異種族NTR ~ネアンデルタール人の滅びた理由~

藍条森也

とどかなかった背中

 十数年ぶりに出会った親父は、すでに死体となっていた。

 冷え込みの厳しい、クリスマスのことだった。築何十年なのか考えてみる気にもなれないボロアパートの一室で。生涯を懸けて溜め込んだ古人類学の資料に包まれて。

 「満足だったのか、親父?」

 おれはペンを握ったまま小さな机の上に突っ伏して、冷たくなっている親父に向かって言った。

 「さんざん、好き放題やって、家族に迷惑かけて……それでも、こうして自分の研究をつづけるうちに死んだ。あんたにとっては、本懐だったのかも知れないな」

 親父は『嘘でも』古人類学者だった。そして、『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』という人類史のミステリーに取り憑かれた男だった。

 性格は奔放で、よく言えば純粋、普通に言えばただの子ども。本当に、虫取りに夢中になる一〇歳の子供がそのまま体だけおとなになったような人間だった。

 自分の研究に没頭し、家族のことなど気にもとめない。三流大学の助教授という安月給の身で『調査』と言っては世界中を飛びまわり、多額の金を使った。そして、借金を作った。そのたびに、お袋は尻ぬぐいに奔走ほんそうした。

 おれも、お袋に隠れて――おれにまで親父の借金を背負わせることにお袋が気兼ねしていたので――バイトをして、なんとか助けようとしてきた。

 しかし、結局、無理がたたったのだろう。お袋は三〇代の若さで死んでしまった。だが、親父は反省ひとつすることなく、それからも同じように自分の研究に没頭していた。残された息子であるおれの気持ちなど考えもせずに。

 そして、おれは親父とたもとをわかった。

 ――もう二度と会うことはない。

 そう思い、家を出たのだ。

 おれは親父を憎んでいた。

 恨んでいた。

 それなのに、気がついてみれば親父と同じ古人類学の道に進んでいた。親父と同じように『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』という謎の解明に取り組んでいた。

 そして先日、親父から唐突に連絡があった。

 「見せたいものがある」

 親父からのメッセージはただ、それだけ。

 なんのつもりで連絡をよこしたのかはわからない。なぜ、おれが会いに行く気になったのかもわからない。おそらくは単に『魔が差した』というやつなのだろう。

 ともかく、おれは親父の知らせてきた住所に向かった。かつて住んでいた家などとっくに引き払い、ボロアパートの一室でひとり暮らしだった。

 そして、おれがそのアパートにやってきたときには親父はすでに死んでいた。

 のう溢血いっけつだった。

 ヒーターどころか小さなストーブひとつ、コタツひとつない冷え切った部屋のなか。そんな部屋で日々、浴びるように酒を飲んでいたせいらしい。親父の死についてとくに感慨かんがいはなかった。ただ、

 ――あんたらしいな。

 そう思っただけだった。

 とにかく、死体を発見してしまった以上、警察に通報しないわけにもいかない。

 おれはすぐに警察に連絡した。死因に怪しい点はなく、おれも――一応、取り調べは受けたとは言え――とくに疑われることもなく死後手続きは簡単に済んだ。

 しっかりと、少なからぬ借金を残してくれていたことには殺してやりたくなったが。

 残された荷物――そのほとんどが古人類学の資料。それ以外は服がほんの二、三枚――を引き取り、アパートとの契約を解除した。

 その荷物のなかに一片の手記があった。親父が記したものだ。その表面にはおれ宛の旨が記してあった。

 「……まさか、人生初のクリスマス・プレゼントのつもりだったのか?」

 親父が人生の最後におれに見せたかったもの。親父の古人類学者としての研究の集大成であり、生涯の研究テーマであった『ネアンデルタール人はなぜ、滅んだのか?』という人類史のミステリーに対する親父なりの回答だった。


 『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか? この問いは、実は不完全だ』


 その書きだしてはじまる手記を、おれは読むともなく読みはじめた。


 『この問いは、正確には『ホモ・サピエンスは生き残ったのになぜ、ネアンデルタール人だけが滅びたのか?』というものだ。問いの前半は当たり前すぎて誰もが切り捨ててしまう。だが、もし、それが当たり前でなかったら? ホモ・サピエンスもネアンデルタール人と一緒に滅んでいたら?

 その場合、『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』などという問いは成立しない。

 当時のヨーロッパはヒトが生きられる環境ではなかった。

 それで終わりだ。

 これを読んだお前はきっと、こう言うだろう。

 「サピエンスが滅びなかったことははっきりしているだろう。滅びなかったからこそ、おれたちはいま、ここにいるんだ」

 一見、もっともな答えだ。

 しかし、サピエンスはネアンデルタール人とはちがい、世界中に広く分布していた。おれが言っているのはあくまでもネアンデルタール人と同じ時代、同じ地域に住んでいたサピエンス集団のことだ。つまり、四~五万年ほど前のヨーロッパに住んでいたサピエンス集団、と言う意味だ。

 もし、この時期にサピエンスと言わず、ネアンデルタール人と言わず、ヨーロッパに住んでいたヒトがすべて死に絶え、一〇〇年ぐらいしてから新しいサピエンス集団がやってきてヨーロッパ中に広まったのだとしても、いまの古人類学の精度では区別など出来ない。結果だけを見ればネアンデルタール人だけが滅び、サピエンスは生きのこったように見えるだろう。

 だが、当時のヨーロッパに住んでいたサピエンス集団が生きのこったという明白な証拠があるわけではない。逆に、滅亡を示唆しさする状況証拠なら幾つも存在する。

 第一に、おれたちのなかにはネアンデルタール人の遺伝子が残っている。サピエンスとネアンデルタール人は交配していたのだ。だが、その交配は中東で行われたものだ。ヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人の遺伝子は現生人類のなかには残っていない。現代ヨーロッパ人のなかにさえな。これは、ネアンデルタール人と同じ時期、同じ地域に住んでいたサピエンス集団が現代まで存続していないことを示している。

 事実、約四万年前のヨーロッパに住んでいたサピエンス集団のなかに、ネアンデルタール人の遺伝子を色濃く受け継いだ個体が発見されている。しかし、この集団の遺伝子は現代ヨーロッパ人には受け継がれていない。子孫を残すことなく滅びた集団だった。

 さらに、当時のヨーロッパにおけるサピエンスの石器文化はきれいさっぱり消えてなくなりその後、オーリニャック文化が広まっている。一度、ヨーロッパに住んでいたサピエンス集団が滅びたあと、オーリニャック文化をもった新集団が入りこみ、無人の野となったヨーロッパに広まった。

 そう考えればきれいに説明がつく。

 これだけの状況証拠があれば、その時、その場にいたサピエンス集団がネアンデルタール人と共に滅んだという推論には十分だ。

 しかしだ。やはり、納得出来ん。新参者のサピエンス集団が過酷な環境に耐えきれず、滅んだことはわかる。しかし、ネアンデルタール人はちがう。すでに何十万年もの間、ヨーロッパで生き抜いてきた強者たちだ。その連中が滅んだからには、そのときならではの理由があったはずだ。その理由こそがホモ・サピエンスの集団、そのなかの女たちと言うわけだ』


 「女たちだと?」

 おれは思わず、声に出してそう言っていた。ネアンデルタール人の滅亡とサピエンスの女たち。そこに、どんな関係があると言うのか?


 『現代人のなかにネアンデルタール人の遺伝子があることを見つけ出したスヴァンテ・ペーボの研究によれば、遺伝子の流入はネアンデルタール人からサピエンス、つまり、ネアンデルタール人の男とサピエンスの女という形で行われたという結果が出ている。そして、人間の女は身分の低い男の子など宿しはしない。

 白人の奴隷主は黒人奴隷の女を当たり前にはらませたが、白人の女は黒人奴隷の子を宿したりはしなかった。当時のヒトも同じ習性をもっていたなら、ネアンデルタール人の男とサピエンスの女という組み合わせは、ネアンデルタール人の方が優位に立っていたことを示している。

 おそらくはだ。サピエンスの女たちは同族の男たちよりもたくましく、環境のことを知り尽くしているネアンデルタール人の男に、自らよっていったのだ。自分自身が生きのこる確率を高めるために。

 そうして、ネアンデルタール人は男たちをサピエンスの女たちに寝取られた。そのために充分な数の子孫を残せなくなり、滅びさったというわけだ。そしてまた、女たちに捨てられたサピエンス集団も滅び去った。

 どうだ、愉快だろう!

 サピエンスはネアンデルタール人の男たちを寝取ることで自分たちよりも強力だったネアンデルタール人を滅亡の道連れにしたのだ。そして、他の地域で生きていたサピエンス集団が広まり、覇権を握った!

 『傾国の美女』とは言うが、これはまさに『傾種の美女』だ!』


 親父の手記はそこで終わっていた。

 酒をあおりながら上機嫌で馬鹿笑いしている。

 そんな姿が目に浮かぶような最後だった。

 「……これが、あんたが生涯を懸けて取り組んだミステリーの答え、と言うわけか」

 おれは、親父の手記を閉じた。

 「……生涯を懸けてたどり着いた答えが、こんなポルノ染みた代物だとはな。つくづく、人生を無駄にしたな」

 そして、おれは、親父の手記を棚の奥深くにしまい込んだ。


 それから、長い月日がたった。

 おれは古人類学者として研究をつづけた。

 結婚して、子供も生まれ、その子どもたちが成長して孫が生まれた。そしていま、定年の時を迎えた。今日は同僚や交配、教え子たちが家に集まり、子や孫と一緒にささやかに祝ってくれた。

 そして、おれはいま部屋でひとり、酒の入ったグラスを傾けながら人生の余韻に浸っている。

 「……結局、おれは親父の背中を追ってきたんだな」

 この歳になってようやく、そのことを認められるようになった。

 憎んでいた親父。

 恨んでいた親父。

 それはまちがいない。

 だが、同時に憧れてもいた。

 結婚しようが、子供が生まれようが関係なく生涯、子どものまま、やりたい放題を貫いたその奔放な生き様に。だからこそ、おれは親父の背中を追い、同じ古人類学者となり、同じように『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』という謎を追ってきた。しかし――。

 「結局、親父の背中には届かなかったな」

 おれは親父の死後も『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』という謎に取り組みつづけた。調べればしらべるほど『親父の言っていたことは正しかったのではないか?』と思うようになった。親父はもしかしたら本当に『ネアンデルタール人はなぜ、滅びたのか?』という人類史のミステリーに正解を見出していたのかも知れない。

 そう思った。

 だが――。

 おれはその思いを発表することはなかった。おれには妻も子もいた。こんなポルノまがいの奇説を発表してキャリアを台無しにするわけには行かなかった。

 無意識のうちに親父の背中を追いかけて、追いかけて、そして、とうとう追いつけなかった。届かなかった。おれには、親父のような奔放な生き方は出来なかった。

 だが、それでいい。

 届かなかったからこそ、おれはいまこうして人並みの幸せを得て、黒冬――人生が終わり、死して蘇る時期――を迎えているのだから。

 逆に言うと、あの背中が目の前にあったからこそ、おれは自分を律し、道を踏み外すことなくやってこれたのかも知れない。

 そう。

 おれの目の前には常に親父の背中があった。

 決して届かない、追いつくことの出来ない背中が。

 子どもで、自分勝手で、家族にとっては迷惑以外のなにものでもなかった親父。だが――。

 おれはひとり、酒の入ったグラスを掲げた。

 「かんぱいだ、親父」

                  完   




※参考文献

 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』 スヴァンテ・ペーボ著 野中香方子訳 文藝春秋刊

 『交雑する人類』 デイヴィット・ライク 日向やよい訳 NHK出版刊

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