第21話「押し殺していた想い」
呪いを解いてもらえる事をずっと望んでいた。
金糸雀と謳われた自慢の声が恋しかった。
心から愛してくれる男にキスをしてもらうのが呪いを解く為の条件だと言われ、目的の為にディラン・バーンズに近付いた。
残念ながら初めてのキスでは呪いは解けなかった。それどころか、その相手であるディランには「愛しているのは貴女の家の財産」とまで言われる始末。
自分も目的があって、下心を隠して近付いていたとはいえ、その言われようは少々悔しく惨めだった。
相変わらずディランとは手紙のやり取りをしているし、妹であるシャーロットともやり取りはしている。
つい昨日出した二人宛の手紙に「声が出るようになりました」と書いたばかりだ。
きっと次に届く手紙には、何がどうしてだとか、おめでとうだとか、色々書いてくれるのだろう。
「エリー、おはよう」
「おはよう、ライアン」
ひらりと手を振りながら、ライアンはいつものように庭先に顔を出した。
朝食も済ませ、午前中の用事を済ませた頃になると現れると知っているエレノアは、何となくライアンが現れるような気がして庭で待っていたのだ。
「お仕事は良いの?」
「王都まで行ってたんだ。少しくらい休暇を貰っても良いと思わないか?」
「それで次期当主が務まるのかしら」
「今の当主は親父だから」
へらりと笑うライアンの機嫌は良さそうだ。エレノアの呪いが解けてからまだ二日。暫く声を出さない生活をしていたせいで、まだ長い時間話していると疲れてしまうエレノアの為に、ライアンはリハビリと称してお茶に誘ってくれる。
キスをした事は、互いに何も言っていない。ただ「呪いが解けて良かった」と話しただけで、幼馴染同士でキスをして、そのおかげで呪いが解けたという話題には持って行かない。
正直言って恥ずかしいのだ。
ただの幼馴染として接してきたし、ライアンも同じようにしてくれていると思っていた。ただ気付いてしまったライアンへの恋心を自覚すると、何だか顔を見て話している事すら照れ臭かった。
—彼ってこんな感じだったかしら
ふとそんな事を考えながら、エレノアは隣に立って花を見ているライアンの横顔を盗み見る。
自分よりも頭一つ分以上高い背丈。目を引く容姿をしているわけでは無い筈なのだが、焦げ茶色の瞳に見下ろされ、優しく微笑まれるだけで心臓が跳ねた。
「どうした?」
「別に!…何でも無いわ」
「そうか?体調悪いなら無理するなよ」
ぽんぽんと背中を叩かれ気遣われるのは嬉しい。だが、触れられた部分が異様に熱い気がする。ドキドキと煩い心臓を落ち着かせようと静かに深呼吸を繰り返してみるのだが、様子の可笑しいエレノアを見下ろすライアンは、面白そうにそれを見て笑った。
「あのな、あれは呪いを解く為にやった事で、そんなに気にされてると流石に俺も照れ臭いんだけど」
ぽりぽりと自分の頬を掻きながら言うライアンだったが、呪いを解くための条件はライアンも知っている筈だ。
—愛してるよ。
あの日耳元で囁かれたあの声が、ふいに鼓膜に蘇る。
少し掠れたあの声は、本当に今目の前で照れ臭そうに笑っている彼の声だったのだろうか。
そっと重ねられた唇の、あの柔らかくしっとりとした感触が忘れられない。夜ベッドに潜り込み目を閉じると、ふいに思い出すのだ。
その度に自分の唇に指先を添え、恥ずかしさでどうにかなりそうになりながら足をばたつかせている。
そんな状態になっている事を、目の前のこの男が知らない事が何だか腹立たしい。
彼にとっては一度のキスなんて大した事では無いのだろう。自分はあのたった一度のキスで身悶えする程恥ずかしい思いをしているというのに。
「何だか腹立たしいわ」
「何が?」
「気にしているのが私だけだからよ」
むすっと拗ねたように唇を尖らせるエレノアに、ライアンはぱちくりと目を瞬かせる。
笑いを噛み殺しながら、だが堪えきれずに少しだけ笑いながら、ライアンはエレノアを手招きする。
すぐ傍のベンチにエレノアを座らせると、ライアンはすぐ隣に座った。
暫し笑いを堪え、少しして漸く落ち着いたのか、ライアンはふうと小さく息を吐いてからエレノアに向き直る。
「俺が言った事、覚えてるか?」
真面目な顔をしているライアンを見つめながら、「見慣れない顔をしているな」なんてぼんやりと考える。こくりと小さく頷くと、ライアンはそっとエレノアの手を取った。
「子供の頃から、エリーの事が好きだったんだ。本当は、呪われてすぐにキスする気でいた。でもエリーは俺に頼りたくなかっただろ?」
ぽつぽつと語るライアンは、懐かしい記憶を辿るように目を閉じる。
その顔は穏やかで、口元はゆったりと弧を描く。まるで子供に寝物語を聞かせるような声色に、エレノアの心臓は徐々に落ち着きを取り戻していた。
「幼馴染でいて欲しいのかなと思って、本当にギリギリまで待つつもりだったんだ」
十八歳の誕生日の当日、その日に呪いが解けていなければ、泣いて嫌がられてもキスをするつもりだった。
ただの幼馴染としてでも良いから、ずっと傍に居たかった。
そう語るライアンが、ゆっくりと目を開く。焦げ茶色の瞳に映るエレノアの顔は、真っ赤に染まり上がっていた。
「でも、バーンズの坊ちゃんとキスしたって聞いて、我慢出来なかった。こんなに愛しているのに、どうして俺じゃ駄目なんだって」
切なげな、苦しそうな声を出すライアンに、エレノアの胸が締め付けられる。
そんな顔をしないでほしい。苦しそうな声で、そんな事を言わないでほしかった。
こんな顔をさせているのも、こんな声を出させているのも自分だと分かっている。
目を逸らしていたのだ。彼はあくまで幼馴染で、いつかは離れて別々の道を歩いて行かなければならないのだから。
そんな相手に、呪いを解いてほしい愛してほしいなんて言える筈も無い。言うつもりもなかった。
心のどこかで期待していた。もしも彼に愛してもらえたらなんて夢物語を。
彼がいつまでも恋人の一人も作らないのは、自分を愛してくれているからなのではないかと。
ただの憐れみ、幼馴染だから傍に居てくれるのだと言い聞かせてみても、もしかしたらを考え期待した。
それを否定し、考えないようにしてきた結果がディラン・バーンズに愛してもらうという事だった。
「もう言葉にしちまったし、キスもしたから俺がエリーに抱いてる気持ちは分かってくれるよな?」
ぎゅっと握られた手をどうすれば良いのだろう。
困惑しながらその手を見つめても、エレノアは言葉を紡ぐ事が出来ない。
子供の頃から好きだったと言ってもらえたのは嬉しい。愛していると言ってもらえたことも、キスで呪いが解けた事から本当の事だと分かっている。
心の底から愛してくれる男。
この先ライアン以外にそんな男は現れないだろう。
「エリーが俺の事を幼馴染としか思っていなくても良い。でも俺がエリーを想っている事は知っていてほしいんだ」
そっと離れていく手。
大きくて温かい手が離れていくのが名残惜しい。
行かないで。そう言葉にする事くらい出来る筈なのに、引き攣ってしまった喉では何も言葉に出来なかった。
「とは言っても、俺は欲深いんでな。すんなり今まで通り、ただの幼馴染になるつもりは無いんだ」
「え…?」
「呪いも解けたし、俺の気持ちが本物だって分かっただろ?それに、俺も流石にそろそろ妻になってくれる人を探さなくちゃならない」
にんまりと笑うライアンが、そっとエレノアの顔にかかった髪に手を伸ばす。
陽の光を浴びて輝くエレノアの髪を唇に寄せ、不敵に笑うライアンの顔は、見た事の無い男の顔だった。
カッと顔が熱くなる。何をしているんだと動揺し、動く事もままならないままぱくぱくと口を動かすエレノアに、ライアンは不敵な顔を向けるままだ。
「今度改めて、親父から正式に縁談を申し込む。きっとおじさんも俺相手なら反対はしないだろ?」
貴族の娘にとって、結婚とは親に決められた相手とするものだ。
実際父もどれだけディランと親しくなっても、結婚相手として認めないというような事を言っていた。
相手が次期男爵だとしても、我が家にとって何もメリットが無いから。
だがブルックス家なら話は別だ。
画商の息子であるライアンは、次期社長として教育され現在も修行中。商才もあるし顔も広いし、今後更に事業を広げていくだろう。
そうなれば、商家であるエヴァンズ家は金銭的な援助は元より、仕事の取引先としても重宝するだろう。
互いの家の子供たちが夫婦となれば、互いに必ず益がある。しかも幼馴染ともなれば気心もしれているし、親同士の仲も悪くない。
これ以上の良い話があるだろうか。いや、無いだろう。
「…待って、ちょっと待って」
「何だよ」
「私たち幼馴染なのよ?子供の頃から一緒で、一緒に遊んだりお昼寝したり…大喧嘩したり色々してきたのに」
「だから?」
「結婚したら今までしてこなかった事色々するんでしょう?無理よそんなの!」
顔を真っ赤にして訴えるエレノアに、ライアンは何が言いたいのだと首を傾げた。
子供の頃からずっと傍に居る相手なのだ。いくら愛しているとは言っても、夫婦となれば男女の関係になるのが当たり前。
「よ、夜を共にするとか…あるじゃない?」
「…ははっ、何言ってるんだ?ははは!」
げらげらと声を上げて笑うライアンに、エレノアはじろりと面白くなさそうな顔を向ける。そんなに笑わなくても良いじゃないか。こっちは真面目に言っているのに。そう言いたげな顔をしている事に気付いたのか、ライアンは目尻に溜まった涙を拭って「悪い」と小さく詫びた。
「つまり、俺がエリーを抱けるのかって話?」
「そ、んなに直接的な表現をされると…」
「でもそういう事だろ?」
けろっとした顔で言われてしまうと何も言えないが、要はそういう事だ。
キスは一度したが、夫婦になればそれ以上の事をする。子供を生むのはエレノアにとって人生で一番の大仕事なのだから。
「抱けるよ。いくらでも」
すっと真面目な顔をしたライアンは、真直ぐに視線をエレノアに向けて言う。
エレノアの喉がひゅっと鳴った。どくどくと煩い心臓の音。どうしよう、自分から言い出した話だが、何て事を聞いてしまったのだと今更ながら後悔した。
「エリーが許してくれるなら、今からでも部屋に連れ込んで朝まで部屋から出さないよ」
「ま、まだお昼前よ?」
「言っただろ、いくらでもって。朝には出してやるんだから、優しいと思って欲しいくらいだ」
ふふんと鼻を鳴らすライアンに、エレノアはもう降参だと掌を向けた。
さっきからライアンが幼馴染であると何度も頭の中で繰り返しているのだが、目の前にいるライアンがもう知らない男のように見えて仕方が無い。
「エリーは?」
「え?」
「エリーは、俺が夫じゃ嫌か?」
じっと見つめる瞳が少しも動かない。僅かに身を乗り出したライアンから逃げるように視線をうろつかせるのだが、答えはたった一つ、決まり切っていた。
「…嫌じゃ、ない」
絞り出した声は震えていた。きっとまた、顔は真っ赤に染まっているのだろう。
ちらりと視線をライアンに向けると、それはそれは嬉しそうな顔で笑っていた。
その顔がすぐ目の前に迫っていなければ、きっとこんなにも驚かずに済んだのだろう。
「幸せにするよ」
そう呟く声に返事をする時間はもらえなかった。
口を開く事すら許されず、塞がれた唇は何度も角度を変えて貪られる。呼吸をするという簡単な事も出来ない。
呼吸ってどうやってするんだっけ?
ぼんやりとそんな事を考えながら、嬉しそうに落とされる唇を受け入れるエレノアの手は、しっかりとライアンの袖を握りしめていた。
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