~終わり~ まだ大丈夫

「俺、会社、辞めます」


 そう言ってリヒトが差し出した辞表を、鈴木は悪態を突きながら受け取り握りつぶす。

 ふざけやがってどれだけ迷惑かけたと思っているんだ、そう簡単に辞められると思うなよ、お前の実家まで行って両親を土下座させてやる―。

 ぶつぶつ、ねちねち。いつも聞かされてきた言葉。


 俺は澄ました顔で、辞表を握り締めた鈴木の手を取ると思いっきり引っ張り、バランスを崩した鈴木の顔面に拳を叩き込む。

 あの時、地球を消し去ったパンチと同じか、それ以上の強さで。

 まともに俺の拳をくらった鈴木は変な声を上げて倒れこむ。

 殴った音は、意外なほどに澄んでいて、俺の心を晴らしていく。


「初めからこうしておけばよかったんだ」


 清々とした表情でそう呟き、胸を張ってリヒトはオフィスの外へと足を向ける。

 あの時、もう一つだけリヒトはまひろに願いを伝えていた。


『今度、俺が生きる世界は、俺がパワハラ上司を殴っても許される世界にして欲しい』


 ―都合のいい願いだなあ。


 そう言いながらも気のいい神様は嫌な顔ひとつせずにうなずいてくれた。


 ―私の願いも聞いてよね?創造主との戦いでリヒトにはうんと頑張ってもらうから。


 きっとこれからリヒトは神様にこき使われるのだろう。もしかしたら死ぬような目にも遭うのかもしれない。でも後悔はない。人は生まれて、死ぬ。それだけなら、せめて、自分が納得できるように生きたい。

 大丈夫。世界を美しいと感じることができるなら、きっと自分はまだ大丈夫。

 そう思いながら、リヒトは新緑が映える川沿いの道を走っていく。

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まひろ@かみさま の勘違い 日出 隆 @takataka2

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