シュレーディンガーズ・リアリズム

 結果として、何も分からない俺達は。駅のホームまで戻って。飛び込み自殺した。いや、自殺ではない。猫の身体を借りていたわけだから。猫を二匹殺した事になる。後で気付いて死にたくなった。

 どうして、電車に惹かれたのか。それは、簡単で。ゲームの仕様として、猫の平衡感覚が忠実に再現されていて。高所からの自殺は難しい。首吊りに適した縄を猫の手で猫の首に巻きつけるというのもまた、難しい。他にも自殺の方法はあるだろうが俺達は知らないフリをした。

 消去法で。それに絞って。

 静かに衝撃だけを纏って。

 電車に、轢かれた。

 都合の良い事に、電車に乗車客は乗っていなかったので。誰にも迷惑かけずに死ぬ事が出来たのではないだろうか。二匹の猫は殺したが。

 そして、現実に戻る。


 ■


 現実に戻る。俺達の想像した通りでは無かったが。

 電車に轢かれる瞬間。

 巨大な電車のキラキラした眼に睨まれながら、その蛇と衝突する瞬間から逃げられた。


「──ッはァ!はァはァ!」

 恐ろしい夢から覚めた時のような感覚。

 心臓の拍動を大音量で聞きながら飛び起きる。その拍子に頭に被っていたヘッドギアが、俺達の眠っていたベッドの上に落ちる。

 荒い息を吐きながら、見つめ合う俺達。

 無意識に、手を握り合って。向かい合って。

「死ぬかと思った」

 と泣いて。抱き合った。


 五感の抑えられていたらしい仮想世界から解放されて、現実に対しての感覚が今まで感じた事の無いものとなる。

 研ぎ澄まされたものとなる。


 換気の為に開かれた窓から見える外のオレンジに染まった街の景色。そこから流れてくる、夏の風に対してすら。全身が逆立って、身体が冷える。

 身体に張り付いた毛布が、俺達の全身を焼くように巻きつく。ある程度はカットされていた、あの世界での弱化されていた五感。それからのギャップ。猫になる前の、今まで生きてきた現実とは比べようも無い官能的な感覚。

 その感覚にまた、死にたくなる。

 しかし、あの。緑色の電車と衝突した時の形容し難い痛み。そして、車輪に何度も腹を押し潰されて、生き物らしい肉塊の熱を何度も身体に浴びて。

 もう、二度と絶対に。死にたくない。もし死ぬならば、電車以外を選ぶ。

 同じく、この現実世界を何度も生きてきた先輩はどう感じているのだろう。

 この感覚が俺達に共通しているのか。

 確認するように問い掛ける。

「どうですか?」

「エグい」

 俺達は説明し合うのを躊躇った。

 俺は先輩の言葉を繰り返す。

「エグかった」

「どんな感じに?」

 逆に先輩が俺に問う。俺は珍しく。いや、人生で初めて。

「いや、ええっと。凄い、なんか。寒くて、夏なのに。もうほぼ、昼なのに。けれど灼けるように熱くて、この風が──」

 言葉を紡いだ。なるべく、絶対に、茶化さないように。自分の今の感覚を伝えようとして。

 至極、真面目に。伝えた。


 俺が嗚咽し、嘔吐いている数十分の間。先輩は、ずっと。相槌を打って。

 最後には。

「分かったから、水飲んでさ」

 俺は、また、喉に異物を通す感覚に嘔吐いた。

「俺、一瞬、外出てみていい?」

「うん」

 先輩に許可を貰って、木の枝のように細い足で、玄関に続く廊下をゆっくり進む。数年触れていなかった玄関の冷たいドアノブを握って。

「やっぱ、無理かもしれん」

「もうちょい試してみ?がんばれ」

「はい」

 先輩に背中を押された俺は。

 今から死ぬのかってくらいの緊張感を全身で浴びて。

「やっぱ、絶対無理です」

 泣きながら、先輩の方に振り返る。先輩は腕を組んで、俺を仏頂面で見ていた。

 その後、顔を変えて。

「ドア開けただけでも成長だよー」

 と笑った。


 ■


 先輩は、今日も仕事に行った。

 先輩は会社において昇進して、給料が上がって。

 その恩恵を俺は全力で啜って。

 本を読んで、ゲームをして。猫を愛でて。

 子供のように。

 家に引き籠って。惰眠を貪り尽くして。

 毒入りのクッキーを食べて。

 外に出る事は無くなった。


 既に、現実世界で外に出る方法は忘れてしまった。

 しかし、先輩はその方が俺を愛してくれた。

 俺は、ただそれに甘えているだけだ。


















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ねこばぁすba にぎにぎのみ狐と @turbo-foxing

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