第14話


 俺は正直言って、コウイチローをナメていた。

 いいやつだとは思うけれど、最後の最後には逃げ出すやつだと思っていた。

 それが悪いとは思わない。

 それが普通だとも感じる。

 やつだって聖人じゃない。いろんなセリフが頭をよぎったはずだ。

 どんな『言い訳』だって、きちんと綺麗な言葉で覆えば『理由』になる。

 やつが出した答えは、俺の視界に炎となって映った。

 まだ気絶し地を這うレザントのそばの枯れ草を、自身も満身創痍で這いずりながら火炎放射器で焚きつけているトカゲがいた。

 負傷したトカゲを動かすには熱を与えてやるしかない。ここはあまりにも寒すぎた。

 そして、そのとき、誰もが熱を求めていた。

 俺も、レザントも、コウイチローも、そして鋼鉄の首なし騎士も。

 この世界は、俺たちには寒すぎた。



 首のない騎士が振り向く。肩がほんの少し動き、肩部のセンサーの角度がずれた。俺と向き合う背後で、コウイチローの焚き火を感じ取って。

 機械が生唾を飲む音がした。

 俺にはそう聞こえた。それが操縦者自身の生唾だったのか、それとも機械の操作挙動にわずかに現れた変化を俺がそう受け取ったのかはわからない。

 だが、俺は確かに感じた。

 だからやつが疾走する一瞬前に、最初の踏み込みを打てた。

 もしもこの怪物が本当に熱量をエネルギーに変換できるなら、あの火炎が放つ熱放射は何がなんでも欲しいはずだ。そしてもし、その熱を奪われほんの少しでもこの機械が回復してしまえば、俺に勝ち目はない。

 獣脚のステップを踏みながら、本当に大事な一瞬だというのに、俺はぼんやりと思った。

 ああ、俺は勝つ気なのかと。


 本気で俺は、この怪物に、

『勝つ』つもりなんだと――


 他人事のように、そう思った。

 倒れ伏したレザントとコウイチローの前に先回りし、何か悲鳴のような叫びを上げるコウイチローのトカゲ声がいまいち聞き取れず、俺は剣を構えた。構えるのが遅いくらいだった。

 敵機は眼前にいた。

 最後の接近だった。

 一発の弾丸になったように、俺は渾身の刺突を怪物の胴体、狙い続けたわずかな亀裂にぶち当てた。角度も加速も充分だった。俺の最初で最後の本物の一撃だった。

 剣身が一瞬で粉々に砕け散った。

 無理をさせすぎた。そんなことはわかっていた。

 折れるか折れないかのギリギリを狙い続けていたら、剣身に疲労が蓄積するのは当然。

 だが俺に、出来ることなど他になかった。蜂の巣状の握柄、その先の剣身はほんの数センチの破片程度の金属片だけ残して消失していた。

 そもそもが笑い話、俺の必殺の一撃をぶち喰らわせても、敵機の胴体の亀裂はほんのわずかにさえ広がってなどいない。

 最初からその傷は、トカゲが刃物を振り回すのとわけが違うなんらかの衝撃で生まれた歪みだった。

 フレキシブルの可撓配管とはわけが違う。それは操縦槽を覆う分厚い鉄板。そんなものを、剣でどうにかできるはずがない。ああ、畜生、


 これで終わりか――


 俺の諦めが伝わったのか、そもそもいままでさんざん振り回されたストレスのはけ口がどうしても欲しかったのか、それとも目の前の希望の炎に目を盗まれて何も考えていなかったのか。

 鋼鉄の騎士は、握り拳を作った。指の金属が軋むほどのパワーを、俺はトカゲの耳で聞いた。風を切る音、

 砲弾を腹に受けたような、衝撃。

 出力不足だったからこそ、内臓をぶち撒けずに済んだのだろうが、それでも五臓六腑のすべてが潰されるような激痛が暴風のように全身を駆けずり回った。眼球の毛細血管にどこかから押し出された血流が流れ込んだのか視界が一気に真紅に染まる。耐えられなかった。

 別に死ぬ間際に気にすることでもないと自分でも思ったが。

 吐瀉物がなるべく飛び散らないように、俺は自分の腹めがけてゲロを吐いた。

 まだ自分の腹には怪物の拳がめり込んでいる。

 黄土色の汚物水が、金属の拳をだらだらと汚した。指の隙間にも垂れていっている。緊張のせいか、胃液の粘度はどろりと高かった。

 まったく俺はどこまでバカなんだ。そんなどうでもいいことを気にして。

 死ぬ間際なんだぜ――


 パッと拳が俺の腹から引かれた。

 支えを失った俺の身体がよろける。背後でコウイチローが焚いている炎の熱気をわずかに背に感じた。

 いよいよトドメを刺してくるか、どうせなら、あの冷凍掌で、俺の熱の全部を持っていけばいい。

 そう思って、騎士を見上げた。

 まず最初に、勝ちが決定したにしては、挙動が怪しかった。

 感覚でかなりの部分を操作できるのか、やつは動揺もあらわに『後ずさり』した。

 次に俺のゲロまみれの手を『ぶんぶん』と振った。

 どこかになびろうとして、機械の身体には汚れをなびれるような服がないと気づいたか、ふとももあたりを触ろうとしては躊躇し、それでもなびってみようかと逡巡し手をさ迷わせていた。

 よっぽど俺のゲロを大事な愛機が浴びたのが嫌だったのか。

 違うよな、と思う。

 ああ、違うとも――


 俺は折れた剣の柄を握り締める。背後からトカゲの声がした。

 レザントの声だった。


「手首の配管だ! 『冷媒配管』を突け!」


 言っている意味はよくわからなかった。俺は機械は苦手なんだ。

 そういう難しいことは、レザントが考えてくれなくちゃ。

 だから俺は、まっすぐに突っ込んだ。

 何も考えずに、ただ、

 一瞬の全てを信じて。


 俺の踏み込みと、我に返った首なしが汚れた右手をまなじりのように開くのが同時だった。

 突進のスピードと怪物の掌底の振り抜きが合わさり、よく練り込まれた喜劇のようなタイミングが生まれた。

 たっぷりと俺のゲロをまとわりつかせた右掌底を顔面からぶち喰らった。

 いじめかと思うほど口とか鼻とかにゲロを押し込んでくる角度だった。汚ぇ話。

 そしてそのまま敵機は、冷凍掌を起動した。


 視界から赤みが消え。

 頭部の熱を一気に吸われる。

 その一瞬の中で、俺は寒さも冷たさも苦しさも覚えなかった。

 ただどこか眠かった。

 夢と意識が脳味噌から吸い出されてどこかへ回収されていくような感覚。

 全部委ねてしまえばラクになる。

 もう何も考えなくていい。

 電池が切れてしまえば、それでおしまい。

 オモチャの人形は動かなくなる。

 だが、それまでは、

 もう少し、歩いてみたい。


 だから。





 吐瀉物まみれの冷凍掌は、俺の熱を吸いきれなかった。

 物質には『熱の伝わりやすさ』があり、俺のべたべたのゲロは、熱をあまり通さなかったらしい。

 もちろん、敵機の出力がかなり低下していたおかげではあったが、その一瞬のおかげで、俺はやつの死角、真下から、折れた剣の切っ先をやつの手首の露出した配管に突き刺せた。おそらくもともとは装甲で覆われていた部分なのだろう。

 手応えを感じる。

 仕留めた手応えを。

 やつの機体は完全な状態ではなかった。最初から、手負いの怪物だったのだ。

 ――誰に手負いにされたのか。


 考える前に、俺は剣を突き刺した部分から抜く。

 その勢いで握柄が指からあっけなくすっぽ抜けて、愛剣の残骸はどこかへ飛んでいってしまった。そして俺はその音を聞いた。

 現代で生きていた頃を思い出す。

 電車の扉が開く音、炭酸水の栓を開けた音、湧かした水が蒸発する音――気体が激しく抜けていく、音。

 その気体は青色だった。

 手首の配管を切断され、よろめいた怪物が持ち上げた腕の角度がよくなかった。配管の開口部が自分の胴体に向く位置にしてしまい、配管から勢いよく噴出するその『青いガス』をまともに浴びた。

 だが俺はその様子をちゃんとは見れなかった。後ろから誰かに防寒着の襟首をひっつかまれて鞠球みたいに転倒したから。

 視界がめちゃくちゃに回転する中で、何かが激しく光ったのが見えた気がした。

 あとから、現場をはっきり目撃していたコウイチローに感想を聞いたところ、それは「氷が爆発したみたいだった」らしい。酸素がなければ燃焼しないから爆発なんてしないとか、そういう話はどうでもいい。俺はそのコウイチローの感想が、わかりやすくて好きだった。

 ぐちゃぐちゃに転がされた後で、三流のやられ役みたいに地を這った俺が顔を上げた時にはもう、あの怪物は完全に凍結していた。

 もう動くことはない。

 岩塊と鋭針を組み合わせたような氷河の像の中に、首なし騎士は閉じ込められていた。

 アニメみたいに。






「結局、何もわからなかったな……」


 よろけながらも最初に立ち上がったレザントが呟いた。


「あの氷が溶けるのなんざ待っていられない。ホットスポットまで下がるぞ」

「いいのか。バラして調べたりとか」

「あんな凍り方してたら中はグチャグチャだ。操縦者もな。それに、仕組みはだいたいわかった」

「凄いな。流石だ」

「……凄いのはおまえだよ、バカが」


 どこか怒ったように言って、レザントはコウイチローを振り返った。


「おまえも、助かった。暖めてくれてありがとう」

「いや……」


 こういうとき、褒められれば喜びそうなコウイチローだったが、そのときのやつはどこかぼんやりしていた。


「残念だったな。せっかく、永遠のホットスポットが見つかるかと期待してただろうに」

「ああ、いや、それなら見つかった」

「はあ?」


 珍しく素っ頓狂な声を上げたレザントに、コウイチローが言う。

 やつがどこか憂鬱そうだったのは、その後に起きるすべての事件をうっすらと予感していたからなのかもしれない。


「動いてるのは初めて見た。

 ああやって使うのも初めて見た。

 あれが、首なしの怪物……。

『あれ』は他にもある。





 俺は、その場所を知ってる」





 ○





 折れた剣の残骸を持っていった時、刀匠タカマツの表情は動かなかった。

 ただそれを受け取って、「どうだった」と聞いた。


「いい剣だったよ。助かった」

「俺は本音が聞きたい」


 わずかに残った剣身を照明に当てて見つめながら、タカマツは言う。

 それにしてもしばらく見ないうちに、やつはずいぶんと髪が伸びた。女みたいな長髪になっている。髪を切る暇もなく、鍛冶に打ち込んでいるのだろう。


「お世辞はいいもんだ。『自分は大丈夫だ、これくらいでいいんだ』と思える。それも大事かもしれない。だが、俺はユーザーの本心が聞きたい。おまえの使い心地がどうだったか、聞きたい。たとえ、全部は叶えてやれないとわかっていても」


 俺はちょっと考えてから、ポツポツと語った。

 それはタカマツの刀匠としてのプライドを傷つけてしまうかもしれない、俺の感想だった。

 どんなに綺麗な言葉で覆っても、この剣は折れた。

 それが全てだった。

 タカマツはほぼ握柄だけになった残骸をゴミ箱に眠らせるように落とすと、俺を振り返った。


「で、どうする。俺でよければ、もう一本、鍛(う)ってやろうか」

「いや、いい。いらない」

「そうか? ああ、そうか。ギグロマ、おまえ」


 タカマツは俺の顔を見て、何かに気づき、

 イタズラをやめられない悪童のような顔で、言った。








「もっと面白いオモチャでも、見つけたか?」















          『トカゲと相棒』





           第一部 完

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トカゲと相棒 顎男 @gakuo004

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