第8話

 向かった先——生徒玄関近くの廊下には、二人の女子生徒が立っていた。


 一人は、姥沢うばさわ

 そして、もう一人が……。


沢渡さわたりくん。その子、14のロッカーから上履きを出して履いた。

 そのあと、鞄からハサミを取り出して、13番目のロッカーに入っていた上履きの紐をキズつけようとした。証拠の動画も、撮ってある」


 名簿番号14番。1314。その生徒が、事件の犯人か。僕はポケットから、名簿表を参照にしてメモした生徒の名前を確認しようとした。

 が、姥沢うばさわがメモを見ずとも、その生徒の名前を口にする。どうやら彼女は、三組の生徒の名前と顔を一致しているみたいだった。


「名簿番号14番。筒井つついまどかさん。あなたは、どうしてこんなことをしているの?」


 そう呼ばれた女子生徒——筒井つついまどかは、右手に万能鋏を握ったまま玄関の床に視線を投げかけた。身長が姥沢うばさわより数センチ高く、三つ編みを後ろに垂らした大人しそうな印象を受ける女の子だ。「……物騒だからしまうね」と鋏を鞄に入れる。


 筒井つついまどかはふふっ、と感情の読み取れない笑みを見せた。


「わたしには、権利があるの。クラスじゅうのものにキズをつける権利が」


 僕も姥沢うばさわも眉間に皺を寄せる。

 権利?


「仕返しの権利。報復の権利。わたしね、結月ゆづきから嫌がらせを受けているの。前は一緒のグループにいたのに突然ハブられて、すれ違いざまに『気持ち悪い』とか『変態』とか、そういう酷い言葉を浴びせてきて」

結月ゆづき……。13番目の生徒——知念結月ちねんゆづきさんのことね」


 姥沢うばさわが慎重に訊ねると、筒井つついまどかはもう色々と諦めた様子で饒舌になった。


「わたしね、結月ゆづきと同じ中学校出身なの。一年から三年までクラスも同じで、高校受験も一緒のところ合格できるように頑張ろうねって誓い合ったりもした。それで今年の四月、念願叶って、二人で金高かなこうに合格できた。

 わたし、もうほんと嬉しくて幸せだった。あぁ、今年ものとなりで過ごすことができる。結月ゆづきのそばにいられる。

 そう思えば、わたしもう舞い上がって……。

 わたし、結月ゆづきに告白しちゃったんだよね。

 五月の初めに。

 ずっとずっと好きだった。だから、わたしと付き合ってほしいって」


 筒井つついまどかは、遠くを見るような目をしていた。彼女の瞳には、きっと、知念結月ちねんゆづきに告白をしたときの風景が映っているのだろう。


「でも、フラれちゃった。『ごめんなさい』とか『恋人としてみれない』とか、そういう無難な言葉じゃなくて、もっと酷い言葉で。

 気持ち悪いんだって、わたし。女の子が女の子を好きになる意味が、結月ゆづきにはわからないんだって。

 それ以降、結月ゆづきはわたしを明らかに卑下し始めた。SNSは軒並みブロックされたし、クラスじゅうにわたしに告白されたことを吹聴してわたしの品位を貶めた。

 わたしは、クラス内で程度の低い扱いを受けても当然の存在になった。三組内に流れる空気が自ずと、わたしにとって不都合なものへ変化していった。

 担任に相談しても、まともに取り合ってもらえない。周囲に助けを求めても、わたしは軽んじられる存在だから無視される。

 ……ねぇ、ここまでくれば、わたしにも報復する権利は生まれてくるよね? 二人も、そう思うよね?

 だからわたしは、わたしなりにルールを決めて、憎い三組に対して仕返しをすることにしたの」

「ルール?」


 僕が訊ねると、筒井つついまどかは笑顔を頷いた。


「そう、ルール。

 結月ゆづきに酷い言葉を浴びせられたら、その日は一つだけクラスのものにキズをつけてもいい、ってルール。

 といっても、罵られるのは毎日のことだから、当然毎日ザクザクしちゃうんだけどね。だから反復作業もすぐに飽きちゃって、そうすれば、もうちょっとぐらい遊び心を持ってザクザクしたほうが楽しいんじゃないかって思えてきて。

 それで思い浮かんだのが、名簿順に一人ずつクラスメイトの私物にキズをつけていくこと。できればクラス全員のものを切りたかったから、バレないようにクラス内でキズの情報が広まったらさすがに対象は別のものに移したけど」


 筒井つついまどかは、ぐっと拳を握りしめて、けれど口元だけは軽妙に動く。その拳には、一体なにが握られているのだろうか。

 僕も姥沢うばさわも、まともに返答することができなかった。ただじっと、彼女が俯いてるのを眺めている。


「二人に見つかっちゃった以上、13番目——結月ゆづきの上履きにキズをつけることはもうできないなぁ。残念だなぁ。

 ねぇ、わたしもわたしでそろそろネタ切れ気味なんだよね。クラスメイトが共通して持つものって、そんなに種類ないし。ネタが思いつかない日は、だからバケツとか黒板消しの紐とかクラスの備品を切ってたんだけど。

 鞄、ジャージ、ハチマキ、上履き……。うーん、全然思い浮かばないや。二人は、次は何をキズつければいいと思う?」


 筒井つついまどかに、そう問われる。

 僕は、彼女のその問いに答えるべきだろうか。


 当初の目的は、犯人を捕らえることだった。けれど「犯人を捕らえること」で僕たちの遊戯はとうに片付いていて、彼女の首を三組に献上することまではその遊びのなかには含まれていなかった。


 僕たちは、謎解きさえできればよかった。ようは、犯人に会えればそれでよかったのだ。けれど、必要以上に踏み込んだ結果、こうして筒井つついまどかの内情まで聞かせられて、正直にいえば多少なりとも同情の余地があるようにも思えた。だからといって、人の物に刃物でキズをつけてもいいという言い訳にはならないものの。


 二人は、次は何をキズつければいいと思う?


 僕は少し悩んで「悪いけど」と回答を拒否した。同情しかけた心に、厳しいけれど「常識」という鞭を打った。

 なぜなら、僕は。


「僕は、共犯者になるつもりなんてないから」


 つまんない返答、と筒井つついまどかは胡乱げな目になる。僕が変に回答を躱したから、そんな顔をするのだ。

 けれど、僕のとなりに立っていた彼女は違った。姥沢うばさわは同情ゆえの哀色に唇を噛み、一歩分、筒井つついまどかに近づいた。


 姥沢うばさわ、君は、彼女になにを——。


「三組って、まだ一度も席替えしてなかったよね」

「そうだけど」

「じゃあ、教室にいるとき、席についているときなんかは簡単に切れるね。都合がいいことに、筒井つついまどかさんは名簿番号14番で、知念結月ちねんゆづきさんが13番だから」

「わたしが14番で、結月ゆづきが13番だから……?」

「うん。結月ゆづきさん、し。ちょっとぐらい切っても、きっとバレないよ」


 姥沢うばさわに言われるが、筒井つついまどかは微かに首を傾げる。……が、すぐに合点がいったようで、目元に妖艶な笑みが浮かばせた。


「……あぁ、なるほど。ね。なかなか素敵なこと考えるじゃん。生徒全員が持ってるものともいえるし」


 僕だけが、二人の会話についていけない。姥沢うばさわ筒井つついまどかが、二人だけに理解できる省略された言語で交信に成功していた。

 なにを、と僕が二人に訊ねれば、筒井つついまどかが笑みをいっそう深くして言った。


「髪の毛。結月ゆづきはちょうどわたしの前の席だから、授業中なんか切り放題だね」

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推理は放課後、雑談より。 戸森可依 @todokakushi

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