最終話 巡り来る季節の前に

 人類は未だ、時間を操作する術を会得していない。

 時を戻すことはおろか、止めることもできない。

 時はただただ無情に流れていき、人はそれに、身を委ねることしかできない。

 たとえ日々、誰が生まれ、誰が死んだとしても。

 時間はひたすらに、流れていく。





 ――三月三十一日。

 新年度を目前に控えた、一年の最後の日。僕はセントラルのターミナル駅にいた。外部シティに繋がる、高速鉄道のホームだった。


 そこはサブシェルター行きのホームと違い、驚くほど静かだった。

 行き交う人はまばらだ。男女様々だがどちらかといえば若い人が多く、ハンドバッグひとつの人もいれば、大きな旅行鞄を持った人もいる。皆、足下の案内表示に従って、列車の到着をじっと待っている。


 僕はそんな様子を、ホームのベンチに腰掛けながら見ていた。

 足下には小さくなく、かといって大きすぎないボストンバッグ。隣の空席には、通学に使っていた黒いリュックが置いてあった。あらかたの荷物は予め送ってしまったため、手荷物は少ない。ほとんど身一つといってもよかった。

 学術都市行きの列車は、まだしばらく来ない。


 僕は右手に持っていた缶コーヒーを一口啜った。芳ばしい香りが鼻に抜けて、酸味と苦味が口の中に広がる。開けてから随分時間が経っているせいか、ホットで買ったそれはぬるくなっていた。けれど、目の覚める味だった。

 左手に持った『それ』をじっと見つめる。


 少し厚めの特殊紙に印刷されているのは、四人の少女と一人の少年。五人が手を回しても一周できなさそうなほど太い木の幹を背に、まるで押しつぶされた団子のようにくっついて映っている。その背後には太陽の日射しを浴びて鮮やかに光る緑の梢と、純白の雲を浮かべた蒼穹が広がっていた。

 僕らが〈外〉にいた証。僕らの世界の外側にも確かに世界はあって、〈果て〉はどこまでも広がっているのだという示す唯一。

 それは五人で撮った、最初で最後の写真だった。





 あの日、警察に保護された僕たちは、セントラルの総合病院に緊急搬送された。

 頭痛に嘔吐、痙攣に意識障害。程度の差はあったが、全員が酷い熱中症だった。

 ――けれど全員、生きていた。


 僕ら五人は、揃って入れられた病院の大部屋で目を覚ました。処置が間に合い、全員が一命を取り留めた。

 もう少し発見が遅れていたら、手遅れだったかもしれない。後にそう語ったのは、僕らを診察してくれた年若い男性医師だった。運が良かった、と彼は言った。事実、その通りだったのだろう。僕らは幸いなコトに後遺症もなく、経過観察と諸々の感染症検査を受け、一週間の後に何事もなく退院した。


〈外〉へ出たことについて、意外なことにお咎めはなかった。というのも、シェルターの中に居住することは厳格には強制ではない。つまり〈外〉へ出ることについて規制する法律が存在しないのだ。


 ただし、耳にたこができるぐらいの厳重注意を受けた。主に警察から、あるいは親から。更に、廃棄区画――規制線の向こう側である第一サブシェルターに侵入したことについては、刑罰の対象となった。管理者が立ち入りを禁止している場所に立ち入ることを禁じている軽犯罪法、および自然災害から国民の生命を保護することを目的とした災害対策基本法、加えてシティの制定する遭難防止条例に抵触した。しかし弁護士との話し合いの下、十八歳成人ではあるが保護者の庇護下にある高校生であることと、行政の管理下である第一サブシェルターへ進入路の管理が杜撰であったことを考慮され、二十歳までの保護観察処分となった。


 ――というのは最終的な話で、実際のところ、退院した僕らをまず待っていたのは、最後の関門、後期期末試験だった。これをクリアしなくては、卒業もできない。本来なら退院の前週に実施されてしまったそれを、僕らは特例で翌週に行われる再試験で受けさせてもらった。


 退院の翌日、僕らはいつものように登校して、試験を受けた。ただし僕らが失踪したことについては学内でも話が広まっており、他の生徒への心理的影響も鑑み、僕ら五人は他の再試験者とは別室で試験を受ける運びとなった。


 受験勉強をしていた僕と椿カナデ、そして実は受験組だったらしい百合野トオルは、余裕をもって試験に挑んだ。元々そこまで勉強が得意ではないらしい夜桜カレンと萩原アカネはなかなか苦戦していて、退院三日前から勉強会を開くことになった。

 そうして、日々は慌ただしく過ぎていった。





 僕らは何事もなく、高校を卒業した。卒業式は、粛々と行われた。


 夜桜カレンは就職し、カメラマン助手になった。〈外〉で撮った一枚がきっかけで、写真に興味を持ったらしい。いつもの悪戯な笑みを浮かべ、指で作ったフレームを僕らに向けてみせた。


 百合野トオルはスポーツ選手の育成に携わりたいと、進学を選んでいた。そこには肉体だけではなく精神的なサポートも含まれていた。自身の経験を生かせたらと、静かに語った。


 萩原アカネは普通に就職した。普通の会社の、普通の経理部の事務員だった。ワークライフバランスが保てないのは嫌なのだと、いつもの不機嫌そうな声音で言った。


 椿カナデは第一志望ではないけれど、予定通り大学へ進学した。やりたいことを探しに行く、とのことだった。モラトリアムを楽しむのも悪くないわ、と彼女は笑った。


 花が散って舞うように、それぞれがそれぞれの道へ進んでいく。

 ――僕も、また。

 僕は今日、生まれ育ったシティを後にする。





 僕はじっと、手の中の写真を見つめた。

 そこには満面の笑みを浮かべる〈四季〉と、彼女たちの真ん中で目を丸くして間抜け面を披露している僕が映っていた。不意打ちだったとはいえ、もう少しまともな顔はできなかったのだろうかと考えてしまうけれど、これはこれで悪くないと、そう思う。


 その写真は卒業式からしばらくした頃、僕の自宅に郵送されてきたものだった。

 差出人は、夜桜カレンだった。

 可愛らしい封筒に入っていて、小さなメッセージカードが一枚、同封されていた。


『一人一枚。再発行はできませんので』


 なんとなく、僕は理解した。

 多分もう、あの写真データはどこにもないのだと。

 不思議とそのことに、心残りは感じなかった。

 ただ、あぁ――と。妙な納得感だけが、僕の中に残った。


 写真は、いつか色褪せる。

 角が折れて、擦り切れて。ボロボロになって、失われてしまうだろう。

 けれどそれでいいのだと僕は思う。

 いつか失われるからこそ、僕らはこれを、その日まで抱えていける。

 抱えていけるからこそ生きていける世界もまた、存在するのだ。


 ――天井から降り注ぐAI音声が、列車がまもなく到着することを無機質に告げる。

 僕は写真をリュックにしまうと、それを背に担いで立ち上がった。

 列車がホームに滑り込んでくる――





 僕のクラスには、四季がいた。

 それは春夏秋冬。それぞれの季節の花の名を持つ、少し変わった四人の女の子たちだった。

 春――夜桜カレン。

 夏――百合野トオル。

 秋――萩原アカネ。

 冬――椿カナデ。

 彼女たちは、独りだった。

 独りが四人。季節が失われた世界で、失われた花の名を冠するつまはじき者の四人は、誰がそうしようと言い出したわけでもなく、自然と集まり、共に在るようになった。

 そうして彼女たちは〈四季〉となって、滅び行く世界に咲いた。

 華やかに、鮮やかに、細やかに、艶やかに。

 その花たちは今でも、僕の中で咲き誇っている。

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ロストシーズン・フォー・フラグメント 倖月一嘉 @kouduki1ka

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