客船エンペラー号#1

 第七紀1577年ジャグラーマの月。リフマンとバレンシアは朝から大慌てだった。寝過ごした二人は昨夜持っていかないと決めた物までもバックに詰め込み、家を飛び出していった。



「ギリギリ間に合った! 早く乗り込め!」


「良かった!」船の前で手を振る夫を見て、バレンシアは安堵した。彼女は後ろを振り返り、二人の使用人に「急いで!」と声をかけた。


 ラムザールと相棒のデロ=ザグ。オンティニウス家の使用人は主人達に続いて客船に乗り込んだ。ラムザールはリセラートと呼ばれる種族で、デロ=ザグはオークであった。二足歩行する猫と真面目なオーク。この奇妙なコンビはバレンシアが結婚した時に連れてきた忠実なる使用人であり、信頼できる友であった。


 拳銃が納められたホルスターを腰ベルトに吊り下げ、両手に持てるだけの荷物を持った男。若々しく魅力的な女性。ブーツを履いたリセラート。立派に服を着こなしたオーク。ホールにいた客たちの視線は忙しない一行に向いた。


「予約していたリセラート・オンティニウスにバレンシア・オンティニウスだ。後ろにいるのは使用人のラムザール、デロ=ザグ。部屋番号を知りたい」


「確認いたします。お手数ですが血を」


 受付のテーブルに置かれた針の前でリフマン達は順番に名前を言い、指を針に押し当てた。針の下は小さな受け皿があり、その表面を青い炎が覆っていた。流れ出た少量の血が青い炎と混ざると、炎は赤く変化し、またすぐに元の色に戻った。


 赤い制服に身を包んだ受付は炎の様子と名簿を確認すると、笑みを浮かべた。「客船エンペラーにようこそ、オンティニウス夫妻。奥様と旦那様のお部屋は147、お連れのお客様のお部屋は155となります」


 両手が塞がっているリフマンの代わりにバレンシアは受付から鍵を受け取った。


「さぁ行こう」


「その前にお荷物をお預かりいたします」船員が割り込んできた。


「助かった」リフマンは背負っていた荷物を船員に預けた。「黒いバックの取り扱いには注意してくれ。弾薬と銃がわんさか入ってるから」


 船員はバレンシアを見た。


「大丈夫、申告済みよ」バレンシアはそう微笑んだ。


「なら良かった」



 バレンシアはゆっくりと夫に近づいた。「……全部申告したんでしょうね?」


「ああ、大丈夫だ……多分」


「えっ? 多分って──」


「お客様」男の声がバレンシアを遮った。リフマン達が声のした方を振り向くと、そこには黒い制服を身に着けた三人の男が立っていた。


「警備主任のタイログです」真ん中の口髭を蓄えた男が言った。


 バレンシアは不安そうに目線を夫に動かし、リフマンは笑顔で「どうも」といった。「私に何か用でも?」


「ええ」そう言うと、タイログはリフマンのホルスターを手で示した。「立派な銃をお持ちですね」


「ああ、バーレジブラザーズのシルバードラゴン1433だ。許可証が必要だったか? それならまってくれ、確かバックの底にあると思うから」


「ああ、いや、結構でございます」と、タイログは笑って言った。「大切なお客様にお手間は取らせませんし、お疑いも致しません。我々は注意事項を申し上げに参ったまでです」


 主任の言葉にバレンシアは安堵のため息をついた。


「護身用の銃をご携帯されてる方にお声掛けをさせていただいているのですが、銃をご携帯されている状態でのバーやカジノへのご入場はできませんので、その点はご理解とご了承の程宜しくお願いします」


「ああ、それなら大丈夫。船旅の間寝込むつもりも一文無しになるつもりもないからな」リフマンは笑った。「レストランには携帯したまま入れるのか?」


「ええ、可能でございます」


「なら、良かった」


「……すいません、カジノへはオークも入れますか?」デロが申し訳無さそうに聞いた。


「ええ、もちろんご入場できますよ。ここはランデヌ王国でもカデルでもありませんからな」主任はハハハッと笑った。「カジノでもバーでもご自由に。それでは」


 警備員達は去っていった。


「……行ってもいいですよね? カジノ」デロが恐る恐る主人に聞いた。


「ああ、もちろん」


「主任も言ってたでしょ? ここはランデヌでもカデルでもないって。自由に行ってきなさい」


 デロは静かに笑みを浮かべ、胸に期待を抱いた。


「だけど、のめり込みに注意して。熱中しすぎて私の叔父みたいにはならないように」


「はい、奥様」


「バーにカジノか、ラムザールも何だかワクワクしてきた」


 ラムザールは耳をピンとさせながらリフマン達についていった。





 リフマン一行は部屋に案内され、荷を解いた。キングサイズのベッド、エメラルド海が一望できる窓、豪華な絨毯や棚。リフマンは部屋に入ると、部屋の景色など目もくれず真っ先に黒いバックをベッドに広げた。


 ライフル、ショットガン、ピストルからドラゴンの爪まで。リフマンのバックには尋常じゃないほどの武器弾薬が入っていた。


「地下室の武器を殆ど持ってきたの?」バレンシアは自分のバックから本を取り出しながら、夫の“武器市”を見て笑った。「私達は調査に行くのよ? 武器なんて必要ないと思うけど」


「常に備えろ。それが俺の一族の家訓でね」リフマンは慣れた手つきで武器の動作をチェックし、バックに戻していく。「家の外を出たら安心なんて出来ない。それにカデルは治安が良いとは言えない国だし、海路も危険だからな。いざとなったらこいつらが必要になる」


「心配性なんだから」バレンシアは笑い、夫の隣に腰掛けた。「私が博物館にいた頃は治安が悪いなんて感じなかったわ。そりゃ、確かにひったくりや盗みはあったけど……」


 バックに置いてあった銃を手に取り、照準を覗いてみるバレンシア。


「それは君が首都の帝国大使館のある区域で暮らしてたから」リフマンは妻から武器を取り上げ、シルバードラゴンのシリンダーに弾を込めた。「郊外や他の地域じゃ、盗る前に殺すって奴がわんさかいる。それ以上に酷いことをする連中もな」


「……私も一丁もっとこうかな。さっきの貸して」


 大型の回転式拳銃を指差すバレンシア。「もっと良いのをやろう」リフマンはバックの内ポケットから武器を取り出し、バレンシアに渡した。


「ありが……なにこれ?」


 夫から渡されたのは笛と小さなダガーが一体となったペンダントだった。金色の笛と鞘に納められたダガーはどちらも小指サイズだ。


「笛に果物ナイフ以下の大きさの刃物? あー“リフマンさん”? これでどうやって身を守れって言うの?」


「馬鹿にするな、これが案外役に立つんだ。笛は遠くからでも聴こえるし、ダガーは驚くほどに切れ味がある。いざとなったらこれで助けを呼んで、ダガーを相手に突き刺せ」


 鞘から抜いてみると、銀色に光り輝く刃が顕になった。軽く当てただけなのにダガーはバレンシアの分厚い本の表紙を傷つけ、所有者は声にならない悲鳴をあげた。


「そいつの切れ味がわかっただろう?」


 リフマンはそうバレンシアの頬にキスした。


「まったく」バレンシアはダガーを鞘にしまい、ペンダントを首にかけた。


 ミスリルの御守り、笛とダガーのペンダント。二つのペンダントがバレンシアの胸元で輝いた。






 ドアがノックされ、バレンシアとリフマンは目を覚ました。「夕食の案内だろう」リフマンがベッドから起き上がると、バレンシアは毛布で薄着姿を隠し、ベッド脇に置いてあった鏡を手に取った。


 解錠し、ドアを開ける。「どうも」部屋の前にはタイログが立っており、その後ろにラムザールとデロ=ザグが身を縮こませていた。


「どうも……」

 リフマンがラムザールとデロを見ると、二人は目を逸らした。なにかやらかしたな。リフマンはため息をつき、目線をタイログに向ける。


「二人が何か問題を?」


「ええ、お客様。お連れ様がカジノで少々トラブルを起こしまして」


「トラブル?」


「ええ、はい。乱闘騒ぎと不正行為です」


「おまえら……」


 リフマンは呆れた目で使用人たちを見た。目を泳がせるデロと耳を下げるラムザール。



「一体何事? 夕食の案内じゃなさそうだけど」


 バレンシアが駆け寄ってきた。


「……おっと」


 薄着に裸足姿。タイログは咄嗟にバレンシアから目を背け、彼女もドアの脇に体を隠した。


「何があったの?」バレンシアは小声でリフマンに利いた。


「ラムザールとデロがやらかした」


「え?」バレンシアはドアからひょっこり顔を出し、タイログの後ろに立っている使用人たちを見た。「あなた達何やらかしたの?」


「喧嘩です……」と、デロ。

「イカサマ」と、ラムザール。


「……まったく、二人とも失望したわ」バレンシアはタイログに顔を向けると笑顔を作った。「二人が迷惑をかけたわね。警察沙汰にはならないかしら?」


「ご安心を。損害は軽微ですので。迷惑料を支払っていただければ」


「良かった」バレンシアは胸をなでおろした。「いくらかしら?」


 タイログは紙をポケットから出した。「28デルですね」


「ラムザール達がカジノに“盗られた”額より高い」ラムザールはボソッと言ったが、主人の視線が彼を黙らせた。


「すぐに払うわ」


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パラント冒険記  小説バケツ   @modoki-modoki

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