没入してこその浄土信仰

 硬く冷たい線路を歩いている。線路の横には砂利の細かな隙間から強かに延びる雑草達が風に吹かれて、葉先だけを揺らしている。

 先輩は線路のレールを支える枕木だけを踏んでいる。俺は早々に飽きて、その愛らしい猫をを呆れながら見ていた。

 視界中心の奥から何かがやってきた。

 電車。

 線路から離れて。巨大な蛇のような緑色の電車と。ガガガガ、という轟音を至近距離で目の当たりにして戦慄する。

 電車など人間御用達の乗り物。猫にはきっと必要の無いもの。

 この世界に必要の無い筈のもの。

 しかし、景観としては素晴らしいもののように思えた。

 なぜならば、この世界には電車以外に動いているものが一つも無い。だからこそ電車ぐらいは動いてくれていた方が丁度良い。

 そう考えれば、この世界には必要なものであると思えた。


「ここって、東京だったんだ」

「そうだよ。猫なのに字読めるの?」

「飼い猫だった事があってな」

「はは」

 駅のホーム際──点字ブロックの前に並んで座って、話す。

「そういえば、俺達以外誰も居ない」

「おそい。そう、この世界にはわたし達しかいない、そういうサーバぁ」

 人間不信の俺に気を使って、この世界を選んでくれたらしい。

「違う、二人っきりが良い」

 少し違った。同じかもしれない。

「嬉し、あざす」

 泣きそうな気持ちになったが、猫になった俺の頬が濡れる事は無い。俺は真顔で俯いた。黒猫の足が憎い。

「あの自販機の上、乗ってみよう」

 先輩は、器用に俺の顔を両手で挟んで、そしてぐるんと回して、無理矢理上に向ける。首の回転に巻き取られるようにして俺の体が廻る。

 痛みは殆ど無い。体が一瞬宙に浮いて体が一瞬回転したから、変な感覚にはなったが。

「うわ、死ぬかと思った」

 先輩に向かって鳴く。

「うわ、上目遣いの黒猫かわよ」

「喰らえ、猫アッパー」

 自分の手を先輩の顔面に向けて放つ。当然、先輩には届かない。

 逆にキックされる。

「はい、お前の負け。あそこに昇る事!」

 さっき、指差した自販機よりも高い位置にある。ホームの真ん中に一定の間隔で、並んでいる電灯の一つ。そのてっぺん。

 俺は。先輩の通ってみせたルートを踏襲して。その電灯の上に昇った。

 

「ログアウトできない!」

 先輩がパニクる。俺も、先輩につられて大して訳も分からずにパニクる。

『このゲームを中断したい』とプレイヤーが思考すれば、目の前にタッチパネルが現れる。それを触ればゲームを中断し、現実世界に意識が戻る。手順は決まっているはずなのだが。

 そのタッチパネルが現れないのだ。

 このゲーム、この世界において不具合──バグが生じているらしい。

 これは結構な緊急事態なのではないか。

 慌てふためいて、先輩に鳴きつく。

「こういうとき、どうすんですか?」

「………」

 先輩は両目を瞑って硬直している。そして、数秒。

 先輩は、目の前の三毛猫は、目を開いて。

「……分からない。どうすれば良いか知らない」

 言った。

「そんな!ちょっとやばい…そうだ。インターネットで調べないと。解決策を……」

 先輩に嘆く。嘆きながら、理解する。スマホなんてものは持っていない。

 あれは人間の使うものだから。

 猫には必要の無いものだから。

 詰んでいる。

「どうしましょう」

「とりあえず、スマホ屋さん行こ」


 ■


 携帯ショップに行った。スマホは存在していたが、総て真っ黒。電源を触っても何も起こらなかった。更に、家電量販店やネカフェ、名前の知らない会社に侵入したが、成果は得られなかった。人は当然いなかった。


 お手上げ状態で仄暗い空を見上げて。名前の知らない公園の芝生の上で。俺と先輩はじゃれあっている。

 どうせなら猫として。室内でごろごろしたかったが。

 先輩の勧めで、外気に触れて月夜ぼっこしている。

「明日、仕事無いけど。次の日は仕事あんよね」

 愚痴を零す先輩。ゲーム内の時間は現実と、当然同期している。既に、四時を過ぎている。

 何も言えずに口籠る。

「どーしよ?」

 殴りたくなる笑みを浮かべた先輩は、細い目で観察しながら、問題を出してくる。俺は下を向いて考えるフリをする。自分の陰を睨んで、影を手で叩いて、抑えて。首を空に向ける。

 星空を見上げて、両腕を空に上げる。

「お手上げって?」

 両手を挙げたまま、頷く。

「詰んでる?」

「はい」

 手を降ろした。


「でもさ。このまま、元の世界に戻れなかったら死んじゃうよ」

「そりゃどうして?」

「えー。人間、生き物って飯食わないと死ぬじゃん。基本」

「でも。喉も乾かないし、お腹も空きません」

「それなぁ」

「そういえば眠くもない」

「ねー」

 じゃれあいながら、身の振りを案じる。

 眼の前の猫は俺を見ている。俺は一匹で鳴く。

「死んでも良くないすか」

「私達が?」

 猫の瞳孔が開く。

「いや、俺に限って言えば、はい……冗談です」

 先輩から、また目を逸らした。

 先輩は、暗に不正解を示した。自殺すれば、二十五年間無駄に、惰性で生きていた自分を裏切る事になる。勿体無い。

 けれど、こういうのは。事故によって死んでしまうのは仕方が無い。そう言い訳に出来る。

 不正解に理由をつけても意味が無いのに、不正解に言い訳を付随させる。

 先輩が死ぬ事。それははっきりと不正解だと思う。

 先輩が、社会で何を成しているかは知らない。知りたくもなかったけれど。

 毎日、仕事に出る先輩は社会に貢献しているはずだ。

 死ぬべきではない。

「先輩ってどういう仕事してました?」

「何してると思う?」

「先輩って何歳ですか?」

「忘れたの?」

「先輩ってどうして俺の面倒見るんです?」

「どうしてだろ?」

「先輩って──?」

「──?」

「質問に質問を返さないで」

「えー」


 先輩の人間性に感心して。俺と比べてしまって。

 結果。

 俺は死ぬべきだと思う。

 自殺、するべきだと思う。出来ないのを知っているから言える事だけど。


「先輩。これ、俺、夢想家で厨二病なんで、思っちゃうんですけど。この世界で死んだら元の世界に戻るとか無い?」

「夢想家?厨二病?笑えないんだけど」

 今泣いている気がする。涙は出ていないけれど。鼻に刺激が走るのを感じている。

「この世界で、『ゲームオーバー』が出たら、『タイトルに戻る』選択肢が、出てきたりして?」

 妄言を語っているが。今、この世界の正解を知らない。先輩ですら分からないと言っていた。調べる方法は無い。

「これは、妄想に近い、仮定です」

 鳴いて、俺は保険を付け加えた。













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