第29話
彼らが戦闘を始めたと知ったのは、アイナとアミリアの通報によるものだった。彼女たちは互いに戦うふりをしながら屋根伝いに駆け抜け、素早くここへ到着した。片方は盗賊、もう片方は間諜。その敏捷さは目を見張るものがある。
だが俺が現場に着いた時には、すでにイザベルがアレックスに捕らえられ、凌辱されかけていた。イザベルの両手は頭上に押さえつけられ、屈辱に耐えるように目を固く閉じている。
「どうだい?すぐに心地よくなるだろう、ガーランド嬢。」
「やめて……」
アレックスのその下卑た笑みには、群衆すら眉をひそめていた。しかし、彼が勇者であり王子であることを知る彼らは誰一人として口を挟む勇気を持たなかった。
俺の殺気を感じ取ったのか、剣を振るう前にアレックスはイザベルを手放した。俺は一撃を空振りしたが、すかさずイザベルを抱きかかえて距離を取る。俺の顔を認めたイザベルは安堵し、そのまま気を失った。
「ヴェーバー!」
アレックスは顔を歪め、歯を食いしばりながら吐き捨てた。
「まさか、お前が生きていたとは!」
俺は到着したばかりのラクレジアにイザベルを託し、彼女に退避を命じる。
「すまない……」
ステラが責任を感じたのか、しょげ返っている。俺は彼女の頭に軽く手を置き、そして剣を構えてアレックスに向き直った。勇者と呼ばれる男だけあって、アレックスはすぐに平常心を取り戻し、剣を抜いて対峙してきた。
この騒ぎの原因は、ステラたちが街へ入ろうとした際、偶然にも勇者一行と鉢合わせたことにある。そして、アレックスが突如としてイザベルにちょっかいを出し始めたのだ。場所は街の外だが、それでも行き交う人々は少なくなかった。
勇者アレックスの評判は、この伯爵領内で地に落ちていた。公然と女性を弄ぶことはなくとも、売春宿に足繁く通い、夜毎に女たちと乱痴気騒ぎを繰り広げる勇者兼王子。その一方で、伯爵モディックを取り込むために、勇者と王子の権威を振りかざし、伯爵領の貴族たちに増税を強要する始末。農村が反抗すれば首謀者を逮捕し、その妻を人質に取り、脅迫の末に手を出す。そんな醜態を、この伯爵領の民が快く思うはずもなかった。
今回、イザベルに目を付けた理由もまた不純だ。彼女の父であるガーランド伯爵は王子の姉を支持する派閥の一員であり、もしイザベルを手に入れれば彼女の父を取り込むことができるかもしれない。これは後でマリオンから聞かされた話だ。
勇者一行にはオリーブという聖騎士、メリアという大魔導師も同行していた。どちらも上級職だ。三対五の戦いで、しかもマリオンがまったく手を出さなかったにもかかわらず、ステラたちは完全に押されていた。そして、イザベルがアレックスに捕らえられたその時、ようやく俺が駆けつけた。
俺の登場に最も影響を受けたのはオリーブだった。昨日、俺に誓った約束を思い出したのか、彼女は完全に魂が抜けたような状態に陥り、攻撃には本能的に防御するだけの受け身になっていた。その混乱ぶりにメリアは気づかず、さらにマリオンがほぼ回復役に徹していることもあって、オリーブとマリオンの二人合わせても一人分の戦力にすら満たない状況だった。だからこそ、ステラたちはかろうじて踏みとどまることができたのだ。
対する俺とアレックスの戦いは、正直言って、予想外の早さで訪れたものだった。俺は炎を纏わせた剣でアレックスの放った水魔法を容易く切り裂き、跳びかかって彼を圧倒した。アレックスが左手に雷を纏わせたのを見て俺はそれを避けつつ、反撃の一太刀を浴びせた。俺の剣がアレックスの胸元をかすめ、衣服が裂けて火が上がると、アレックスは驚きの声を上げながら慌てて火を払った。
俺も自分の成長を自覚しているが、アレックスは…退化したのか?いや、進歩が全く見られないのだ。彼は政治に執心し、貴族を取り込み、下級貴族を圧迫することに多くの時間を費やした。その結果、大樹ダンジョンズに挑んだのはたった三度で、最高到達階層も六層に過ぎない。
「久しぶりだな。それに、随分と多くの女たちを連れてきたじゃないか。感謝しておくよ。」
勝てない苛立ちからか、アレックスは軽薄に挑発する。
「さて、これはどんな香りなのだろうか。」
さらに、卑猥な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「知っているか?オリーブの声は、とてもエロ的だ。」
「そうか?」
俺が無反応でいると、アレックスは策略を変えてきた。
「まさか、彼女の叫び声さえ聞いたことがないのか?それは気の毒だな……」
「俺と一緒にいる時は、声を出す余裕もなく、気絶するまで弄ばれていたがな。」
俺が淡々と言い放つと、アレックスは思わずオリーブの方を見やった。彼女の顔は赤く染まっていた。俺はさらに一言付け加える。
「お前と一緒にいる時、彼女は気絶しなかったのか?」
「この野郎!」
激昂したアレックスが斬りかかってきたので、俺はその剣を受け流し、逆に彼の胸に一刀を浴びせた。鮮血が噴き出す中、彼は防御のため剣を引き戻し、俺の肩に斬りつけてきた。その一撃を剣で受け止めたが、鈍い音と共に俺の剣は折れてしまった。幸いにも彼の剣はわずかに逸れて、俺の右肩を浅く切っただけだった。
アレックスの剣は特注の高級品であり、俺の剣は店で買った平凡なものだ。ダンジョンズでの酷使もあり、いずれ問題が起きると予感していたが、まさかこのタイミングとは…。
「ふ……ふははははは……だから貧乏人は所詮貧乏人、ゴミはゴミのままなのだよ!」
アレックスは剣を高く掲げ、一歩一歩俺に近づいてくる。
「ウェーバー!」
ステラたちが助けに来ようとするも、敵に阻まれていた。
「くたばれ!」
アレックスが近づいてきた瞬間、俺は左手で火球魔法を放った。しかし、彼はそれを容易く避け、剣を俺の左手に突き立てる。
「ふん、私が無防備だとでも思ったか?」
剣を引き抜いたアレックスは、さらなる一撃を加えようとする。彼は俺をすぐには殺すつもりがないようで、小さな傷を増やし続けた。ついに俺は耐え切れず、苦痛の表情を浮かべて倒れ込む。
「さて、永遠の別れだ。」
アレックスが剣を振り下ろそうとした瞬間、俺は隙をついて動き出した。しかしその時、
「ウェーバー!」
突然、体が軽くなり、痛みも消えた。アレックスも驚きの表情を浮かべる中、俺は右手の火球を剣の形に変え、一閃で彼の右腕を斬り落とした。
「アアアアアーーー!」
アレックスの右腕が地面に転がり、そこから炎が立ち上る。彼は残された右肩を抱え、地面に転げ回った。しかし、叫び声は一瞬で途切れ、その視線は一点に釘付けになった。その先に立っていたのは――マリオンだった。
「なぜだ…」
しばらくして、アレックスは憎しみと愛情を滲ませた声で呟いた。
「なぜなら、私はウェーバー様の人だから。」
オリーブが淡々と答える。その言葉はまるで他人事のようだった。
「他人の恋人を奪ったのなら、自分の恋人を奪われても文句は言えないわよね。」
その言葉にアレックスだけでなく、オリーブやメリアも目を見開いた。
「治癒術。」
マリオンがアレックスの傷口を治療しながら、断ち切られた腕はそのまま繋がらないようにした。傷口が癒える一方で、右腕が再び戻ることは永遠になくなった。
「何をしているの!」
メリアが叫び、俺たちに向かおうとしたが、俺がマリオンを守るように立ちはだかると、その場で足を止めた。
「なぜだ!」
アレックスが怒りに震えながら問いかける。
「なぜ……なぜこんな仕打ちを!」
「お前は以前、ウェーバーを殺そうとした。その報いとして右腕一本で済ませてやっただけだ。」
マリオンの冷たい声がアレックスの心をさらに抉った。その右腕は彼の利き腕だった。
治療を受けた後でも、アレックスは体から力が抜け、立ち上がることすらできなかった。ただ、オリーブと俺が立ち去る背中を血走った目で見つめることしかできなかった。
第一章完
ストッキング教in異世界 玲音 @Immerwahr
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