完全な球体

高黄森哉

完全な球体


 完璧主義者は自壊する。


 この諺を聞いたことはあるだろうか。おそらくないだろう。なぜならば、そんな諺は、この世に存在しないからだ。それでも、この文章は一定の価値を有していると、僕は、思うのである。


 完璧主義者は自壊する。まさしく、その通り。


 この世に完璧主義者を名乗る者が蟻の数ほど存在するのは、ご存じのことだろう。完璧には、そこへ向かいたがるような、魅力が存在するに違いない。この墜落に似た欲求を、死への欲求、タナトスの命名法から、ゼウスと名付けようと思う。それは、人々が神と同化したいことを体現している。


 本当の意味での完璧主義者が、意外にも少ないのは、意外にも知られていない。私が知る限り、世間的完璧主義者というのは、可能な限り完璧を目指したがるし、だからこそ完璧でないのである。不完全に満足する完璧主義者というのは、詐称だ。完璧主義者は、完璧主義に対する態度もやはり、完璧であるべきである。


 悲しいかな。そして、いうまでもなく、この世の中に、完璧は存在しない。それは完全な球体のようなもの。心の理想郷にだけある虚構の存在。どこまでも、机上の空論であり、実現不可能なアイデアである。だから、それを追い求める完璧主義というのは、脱世界主義でもあるのだ。もし、あなたが完璧を目指すならば、その単語の厳密さに絶望することになるだろう。完璧はあまりも遠く、あまりにも高いので。この世の ”完璧” と名乗る物すべてを端数にするくらい。そして、脱世界を考え始める。


 完璧主義者がいたとして、この世に完璧が成しえない以上、押し寄せるのは、絶望のみ、という話。完璧主義者の中で、自己の清潔を追求しだすと、終わらない無限清掃になり、その繰り返しの中で自壊してしまうのは自明だった。そして、現実世界から跳躍する。自壊して一点に収まった心の内部で、新しい世界を構築して、避難する。その世界は、裸の特異点みたいに、まったく違う規律で運営されているのである。


 それを世界に向けて爆発させたい、と思うのは親心だろう。真空爆発的に、思想を広げて、この現実を塗り替えてしまいたい。真球が成り立つような、狂気の世界への飛躍。円の接地点が無限小になるような、気が触れた法則で支配したい親切心。ここで、人間は、人間でしかない、という問題に衝突する。


 せめて、せめて、自分だけの世界を物的に固定できないか。偽物でもいい、模型でもいい。そうやって、新世界を創造する行為を、創作というのではないか。つまり、創作者達は、創造主なのだ。決して中途半端でも物的でもない、しかし中途半端で俗な真の完璧主義者たち。彼らは、知らず知らずのうちに、完全への憧れから、人体を彼岸へと、解放しようとしているのである。つまり、創作活動とは、現実逃避であり、現実逃避とは、一種の自殺なのだ。

 これは、一種の予言である。


 完璧主義者は自壊する。

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完全な球体 高黄森哉 @kamikawa2001

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