もう一度、君と待ち合わせ

青樹空良

もう一度、君と待ち合わせ

 彼女は今、どこにいるんだろう?

 僕はそわそわと腕時計を見る。

 一体、何回時間を確認しただろう。

 もう約束の時間を30分も過ぎている。

 ため息を吐いて、空を仰ぐ。


「振られたかな……」


 肩を落として呟く。

 そんなの信じたくない。

 ぶらりと入った喫茶店で、僕は彼女に一目惚れした。

 それから何度も何度も、その喫茶店に通い詰めた。もちろん、彼女の姿を見るために。

 そして、ようやく勇気を出してデートに誘うことが出来たんだ。

 最初は驚いた彼女だったけど、俯きながらも顔を赤らめて頷いてくれたんだ。

 そんな初めてのデート。


「待ち合わせ場所、合ってるよなあ……」


 駅前の時計の下で待ち合わせ。

 だったはずなんだ。

 何か理由があるのかもしれない。

 彼女が来ないなんて、そんなはずは無いんだ!


「……ごめんなさい! 遅れちゃって」


 頭を抱えた僕の耳に、聞き間違えるはずのない声が飛び込んできた。

 息を切らせた彼女が、僕に向かって必死そうに走ってくる。

 その場にへたり込みそうに、彼女は僕の前で止った。


「バスが、遅れちゃって。ごめんなさい!」

「ううん。大丈夫。全然、うん!」


 彼女が来てくれたのなら、もうそれでいい。

 帰ろうかな、なんて一瞬でも思ったのが馬鹿みたいだ。


「もう帰っちゃってるかと思った。でも、待っててくれたなんて……」

「当たり前だよ。今日のデート、すごく楽しみにしてたんだから」


 思わず声に出してしまった言葉に、彼女がパッと笑顔になる。

 そしてもじもじと下を向いてから、言った。


「実は、私も……。だから、待っててくれて本当に良かった」


 彼女の言葉に、さっきまでの不安なんか完全に吹っ飛んでいた。




 ◇ ◇ ◇




『迷子のお知らせを致します。○○からお越しの、△△ちゃん。案内所でお父さんがお待ちです。お心当たりの方は、案内所までお願いします』


 僕はそわそわと落ち着かなかった。

 だって、心配だ。

 親子三人でデパートに来たまではいい。

 別の売り場を見たいからと、妻と娘が二人で行動すると言ったのも女同士の方が見やすいかな、なんて思った。

 僕も一人で見たいものがあったから。

 そして、この時間になったら待ち合わせしようと場所もちゃんと決めておいた。

 それなのに、二人は時間を過ぎても現れなかった。

 こんなことなら、どこを見るのかちゃんと聞いておけばよかった。

 案内所の前で僕は周りをきょろきょろと見回す。

 どこへ行ってしまったんだろう。

 このまま会えなかったらどうしよう。

 そして、


「パパー!」


 軽い足音が近付いてくる。

 娘だ!

 よたよたとおぼつかない足取りで走ってくる。

 僕は思わず駆けだした。

 そんなに走ると転びそうで怖い。

 案の定、僕のすぐ近くで前につんのんめってしまった。


「危ないっ!」


 まだ小さな娘が、僕の腕の中に収まる。

 僕は娘を抱きしめる。

 ああ、会えて本当によかった。


「どこ行ってたんだ。心配したんだぞ」


 それなのに、娘はむっとして僕のことを見てくる。


「もう、あなたってばどこ行ってたの?」


 顔を上げると、妻が立っていた。


「待ち合わせの場所に全然来なくて、心配してたんだから」

「そうだよー。パパ、まいごー」

「え、え?」

「大時計の下で待ち合わせって言ったでしょ?」

「え、ああ。確かに僕も大時計の前に……」

「おかしいわね。あ、あなたもしかして、銀色の時計の前にいた?」

「うん、そうだけど」

「それは大時計じゃなくて、大時計は金色で……、もう!」

「ご、ごめん」


 どうやら、僕が間違えていたらしい。


「でも、会えてよかったわ。大人に迷子放送なんてするわけにもいかないし。そうだわ。案内所の方にもお礼を言ってこなくちゃ」


 妻は案内所の人に頭を下げている。

 僕は、なんだか落ち込んでいる。


「あー、パパがぶじでよかった」


 きゅっと手をつないだ娘が言う。


「ママねー、すごくしんぱいしてたんだよ。パパになにかあったらどうしようって。だからね、はしってここまできたんだよ」


 そうだ。

 娘が走ってきたことにばかり気を取られていたけれど、さっき妻は息を切らせていたっけ。

 初めてのデートの待ち合わせの時と同じように。

 最近、子どものことばかりで僕のことなんか気にしていないなんて、思っていたけど……。

 妻の後ろ姿を見ながら、ちょっと嬉しくなる。




 ◇ ◇ ◇




『今どこにいる?』


 僕はスマホの画面に打ち込む。

 LINE、というやつだ。

 最初はこんなもの操作できないと思ったけれど、慣れてしまえば楽なものだ。

 手つきがもどかしいと、娘にはまだ言われるけれど。

 昔はこっちが色々教える方だったのに、気付けばいつの間にか逆転している。


『まだ婦人服売り場です』


 少ししてから、妻から返事がきた。

 便利になったものだ。

 昔は外で連絡なんて取れなかった。

 待ち合わせはもちろん、一緒に出掛けてもはぐれたら会うのは一苦労だった。

 今はスマホなんてものがあるからすぐに連絡を取ることが出来る。

 携帯電話が出来て、外で電話が出来るなんて便利だと思っていたら、あっという間に通信手段なんか進化してしまった。

 そして、当たり前のものになってしまった。

 婦人服売り場に向かうと、妻が僕を待っていた。

 探し回ったり、走り回ったりしなくても、当たり前のように会うことが出来た。


「欲しい本は見つかった?」

「ああ」


 僕は抱えていた紙袋を見せる。

 一緒に買い物に行ってもそれぞれが好きな売り場を見て、後で合流する。なんてことも簡単にできる。


「よかった。ねえねえ、これ、どっちがいいと思う?」

「そうだなあ……」


 妻の持つ二種類の服を見て、僕はうーんと唸る。


「どっちも可愛いと思うなあ」

「もう、あなたったら可愛いなんて。こんなお婆ちゃんに向かって」

「でも本当に似合うんだからいいじゃないか」

「あら。じゃあ、どっちも買おうかしら」

「そうしなよ」


 妻はにこにこと目尻に皺を寄せる。




 ◇ ◇ ◇




「君は今どこにいるんだろうね」


 僕は呟く。

 青く晴れた空の下。


「おじいちゃん、だれにはなしかけてるの?」


 墓石の前でしゃがみこむ僕の隣で、孫娘が不思議そうに首をかしげる。


「ああ、おばあちゃんに話し掛けていたんだよ」

「おばあちゃん? ここにいるの?」

「そうだよ~。今はね。この下でおばあちゃん、おねんねしてるんだよ」


 そう言ったのは娘だ。


「ほら、おてて合わせて~」


 いつの間にか、すっかり母親の顔になってしまった。

 娘の言ったとおり、君はこの下に眠っている、はずだ。

 だけど、本当にそうだろうか?

 こんな土の下に、君が本当にいるんだろうか?

 ついこの間まで、隣にいたのに。

 スマホには君の連絡先が、今でも残っているのに。

 電話しても、LINEを送っても、もう君には届かない。

 もちろん、迷子放送だって。

 もう、全部届かない。

 こんなにも通信手段が進化したというのに、君にはもう届かないなんて。

 なんだか、おかしい。


「じゃあ、そろそろ行こっか、お父さん」


 娘に言われて立ち上がる。


「おじいちゃん、いこー」

「ああ」


 歩き出そうとして僕は、もう一度墓石へとふり返る。


 今は届かなくても。

 君は待っていてくれるだろうか。

 初めてデートをしたあの時のように。

 今度は、あの世で待ち合わせ。

 連絡できないのは、あの時と同じだけど。

 いつかその日が来たら。


「今度は僕が走って行くからね」


 スマホなんか無くても、きっと見つけてみせるから。

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もう一度、君と待ち合わせ 青樹空良 @aoki-akira

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