1人目
鎌が少しずつ振り上げられていくのを生きる屍だけが見上げている。
自分以外の誰にもその美しい刃が見えていないのはもうわかっていた。
それが振り下ろされたその時がこのつまらない人生の幕引きとなるのを否応なく信じさせる程の迫力があった。乾いた心に久々にピリリとした恐怖感が染み渡り、知らず目が潤んでいた。
本当は上げようともしてない悲鳴を上げようとして、鳴らす気のない喉を鳴らそうとして、自分を騙して冷や汗をかいて、その瞬間を待っていた。
そして刃の先に吸い付いていた、終わりを乞うように見上げていた眼が…その視界の隅に映ったものの不快さが、死神にノイズをもたらした。
俺の目が捉えたのはなんのことはない、乗車率100%超えの電車ならばよく見る光景だった。しかし、すぐに興味を失う俺とは対象に死神は動きを止め、じっとそれを見ている。
痴漢。それもかなり大胆にやっているが周りは気づいていないようだ。いや、面倒で放っているもののほうが多いか。なにせ今日は4月1日。乗っている者たちは皆、他人のことを考える余裕のない、緊張の面持ちの若人が多い。普段なら差し伸べられたかもしれない救いの手は、残念ながら今日は望めなさそうだ。
そう思っていたとき、あれだけ動かなかった首が死神によって強引に曲げられた。
突然のことに驚いて、鎌はどこに行ったのかとかなぜ感触がしっかりしてるのかとか一体何をする気なのかとかそういう疑問が頭の中を駆け巡ったが、痴漢の当事者たちの顔がちらりと見えたときに弾け飛んだ。
女子高生だろうか?着ている制服も肩に掛けているバックもやけに新しい。しきりに車内の電光掲示板を見ているのは降りる駅を間違えないためなのかもしれない。弄られはじめてからすでに何回か停車しているだろうに降りていないのは時間が不安だからだろうか。降りたらもう間に合わないと思っているのかもしれないし、事実そうなのかもしれない。楽しみにしていた始業式に。
彼女は泣いていた。声を押し殺して静かに。その目はもう先程の俺と同様に、彷徨うことをやめ、絶望を映していた。
死神が笑う。笑ったような気が、した。
続いてたった今首元に鎌がかけられた男を見る。普通だ。中肉中背。人相は良くも悪くもなくて、顔は不自然なくらいの無表情。楽しそうには見えないが、その心中を知りたいとは思わないし、顔も二度と見たくなかったし、こんな男なんかが俺よりも世界に必要だとは思わなかった。
今度は確信がある。なにせもう体が動く。死神の顔がはっきりとその眼中に収められる。
死神が、笑っている。
1人目はさえないサラリーマン。
その首が電車の中で跳んだ。
月と6センス(仮タイトル) @oyasuminasare
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