メモリーでレコードな味
詩織と美世。
自分しか知らないはずの音。遠い昔の自分たちの名前。それを記憶のない彼女が口にした。
人生のくれたレモンがレモネードになった。それなら今度は、それを二人のレモンティーにしてみようじゃないか。
*
暗闇の中、美都はパチリと目を覚ます。
カーテンの隙間から漏れる月明かりが、サイドテーブルと枕元を照らしていた。充電コードが付いたスマホの電源を入れると、時刻は午前3時。もう一度眠る気にもなれず、美都はベッドから抜け出した。
「レモンティーが飲みたい」
だからといって、深夜にお湯を沸かしたり時間を計ったりするのは面倒なわけで。太りにくい体質をいいことに、美都はカキュっとペットボトルのキャップを捻る。
「これはこれでって感じね、やっぱ」
人工的な甘さを追うようにほんのりと酸味や苦味が舌の奥に広がる。頻繁に飲みたいとは思わないが、時たま口にしたくなる味。
「大人がお酒を嗜むのもこんな気持ちかな」
ゆらりくるり、とペットボトルを回して一口飲む。落ち着けなくてもう一口。オレンジ色の電灯を見上げた。
夢を見た気がする。内容は覚えていない。ただ、思わず目覚めてしまうようなものだったのは確かだ。途方もない虚しさと絶望感だけが手の中に残っていた。まるで暗闇にただ1人立ち尽くしているような、地図にも載らない無人島に忘れ去られてしまったかのような、そんな気持ち。
「詩織がいなくなった時みたいだ」
長生きしなよ。
後ろ手に隠していたサプライズが落ちる。ガラスがヒビ割れ、砕ける音がする。耳鳴りの高い響きだけは一向に消えない。医師やら看護師やらが来て、詩織の手首に触れたり、瞼を上げてペンライトを当てたりする。医師がもごもごと何かを言った。看護師たちによって、痩せ細った腕に繋がれていた無数の管が外される。
ようやく気づいた。
詩織が逝ってしまった、ということに。
「あーあーあーあー」
嫌なことが蘇った。苦い記憶ほど鮮明に、吸盤のごとく脳裏に張り付いている。喉の奥がイガイガしてきた気がして、美都はレモンティーを流し込むように飲んだ。
「早く思い出してよ。私のこと」
強ばる声帯をなんとか震わせて言葉を吐く。甘いはずのレモンティーはどこか苦く、なぜだかしょっぱい。その理由を認めたくなくて、美都はペットボトルの残りを仰いだ。ぼやけたオレンジ色が詩織の作り上げる特別な味に見えた。
*
メランコリックな洋楽が流れる店内。
外で雨が降っているせいか、いつもより閑散としている。客は美都と、テーブル席にいる1組のカップルだけだ。
出来立てのレモンティーに砂糖を溶かしながら、美都はさおりに声を掛ける。
「さおり、まだ思い出さない?」
「うーん……思い出す3歩手前くらいにいる感じなんだよね」
「それはだいぶ手前ねぇ」
「万華鏡の中に入っているビーズみたいにさ、細かいカケラがいっぱい繋がったり離れたりしてる。ヒントはくれるけど、答えは自分で見つけろってことなのかも」
「そっか……」
決定的なキーワードが必要なのだと、美都は思った。
デジャヴがいくつもあるだけじゃダメ。美世と詩織を結んでいたのは、レモンティーと万華鏡で……まだ何かあるの? 詩織は私に何か隠していたの? 詩織にとって私は迷惑だった?
モヤモヤとグルグルで胸が締め付けられる。息が苦しい。身体中が痛い。
「美都」
口元の痛みが和らいだ。さおりの親指が唇に添えられている。
「せっかくの可愛い顔が台無し。あんまり強く噛んだら血、出ちゃうでしょ」
「ねぇ……さおり」
続ける言葉が思いつかない。喉の奥で引っかかっている感情を表現できるほど、美都の語彙は豊かじゃない。雨の憂鬱につられていることにして、美都はへらりと笑った。
「いいや、なんでもない」
「そ……。じゃ、待っていて」
もう少しで休憩だから。
それはレモンティーを作ってくれる合言葉。最近のさおりは休憩の時に、レモンティーをもって美都の隣にやってきてくれるのだ。古いレコードの洋楽を聴きながら、美都はぼーっと物思いにふけた。
「やっぱ、前世からの愛は重いと思うんだよね」
レコードが間奏に入ったタイミングで、テーブル席にいるカップルの会話が耳に入ってきた。チクチクとゾワゾワした感触が胸の奥から染み込むように広がってくる。
聞いちゃダメだとわかっているのに、無意識に2人の声を拾っていた。
「元カノをずっと引きずっているようなもんじゃん?」
「まあ、そうかもだけど……一途でいいと、俺は思うな」
「そぉ? アタシ的には
「あーなる……確かに目が異常だった。
「でしょ! アタシの推しは目で演技してくんのよ」
"How long are you going to hold on to this rotten lemon? You can't make brand new lemonade with that stuff."
――いつまで腐りかけのレモンを握っている? そんなものじゃ、美味いレモネードはできっこない。
煩い。うるさい。五月蝿い。ウルサイ。
叫び出す衝動をゴクンと飲み込む。あのカップルは映画の感想を言っているだけ。レコードは前世で聴いていたのと同じもの。それなのに……。
「どうして、こんなに苦しいの?」
モヤモヤ。グルグル。チクチク。ゾワゾワ。
夢で感じた喪失感。前世から続く一方通行で歪んでしまったであろう愛。醜い自分。嫌われるかもしれない。もう2度とあのレモンティーを飲めないかもしれない。
ダメなマイナス思考だ。わかっている。でも、1度考えだしてしまったら止まらない。
「美都!?」
エプロンと取ったさおりが来た。右手には爽やかで甘い香りを纏ったレモンティーのカップ。眼がこぼれ落ちそうなほど見開いている。
「どうしたの……急に泣いて」
「え、あ……あれ?」
泣いてたんだ。
気づいた途端、壊れた蛇口みたいに涙が流れ続けた。カップを置いたさおりは、ぎゅっと美都を抱き寄せる。真っ白なブラウスが涙とメイクで汚れていくのもお構いなしに、さおりは美都を優しく守っていた。
*
やっぱりレモンは酸っぱくて苦い。
でも、大好きな人が甘くしてくれる。お砂糖やシロップを使って、私が食べられるように、飲めるようにしてくれる。
"If this lemon looks rotten, your eyes may be over."
――このレモンが腐って見えるなら、終わってんのは人生のほうだ。
人生はレモンで運命はカレイドスコープ 紅野かすみ @forte1126
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。人生はレモンで運命はカレイドスコープの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます