ルーティン

芳岡 海

ルーティン

 一定の歩幅と速度がリズムを刻む。朝の通りに人は少ない。この時間に歩くのは決まった顔ぶれで、そのほとんどをこちらは知っている。彼らもこちらを知っている。

 朝はルーティンの時間だ。ハプニングを期待するのは夜だ。

 歩きながらまずはかんたんなことから頭を働かせる。たとえばコーヒーをホットにするかアイスにするか。


 この通りで一番早くに開けるコーヒースタンドはもう開いている。おはようございます。店の若い男の子が言う。短髪でフチのないメガネをかけたその男の子が、どの曜日でもいつも立っている。違う顔はまだ二回しか見ていない。

 おはようと店の若い男の子に答える。コーヒーをアイスかホットで注文する。たまにはカフェラテのときもある。気分や天気や予定に合わせて選べばいい。決まったコーヒーに自分を合わせるんじゃない。自分を決まった状態に持っていく。ルーティンとはそういうことのためにある。

 店の若い男の子は真夏にホットコーヒーの注文を受けても、真冬にアイスアメリカ―ノを注文されても、それが今一番ぴったりだという顔を返してくれる。今日はこのあと雨らしいですね。男の子が言う。ありがとう、そうみたいだね。ホットコーヒーを受け取って答える。スタンドではドーナツとワッフルも売っているけれど、それが売れていくのはもっと遅い朝だ。


 一定の歩幅と速度でチェルシーブーツがリズムを刻む。なめしの段階でスコッチガードがされたスウェードを使っているから、この靴は雨でもへっちゃら。

 コーヒースタンドと同じくらい早くから開けているのは煙草屋。新聞も売っている。

 カウンターの窓の、ガラスの引き戸をノックする。壁の一面が商品の棚になったコンパクトな部屋の中から店主の女性が、ノックの音で顔を上げる。棚には煙草の箱。新聞紙は三社。他にスポーツ新聞。板ガムも置いてある。はい、おはようございます。店主の女性がカウンターのガラス戸を開けて言う。鼻の頭にメガネを乗せて、新聞を読んでいたのが見える。同じものを一部、煙草一箱と一緒に購入する。ありがとうございます。商売人特有の腰の低さで、慣れ合わないけれども年季の入った口調で言って、店主が商品を手渡してくれる。

 店の前で煙草を開けて火をつける。ようやくコーヒーに口をつける。

 煙草とコーヒーの芳香が頭を内側から目覚めさせる。ひとくち、ふたくちと吸う。コーヒーを飲む。もう朝だという気分と、まだ朝だという気分がそこから切り替わっていく。


 吸い終えたら信号を渡る。朝の通りに車は少ない。

 大通りに出る。通り沿いのビルの、上のほうだけに朝日が当たって、ビルをふちどって澄んだ黄色に光る。一定の歩幅と速度がリズムを刻む。わざとゆっくり歩く。わざわざ歩いているのだというように。甲の薄いシルエットのチェルシーブーツは横から見るとスポーツカーみたいにつんとしている。


 だんだんと頭の中を空気が通っていく。仕事場についてからのことを考え始める。朝のうちに送ってしまいたいお礼状が一件。十一時から会議。その前にかけたい電話が一本。確認事項が二つ、三つ。

 わざわざ自分の意思で来てやっているのだというようにわざとゆっくり歩く。だんだんと頭の中を空気が通っていく。コーヒーの芳香が染みこんでいく。朝が深まっていく。

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ルーティン 芳岡 海 @miyamakanan

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