epilogue②




 十日ほど経った早朝。

 事件の事後処理や屋敷内のゴタゴタなどが一通り片付いたのを受け、エリは佐竹さたけの運転する国産高級車に乗り込んで、とある場所に向かっていた。

 車内には彼女の他にメイド服の朱里がいる。


 エリは知らない道を走る黒塗りの高級車から、窓の外を眺めた。


 湖東の幹線道路をひたすら北へと走り、浅川あさかわ高校へと続くT字路を右折せず、更に北上した先に、一つの交差点が見えてくる。


 そこを右折した山の中を、現在、上へ上へと走っていた。

 この先に、目指す目的地があるようだ。



「本当によろしいのですか?」



 エリの隣に腰かける朱里しゅりが、遠慮がちに聞いてくる。



「いいんだよ。もう決めたことだ。今回のことで色々思うことがあったからな。さすがに、周りに迷惑をかけすぎたって反省しているよ。ちょっと気晴らしに散歩に出ただけのつもりだったのに、まさかあんなことになるとは思ってもみなかったからな。だけど、そのせいで大勢の人たちを傷つけてしまったことに変わりない。自分自身も死にたくなるくらい辛い目にあったけど、それ以上に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。だから、現実を受け止めるためにも、見ておかなきゃいけないって思ったんだ。自分のこの目で。貴弘だった頃の自分の墓を、な」



 そう。今向かっている場所は、浅川家が管理運営している大霊園だった。

 敷地面積もかなり広く、大勢の偉人たちや金持ちたちが葬られている。

 貴弘の遺骨も、そこに納められていた。



「なんだか妙な気はするけどな。まだ生きてるのに、なんでオレの墓が建ってるのかなってな。しかも、中にその、骨があるとか。意味がわからん。オレはまだ、ここに存在してるっていうのにな」



 複雑な心境のまま、車は霊園に到着した。


 ゲートをくぐり、駐車場に車を止める。

 エリと朱里は佐竹を車に残し、貴弘の墓に向かった。


 確かめるようにゆっくり歩くエリは、白い麦わら帽子を被っていた。

 あの時――タミエルによって破壊された麦わら帽子と同型のものだ。


 実は昨日、エリは朱里を伴ってあの帽子店を訪れていたのである。

 目的は謝罪。

 せっかく自分のことを気にかけ、ただで帽子をくれたのに、それを台無しにしてしまった。

 不可抗力とはいえ、自分が許せなかったのだ。

 だから、女性店主に事情を説明し、平謝りした。

 そして、同じ帽子を買い直したのである。

 当然、細かい事情は伏せたが、壊されたと聞き、女性店主は同情して泣いてくれた。

 エリはその時、今度こそ大切にしようと心に誓った。



「これか……」



 立派な墓の前で立ち止まったエリは、なんとも言えない気持ちになる。

 彼女の目の前には横長の記念碑のような墓石が立っており、ただ一言、心という文字が大きく刻まれていた。


 一見すると、誰の墓かわからないような見た目であったが、朱里が言うには、『一番大事なのは心ですから』ということらしい。


 エリは妙に納得してしまった。

 自分にぴったりだと思ったからだ。

 確かに肉体は死んだ。

 早瀬川貴弘はせがわたかひろという名の少年はもう、この世のどこにも存在しない。

 だが、魂である心はまだ生きている。



「オレ、本当に死んだんだな」

「そうですね。残念ながら、貴弘様はお亡くなりになりました。ですが、お嬢様はまだご健在です」

「……そうだな」



 エリは改めて、墓石を眺めた。自然と手が伸び、気がついた時には触れていた。


 指先から伝わってくる固い石の感触に、彼女はすべて現実なんだと心に刻み込む。

 本当に自分は死んでしまったのだと。

 今こうして生きてはいるけれど、もう自分は貴弘という少年ではない。

 エリザヴェータという女の子なのだと、嫌でも実感させられた。

 どんなに否定しようとも、拒絶しようとも、この運命から逃れることはできない。


 もしまたそこから逃げ出そうなどと考えたら、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。

 自分のせいで大勢の人間が傷つき倒れ、迷惑をかけるかもしれない。


 そんなこと、あっていいはずがない。

 自分のわがままで人が死んだら――朱里が身代わりとなってこの世からいなくなるようなことがあったら、いくら悔やんでも悔やみきれなかった。



「オレは……貴弘はもう死んだんだ。だからもう、エリとして生きていくしかないんだ」



 誰に言うでもなく呟いた時、エリは真新しい花が供えられていることに気がついた。



「誰か、墓参りに来てくれてるんだな」



 本来であれば、早瀬川家の墓はこんなところにはない。

 実家が東京にあり、先祖も東京に住んでいたからだ。

 当然、早瀬川家の墓はちゃんと東京にある。

 親戚や家族も向こうに住んでおり、貴弘も向こうに遺骨が納められるべきはずだった。


 しかし、事情が事情だからか、こんなへんぴな場所に葬られることとなった。

 当然、そんなだから墓参りに来る人間などいないと思われたのだが、



「おそらく、お姉様だと思われます。毎日、お墓参りに来てくださっているようですから」

「姉貴か。相変わらず律儀な人だな。だけど、オレが生きてること、知ってるはずだよな?」

「えぇ。ですが――」



 朱里が何事か言おうとした時だった。



「朱里……」



 どこかで聞いたことのある声が、すぐ側から聞こえてきた。

 怪訝けげんに思い、二人してそちらを振り返り、ぎょっとなる。

 そこに立っていたのが、浅川麻沙美あさかわあさみ立花可奈たちばなかなだったからだ。



「げっ……」



 驚きのあまり、開口一番、エリははしたない声を上げていた。

 振り返ったことで、エリの前に立つ形となった朱里は、困惑げに口を開く。



「浅川さん、どうしてあなたがこちらに?」

「えっと、その、私たちは……たまたま通りかかったので、ついでに貴弘君のお墓参りでもと思っただけで」



 たまたまと言っておきながら、その手にはしっかり、綺麗な花束が握られていた。

 朱里がそれに気がつくと、慌てて後ろに隠してしまう。



「そうですか。たまたまですか。それでも、貴弘様はきっと、お喜びになると思いますよ」



 そう言って彼女は一度、ちらっと後ろに隠れるエリを見てから、再び麻沙美へ向き直った。



「会って早々で申し訳ありませんが、私たちの方はこれにて失礼させていただきますね。浅川さんたちは、存分にお参りしていってください。その方が貴弘様も喜ばれると思いますから――では参りましょうか、お嬢様」



 朱里はニコリともせずにお辞儀をすると、麻沙美たちの横を通り過ぎようとする。

 しかし、それを麻沙美が素早く制した。



「お待ちなさい。その、まだ、お話が済んでおりませんわ……」



 そう呼び止める麻沙美の顔は、それほどやつれているようには見えなかった。

 もしかしたら先日、朱里と会い、心の内をぶちまけたことで何かが変わったのかもしれない。


 パーティーでの一件のことを少しだけ聞かされていたエリは、勝手にそう思うことにした。



「それから、先程から気になっていたのですが、そちらのお嬢さんはどちら様ですの? 先程、お嬢様と」



 胡乱げな表情を向けてくる麻沙美に、朱里は一瞬、きょとんとしたが、すぐに我に返るとエリを自身の前に押し出した。



「ぁ……ちょっとっ」



 エリは小声で非難の声を上げるが、すべては遅かった。


 物珍しそうにじろじろ視線を向けてくる麻沙美と可奈。特に、麻沙美の影に隠れるように佇んでいた可奈の視線が刺すように痛い。

 まるで、獲物を見つけた肉食獣のようだった。



「紹介が遅れました。現在、私がお仕えしている早瀬川エリザヴェータ様でございます。どうぞ、お見知りおきを」



 芝居がかった口調で紹介され、エリがぎょっとする中、麻沙美が目を見開く。



「お仕え……しているですってっ? なんで……? どうして……! あれだけ貴弘様、貴弘様とべったりだったあなたが、どうしてそうも簡単に別の方にくらがえすことができるんですの? あなたの中で、あの方はもう、過去の存在に成り下がったということですのっ?」



 血走った目を向けてくる麻沙美に、エリはただオロオロすることしかできなかった。しかし、朱里はいたって平然としている。



「確かに、貴弘様は私にとって大切なお方でした。ですが、私はあくまでも早瀬川家にお仕えするメイド。家の方針には逆らえません。ですので、血は繋がっておりませんが、貴弘様の妹であるエリお嬢様にお仕えすることは、大変名誉なことでございます」


「だからってそんなにあっさり……て。え? 妹?」

「はい。ゆえあって、離れて暮らしておりましたが、今はこの街でともに生活しております」

「そう……そういうこと……。ですが、あの方のお話はそれとは別ですわ。朱里、あなたはそれでよろしいんですの? あなたにとって貴弘君とは――」



 麻沙美が何か言おうとしたが、それより先に可奈が口を挟んでいた。



「ぁ~ンもうっ、我慢できないわ! あなた、エリちゃんって言うのね! 今から私の家でお茶しないっ? ぃ~え! 拒否権なんて認めないわ! 今すぐ連れ帰ってあんなことやこんなことを――」



 ぐへへと笑いかねない緩みきった顔をして飛びかかってくる可奈を見て、顔面蒼白となったエリは一目散に逃げ出した。



「ぅわぁ~! いやだぁぁ~! 誰か助けてぇ~! 変態女に食べられる~!」

「あ、お嬢様! 一人で行動してはいけません! お待ちください!」



 可奈に追いかけ回され、墓地内を駆けずり回るエリを慌てて朱里が追いかけ始める。



「な……! 朱里! 話はまだ終わっておりませんわ!」

 遠くから麻沙美の叫び声が聞こえてくるが、エリも朱里もそれどころではなかった。




◇◆◇




 間一髪、難を逃れたエリは、ぜぇはぁしながら車で帰路に着いていた。



「はぁ……はぁ……とんでもない目に遭ったぜ。なんでよりにもよって変態女と遭遇するんだよ。危うく貞操を奪われるところだったぞ」



 八つ当たりとわかっていながらも、恨めしげに隣の朱里を見てしまう。



「仕方がありません。私もさすがに予測できませんでしたから。まさか、浅川さんたちがお墓参りに来てくださっていたとは」

「……まさかとは思うけど、あいつ、オレが死んだのは自分のせいだからとか言って、贖罪しょくざいのために毎日墓参りに来てるなんてことないよな?」



 ぼそっと適当に呟いたのだが、きょとんとした顔をする朱里の顔ですべてを理解してしまった。



「何やってんだあいつは。バカなのか? 真面目なのか? あぁ、そうだった。あいつはくそ真面目だったな。だから毎度毎度、適当に授業受けてたオレが気に食わなくて、ちょっかいかけてきてたんだったな」



 面倒くさそうに溜息を吐くエリ。朱里はそれを不思議そうに眺めていたが、



「お嬢様、もしかして、お気づきになっておられなかったのですか?」

「へ? なんの話だ?」



 顔面にクエスチョンマークを浮かべる可愛らしい少女に、朱里も深い溜息を吐いた。



「まぁいいです。もう過ぎたことですから」

「なんなんだよ、いったい」



 しかし、口を尖らせるエリの反応は無視される。



「さて、それではお嬢様もやる気になってくださったようですし、お屋敷に戻られましたら早速、一人前の淑女しゅくじょとなるためのレッスンを再開するといたしましょうか」



 ニコッと笑う朱里に、エリはぎょっとする。



「ちょっと待って! 何その怖い笑い! てか、まだあれ続けんのかよ! あんなことがあったばかりだというのに!」

「当然ではありませんか。お嬢様には十月までに、完全な女の子になってもらわなければならないのですから」


「完全な女の子ってなんだよっ。身体は確かに女だけど、中身は男だぞ! てか、十月ってなんだよ。なんで、そうまでして十月にこだわるんだ?」


「伝えておりませんでしたか? 旦那様のご指示だと申し上げたはず。下半期にはお嬢様は立派な淑女として、社交界にデビューすることが正式に決定されたのです」


「は? しゃ、社交界? 確かにその可能性があるとは聞いてたけど。し、しかし! 決定とかそんな一方的な!」


「仕方がありません。旦那様の意志は絶対ですから。ともあれ、そういった事情もあり、お嬢様には後期授業から高校へ通っていただくことも既に裁定がくだされております。貴弘様が通っていた、あの浅川高校に」



 それを聞いて、エリはこれでもかと言わんばかりに、大きな瞳をカッと見開いた。



「無茶だろ! オレのこと知ってる奴らが通ってる学校とか、あり得ないだろう! どんな顔して奴らに会えばいいってんだよっ。今のオレは、女なんだぞっ?」



 静かに山道を走る高級車の中で、一人、エリの叫びだけが車内に響き渡った。

 この世で最も愛らしく、そして美しい少女の叫び声が。


 隣に座るメイド服の少女はただただ、幸せそうな笑顔を見せるだけだった。





―― 第一話『ガブリエラの欠片』 了 ――



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

上宮寺の巫女鬼伝 ~世界一の超絶美少女と守護メイド~ 『①ガブリエラの欠片』 坂咲式音 @szk_siroo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画