【ショートストーリー】無貌

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】無貌


 私はいつものように目覚めた。

 軽くあくびをし、のびをして、いつものように珈琲を入れた。

 珈琲を飲みながら新聞を読み始めた。

 今日も世界はくだらないニュースで溢れている。

 そこでふと気がついた。

 私は誰だ?

 まったく記憶がない。

 名前も職業も年齢も……。

 そこでさらに気がついた。

 私はどんな顔をしている?

 まったく思い出せなかった。

 周囲を見渡した。

 鏡がない。少しでも自分を映すようなガラスもない。

 まるで入念にとりのぞかれたように。

 私はあわてて洗面所に行った。やはり鏡はなかった。

 浴室に入った。やはり鏡はなかった。

 私は自分の顔がわからないことがたまらなく不安に思えた。

 1分1秒でも早くこの状況を切り抜けたいと思った。

「そうだ!」 

 私は思いついた。

 外に出よう。

 外にいけばきっと鏡はあるはずだ。

 私は外に出た。

 私の家以外、何もなかった。

 荒涼とした砂漠が広がっていた。

 それは果てしなく、どこにも人の気配がしなかった。

 私は絶望した。

 と、同時に私は気づいた。

 私は先ほど「いつものように」目覚めた。

 そして軽くあくびをし、のびをして、「いつものように」珈琲を入れた。

「いつものように」だ。

 記憶の端緒がそこにあった。

「いつものように」ということは、私はそれを毎日繰り返していたということだ。

 繰り返していた、という記憶はあるのに、それ以外の記憶がまったくない。

 まるで土台のない建物のようだ。

 私は自分の顔を求めて彷徨い歩いた。

 もうどのぐらい歩いただろう?

 疲れ果てた私は、やがてオアシスを見つけた。

 私は喜び勇んで、オアシスの中央にある湖に走り寄った。

 そしてゆっくりと湖面を覗き込んだ。

 清らかな水面に私の顔が映った。

 最初は怖くて目を瞑っていた。

 しかしおそるおそる薄目をあけた。

 ……初めて自分の顔を見たが、思っていたような顔ではなかった。

 見慣れない顔だった。

 記憶が消える前に知っていた顔ではなかった。

 記憶がないにもかかわらず、なぜかそれだけははっきり判った。

 私は湖面に映った自分の顔を見つめ、その意味を理解しようとした。

 自分の姿を眺めていると、複雑な感情が押し寄せてきた。

 過去の自分を失った悲しみ、現在の自分に対する戸惑い、そしてこの発見が答えにつながるかもしれないという希望の光があった。

 私は映った自分の顔を入念に観察し続け、顔のすべての曲線、すべての線を確認した。

 目の奥行き、鼻の形、唇の微笑み。

 謎と可能性を秘めた顔だった。

 その瞬間、私の中で何かが変わった。

 過去にこだわったり、現在に囚われたりするのではなく、未知のものを受け入れよう、と。

 自分のアイデンティティは、外見や過去の経験だけで定義されるものではないことに気づいたのだ。

 それは自分の選択であり、自分が目指す未来だった。

 オアシスを後にした私は、この何も指標のない世界で、自分自身の新しい物語を作ろうと決意した。


 砂漠の中を歩く私。

 他には誰もいない。

 私は歩き続ける。

 私はふと疑問に思った。


 この無人の世界で、誰が、毎日、私に新聞を届けてくれたのだろう? と。


(了)

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【ショートストーリー】無貌 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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