ジャスミンを眠るあなたに

入江 涼子

第1話

 昼間に微睡むあなたにジャスミンを贈ろうか。


 そう思い立った私は庭に向かう。

 私は夫と二人暮らしだ。今日は夫も仕事が休みで家にいる。日曜日だからかな。

 夫は名をジェインと言って金色の髪に淡い青の瞳の美男子だ。ジェインは昼寝をしている。カウチでうとうとしているので起こさないようにそっと外に出た。

 真夏なので空は青く澄んでいた。ジェインにあげる用のジャスミンの花をとってこようとさくさくと芝生を踏みしめながら歩く。

 鋏と籠を持って花壇に近づくとジャスミンをたくさん刈り取る。籠にいっぱい入れて中に戻った。

 甘くそれでいて落ち着いた香りが鼻腔に入り心地よい気分にさせてくれる。ジェインはまだ寝ていた。

 花瓶をキッチンから取ってきてジャスミンの花を活けた。たちまち、香りが部屋に充満する。

 それをカウチの脇にある机に置いた。籠の中にある残ったジャスミンは茎の部分に紐を巻いて壁に吊るしておく。ドライフラワーにするためだ。

 鋏を片付けたりする内に時間は経っていた。ジェインが起きてきたようで私は様子を見に行った。伸びをしていた彼と目が合う。

「あら。ジェイン、起きたのね」

「…まあな。それより、レイチェル。甘い香りがするな。これで目が覚めたんだ」

 ジェインが尋ねてきたので私は答えた。

「ああ。甘い香りというと。ついさっき、庭にジャスミンの花が咲いていたからとってきたの。机に置いてあるのがそうよ」

「あれ。本当だ。レイチェルがとってきたのか」

「そうよ。綺麗でしょ?」

 私が問うとジェインはそうだなと笑った。

「けど、ジャスミンの花を活けるなんて珍しいな。いつもはしないのに」

「その。気が向いたからかしら。それでとってきたの」

「ふうん。だったらいいけど」

 ジェインはそう言いながら私の癖っ毛の髪を撫でてきた。私は淡い茶色の髪に黒い瞳で目立たない。おとなしく引っ込み思案だから余計にダメだった。

 ジェインは髪を撫でるとカウチから立ち上がった。そのまま、キッチンに行ってしまう。私は彼の座っていたカウチの隣にある椅子に座る。顔が熱く火照っていた。それを手で触りながらふうとため息をつく。

「不意打ちだわ…」

 そう呟きながら私は窓ガラス超しに見える空を眺めたのだった。



 少し経ってからジェインは戻ってきた。相変わらず、リビングにいる私を見て驚いたように目を見張る。

「あれ、レイチェル。こんな所にまだいたんだ。キッチンに来ないからどうしたのかと思った」

「ジェインこそキッチンで何してたの?」

「…俺はコーヒーを淹れに行ってたんだよ。レイチェルもお腹減っただろ。サンドイッチを作っといたからキッチンに来いよ」

 私はそれを聞いてお腹がくうと鳴っているのに気づいた。仕方なくジェインに言われた通りにキッチンに向かう。

 ジェインも一緒に来たので手を繋いだ。嫌がらないのでそのまま少しの間だけ、甘い一時を楽しんだのだった。キッチンに入り私は椅子に座る。机の上にはジェインお手製のサンドイッチが皿に盛り付けて置かれていた。

「うわあ。おいしそう」

「誉めたって何にも出ないけど」

 ぶっきらぼうに言われたが気にしないで一つを手に取る。サンドイッチのパンに挟んであるのはしゃきしゃきのレタスとマヨネーズで和えたツナだ。もう一種類はマヨネーズで同じく和えた細かく刻んだゆで卵とハムだった。私が取ったのはツナの方でマヨネーズがまろやかでおいしい。レタスも歯ごたえがありなかなかだ。

 ジェインはコーヒーを飲みながらゆで卵の方を摘まんでいる。二人して黙々と食べた。私の分のコーヒー、カフェオレもありそれを最後に飲んだ。

「ごちそうさま」

 笑いながら言うとジェインは嬉しそうに笑う。

「全部食べられたな。レイチェル、最近は夏バテでごはんを残す時があっただろう。心配してたんだ」

「あ、気づいてたんだ。そうなの。私、夏バテがひどくて。今日はサンドイッチであっさりしてたから食べやすかったわ」

「ならよかった。けど、昼間だってのにジャスミンを庭にとりに行ったのには驚いたよ。あんまり無理はしないでくれよな」

 ジェインは真面目な顔になって言った。私はわかったと頷いた。

「ごめん。今後は気をつけます」

「わかったんならいいよ。そうだな、後片付けは俺がしておくから。レイチェルは寝てきな」

「…わかった。そうさせてもらうわ」

 私は頷いて椅子から立ち上がる。ジェインにお礼を言ってから寝室に向かったのだった。



 私は寝室で一時間ほど昼寝をした。けど、強い吐き気と目眩に驚き、すぐにお手洗いに直行する。少し経ってからお手洗いを出て手を洗い、顔もついでに洗った。少し、気分はすっきりした。

 どうしていきなりこんな症状が出たのだろう。そう思いながら洗面所を出る。ジェインが心配そうにしながら廊下にいた。

「レイチェル。いきなり、お手洗いに飛び込んでいったから驚いたよ。どうしたんだ?」

「…ジェイン。その、私にもわからなくて。いきなり、吐き気と目眩がしたの」

「吐き気と目眩だって?!」

 ジェインは目を丸くしながら私に近寄る。

「確かに顔色が悪いな。こうしちゃいられない。医者を呼ぼう!」

「え。ジェイン?」

「レイチェル。吐き気と目眩といったら何か病気かもしれない。とりあえず、医者に診てもらった方がいいよ」

 そうねと言いながら私も医者を呼ぶ事に賛成したのだった。



 その後、ジェインが町に住む医者を呼びにいってくれた。中年の女医で白いものが混じった髪を一まとめにして眼鏡をかけた人だ。名前をミスクーリエといい、私やジェインもお世話になっている先生だった。

「今日はどうしました?レイチェルさん」

 ミスクーリエが尋ねてくる。私はついさっき、強い吐き気と目眩、後は夏バテがひどくて食欲がない事を順を追って説明した。ミスクーリエはふむと頷きながら熱を測ったり聴診器で心臓の音を聞いたりして調べ始めた。舌を出して診てもらったりした後でミスクーリエは考えこんだ。

「…レイチェルさん。強い吐き気と目眩に後、体温計で体温を測ってもらいましたね。微熱があったから。あなたは妊娠していますよ。おめでとう」

 ミスクーリエは優しく微笑みながら告げた。私はいきなりの事に唖然としてしまう。ジェインは寝室の外にいるのでいない。ミスクーリエの顔を凝視してしまった。

「先生、本当なんですか?」

「ええ。妊娠三ヶ月ですよ」

 ミスクーリエは私の問いに頷きながら答えた。あまりの事に驚くも喜んだ私だった。



 ミスクーリエは病気ではないから薬はいらないと言った。代わりに食べやすい食事の内容などをわかりやすくジェインと私に説明してくれてこれには感謝してもしきれない。その後で彼女は帰っていき、寝室でそれを見送った。

「それにしたってまさか、レイチェルが妊娠していたとはな。道理で体調が良くなかったんだな」

「そうみたいね。けど、まだ何だか頭がぼんやりするわ。しばらく寝ていていいかしら?」

「ああいいよ。ゆっくり休んだらいい」

 ありがとうと言って私はベットに横になる。私が眠りにつくまでジェインは髪を撫でてくれていた。



 あれから、半年が経って私のお腹も大きくなっていた。臨月が近くなりジェインも仕事を早めに切り上げて家に帰ってくるようになった。

「レイチェル。もう後半月もしたら赤ちゃんが生まれるな」

「そうね。赤ちゃんが生まれたら大忙しになるわ」

 二人して笑いあう。手を繋いだ。ジェインの手の温もりが私をほっとさせてくれる。

「レイチェル。赤ちゃんはどっちだと思う?」

「うーん。もしかすると男の子かも。お腹の蹴り方が元気だから」

「へえ。じゃあ、俺の名前を真似てジェフというのはどうだ?」

 ジェインがどう?といった感じで尋ねてくる。

「そうね。男の子だったらジェフで女の子だったら私の名前をもじってミシェルでどうかしら?」

「いいな。じゃあ、どっちに生まれてもいいように両方を用意しておこう」

「それでいいと思うわ」

 私は頷くとジェインに笑いかけた。彼も満足そうに笑ったのだった。




 あれから、半月が経って私は臨月になった。お産は一晩近く続き、難産といえた。それでも赤ちゃんは元気に生まれた。驚いた事に双子で女の子と男の子だ。姉はミシェルで弟はジェフと名付けられた。

 二人も一気に生まれたのてジェインは驚き半分、喜び半分だ。私も双子とのミスクーリエの言葉に驚いた。あ、ミスクーリエは産婆の経験も豊富で私の母と近所の奥様の三人でお産の処置などをしてくれたのだ。

 そんな彼女も女の子と男の子の双子は珍しいと驚いていた。そんなこんなで私は二人の子持ちになった。

 ミシェルはおとなしくジェフはやんちゃで二人は私たち夫婦のそれぞれの性格を受け継いでいる。ジェインはミシェルとジェフにめろめろで毎日、抱っこと額のキスを欠かさない。時折、ジェインの両親と私の両親が様子を見に来てくれるようになった。姉一家やジェインの兄夫婦も同じくだ。

 今日も私の母が父と一緒に様子を見に来てくれた。

「…レイチェル。ミシェルとジェフの様子はどう?」

 母がそう尋ねてきた。私は二人に紅茶と茶菓子を出して椅子に座る。首を傾げながら答えた。

「そうね。ミシェルとジェフは夜泣きがひどくて。最近は眠れていないの。ジェインが代わりにあやしてくれるから助かっているけど」

「あら、そうなの。レイチェルも大変ね」

「うん。大変だわ」

 頷くと母は紅茶を一口飲んだ。父もふむと言いながら茶菓子を摘まむ。

「レイチェル。迷惑かもしれんが母さんに今日からそうだな。一週間くらいはこちらに泊まってもらったらどうだ?」

 父が提案をしてくる。私は驚きながら母を見た。

「そうね。それがいいわ。父さんには悪いけど一週間ぐらいだったらなんとか空いてるし。レイチェルん家に泊まるわ」

「母さん。ごめん」

 謝ると母はいいのよと言ってころころと笑った。



 その後、母は泊まる準備をしてくると言って実家に一旦、父と帰っていった。私は子供部屋にいるミシェルとジェフの様子を見に行く。二人はよく寝ておりミルクやおむつ替えの必要はないと判断した。そっと部屋を出た。そうして、夕方になりジェインが帰ってきた。

「ただいま。何か、今日お義父さんから電話があってね。お義母さんがうちに泊まりに来るんだって?」

「ええ。そうよ。母さんがミシェルたちの夜泣きがひどいと言ったら泊まると言ってくれて。今夜にでも来るとの事だったけど」

「ふうん。まあ、お義母さんが来てくれるのは助かるけど。部屋はどうするんだ?」

 ジェインに聞かれて私はそうねと考え込んだ。

「…とりあえず、使ってない部屋があるからそこを片付けて簡単に掃除はしておいたの。そこを使ってもらおうかなと思っているんだけど」

「ならいいよ。お義母さんはいつ来る?」

「後もう少ししたら来ると思うわ」

 そう言って私はキッチンに向かう。ジェインと自分用のスープとパン、サラダに鶏肉のスパイス焼きを皿に盛り付けた。それらを手で持って運んだ。机に並べてはキッチンに戻りを三回ほど繰り返した。

「お、鶏肉のスパイス焼きか。うまそうだな」

「今日は母さんが鶏肉をお土産に持ってきてくれて。スパイスで焼いてみたの」

「ふうん。じゃあ、早速いただくとするか」

 ジェインは既に手洗いや着替えをすませており椅子に座った。私も同じようにして食事を始める。自分で作っておいてあれだけどスープと鶏肉のスパイス焼きがおいしかった。二人して舌鼓を打ったのだった。



 夜になって母さんが一人で我が家に大きなカバンを二つ持ってやってきた。私とジェインが出迎えて母さんの荷物を持ってあげる。掃除しておいた部屋にそれを置いてから母さんに夕食を勧めた。

「あらいいの?じゃあ、ご馳走になるわ」

 母さんは嬉しそうにしながら私の使っている椅子に早速座った。私はキッチンに行ってパンなどを持ってくる。

「いい香りね。昼間に持ってきた鶏肉で何か作ったの?」

「うん。スパイス焼きにしてみたのよ。食べてみて」

 そう言いながら机に置いた。ジェインも手伝ってくれる。全てを置くと母さんはスプーンを持って食事を始めた。

「スープはあっさりしているわね」

 一人で呟きながらスープを口に運んだ。鶏肉のスパイス焼きは母さんにも好評だった。

「レイチェル。料理の腕を上げたわね。やるじゃないの」

「へへ。ありがとう」

 お礼を言った後でオギャアと双子の泣く声が聞こえた。

「あらあら。ミシェルもジェフも目が覚めたみたいね。見てくるわ」

「ありがとう。お願いね」

「任せておきなさい」

 母さんは双子のいる子供部屋に向かった。私はそれを見送って食器を片付けたのだった。


 一週間の間、母さんは夜泣きやお昼の世話などをよく手伝い、ミルクの入れ方からげっぷのさせ方のコツなどを教えてくれた。とてもためになるのでメモをした程だ。さすがに姉と私を育てただけはある。

「いい?レイチェル、粉ミルクを入れる時は人肌ほどの温かさにするの。赤ちゃんが飲みやすい温度だから覚えておいて」

「わかった」

 頷きながら紙にメモをした。母さんに教わりながら双子の世話をこなしている。以前よりは慣れてきたように思う。

 母さんは揺りかごの中で眠るミシェルとジェフを優しい笑顔で眺める。

「ミシェルはレイチェルによく似ているわね。ふわふわの茶色の髪はそっくりだわ。目はジェインさん似ね」

「え。母さん、よく見ているわね」

「ふふ。それくらいはわかるわよ。ジェフは完璧にジェインさんにそっくりだわ」

 確かにと頷く。春の日差しが穏やかに降り注ぐ。私は揺りかごの中の子供たちの頭を撫でてあげた。

 いつか、私はこの子たちの他にも子宝に恵まれるだろう。そうしたら、またジャスミンの花冠でも贈ってあげようか。

 そう思いながら笑いかけたのだった。

 終わり

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