夢をすてる

石動 朔

冬の空は遠く感じるけれど

「お疲れ様でした」

 そう言って俺は体育館にお辞儀をする。

 他の部活が体育館をとっておらず、ラッキーと思って終日練習にしたんだと、顧問は言った。

 そりゃそうだろう、なんせ今日はクリスマスなんだから。そして部員の何人かは今日の部活を休んでいて、その人達は全員彼女持ちだったのだから納得ができる。

 同い年で幼馴染の女マネも今日は休んでいた。別に特別やきもきもしないし、昔から仲が良かったため少しぐらい気にしてもいいかなと思うけれど、その彼氏も俺の昔から仲が良かった幼馴染であるため、そこまで心配はしていなかった。


 体育館から出ると、身の引き締まるような寒さが全身を襲ってくる。コートにマフラー、イヤーカフを装備した状態でさえも、その寒さは尋常じゃないほど体の芯を少しずつ蝕んでいった。

 空を見上げるとそれは果てしなく続く暗闇で、少しでも気が緩んだら吸い込まれそうなほどであった。


 12月の上旬には黄色い葉をたっぷりとつけていた(そして実も余すことなく落としていった)イチョウも、すっかり枝だけを伸ばしている状態になっていた。

 そんな身包みを剝がされた木々を見ているとどこか空しい気持ちになり、せめて着飾ったものを見ようと、俺は普段の帰り道とは逆の方向に行く。


 都会に植わっている様々な木は、立ち並ぶ店の看板を照らす鈍い門灯の光にをかき消してしまうほど煌々と光り輝いていた。ネオンの人工的な光は駅の方まで続いており、特になにもする事のなかった俺は2人だけの世界に没頭している恋人達の間をすり抜け電車に乗り込む。


 始発駅から出発する電車はすでに人がたくさん乗っていて、少し窮屈だった。そして電車が次の駅に着いたとき、俺はその駅に降りた。

 そう、この駅こそが最寄り駅であり、普通は学校から歩いて帰っているのだ。そして俺は街に幾万とあるイルミネーションを見るために160円を支払ったのだが、自分は対価に見合う程のものではなかったなと思う。


 やはり俺は彼女と同じなんだなと思うと、少し嬉しい気持ちになった。


 駅のホームから、路線が二股に分かれる手前の長い踏切が見える。

 俺と彼女の思い出の場所は未だここにあった。


 駅から出てすぐ右に踏切と連絡用地下通路がある。二つの路線が跨るこの踏切は、特に朝と夜は開かずの扉と化していた。なので大抵の人達は横の地下道を使って向こう側へ行く。

 帰宅のラッシュに重なっている今、その踏切は依然警報音を鳴らしていた。左の矢印は赤く光っており、手前側の線路が少し揺れている。やがて電車は自分の目の前を勢いよく走り去っていき、左の矢印がふっと消えた。矢印が消えて数秒経った後、その踏切は軋んだ音と共に上がった。


 今日は運が良いなと思いながら顔を上げると、反対側からキャスターバックを転がした女性が歩いて来る。その女性と近づけば近づくほど、その容姿がくっきりと見えていき彼女が結衣だとわかった。

 踏切の真ん中で、俺たちは落ち合う。


「帰って来てたんだ。久しぶり」

「ああ、久しぶりだね。私もちょうど君に会いたかったんだ。ここだとすぐ踏切が閉まるだろうから一旦外に出よう。形姿は似ているが、ここは紛れもなくただの踏切だからね。警報音はうるさいし、向こうのに見える煙突もただの清掃工場としか見れない。空気も澄んでるかと言われたら少し黙ってしまう」

 そう彼女は言う。確かにここは、紛れもなくただの踏切だ。


「今日はあのお友達はいないんだね」

 踏切近くの喫茶店で、向かいあって座った結衣は言った。

「今日何の日かわかって言ってる?クリスマスにデートしないカップルなんているわけないでしょ」

 なるほどねと納得した彼女は、メロンソーダを一口すする。

「じゃあ私がデートしてあげようか」

「できないよ。からかってる?」

 これを言ったのが結衣ではなかったらきっと俺は机ごと引っくり返していただろう。

「確かにあなたと雪は似てる。でも雪は雪で結衣は結衣だ。昔同じ事を言ったはずなんだけど」

 そこまで言うと彼女は手を挙げて悪かったと謝る。

「すまないね。久しぶりに雪の事を話せる人と会えて興奮しているのかもしれない。それに君に怒られるのも久しぶりだ。君以外に怒られるのはどうもいけ好かないのだけれど、やっぱり君は違うね。むしろ怒られたいと思うまであるよ」

 そこまで言われると気が引けるところもあるが、結衣の調子が相変わらずで少し安心もした。


 少しばかり談笑を交えて、自分は日常生活の近況、結衣は旅で起こった話をする。

 そこで自分は自分の墓穴を掘ってしまう。

「でも、結衣は少し大人びた気がする」

 なんとなく俺は、思った事をつぶやいた。しかしそれを意味するものの絶望を、俺と結衣は感じる。

「まぁ時間は進み続けるからね。君も自覚しているはずだ」

 そうだ。時間は進み続けている。8月31日のあの日から、ずっと。

「この旅を経てわかった事を話そう」

 メロンソーダはすでに、色を失っていた。


 喫茶店を出ると、先ほどよりも強い風が体を打ち付けてきた。

 彼女の羽織っているロングコートと、綺麗な長い髪が風になびいている。

 空を見上げると、そこにはやはりただ一面闇が広がっているのみ。都会には星座の概念もなく、強いて言うなら月の隣にポツンと光っている赤い星が、唯一の生き残りと言っていい程であった。


 なんとなくお互い上を向いていて、この瞬間も悪くないと思うと、やっぱり雪の姿を思い出してしまう。

「冬の空は遠く感じるけれど」

 風が止み、結衣は言う。

「夜空に浮かぶ月だけは、届くんじゃないかって思えたりする」

 彼女の視線は空から俺に移る。

「私は太陽よりも月の方が好きなんだ。眩しすぎるよりも、お互い目が見れるぐらいがちょうど良いと思う。そして雪にとって君が月なんだ。

 私は始め、雪を太陽の様に感じていたよ。でも君のおかげで今や親友だ。本当に、本当に感謝している。だからこそ、お互い絶対死なないようにしないとね。どちらかが欠けているなんてあっちゃいけない」

 そこまで言うと彼女は再び空を見上げる。

 そうだ。死ぬとか死なないとかそんな大きい事なんてって思うかもしれない。けれど、死というものは本当にすぐそばにいるものだ。それを今、改めて再認識する。


「わかってる。もう、夜を捨てる準備はできているさ」

 これから結衣と共に雪の元へ向かう。そこでひっそりとクリスマスパーティーをしよう。


「あぁ雪の作ったケーキが食べたいな」

 その大事そうに呟いた結衣の言葉が、空を切り、ステップを踏んで彼女に届いたらいいなと思う。


 そう。空を切り、ステップを踏んでね。



 

 

 

 

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