『過去に取り残された男、未来へと進んでいく女』

小田舵木

『過去に取り残された男、未来へと進んでいく女』

 過ぎていったモノは戻らない。時は人を置いて進んでいく。

 今や俺も30で。疲れた顔したサラリーマンである。

 今日も面倒な仕事を終わらせて。家路を急いでいるのだが。

 街は季節柄、浮かれた調子だ。クリスマスのイルミネーションが鬱陶しい。

 

 進める歩み。そこにはメタファーがある。

 時のメタファーだ。時は一方通行であり。歩み戻ることは許されない。

 俺は眼の前に広がる道を進んできた。闇雲に。

 だが。それは果たして正解だったのか?

 問うても意味のない問。そこには正解などない。あるのは俺という答えだけである。

 

 駅に着いて。改札を超える。そしてホームへ行き、電車に乗る。

 これもまたメタファー隠喩だな。進む時の。

 俺は毎日、嫌と言うほど味わされる。時は戻ってくれないのだと。

 うんざりだ。俺は進む時の中に忘れ物をしたクチであり。このメタファー地獄は身に染みる。

 

 最寄りの駅に着いて。駅の側のスーパーで惣菜を買い、ついでにビールも買ってしまう。

 明日は休日だ。少しみすぎたところで問題はあるまい。

 

 家に着く。がらんどうの狭い家。1Kのアパート。

 玄関のすぐがキッチンで、そこを抜ければ穴蔵がある。俺のねぐらだ。

 俺は狭苦しいスーツを脱ぎ、シャワーを浴びて、買ってきた惣菜を持ってテーブルに着く。

 一人きりの夕食と晩酌。つくづく自分が孤独である事を感じる。

 缶のビール。ロング缶を買ってきたせいで途中で温くなってしまっている。

 温くなったビールは俺をうまく酔わせてくれない。

 酒をあおるのは。俺の生活の中の寂寥せきりょう感を埋める為…いや感覚を麻痺させて寂寥感を忘れる為なのだが。

 

 俺は言いようのない寂寥感…いや。のせいで。満たされない人生を送っている。

 その原因たる出来事は。中学3年の冬…15年近く前に起きた出来事なのだが。

 もう取り返しようなどない。時の流れという激流に押し流されてしまっている。

 

 俺は酒にうまく酔えなくて。妙にクリアな意識だけが残される。

 この穴蔵たる部屋は。素面で居るには寂しすぎる。

 なんとはなしにテレビを点けるが、詰らないバラエティは俺の気を逸してくれない。

 しょうがない。諦めよう。

 諦めついでに俺は部屋の片隅のライティングデスクに座り、眼の前のPCのスリープを解く。

 モニタに表示される画面は。書きかけのテキストエディタ。

 書きかけのテキストエディタには俺の小説が。

 俺は素人の物書きであり。書いた作品をウェブに投稿している。

 俺は創作で。失ったモノを取り返そうともがいてる。

 あの日。失ったあのに。作品を通して、もう一度出会いたい。

 だが。その試みは。今のところうまくいってない。

 

                  ◆

 

 あの娘。俺が失ったあの娘。

 15の雪が降りしきる日に別れたあの娘。

 俺は彼女の顔を段々と忘れつつある。卒業アルバムは引っ越しのゴタゴタのせいで失くした。

 記憶を頼りに彼女を塑像そぞうし続けているが。

 いつもうまくいかない。いま一歩彼女に似ない。

 俺は空虚な事をしている自覚がある。もう15年も前の女を追いかけ続けているとは。

 これのお陰で。付き合う女とはいつもうまくいかない。セックスの時に意識が向こう側に行ってしまっていると何度っ込まれたものか。

 

 かなで。名前は覚えてる。

 そして。彼女との交流も忘れてはいない。だが、顔だけがうまく思い出せない。

 俺の家は転勤族だったし、就職した今も転勤は続けている。そのせいで多くの人に出会い、別れてきた。そのせいか、人の記憶はどの人も曖昧だ。

 

 俺は曖昧な記憶を辿る。進みゆく時に抵抗している。

 そして創作にそれをぶつけ、彼女ともう一度出会おうとしている。

 ああ。生産性のない試みよ。だが、俺はそれをせずには居られない。

 

 俺はほろ酔いの頭でキーボードを叩く。

 今書いてる作品のヒロインも奏をベースに創り上げた。

 俺の拙いプロットの中に奏もどきは居るが。彼女は生きていない。神の一息が足りていないかのよう。

 俺は悲しい気持ちになる。こんな創作を初めて5年になる。

 ある日、思いついたのだ。もう会えない奏を自分で創ってしまおうと。

 無為な日々を過ごし続け。作品は数多あまた生み出された。ヒロインはすべて奏もどき。

 有り難い事に。小説に読者はついている。

 だが、俺の心は満たされない。

 俺の創作意欲はすべて奏の再現に費やされているからだ。

 

 俺はキーボードを叩くのを止め。ディスプレイをじっと眺めて。

 文字列の間に奏が居ないか探す。

 だが。彼女は15年前の冬のあの日に俺の前から消えた。

 もしかしたら。こんな事、無駄なのかも知れない。

 そも。小説で人を再現するという試み自体に欠陥があるのかも知れない。

 小説のキャラクタは。どうあがいても自分の精神から産み出されるからだ。

 せいぜい自らのアニマ女性面が出来るだけなのかも知れない。

 だが。俺は諦めきれない。

 俺はプロットを洗い直し、文章を整形し、キャラクタを磨き直す。

 そしてキーボードを叩き続ける。

 

                  ◆

 

 そんな事をしている内に。時刻は朝の3時を回っており。

 俺はライティングデスクの前で伸びをする。

 いやあ。夢中になり過ぎた。

 だが、休日にはやることがない。せいぜい部屋の掃除と買い物くらいだ。

 

 俺はPCをスリープさせると、睡眠薬を飲んでベットに入る。

 俺は不眠症気味なのだ。ワーカホリックなのが影響しているのか、はたまた精神がおかしくなっている途中なのか。

 

 目を閉じて。微睡みの中に沈んでいく。

 睡眠薬は良い。余計な事を考える前に寝ることが出来るのだから。

 

                  ◆

 

 俺は夢の中で。やはりと言うべきか奏に出会う。

 だが、その顔の辺りは黒いモヤモヤに覆われている。

 

君島きみじまくん?」彼女の声。少し低音域に入りつつあるアルトの声。

「どした?」夢の中で俺はこたえる。

「ぼんやりしてるなあ、って」

「奏に見惚れてた」なんて。あの頃は言えなかったセリフを彼女に投げかける。

 そのセリフを受けた彼女は恐らくは微笑んでる。モヤモヤのせいで見えない。

「俺は…」俺は言いかける。だが、何をどう言えば良いのかが分からない。

「…」彼女は黙りこくって。何かを待ち構えている―

 

                  ◆

 

 ベッドの上で眼が覚める。

 ああ。また奏の夢を見ちまった。だが、いつも通り顔を拝むことは叶わなかった。

 俺は夢の残りを持ちながら、キッチンの換気扇の下に行き。

 タバコに火を点ける。そして夢を咀嚼そしゃくし直す。

 これが毎日の習慣になっている。

 

 なんで、俺はここまで奏に執着しているのか?

 その理由は分からない。別に女は奏だけではない。

 一応、俺も人並みには恋愛をしてきた。高校生の時も、大学生の時も、社会人になってからも。

 だが。どの女もしっくり来ない。

 15のあの時のような気持ちで好きになれない。

 あの特別な切ない気持ち。それは奏だけのモノだった。

 それを追い求め直して数年。実りのない日々を過ごしている。

 タバコは根本まで燃え尽きて。俺は灰皿にそれを押し付けて。

「いい加減、俺を開放してくれよな…」なんて一人つぶやく。

 

 タバコを吸い終えれば。

 俺はいつもの日常に回帰していく。

 とりあえずは朝飯、そして掃除、最後に買い物…

 

                  ◆

 

「きみじー、君は何処を見ているんだい?」隣の席に座る女が言う。

 

 俺は休日のルーティーンを終え、夕食を自炊するのが面倒だったので、小料理屋に来ている。そしてそこで常連仲間のゆうと一緒になっている。ちなみにきみじーは俺のあだ名だ。

 

「遠い過去。忘れちまった思い出を見つめている」

「男は何時でも過去に囚われている」彼女は批評し。

「なにせ、失いっぱなしだからさ」

「それが人生ってものだろう?」

「ああ。だが、俺は大事なモンを忘れてきちまってさ」

「諦めるこった…何?女?」

「そんなとこ」

「いやあ。女々しいねえ。きみじーは」

「女々しくて結構」

「たまには現実を見るこった。女なんて星の数ほど居る。例えば眼の前にね」

「優、お前、彼氏居るだろうが」

「最近会ってない訳。うまくいってない訳さ」

「んで?セックスレスだから俺を味見か?勘弁しろよ」

「人を野獣扱いすんな」

「野獣だろうが」

「がおー…んでもさ。きみじー?」

「ああん?」

「いい加減、君も30だ。過去に囚われている場合じゃない。老後を見据えて婚活でもしないと、老後が悲惨だぞ。独身男性の平均寿命は短い」

「特に早死して困る人生じゃない」

「ええー?長生きしようや、きみじー」

「俺は太く短く生きる」

「いやあ。知り合いが早死するのは見たくないねえ」

「優しいこって」

「これでも君が気に入っているからね。きみじー」優は俺の眼を見やる。そこにはが込められているが。俺は無視をする。

「そいつは光栄。だが俺は。15年前の女に囚われた哀れな男さ」

「んあ?まさか中学時代の初恋を引きずっているのかい?」優は眼を丸くする。

「そのまさかだよ」俺はビールのジョッキを片手に応える。

「うわあ。ドン引き」優はハイボールを呷りながら言う。

「良いよ、良いよ、引け引け。俺だって分かってるさ。気持ち悪いってな」

「気持ち悪くはないけどさ…いやあ。過去を引きずる男の究極系を見た」

「その点。女は過去を引きずらない」

「ん。現実思考だからね。そも女なんて『今』の生存に全力を尽くす生き物だ。過去はみな置いていく。きみじーの想い人だって、今は結婚しているだろうさ」

「…嫌な事を言うなよな」

「しゃあないよ。失うのが人生だ」

「ままならん」

 

 俺と優は小料理屋のカウンターでウダウダ呑み続けた。

 どちらもパートナーに恵まれていない同士の悲しい飲み会。

 俺達は寂寥感を抱えている。種類は違うが。

 そして。優の寂寥感は俺がる気を出せば埋められるのかも知れない。

 だが。安易な解決は何も産まない。だから俺は優の送るメッセージを無視し続けていたのだが。

 

「きみじー。もう一軒いくぞ」酔いが回った優は言う。

「あのなあ。お前、俺に抱かれるつもりだろ?」俺はズバリ言ってしまう。細かい駆け引きなぞクソ喰らえ。面倒くさいのだ。

「君は自意識過剰なんじゃないのかい?」

「あ?的外れな事言ったか?」

「んー?そうでもないけど。段階は踏みたい訳だ」

「女々しい真似しやがって」

「女だっつの」

「お前は女のような何かだ」

「失礼しちゃう…ま、言わんとせん事は分かるけどね」

「つう事で。段階は踏み飛ばす」

「あ?抱いてくれんの?」

「そうとは言ってない」

「んじゃあ?」

「俺ん家で呑み直すぞ」

 

                  ◆

 

「きみじーん何もないねえ」部屋に踏み入った優は言う。

「引っ越しのし過ぎで家具以外はみんな捨てた」

「思い出もついでに捨てときなさいよ」

「出来れば苦労していない」

 

 俺と優はテーブルにつき。コンビニで買ってきたツマミと酒を広げる。

 

「…なんで私を家に誘ったのさ?抱く気はないんだろ?」優は怪訝そうに聞く。

「なんとなく。寂しかったからかも知れない」

「猫でも飼いなさいな」

「独身男性に猫を養う器量はない」

「そんな事もないでしょーが」

「猫を飼うなら老後やね」

「一生独身でいる気かよ?」

「ん。俺は多分、永遠にあの女に囚われたままだ」

「もったいな。私が放っておかないというのに」

「お前はなんで俺に執着する?」疑問だ。大して器量の良い方でないのだ、俺は。

「なんだろうね?匂いかなあ」

「匂い?」

「うん。君と私は案外うまくやれる気がする。そんな匂いをさせているのさ」

「動物め」

「人間なんて進化したサルでしかない」

「極論だ」


 俺と優は缶酎ハイを呷る。優に至ってはストロングのものだ。早めに酔うつもりらしい。

 

「優よ。酔ってもお前は抱かん」

「据え膳食わぬは武士の恥だよ?きみじー?女がスキを見せているんだ、恥かかすなよ」

「抱いても良いが…と言うか下半身的には抱きたいらしいが。精神はそうでもない」

「君は馬鹿じゃないのかい?」

「馬鹿なんだよ。だからもう手に入らない過去に囚われている」

「男のさがを否定するつもりはないが。ここまで来ると見てらんない」

「呆れろ呆れろ。そしてさっさと酔いつぶれてしまえ」

「ったく。きみじーは釣れないねえ」と言いながら優はストロング酎ハイを呷る。

「ま。話なら付き合うから。愚痴れよ。彼氏の件」

「ん…あのさ―」

 

 と。俺と優は優の彼氏の話を肴にして酒を呷り。

 調子に乗った優はあっという間に酔いつぶれた。

 まったく。酒に強くない癖して何してんだか。

 

                  ◆

 

 酔いつぶれた優をベットに寝かし。

 俺は押し入れにしまったシュラフを取り出して床に寝るが。

 全く眠くない。酔いが回りすぎて眼が覚めたらしい。

 しょうがない。睡眠薬をいつもの倍量にして飲む。

 これで眠れるだろう…

 

 と。思ったが。俺は3時間後には目覚めてしまった。

 しょうがないからシュラフから出て、とりあえずはキッチンの換気扇の下に。

 そしてタバコを吸う。紫煙が暗闇に広がる。紫煙の向こうにはベットが見え。そこにはいびきをかく優が居る。

 不思議な気分だ。女がこの家に居る。それだけで寂寥感が少し解消される。

 だが。根本的な解決に至っていない。

 

 俺はタバコを灰皿に押し付けると。

 部屋の片隅にあるライティングデスクに向かい。

 PCのスリープを解く。そしてテキストエディタに向かい合う。

 そこには。過去の女の模造が居る…

 

 俺はいびきをかく優を尻目にキーボードを叩き出す。

 そしてプロットの中に沈み込み。キャラクタの側に行く。

 今日こそは。奏を再現してみせる…

 

 キーボードを叩き出して2時間。朝方に優は目覚めたらしい。

 らしいというのは。書いてる俺の背後にそっと居たからだ。

 しばらくは気が付かなかった。

 

「きみじーよ。君は…小説の中で例の彼女を再現しようとしているんだね?」俺はその声で初めて彼女が後ろに居ることに気付いた。

「…脅かすなよ」

「悪かった。いやあ。きみじーのタイピング音うるさいわ」

「済まん、起こしたな」

「いんや。お陰で良いもの見れたよ」

「これは弱みでもなんでもない」

「ん。ただの趣味だ」

「…少しは読んだんだろ?どう思う?」

「小説としてプロットが弱い。きみじーはキャラにウエイト置きすぎ。ま、目的を考えればしょうがない事なんだろうが」

「…自覚はある。だが直す気がない」

「そのままじゃ。君は早晩書けなくなる」

「…だろうな。キャラクタが限定されすぎている」

「その通り。たまには違う女を書けよ」

「例えば?」

「私みたいな」

「優…お前とは付き合いが長いが。俺は優の事を知らない」

「教えてやっても良い」と言いながら、優は俺を後ろから抱きしめる。酒臭い。二日酔いのそれである。

「お前な。二日酔いで人に抱きつくな」

「今しかチャンスないもの」

「…あっそ」その言葉を聞くと。優は俺をベットに誘う。

 

                  ◆

 

 俺は優を抱いてしまった。根負けした形である。

 俺は懸念があった。セックスの途中でセックス以外の事―奏―を考える危険があった。

 

「優?お前を抱きながら他の女の事を考えるかも知れん」

「そんなの。分かりきった事さ。好きにするが良い。考える暇を与えないようにするだけよ」

「…スマンな」

 

 そして。コトは終わり。

 俺と優は二人でベットに居る。

 久々のセックスは意外と良かった。だが。俺は結局奏の事を思い出していたのだった。

 

「…負けたよ」優は悔しそうに言う。

「…ごめんな」

「謝るな。惨めになるだけだ」

「…俺は。永遠に過去の女を追い求める」

「そうかい。私は未来へと進んでいく。お先に失礼」

「…じゃあな」

 

 俺達はしばらくを無言で過ごし。日が昇るのを待ち。

 日が昇ってしまうと、お互いにシャワーを浴びて、優を送るために外に出た。

 

 駅への道も無言で過ごした。

 セックスの後だと言うのに、愛の睦言むつごともない。

 道は続いていく。それは俺に課されたメタファーであり。

 俺は道をずんずん歩く。優と一緒に。

 

 駅に着いて。改札口で優を見送る。

「じゃ。またな。今日は済まんかった」

「ん。でも謝るな。私が強引に迫っただけ」

「応えられない男で済まん」

「いいよ。きみじーの事深く知れたから。んじゃ私行くわ。また小料理屋でね」

「…さようなら」

 

 俺は優と別れて。家路を急ぐ。

 これもまたメタファーに思える。

 俺は未来に進むことが出来ない。来た道を戻っていく。

 それを太陽が照らしている。容赦なく。

 

 

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『過去に取り残された男、未来へと進んでいく女』 小田舵木 @odakajiki

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