることは確かだ。子イヌの頃、故郷の村に駐在していたお巡りさんの姿を思い出す。

 種族は同じラブラドールレトリバーで、いつも朗らかな雰囲気をまとった村の人気者だった。巡回中に声をかければ快く応えてくれ、村内で揉め事が起きれば率先して仲裁に入っていた。犯罪行為はあまり起こらないのどかな土地だったが、一度小学校に不審者が現れたことがあった。小学校の裏山のその向こうの山を根城にしていた盗賊達だった。彼は盗賊達に勇敢に立ち向かい、取り押さえることに成功した。残念ながらその時に怪我をしてしまい、警察官を引退してしまったが、その背中に憧れて自身もその道を志した。

 小学校を卒業し、警察学校に入学してからの訓練は辛く逃げ出したくなる時もあった。しかしいつも心には幼い頃に見たお巡りさんがおり、その背中に勇気が湧いて救われていた。あのお巡りさんのようになりたいとこれまで奮闘してきたのだ。

「本官はまだまだです。でもいつか、本官が理想とするヒーローになりたい、とは思います」

「ふうん」

 幼い彼女には難しかったのか、それきり子ネコは黙ってしまった。

 背後に気配は無い。そして嗅ぎ慣れない匂いもしなくなったが、用心するに越したことはない。本官1匹なら襲われようが構わないが、今は子ネコを連れている身だ。子ネコの身の安全が最優先である。

 しばらく商店街とその周辺を歩き、いつもの見回りコースを行きながら道行く者にネコを見かけなかったかと聞いて回ったが収穫は無かった。

 もう少し範囲を西へ範囲を広げたかったが、子ネコが疲れた様子を見せたのと、ちょうど日が傾いてきたため、今日のところは駐在所に戻ることにした。

 夜になり、昨晩と同じく、子ネコを布団に寝かせた。やはり疲れていたのかすぐに寝息が聞こえ始め、電気を消して本官もその日は眠りについた。


 翌日。昨日は行けなかった西の方へと足を伸ばすことにした。とある住民を訪ねるためだ。

 ワタリが村外に精通する者とすれば、彼女は村内に精通する者である。

 村の中心部から西へ少し離れた場所に、その住民は居を構えている。

赤秀あこう」というこの村にひとつしかない旅館のオーナーで、宿泊客をいつも見ている彼女であれば子ネコの手がかりを掴めるかもしれないと思ったのだ。

 年季の入った引き戸をガラガラと開けると受付スペースにちょうどその姿があった。

「いらっしゃい。お巡りさんじゃないか。どうしたんだい」

「ちっちゃい……」

 子ネコが呟いた。

 彼女はスズメ族なので体躯が随分小さいが、気が強く、また器が大きいことで有名である。怪我をした者や病気を患った者に無償で宿を貸すなど献身的な面があり、彼女を「姐さん」と慕う物も少なくない。本官も赴任したばかりの頃にとてもお世話になったので、心の中で呼ばせてもらっている。

「ウメさん、実は」

「うわ、ネコじゃないか!アタシはネコが苦手なんだよ!あいつらときたら野蛮ったらありゃしない!」

 甲高い声でチッチッと舌を鳴らしながら奥へと飛んでいってしまいそうな彼女、もといウメを慌てて静止し、事情を話した。

「あの、実は迷子なんです。この子に似た方を見たことはありませんか?」

「そもそもこの辺りはネコなんていないし、旅館にも来な……。いや、いたね。1匹」

「その方はまだ宿泊されておりますか!?」

「いや、泊まらずにもう行ってしまったよ。いけ好かない奴だった」

 ウメの言葉にがっくりと肩を落とした。この場所にいるのであれば、子ネコの正体を掴む手がかりがあったかもしれなかったのだ。

「それにいやに小綺麗でこの村じゃ逆に目立ってしまう。そういや、子ネコを探してるとか言ってたよ」

「子ネコを!?」

「ああ。もしかしてその子かい?」

「それが、この子は自分のことをあまり教えてくれなくて。それはいつの出来事でしょうか」

「ちょうど昨日さ」

 昨日ということであれば、そう遠くには行っていないはずだ。この村はバスや列車のような移動のための足が少ない。ウメやワタリのように翼を持っていれば別だが、ネコ族であればほとんど徒歩での移動になるはずだ。

「どこに向かったとか、分かりませんか?」

「すまないが、それは分からないね」

「そうですか……」

 しかしもうすぐ日が傾く時間だ。そろそろ駐在所に戻ろう。今日のところは帰りがてら、そのネコを探せばよい。そしてウメに別れを告げようと歩み寄った時、ちょうどウメが肩に乗り、耳元で囁いた。

「お巡りさん。その子ネコ、注意した方がいいよ」

「どういうことでしょう」

「身なりを見れば分かる。ワケありだろう。それに昨日来たヤツは腰に剣を差していた。関係があるかは分からないが、用心するに越したことはない」

 ワケあり。ワタリも同じことを言っていた。

 あまり衣服にこだわりがない本官でも、子ネコがまとう衣服は一般庶民では手の届かないような上質なものであることは分かっている。本官も子ネコの素性を少し怪しんでいるが、この小さな女の子を放っておけないという気持ちの方が強いのだ。それに本官は警察官だ。たとえこの国の者でなくとも命を守ることは当然である。

「忠告ありがとうございます。では本官達はこれで」

 今度こそウメに別れを告げ、子ネコを連れて赤秀を出た。振り返るとウメはこちらを見つめていたが、軽く一礼するとウメは奥へと引っ込んだ。


 しばらく歩いていると、またあの気配と匂いがした。

 ワタリの店を出てからしばらく我々の後を追って来ていた気配と匂いだ。赤秀に着く少し前に感じなくなったと思ったが、おそらく距離を置き、物陰かどこかから見ていたのだろう。

 一応警察学校での武術の成績は上位だったが、相手は武器を持っている可能性がある。不審者、はたまたウメからの情報にあった腰に剣を差した者ということもありえる。

 子ネコをさりげなく本官の体で隠すようにし、背後の気配と匂いに注意を払いながら先へ進んだ。

 そして少し開けた場所に出た時、後ろから声をかけられた。

「そこのお前、止まれ」

 振り返るとそこには1匹のネコがいた。そして嗅いだことのある匂い。ワタリの店を出た後、そしてウメの旅館を出てからずっと感じていた匂いと同じだった。

 ブラウンとブラックの2色で構成された毛並みと豹のような柄は勇ましさを覚え、スラリと伸びた背筋からは気品すら感じた。そしてその風貌はまるで騎士のようで、腰には剣を差していた。匂いの主はウメが言っていたネコだったのだ。

「手荒な真似はしたくありません。その子をこちらに渡してください」

 いつ剣を抜いたのか分からないが、いつのまにか眼前に剣先が向けられ、少し動けばそのまま貫かれそうである。

 本官はどうなっても良いのだが、子ネコの身を危険に晒すわけにはいかない。種族の特性上、汗はかかないというのに、なぜか背中を冷たいものが流れるような心地がした。

 しかし臆するわけにはいかない。武器となる物は一応所持しているが、こちらも刃を向けられている以上、むやみに動くことは出来ない。今は子ネコの身の安全が最優先である。また本官は警察官で、その仕事は市民の平和と安全を守ることである。

 言葉を発しようとするとワナワナと口元が震え、喉が渇く。しかし舌からは唾液が絶えず生成され、口内は湿り気を帯びていた。

「……あなたはこの子の保護者ですか?」

 口元の震えをどうにか抑え、カラカラの喉からどうにか声を出した。

「保護者……ええ、そうですよ」

「では氏名、それから身分が証明出来る物を見せていただいても?」

 身元も分からない者に子ネコを差し出すわけにはいかない。本官は経験したことが無いが、長い歴史の中には虚偽の申告で誘拐事件に発展した事例が過去にあるのだ。警察学校に通っている間も教官に証拠こそ全てだと教えられた。

「ふん、誘拐犯に名乗る名はありませんね」

「……本官は警察官です。証明する物はこちらに」

 そういって胸元のポケットから手帳を取り出した。そこには本官の顔写真、氏名、そして階級が書かれている。

「それが本物であれは良いですが、ね!」

 強くなった語尾とともに一撃が繰り出された。やはり早い。いや、それよりも。

「子どもがいるのですよ!危ないでしょう!」

 背後の子ネコに万が一のことがあるといけない。戦う力の無い者を巻き込んでしまったとなれば、自らが理想とする警察官失格である。また相手は相当な手練であるが、市民である。市民を守るべき警察官が市民に手を挙げることはできない。

 そう考えてる間にも幾重にも剣撃が繰り出された。それを警棒で何とか受け止めるが、重い。気を抜けば吹き飛ばされそうである。受け止めきれなかった攻撃は容赦なく体に届き、切り傷が出来ていく。

 どれほど時間が経ったのか分からないが、さすがに疲労を感じてきた。体感としてはとても長い。しかし相手の速度は緩むことがなかった。

 本官が先に倒れてしまうと子ネコに危険が及んでしまう。しかし逃げる隙がどうにも見つからない。それほどに相手は強かった。

 どうしたものかと頭を巡らせていると、背中に隠れていた子ネコが前に飛び出した。

「待って!」

 危ない。そう思うと同時に再び眼前に迫ろうとしていた切先は、子ネコに届く直前にピタリと止まった。

「……っ!姫様!」

「姫……?」

「イアン、待って。おじさんは何も悪くないの」

 子ネコが制止するとそのネコは剣を下ろした。

 そして子ネコは眩い笑みを浮かべた。一方剣を下ろしたネコはというと険しい顔をしていた。

「姫様、素性も分からぬような者を……」

「おじさんはだよ」

 回答になっていないが、それよりも気になる情報がある。

「姫とは……?」

 存外とぼけた声が出てしまった。それにネコは険しい顔のまま口を開いた。

「このお方は我がルウブル王国の王女殿下だ。貴様が易々と話して良いお方ではない」

 ルウブル王国。ネコ族が多く住むという隣国ではないか。ワタリの言う通り、子ネコは隣国の出身だった。

 というよりも迷子の子ネコが王女だとすると、王女を煎餅布団に寝かせたり歩かせたりしていたということになる。血の気が引いてきた。

「私ね、お勉強が嫌になって逃げ出したの。知らない場所だったからどうしようって思ってたけど、声をかけてくれたのがおじさんで良かった」

 すごく楽しかったよ、と子ネコは続けた。

「ありがとう、おじさん。ヒーローみたいだった!」

 子ネコは笑みを浮かべながら騎士のようなネコとともに車に乗って去っていった。その方向は隣国である。

 状況がいまいち飲み込めず、しばらく惚けていると体が痛んだ。ネコの刃が触れた場所である。無我夢中で、その時は痛みに気づかなかったが、一度それに気づくと全身がピリピリと鋭い感覚を発する。

 駐在所に戻ろうかと思ったが、救急道具がありそうな一番近い場所が赤秀だったため、再び訪れるとウメは驚きながらも迎え入れてくれ、丁寧に応急処置をしてくれた。

 だから用心しろと言ったじゃないかとウメに小言を言われ、言い返す言葉がなく、苦笑いを浮かべることしか出来なかった。



 それから1週間後。

「やあ、お巡りさん。無事にプリンセスを国に帰したそうじゃないか」

 駐在所の引き戸がカンカンと叩かれ、開くとそこにいたのはワタリだった。あの後、すぐに隣町へとたったようで、自宅への帰りがけに立ち寄ったらしい。

「なんで知って……。というかあの子の正体が分かってたんですよね!言ってくださいよ!」

「いやあ、面倒事はゴメンだったからね!」

 ワケありだと言っただろうとワタリはいつものようにカッカッと喉を鳴らして笑った。

「あの子ネコが付けていたペンダント。隣国の王家の紋章が入っていてね、そこでピンと来てしまったんだ。下手に手を出したらめんど……大変だと思って」

「……おかげで大変な思いをしましたよ」

 はあと無意識にため息が出た。

 王族としての教養という本官には想像もつかないようなへのストレスから、公務の帰りに休憩と称して車を止めさせ、そのまま逃げ出したというのが事の顛末だった。

 それを見たワタリはまたカッカッと笑うと、しかしと目元の涙を拭いながら言った。

「良い経験になったじゃないか。これで迷子のプリンセスを見つけても大丈夫だね」

「もう迷子のプリンセスは懲り懲りです」

 ワタリは本官の言葉にぶはっと吹き出し、今度は大笑いだった。体を震わせてヒーヒーと荒れた呼吸のまま悶えている。こちらとしては面白いものでもなんでもなく、命の危険もあったというのに。

 しばらくすると駐在所の扉がトントンと叩かれ、黒い毛並みのヤギが現れた。彼はこの村の郵便配達員である。

「お巡りさーん!郵便だよ!」

「ありがとうございます」

 手紙を受け取り、確認すると、この国では見かけない封蝋で封がされていた。

「お、その調印は隣国の王家の紋章。もしやプリンセスからかい?」

 いつの間にか復活していたワタリが呟いた。封蝋には向日葵のような花と太陽が中心に描かれている。そしてワタリに言われて差出人を見ると確かに件の子ネコだった。なんだろうと封を解くと中には手紙が2枚入っていた。

 1枚目は子ネコが書いたもののようで、おじさんへ、とプリンセスらしからぬ可愛らしい始まりだった。手紙には感謝の言葉と国に帰ってからのことが書かれていた。国に戻ると両親である王と王妃に抱きしめられたこと、じいに、おそらくお目付け役であろう者にこっぴどく叱られたことなど、子どもが一生懸命書いたであろう字で綴られていた。無事なら何よりである。

 そして2枚目は公文書のようで、封蝋と同じ調印が施されている。このような堅苦しい文書を今まで見たことがないので、自然と背筋が伸びた。導入部分を流し読みし、本題であろう部分に目を通した。

「ええと……『貴殿を王女の専属騎士に任命する』………ん!?」

 その文面に思わず驚きの声を挙げてしまった。ワタリはどうしたんだいと聞いてきたので、手紙の一部分の文面を差した。ワタリはその箇所を読むと目を丸くし、彼もまた驚きの声を挙げた。

「おやおや……これはたまげたね」

「どうしましょう……」

「どうしたもこうしたも……ん?」

 何かを言いかけたワタリが閉じられた扉の方を見た。本官も扉に目を向けると、何やら物音が近づいてきているのが分かった。車輪の音だ。農作業で使う荷車のような荒い音ではない。この村では車はあまり通らないので聞き馴染みのない音である。そしてその音は駐在所の前で止まった。磨りガラスごしに何か大きな乗り物が見える。そしてしばらくすると扉がガラリと開かれた。

「おじさん!」

 そしてそこにいたのは迷子の子ネコ、いや正確には隣国のプリンセスだった。さすがのワタリも声が出ないのかポカンとしている。


 迷子の子ネコを保護したことから始まり、これから本官の身に起こる出来事をこの時はまだ知る由もなかった。

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