猫やってきた
小柴
こうやって迷い猫は来るといいな
「なんとまあ、効率的だミャあ」
昨日テレビで観た、ガムテープをきれいに剥がす裏ワザをやっていたら、顔のすぐ横から驚嘆の声が聞こえた。ふっと横を向くと、墨みたいに黒い猫が「しまったナ」と目をまんまるにしていた。
「今、みゃあの言葉を聞いたかミャ?」
猫らしいダミ声でもういちど聞いてきた。「言葉が聞こえたミャ?」
遥香がおそるおそる頷くと、黒猫は「ふうむ」と唸る。
「おみゃあさん、今晩の予定は?」
「えっと、特にないですけど……」
「承知したミャ。改めて、今晩おじゃましますミャ」
約束どおり、夜に黒猫はやってきた。ベランダの細い手すり部分にすっくと立ち、細い目を光らせて遥香を眺めている。
「こんばんは猫さん」と遥香。
「おみゃあさん、覚えているんだミャ」
猫はため息をつくと、家の中に入ってきて、しばらくここに居ますよと言うように、ドサっとカーペットの上へ尻を落とした。「ふつうは忘れるものニャんだが。ときどき居るんだナー。忘れるまで居候するミャ」
そうなんだ、よかったらどうぞ。遥香は余っていたツナ缶を差し出す。猫は上品に手を舐めてから口をつけた。
「昼間会った猫に、夜もういちど会うことがあるミャ。あれは、昼間のことを覚えているか、確認に行くんだナ」
「へえ」
「人間の脳みそはよく出来ていてナ。常識では考えられないことが起きると、つじつまの合うことに変えて忘れてしまうんだミャ。みゃあ達が喋るのを聞くと、やれ空耳だの、テレビの雑音だっただの、死んだ親の声が聞こえただの、なんとかつじつまを合わせるんだナー」
だから聞いたことがなかったのか、と遥香は相づちを打つ。
「昔のみゃあ達は、ふつうに人間と会話していたミャ。ほら、昔の神話とか墓には、猫が守り神だったりするミャ。あれは人間と協力して生活していた証なんだナ」
「ふうん」
「ところが、文字というものを使い始めてから、人間はみゃあ達のことを獣のように扱うようになったニャ。文字を必要としないものは文化レベルが低いとか言い始めて。区別するようになって、だんだんみゃあ達と喋らなくなったミャ」
「猫たちは文字を使わなかったの?」
「そりゃ、みゃあ達は食べ物を育てないし、大きな建物を作る必要がないからナ。文字なんかなくても生活できる」
「なるほど」
そのあと黒猫と遥香は、冬になると肉球がささくれるんだよね、などといろんな話をした。思った以上に意気投合し、お互いに知っている曲を猫がダミ声で歌いはじめ、遥香が鼻歌で伴奏する。
──楽しいなあ。
遥香はあらためて黒猫を見た。黒い毛玉がまんまるに丸まり、手触りはビロードみたいに滑らかだ。手を伸ばすと、ごろにゃあと喉を鳴らして身体を擦り寄せてくれた。
こんな夜がもっと続けばいいのに。黒猫との生活をシュミレーションしながら、遥香は言った。
「ねえ、ぜったい忘れちゃうの?」
「たぶんニャ。まあ、数百年ぐらい昔にずっと忘れなかった人間がいて、仕方なく死ぬまで一緒に暮らした伝説は聞いたことあるがミャ」
遥香は提案した。
「ねえ、猫さん、私は別に伝説になれなくても、一緒にいてあげるよ。だから一緒に暮らさない?」
黒猫は尻尾を揺らし、猫らしくミャアアと鳴いただけだった。
明け方、遥香は腹の上に乗っている黒い塊に気づいて目が覚めた。
──いつの間に猫が家に住み着いたんだっけ。でも気持ちいいし、いっか。
そう思い、ふかふかの温もりを楽しんでまた眠りに降りていった。
<おわり>
猫を飼ったことがなくて、「家に住み着いたよ」という人の話を聞くと憧れます。こんな出会い方をしていたら面白いですね。
猫やってきた 小柴 @koshiba0121
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