コミカライズ①巻発売記念SS

英雄様の愛すべきワケあり妻



「お前は何をどうして、あんなことになったんだ?」

「……なんの話だ?」


 ユディングが執務室で自分の机に向かいながら書類を読んでいると、いつの間にか傍にやってきた皇帝補佐官であるサイネイトが声をかけてきた。

 仕事の話ではないとその口調からはわかるが、かといって何を言われているのか理解できない。


 サイネイトはやや離れた応接セットの置かれたテーブルでお茶の準備をしている妻のテネアリアと侍女のツゥイをこっそりと指し示す。

 といっても、もっぱらお茶を用意するのはツゥイでテネアリアはソファに座りながら、クッションを抱えてテーブルの上が整うのを待っている。ただ待っているだけではなく、仕切りに侍女に話しかけていた。


 小柄な彼女はクッションを抱えると埋もれてしまいそうに見える。

 何度見ても、彼女が生きて動いていることが不思議だ。あんな小さな頭で考えて、あれほど小さい手でユディングに食べ物を差し出す。抱き上げれば羽根のように軽いのに、驚くくらい柔らかくて温かいのだ。


 そんなテネアリアが、一生けん命にツゥイを見つめていた。

 不意に湧き上がった形容しがたい感情に、ユディングは思わず胸に手を当てるも、鈴を転がすような可愛い声が鼓膜を揺らすのを止められなかった。


「だから、何度も言っているでしょう?」

「だから、わかりませんよ」


 テネアリアが口を尖らせても、ツゥイはにべもない様子だ。


「もう、ツゥイはいっつもそればっかり。だから、まずユディング様は凛々しいうえに美しいのっ」

「強面をいい感じに言っただけですよ」

「ユディング様はそれだけじゃなくて、優しいし、気遣いもできる大人の男の人で、動じないし、真面目だから睡眠時間も食事時間も削って仕事をされているのよ」

「単に物臭で他人に興味のない成人をとうに過ぎた男性だからこそ、仕事ばかりしているということでは?」

「ひどいっ、不敬だと思わないの。最初に私が抱きかかえて運んでくれるようにお願いしたら、ずっと律儀に守ってくれる人なのよ。素敵でしょ?」

「怠惰な姫様にはちょうど良いかもしれませんが、真近くで恐ろしい顔を見るなんて恐怖の方が勝りますね」


 うっとり語るテネアリアに対して、ツゥイの返答はどこまでも冷めている。ここまで温度差のある会話も珍しいものだ。

 けれど、テネアリアはめげる様子がない。


「なによ、ちっとも恐ろしくなんてないのよ。わかったわ、ほら、世の中には誤解されやすい無口な人がいるでしょう。それがユディング様なの。そう思えば可愛いでしょ?」

「自国にも耳の遠い老師がいましたよね、いつも無口で。誤解もなにもなく、無害でしたが、可愛いとは思いませんでしたよ?」

「そうじゃないのだけど、あれ? もしかして近いのかしら。あの人、ツゥイの介護に喜んでいたでしょう」

「喜ばれていた? しかも介護ってなんです。道に迷っていたので手を引いて案内してあげたり、落ちた杖を拾ったりしただけですよ。近寄るなと散々怒鳴られましたが……」

「だから、ツゥイが声を張り上げるのが申し訳なくて怒鳴っていたのでしょう。つまり、ツンデレよっ。ね、可愛いでしょ?」

「可愛い……?」


 怒涛のテネアリアの口撃に、ツゥイは手を止めて虚無の顔になる。

 耳の遠い老師と同じカテゴリーにされたユディングはなんとも言えない顔になってしまうが、サイネイトが必死で声を殺して腹を抱えて笑っていた。


「さ、さっきから、ずっと……あの、調子で、さあ……もう、俺、おかしくておかしくて。お前は仕事に没頭すると周りの声が聞こえなくなるから、二人も心置きなく話せるんだろうけど」


 サイネイトは盛大に泣き笑いをしながら、ユディングにこそっと耳打ちをした。


「彼女は英雄様にべた惚れらしいぞ。まあ、つまりお前だ。姿形も、精神も何もかもが素晴らしいって褒めまくって、思わずこっちが照れるくらいだよ。で、妃殿下に何をやって、それほど惚れこまれることになったんだ?」


 最初にサイネイトが聞きたかったのはそういうことらしい。だが、ユディングは即答しかない。


「知らん」


 東方にある小さな島国出身の病弱な姫は、会った時からユディングに対して物怖じしなかった。

 病弱で塔に閉じ込められていたから、外の世界に連れ出してくれたユディングを慕っているという話だが、それ以上の熱量を感じる。

 何が起きて、こんなことになっているのか知りたいのはユディングの方だ。


 あの青緑色のつぶらな瞳で、まっすぐに見上げられてみればいい。それだけで言葉に詰まるのに、無口が格好いいとか誤解されやすい可愛い人とか、彼女の認識は一体どうなっているんだと頭を抱える。


 遠い異国からはるばる嫁いでくれた少女を追い出すつもりはなかったが、相手の方から勝手に逃げていくんだろうと放置することを決めていたユディングにとって、この状況は混乱しかない。

 気がつけばこうして傍にいる幼妻に、振り回されているのが日常だ。


「あんな可愛い妻に心底愛されてるなんて、羨ましい話だよ。お前は幸せ者だな」


 サイネイトがくすくすと笑いながら、ユディングの肩を叩いた。


「……愛?」


 あまりに聞き慣れない単語に、首を傾げるがサイネイトはにやりと意地悪く笑う。


「気づいていないふりしているが、お前の耳はしっかり赤いからな」

「――……っ」


 ユディングは言葉に詰まって、思わず顔を伏せた。

 それはテネアリアがお茶の支度が整ったと呼びに来るまで、続くのだった。


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