第22話「これからの関係」

ライアンの宣言通り、ブルックス家から正式に縁談の申し込みが来た。

父はライアンが相手なら何も問題は無い、むしろ安心だと反対する気は一切ないようで、断らないだろう?とまで言ってのけた。


断る理由は確かに無い。

所謂優良物件というやつだろうし、気心知れている相手でもある。先日本人とよくよく話し合った結果、夫婦としてやっていく事は出来る、という結論が出されていた。


「庭であれだけ情熱的な二人きりの時間を過ごせるんだ。何も心配いらないな」


にんまりと笑う父を前に、膝から崩れ落ちたのは言うまでもない。


そういうわけで、エレノアとライアンは幼馴染から婚約者という関係に変わったのである。その幸せな知らせは、新聞で大きく取り沙汰された。


—歌声を取り戻した金糸雀、若き主に見初められる


そんな見出しには眉根を寄せたが、内容自体は祝福しているような内容だった。

その新聞を読んだらしい知り合いたちからは、続々と祝福の手紙が届いたし、ライアンも同じらしい。


「何故私にも教えてくださらないのですか!」


目の前でふんふんと憤りを隠せていないシャーロットは、興奮に目元をうっすらと赤く染めている。

バーンズ家にお茶をしにきたエレノアは、案内された客間でシャーロットに詰め寄られている所だった。


「ご、ごめんなさい…でも本当に急に決まった話なのよ」


どうどう、落ち着け。

両手を顔の前に出し、落ち着いてくれとシャーロットに向ける。まだ納得いかない様子のシャーロットだったが、お茶を一口飲み込んで、今度はエレノアの隣に視線を移した。


「ブルックス様ならお似合いだと思いますけれど…僭越ながら、我が兄との恋路を応援しておりましたのよ?」

「それはどうも…申し訳ない事を」


じとりと面白くなさそうな顔を向けるシャーロットに、ライアンは苦笑いで返す。

シャーロットは本気で自分の兄と上手い事くっ付いてくれたら、どんなに素敵だろうと考えていたらしい。

兄とは違い、エヴァンズ家の資産がどうだとか、そんな事は一切考えておらず、純粋にエレノアとディランはお似合いだと思っていたらしかった。


「折角エレノア様と姉妹になれると思っておりましたのに」

「気が早かったんじゃないかなあ…」


あははと笑いながら、ライアンは静かにお茶を啜る。正直エヴァンズ家やブルックス家で使っている茶葉よりも劣っているが、シャーロットはこれを普段から飲んでいるのだろう。折角出して貰ったものだし、ここは何も言わず飲んでおく方が良さそうだが、どうにも香りが弱く飲みなれない。


「申し訳ないけれど、エリーは俺の婚約者なんでね。君のお兄さんには譲ってやれないな」


にっこりと微笑みながら、ライアンはテーブルの上でしっかりとエレノアの手を握りしめる。

顔を赤くしながらそれを見つめるシャーロットは、分かっていますと小さく溜息を吐いた。


「それにしても、エレノア様の声を初めてお聞きしましたが…とてもお美しい声ですのね」

「歌ってる時はもっと綺麗なんだ。機会があったら是非聞いてやって」

「ちょっと、何でライアンが返事するのよ」

「悪い、つい」


もう普通に話せるのにと唇を尖らせるエレノアに、ライアンは悪かったと微笑む。

完全に二人の世界を作り出しているエレノアとライアンの前で、シャーロットは少々気まずそうな顔をした。


「申し訳ない、遅くなりました」


客間の扉が開かれる。エレノアが来るからとディランにも声はかけたとシャーロットは言っていたが、仕事があって少し遅れると聞いていた。

蝶板がギギギと鈍い音を立てているが、手入れをする使用人はいないのだろうか。


穏やかに微笑みながら部屋に現れたディランは、エレノアの隣で威嚇するように睨みつけてくるライアンにも「どうも」と挨拶をする。


妹の隣に座ると、慣れた手付きで自分のお茶を注ぎ始めた。自分でお茶を淹れるなんてと目を見張るエレノアに気付いたのか、ディランは少し恥ずかしそうに笑った。


「前にも言ったでしょう。我が家はあまり裕福ではないと。出来る事は出来るだけ自分でやるのが我が家流です」

「お兄様…そんな事をお話したのですか?」

「隠していても、どうせすぐに知れてしまうだろう?」


困り顔を妹に向けているが、その話をされた時はエレノアを愛しているわけではないという話も同時にされた事を思い出し、エレノアは渋い顔をしながら黙ってお茶を啜る。


「正直、婚約者が俺以外の男と仲良くしているのはあまり面白くないんですが…まあ、俺は寛大な男でありたいと思っているんですよ」


にっこりと微笑み、偉そうに椅子に踏ん反り返るライアンは、すっと目を細めてディランに声を掛けた。


「少々相談と言いますか…取引をしたくて貴方に会いたくてエリーに付いてきました」


最初から、何故お前もいるんだと言いたげな目を向けられていた事に気付いていたのだろう。ライアンはさっさと話を済ませたいのか、挨拶もそこそこに話を切り出すつもりらしい。


「次期当主は貴方だ。色々と調べさせていただきましたが、現当主であられる御父上よりも腕は良いとお見受けする」

「…何が言いたいのかな?」

「エリーから少し話は聞きました。エリーを愛しているわけではなく、エヴァンズ家の資産を目当てに近付いたと」


ライアンの言葉に、シャーロットは信じられないと言いたげな目を兄に向ける。

小刻みに震える唇が、今にも兄を罵ろうと開かれそうに見えた。


「エリー本人も、目的があって貴方に近付いたという負い目があるようでして。今日はそのお詫びがしたいと」

「お詫び…ですか。別に詫びてほしいとは思いませんよ。お互いに目的があって近付いた。そして互いに目的は果たされなかった。もうそれで良いでしょう?」


妹の前でこんな話をしてくれるなと不満げな顔をしながら、ディランはテーブルの上で手を組んだ。

ひりひりとした何かがこの空間に漂っているような気がした。ひやりと背中に嫌な汗が伝うような感覚に耐えながら、エレノアはじっとディランの顔を見つめる。


「実は結婚すると同時に、事業の拡大をしようと思っているんですよ」


画商であるブルックス家は、絵を売るだけではなく、画材を売ったり、人気の画家と契約し、絵の注文を比較的安く出来るようにしている会社でもある。


ライアンは、社長業を継いだ後にやりたい事がある。画家になりたい若人の為、学校を作りたいのだ。

幸いこの街は貿易商であるエヴァンズ家のお膝元であり、画材を輸入する事には困らない。

王都程栄えてはいないし、どちらかというと田舎ではあるが、その分落ち着いて学ぶ事は出来るだろう。


ただ、問題が一つだけあった。

学校を作る為の土地が無いのだ。元々この地は男爵家であるバーンズ家が多くの土地を所有している。その殆どは活用もされず、広い空き地になっているか、朽ちかけた小屋がある程度のものだ。土地を利用するだけの財力が既に男爵家にはない。


恐らくそう遠くないうちに売りに出されるのではと、ライアンは睨んでいた。


「俺は画家を育てる為の学校を作りたい。その為には土地が必要だ。だからバーンズ家の土地を買い取らせてもらいたい」

「…先祖代々の土地を売れと?」

「そうです。失礼ながら、バーンズ家の財政状況は宜しくないでしょう。土地を他者に売るとしても、何かと理由を付けて買い叩かれそうになっているのでは?」


余裕綽々と言った表情を向けるライアンに、ディランは苦い顔を向けた。恐らくその通りなのだろう。

荒れた土地を整地し、使い物になるようにするには金も時間もかかる。それを理由に少しでも安く買おうとしている者ばかりなのだと、ディランは細い声で話してくれた。


「言い値で買いますよ。勿論、常識的な価格ならば、の話ですが」

「はは…お話は大変ありがたいが、君はまだ御父上の跡を継いだわけではないのだろう?ならば、勝手に話を進められる立場に無いのでは?」

「そこはお気になさらず。このお話に必要な資金は当家がご用意いたします」


話に割って入ったエレノアに、ディランは目を見開く。

隣に座っているシャーロットも、何を言っているんだと言いたげな顔をエレノアに向けた。二人の人間にじっと見つめられるのは少々居心地が悪いが、この話はきちんと父とライアンと共に決めたのだ。


「父から私への婚約祝いなのです。何でも一つ、好きな物を購入してくれると」

「何でもとは言っても、流石に土地は許可されないでしょう?」

「あら、何でもと言ったのは父ですわ。選ぶ品物の指定も、値段の上限も決めなかったのは父ですもの。私は言葉の通り、欲しい物を強請っているだけです」


呆れ顔のディランと、目をぱちぱちと瞬かせるシャーロットは顔を見合わせる。

互いに悪い話ではない筈だ。

ブルックス家は土地が手に入る。バーンズ家は土地を売る事にはなるが、纏まった金が手に入る。エヴァンズ家はもう少し先の話にはなるが、新しく作った学校で使う教材や物品の取引を優先的に行う事になっている。契約書も既に作成し、あとは土地を購入次第サインするだけだ。


「この話を受けて頂けるのであれば、妹君の縁談はお断りになれるのでは?」


とどめとばかりに、ライアンは静かに言葉を落とす。

びくりと震えたシャーロットの肩。真っ青な顔をしている理由は、既にエレノアも知っている。親よりも年上の男からの縁談が来ているのだ。

随分と金持ちだが女癖が悪く、若い妻を迎え入れる為ならばいくらでも金を出す。だが、飽きてしまえば何かと言いがかりをつけて離縁し、また新しい妻を娶るような男らしい。


そんな男に妹を嫁がせるわけにはいかないと、ディランはエレノアに近付いたのだ。その目論見が失敗に終わった今、家の為に妹を下衆に嫁がせなければならないと頭を抱えていた。


「…話がうますぎる」

「ええ、自分ならこんな話には飛びつきません。ですが、これはエリーからの心ばかりの謝罪です。目的の為に近付き、利用しようとした事への」

「ですから、謝罪は必要ないと言っているんです。利用しようとしたのは此方も同じなのですから」


情けをかけてくれるなと頑なだが、その目には迷いを感じた。

ちらちらとエレノアを見ては、時折隣で小さく俯いている妹に視線を向けているディランの姿は、差し出された手に縋りつきたいと言っているように見えた。


「ディラン様、もし本当にこのお話がお嫌なのであれば、無理にとは言いません。ですが、私は本当に、貴方方お二人とお友達でありたいのです。筆談なんて面倒な事をしている女に、演技だとしても優しくしてくれた。それがとても嬉しかったから」


ぽつぽつと言葉を紡ぐエレノアに、ディランは困惑した表情を向けた。シャーロットも同じようにエレノアを見つめ、膝の上で拳を握りしめる。


「それから、このお話は私からのお詫びというのも本当ですが、夫になるライアンと、ブルックス家の事業拡大の足掛かりなのです。ただの商談として聞いてくださいませ」

「でも…お友達にお金を出していただいてまでこの家に縋りつくわけには…」

「シャーロットさん、これはただの商談です。我々は土地が欲しい。その為に一番手に入り易そうで使い勝手の良い土地を持っているバーンズ家次期当主であるディラン様にお話をしに来たの。お友達どうこうという話ではないわ」


まっすぐに見つめるエレノアの瞳に、シャーロットは顔を覆う。

ごめんなさいと何度も小さく詫びている声が聞こえたが、謝るべきは自分の方だと、エレノアは小さく唇を噛んだ。

シャーロットと仲良くなれた事は嬉しい。あわよくば良い人を紹介してほしいなんて思っていたが、彼女は純粋にお友達として接してくれていたのに、それが嬉しかったのに、兄であるディランを利用しようとしたのだ。それがずっと、心の何処かに棘のように刺さっていた。


「何故、当主である父ではなく私に?」

「商才は貴方の方がありそうだから、ですかね」

「…確かに、父はこういう話は苦手ですからね」


苦笑したディランは覚悟を決めたのだろう。

このうますぎる話に乗り、妹の縁談を断って、手に入った金で家の財政状況を少しでも改善する覚悟が。


「書類を用意します。少しお待ちください」

「いくらでもお待ちしますよ」


にっこりと笑ったライアンが、小さくカップを掲げた。


◆◆◆


「いやあ…何とかなりそうで良かった。ありがとうエリー」

「私は何もしてないわ。むしろ、お詫びになっているのか分からないくらいなんだけれど」


しっかりと現当主である男爵のサインも書かれた書類を機嫌よさげに眺めているライアンに、エレノアは微妙な顔を向ける。

帰りの馬車の中で二人きりになってすぐ、エレノアは涙を流しながら何度も「ありがとう」と礼を言うシャーロットの顔を思い出していた。


ディランはシャーロットに呪いの話はしていないのか、何があったのか分からないが、これからも是非友人としてお茶をしてほしい、結婚式にも呼んでもらえたらこんなに幸せな事は無い。どうか幸せになってほしい。

ぼろぼろと涙を零しながら必死で言葉にしてくれたシャーロットは、最後に一つお願いをしてくれた。


「お友達と言ってくださるのなら、どうかシャーリーとお呼びになって」


そのお願いに、エレノアはすぐさま頷いた。

「どうか私の事も、エリーと呼んで」と。


これから先、暫くの間あの兄妹とは微妙な関係になるだろう。

商談という体にはなっているが、友人に助けてもらったという意識はあの二人から消えていない様子だったのだから。


「きっとそのうち、とても良い友人になれるよ。シャーロットだっけ?あの子はお喋りが好きなんだろう?それなら、エリーも退屈しない」

「シャーリーが遠くにお嫁に行かない事を願ってるわ」

「うちの屋敷に越して来たら、サンルームに少し手を入れようか。エリーの好みにして良いよ。友達を沢山呼ぶと良い」


まだ式の日程は決まっていないが、既にエレノアがブルックス邸で生活する為の準備は始まっている。

歌う為にピアノを新調しただとか、良い調律師を探さなくちゃだとか、時々屋敷でパーティーを開いて、そこで歌ってほしいだとか、楽しそうにあれこれ想像して話すライアンの顔は穏やかだ。


「ねえライアン」

「うん?」

「話したい事が沢山あるの」

「うん。いくらでも話そう」

「時間が足りないわ。朝から晩まで、いくらでも話せるんだもの」


がらがらと車輪の音を聞きながら、エレノアはそっと微笑む。

口を閉ざしていた約二年の間、話したい事が沢山あった。これから先の未来の事も、沢山話したいし相談したい。


「俺の金糸雀はお喋りだ」


そう笑ったライアンは、正面に座るエレノアの手を取って唇を落とす。

そのまましっかりと手を握り、エヴァンズ邸の前に着くまでその手は離れない。


エレノアの脳裏に、部屋に飾られた二羽の金糸雀の絵が思い浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

声を奪われた令嬢は愛を求めている 高宮咲 @takamiya_saku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ