第10話 三賢女②

「一羽の小鳥が矢を射られ、地に落ちて苦しんでいるとします」


 話し始めたアナム族の声は、まさに透き通るような美しさを持って会場に響き渡った。


「あなたは、あなたの魔法を何に使うのでしょうね?小鳥から矢をそっと抜き取り、何もなかったかのように治癒させて空に返しますか?或いは、魔力によって射た者を罰っするでしょうか?それともただ射た者にそれを渡しますか?恐らく居たものは、その小鳥をその日の糧とするでしょう」


 アナム族の彼女は、一瞬言葉を切り、続けた。


「或る意味では魔法とは罪なものです。決定権に似たものを持ち合わせてしまう。私たちが何を選ぼうとも、何が正しさで何が間違いなのか、誰も教えてはくれません。あなたは、何も判らぬままに大変な間違いを魔法を通じて行うのかも知れません。正しさを行うものを憎み、怒るかもしれません。そういった者が物事を左右するほどの力を持つのです。恐ろしいことですね。いかに強力な魔法を習得し使えたとしても、〈完全なる善〉が何であるのかを知らぬままいることそれ自体が〈アラディア様〉の意志に反することです。良い教官が揃っているこの学校で、あなた方がより良い答えを見いだせるよう祈っていますよ。願わくば、それが私と同じものであることもね…」


 初老に見える美しい彼女は、澄み渡る声で朗々とそれだけ言い終えた時、進行役が彼女の名を紹介した。


「ありがとうございました。アナム族のモルシェン様から祝辞を頂きました」


 モルシェンが席に戻ろうとした時だった。アナム族のモルシェン歩みを止め、フッと場内の一点に目を向けた。深い海の色を湛えたそれが見つめたのはマリカのいる方向だった。場内がにわかにざわつき、教官たちも顔を見合わせている。クリーオウ校長も結晶のドリーチェも同じくマリカの方をジッと見ている中で、一人、初代アデプトのコエルフィオン・マクダーミドだけは涼しい顔で扇を緩やかに動かしているだけだった。時間にして数秒間、碧眼の希少種はマリカを見つめていた。マリカの周囲の者たちも碧眼が見据えているのが自分の傍に座るこの新入生だと気付くと色めき立ってざわついた。遠くの上級生は立ち上がってまでマリカを見ようとした。隣にいたエメリもマリカとモルシェンを見比べていた。講堂内のすべての視線をマリカが集めたその時、マリカの前の席で振り返って見ていた新入生の一人が大きな声で悲鳴を上げた。それが皮きりだった。

 悲鳴の波は場内を伝染でもするかのように広がっていった。波と波がぶつかり合ってさらに大きな波となり渦を巻いた。「静粛に!席に着きなさい!」と叫ぶ進行役の声すら波は包み込み、虚しく掻き消していった。マリカは背後にその気配を感じ、振り返った。立っているそれは、炎の服を纏い炎の目を持つミアンだった。燃えさかる炎のミアンはマリカの背中に貼りつくように立ち、演壇を見下ろしている。マリカにも彼女が何を見ているのかは判らなかったが、マリカの周りにいた者たちは悲鳴を上げて散って行った。マリカとミアンだけがその場に取り残された。親友のエメリですらマリカを見つめながら後退していった。

 クリーオウ校長は立ち上がって進み出たが巨体の初代アデプトに行く手を阻まれた。結晶のドリーチェは口の中で呪文をつぶやいている。教官たちも進み出ようとしたが、最も前にいたアナム族のモルシェンが大きく両手を広げたのを見て歩を止め、様子を見守った。モルシェンとミアンは、あたかも睨みあうような形で向き合っている。お互い自信に満ち、一歩も引く気配が無かった。マリカはモルシェンとミアンを不安げに交互に見た。


「ミァン、やめて!歓迎式典よ?何をしようと言うの?あなた…あの時、夢の中で私に何か言おうとしてたわ…。私、あなたの事を怖いモノとは思えないの…。ね、お願い…もう止めて消えて!先生たちの魔法は強力だわ!だからお願い…」


 炎の目をアナム族に向けていたミアンはチラッとマリカを見やると微笑んで見せた。その笑みに気づいたものは居ない。ミアンは、そのまま音もなく霞んでいき、消えてしまった。あとには散らばった新入生たちの手荷物や紙などが散乱しているだけで、虚ろ穴のミアンの気配は完全に消えていた。

 壇上の強力な魔女たちはただジッとそれを見ていた。ミァンが消えた後もモルシェンはマリカを見つめていたが、最後には何もなかったかのように顔をそむけ、席に着いた。進行役の声が生徒たちに平静を呼びかけ、催しの幾つかを残して式は終了されると告げられた。生徒たちは指示されるまでも無く、蜘蛛の子を散らすように大鏡から各自の教室へと逃げて行った。講堂内に残ったのはマリカと、そして壇上の四人の強大な魔女、そしてその後ろの教官たちだけだった。


「マリカ…あなた…」


 クリーオウ校長がなにか言いかけたが、結晶のドルーチェから何事か囁かれると押し黙ってしまった。校長は教官の一人に指示し、マリカに教室に行くよう指示しさせた。マリカは手荷物を胸に抱きしめるようにして大鏡の中へと消えて行った。最後に振り返ってみた。教官たちの表情は、皆が一様に恐怖を滲ませていた。

 生徒全員と教官たちが居なくなった講堂に残っていたのはクリーオウ校長と「三賢女」だけで、それぞれが座った席から動こうとせずにジッと押し黙り、ミアンが現われた場所を見つめていた。

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マリカ・ル・ファト 狭霧 @i_am_nobody

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