第5話 再起を誓う悪役令嬢

 視界に異常なく、体に大きな痛みはない。もぞもぞと体を動かしてみたが、手も足もちゃんとついていた。


「どうして?」


 頭に逆に疑問が浮かぶ。あの瞬間、確実に毒を盛られて殺されたと思った。うかうかと秘密に近付き、ルーナを脅した自分を排除しようとする動きは、極めて自然なものだと納得すらしていた。


 それなのに、何故五体満足でいられる。生きている喜びよりも、その不思議が私の頭をいっぱいに満たしていた。


 不意に扉が開く音がして、私はそちらを振り返る。横手にあった両開きの扉から、ディアスを筆頭に十人ほどの男女がどやどやと入ってきた。


「やあ、目が覚めたようだね」


 ディアスが声をかけてくる。私は無言で彼の整った顔をにらんだ。よく見ると、背後に控えている男女も、タイプは違えど若くて美男美女ぞろいである。


「……無様な姿をさらした私を、よってたかって笑いに来たんですか」

「違うよ。そういう風に感情的になるのは良くないね」


 ディアスは微笑むが、私は警戒を崩さない。なんとか逃げ出すことはできないかと思ったが、不思議なことにこの部屋には窓がなく、出入り口はディアスたちが入ってきた扉だけだった。


「そういう君の目ざといところは嫌いじゃないな。飲み物のことだって気をつけていたし。でも、ちょっと惜しかったね。結局、君は薬入りの飲み物を口にしてしまった」

「……私がバーカウンターで違う飲み物を取ったことも、気付いていたんですね。でもどうやって薬を入れた飲み物を、私に取らせたんですか?」


 リベルタ水にしようと私が決めたのはたまたまだ。それを予期して、似たグラスに薬を入れておくことなどできないはず。そう主張すると、ディアスはますます楽しそうな顔になった。


「思考を読む魔法でも使ったんですか?」

「いや、それはとても高度なことさ。少なくとも僕が使ったのは、もっと簡単な……トリックともいえない代物だよ。あのバーカウンターにあった飲み物には、全てに薬が入っていたというだけさ」


 種明かしをされれば、こんなに単純な話もなかった。ディアスは最初から私を絶対に捕らえるつもりで、会場を丸ごと支配していたのだ。


 憎々しげにディアスを見つめる私を見て、周囲から笑い声とさざめきがあがった。


「気が強い子だね」

「あら、私はそのくらいの方が好きよ」

「誰もあんたの好みは聞いてないだろ……」


 台詞が脳に染み渡るにつれ、私の脳裏には恐ろしい想像が浮かんだ。もしかした

ら、これから奴隷として売られてしまうのでは、と。


 奴隷。一切の自由がなく、ただ主の望むままに生きる存在。主が働き手の増加を望めば結婚・出産が許されているが、それだって奴隷同士でなければできない。そして生まれた子も奴隷になる。


 教育もまともな医療も与えられず、働けなくなったらゴミのようにまとめて閑地に埋められるだけ。そうやって死んだ奴隷の姿を、何回も見てきた。──そんな目に遭うくらいなら、いっそその前に死んでしまいたい。


 私は大きく息を吸った。奥歯のところに、致死量の毒薬が仕込んである。噛み砕きさえすれば、さほどの時間をかけずに命を絶てるはずだ。……拷問に備えて準備したものだが、やっぱり役に立ってしまったか。


「やめたまえ、アーシア。己の秘密を命がけで守ろうとする君の姿は美しいが、君を失うのは僕の本意ではないのでね」


 次の瞬間、私の前身に白い茨の蔓が巻き付いた。そこに触れたところから、みるみる力が失われていくのを感じる。拘束魔法──それもかなり高度で、強力な代物

だ。ディアスにこんな魔力があったとは知らなかった。


「僕たちの正体、君は知りたがっていたね。その力を試してみたくて、たまらなかったのかな? あれだけ厳重にしていた封じを突破する能力者がいるとは思わなかった。自分では気付いていないかもしれないが……アーシア、君は天才なんだよ。間違いなく」


 ディアスは何かに取り憑かれたように語る。私に関して何か勘違いしている予感がしていたが、私の舌は口腔内に張り付いたまま動かなかった。


「君がにらんだ通り、僕たちは学内で秘密結社を結成している。遊びじゃなく、王家

の依頼も受ける正式な組織さ」

「王家……ですって……」


 そんなことがあるはずがない。中級貴族は王室主催の式典に出席したとしても、遥かに末席のはず。王族と会話することさえ困難な状況なのに、そこから依頼を受けることなど考えられない。


「ああ、そうか。表向きは中級貴族としか言ってないからね。僕はもともと、王家の

人間だよ。もちろん本妻の子じゃなくて、妾の一人の子だけど」


 あまりの衝撃で顎が外れそうになっている私に向かって、ディアスはさらに続ける。


「それならもっといい学校、いや、そもそも家庭教師になるのかな。外に出て学ぶ意味はあまりない。僕が外にいるのは、下級・中級貴族や民衆に反乱の種が育っていないか、監視する仕事をいただいているからさ。ここにいる他の皆も上級貴族の二子・三子以降で、親から同じ仕事を言いつけられている」


 ディアスが視線を向けると、後ろの面々もうなずいた。


「知っての通り、うちの国は世界の嫌われ者だ。国内の経済格差も大きい。今のところは軍隊で鎮圧しているけれど、火種はどこからも湧いてくるものでね。それを早急に嗅ぎつけ、消化する人間はどうしても必要なのさ。──アーシア、僕は君にも同じ仕事をして欲しいと思っている」

「そんな」


 こんなクソみたいな王制を維持する一翼となれ、と言われていることに気付き、私は身震いをした。冗談じゃない。


 ちょっと税の徴収が遅れたからと言って村をいくつも焼き、その様子を王が笑いながら見ていたという話を聞いた。近隣から若くて美しい娘をさらって、飽きたら殺して野山に捨てている現場も見た。


 ふざけるな。ここを何事もなく卒業して、国の外に出られるようになったら、絶対に逃げ出してやる。そう心に決めていたからこそ、黙って優等生ぶり、裏で密かに実力をつけようとしていたのに。


「震えるか……君は、責任の重さをきちんと自覚しているんだね。そう、王族の名を背負うということは非常に重大なこと。それを分かっているからこそ、僕は君を誘うんだよ」


 しかし私の内心などちっとも知らないディアスは、とんでもないことを言い出した。お前のスカした顔の穴という穴にワサビ詰めてやろうか、と私は怒りにわななく。しかし、縛めはますますきつく閉まってきて、抜け出せる様子は一向になかった。


 それにディアスはここまで素性を誰にも明かしていない。白状したということは、仲間に入らないと言おうものなら、秘密保持のためにあっさり殺されてしまうだろう。


「どうだろう。返事を聞かせてもらえるかな?」


 拘束が緩み、私の体に少しだけ力が戻ってきた。今ならぎりぎり、奥歯の毒を噛み砕くくらいの力はあるだろう。


 しかし私は、そうする代わりにこう答えた。


「……どこまで役に立てるか分かりませんが、ご指導よろしくお願いします」

「うん、素直だ。実によろしい」


 拘束が解けて、私は床に倒れる。毛足の長い絨毯の触感を頬に受けながら、近寄ってくる人間の声を聞いていた。


 仕方無い、表面上は従おう。だが、このまま体よく王権のために利用され続けるなんてまっぴらだ。他国に売れるほどの情報を得て、必ずこの狭苦しい国から脱出してやる。私はそう決めていた。


 そのための戦いはすでに始まっている。まずはこの組織の人間関係を把握し、ディアスに代わって牛耳ってやる。そして王族に近付き、より重要度の高い情報が行き交う空間に身を置く。全てはそこからだ。


「ディアスも手ひどくやったわね。さ、甘い物でも飲んで元気出しなさい」


 妖艶な美女が、血のように赤い酒を注いだグラスを差し出してきた。私はそれを飲み干すと、空中に向かって息を吐く。その様子を見て、ディアスとルーナは意味深な笑みを浮かべていた。




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悪役モブに転生してしまったので、情報を握って逆転を狙います 刀綱一實 @sitina77

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