ハイイロガラスが見つけた宝物

高田正人

ハイイロガラスが見つけた宝物



 急に何もかも嫌になって、俺は仕事を辞めてオーガスティンを去ることにした。

 オーガスティンは悪徳の街だ。以前は「灰色烏」というあだ名の盗賊ギルドのボスが取り仕切っていたが、今は「五本指」というギルドの連中が支配している。

 過去と縁を切った俺は、災害派遣協会のフィクサー(解決屋)になった。フィクサーは「大災禍」の対応が仕事だ。

 深淵から湧き出すモンスターたちは時に大群となり、肉の津波のように何もかもを破壊し、汚物で埋め尽くして通り過ぎていく。これが大災禍だ。俺の仕事は、一番過酷な被災地の清掃だった。



 イヴェット・チェンバレンに出会ったのは、俺が大都市カラブリアに派遣された時だった。

 まだ二十代初めで聖座教会騎兵隊の一つ、フランキスクス隊の隊長として任命された教会騎士。教皇庁の華、輝くばかりの美しさと信仰心を持った女性騎士。それがイヴェットだった。



 大災禍に見舞われたカラブリアは悲惨の一言に尽きた。

 モンスターの瘴気で腐った大地。がれきと化した街。

 泣き崩れる女性、呆然と立ち尽くす男性。親を探す子供、子供を失い半狂乱の親。道路に並べられた遺体。これが被災地の現実だ。

 その日も変わらず、俺は手押し車に不潔な汚泥を積んで、町はずれの大穴に捨てていた。


「私も、あなた方のお手伝いをさせていただけませんか?」


 背中に声がかけられたので振り返る。そこに立っていた女性の姿を見て、俺は目を疑った。

 珍しい女性騎士だった。長い金髪をなびかせ、気高そうで清楚で正義感にあふれていて――まあ騎士の鑑で、お姫様が騎士に扮装しているかのような姿だった。剣も鎧も高価そうだ。


「やめておけ。汚いし臭いし瘴気で肺を病むぞ。あんたみたいなお嬢さんは――」

「私たちは、カラブリアの民を助けに来ました。何もしないで帰ることは、教皇猊下と主に対する不忠です。どうか、お手伝いをさせてください」


 この女性騎士は、本気でカラブリアを救おうとして来たのだろう。彼女は使命感にあふれていた。だが、それに俺は嫉妬した。

 幼い日の記憶が疼く。大災禍で壊滅した故郷。生き残った俺たちは食料と水を奪い合った。もう限界だと思った時、ようやく災害派遣協会のフィクサーが到着した。

 後で、聖座教会の救助が遅かったのは、内部の派閥争いが原因だと知った。それ以来、教会には幻滅していた。

 故郷も家族も失い、ドブネズミのように生きてきた俺と、輝かしい女性騎士。その違いに、俺は妬みを感じていた。


「そうか。そこまで言うなら手伝ってもらおうか」


 俺は大穴に汚泥を捨てると、彼女を連れて以前は市場だった場所に戻った。そこは辺り一面汚物と粘液と腐肉で覆われている。


「この汚物を全部大穴に放り込んでから火をつける。それまで、ひたすらこれを運ばなくちゃいけない。じゃあ、手伝ってくれ」


 俺はそう言うと、シャベルを使い汚物を手押し車に乗せ始める。周りのフィクサーたちも黙々とそうしている。女性騎士は当惑した様子で俺を見た。


「どうした? 早くしてくれ」

「あの……私にもシャベルを下さいませんか?」


 当然だな。俺はわざとぶっきらぼうに言った。


「もう一本もないみたいだ。手で片づけてくれ」

「手で……」


 彼女は、モンスターの残した汚物の山を見て息をのむ。俺は畳みかけるように言葉を続けた。


「あんたの手はお祈りしかできないのか?」


 俺はそう言いつつ手を動かす。この繰り返しがこれから毎日続く。彼女はどうするだろうか。


「……分かりました」


 女性騎士は覚悟を決めた様子でうなずいた。そして何度かためらった後、悪臭を放つ汚泥に、美しい籠手で覆われた両手を突っ込んだ。


「うぐっ……!」


 汚物の中の膨れ上がったモンスターの死骸が破裂した。美しい鎧は飛び散った汚物で見るも無残な姿になり、きれいな金髪や整った顔に腐った粘液がべったりと付着した。すさまじい不快感だろう。


「おい……」

「気になさらないで……下さい」


 女性騎士はえずきながらも、両手で汚物をたっぷりとすくい取ると、手押し車の中に入れた。悪臭の中、髪から顔にまで汚物にまみれていく。

 そしてもう一度。今度は赤黒い腐肉の中に手を入れて、それをすくい取って手押し車の中に入れる。三度目。泡立った黄色い粘液をすくって手押し車の中に入れようとする。


「これは……何ですか?」


 俺は簡潔に答えた。


「モンスターの膿汁だ。蛆がわいているな」


 俺の一言が決壊の決め手だったらしい。


「おうぇえええっ! うぐぇえええっ!!」


 耳を塞ぎたくなるような苦鳴が響く。

 地べたにへたり込んで、彼女は激しく嘔吐し始めた。カラブリアに到着するなり、汚物の中に叩き込まれたんだから当然だ。

 美しいものを汚す快感が俺の胸の中にあった。女性騎士の華やかさに対する嫉妬から生まれた、醜い感情だ。

 けれども、うずくまって胃液を吐き続ける彼女を見て、さすがに俺は気の毒になって声をかけた。


「なあ……無理しないで帰ったらどうだ?」


 彼女はその言葉を聞くと肩を震わせ、ふらつく足で立ち上がった。


「い、いいえ。私は……続けます。続けさせてください……」


 口元を拭うと、女性騎士は汚物のところに戻っていく。そして目をつぶって手を押し込もうとする。見ていられなくなって、俺は彼女に自分のシャベルを突きつけた。


「分かった分かった。あんたは根性のある奴だな。これを使え」

「ですが……あなたのものです」

「あんたみたいな不慣れな奴が手ですくっても効率が悪い。さっさと使え」


 俺は無理やり彼女の手にシャベルを握らせ、自分は両手で汚泥をすくい上げた。どうせ俺は全身汚物まみれだ。今更どうってことはない。


「手伝うんだろ? ほら手を動かせ」

「は、はい! 分かりました!」


 女性騎士は慌ててシャベルで汚物をすくい上げ始める。


「あんた、名前はなんだ?」


 俺はつい彼女に尋ねた。


「イヴェット・チェンバレンと申します。フランキスクス隊の隊長を務めています。あなたは?」

「ウォーレス・フォスター。当分一緒に働く仲だ。名前くらいは覚えておく」

「はい。よろしくお願いします!」


 イヴェットはわずかに笑みを浮かべた。栄光ある聖座教会の騎士が、こんな地獄によく飛び込んできたものだ。



 正午になると、俺もイヴェットも汚物まみれだった。ガスマスクは、瘴気の一番濃いところで働く連中が使っているから、俺は顔を布で覆っている。

 鎧を脱ぎ、俺と同じように顔を布で覆ったイヴェットは痛々しい姿になっていた。下着にまで汚物が染み込んでいるだろう。可憐な女性騎士が、半日で底辺の労働者のようになってしまった。


「昼飯の時間だ、騎士さん。少し休むぞ」

「私はまだできます。あなたはお休みになられてください」

「あんたが倒れたらこっちが迷惑なんだよ。いいから休め。ここでは俺の方が先輩だぞ」

「では……お言葉に甘えて」


 イヴェットは顔の布を取り、大きく息をつく。シャベルを地面に突き刺し、座り込んでしまった。肉体的より、精神的に疲労困憊だったらしい。


「こんな地獄に来るなんて、あんたも不運だな。なにかの懲罰か?」

「いいえ。自らの意志です。しかし、カラブリアの現状を書面では知っていましたが、この悲惨さは想像以上でした」

「つまり、あんたたちは揃いも揃って世間知らずってことか」


 俺はイヴェットの隣に座った。彼女は俺の悪口にも怒らなかった。


「ええ、私たちはそうなのでしょうね」

「でも、あんたは逃げなかった。男でも泣いて逃げる汚物の山に、あんたみたいな世間知らずが立ち向かったんだ。それは認めてやるよ」

「そんなことは……」


 イヴェットは口ごもる。そしてしばらく黙った後で話し出した。


「私は教会騎士として、正義を執行し、信仰を尊ぶ日々を送ってきました。ですが、実際に大災禍で苦しむ人たちを助けたいと思い、隊員と共に来たのです。ウォーレスさん、何も知らない私をお使いくださり、ありがとうございます」

「ははっ。説教臭い物言いだな」


 俺は鼻で笑ったが、すぐに嫌な気分になった。イヴェットの澄んだ目を見ていると、自分の浅ましい部分を突きつけられる気がしたからだ。だから俺は立ち上がった。


「待ってろ。食事を持ってくる」


 俺はイヴェットを残して配給所に行き、列に並んでパンとスープを二人分受け取った。

 俺は汚物の真ん中でも飲み食いできるが、イヴェットはどうせ吐くだろう。イヴェットのところに戻ると、彼女は嬉しそうに俺から布にくるんだパンと、壺に入ったスープを受け取った。


「ありがとうございます。私のような部外者に……」

「気にするな。ここで働けるなら誰でも歓迎だ」


 すると、イヴェットは俺の手を取った。


「なんだ? お祈りでもするのか?」

「いえ。食事の時くらいは、清潔にしましょう」


 イヴェットが目を閉じると、首から下げたペンダントの触媒が光った。その手から温かな光があふれ出し、俺たちの体の上を滑っていく。


「これは……」

「浄化の秘術です。私はこれが得意ですから」


 見る間に、服に染みついていた汚泥がぽろぽろと落ちていく。


「すごいな、これは助かる」

「まだまだ未熟ですけどね」


 イヴェットは笑う。そして俺たちは昼食を座って食べ始めた。清掃を再開すればまた汚れるが、食事中清潔でいられるのはありがたい。


「食べたら少し休む。あんたは駐屯地に戻るか?」


 俺はイヴェットに聞いた。


「差し支えなければ、ウォーレスさんと共に働きたいと思います」

「あんたは隊長だろう? 指揮はいいのか?」

「部下の指揮は副隊長に任せています。私は隊長として、率先して奉仕する姿勢を示したいのです。私を新米として使ってください」

「とんでもないお人よしだな。教会騎士ってのはみんなそうなのか?」

「そうであることを願っています」


 俺は驚くと同時に呆れた。いや、賛嘆したんだろう。


「それと……」


イヴェットは立ち上がると腰の剣を抜いた。剣に誓う儀式でもする気か? と俺が思った瞬間だった。

 イヴェットは片手で自分の金髪を束ね、そこに刀身を当てる。俺が何か言う暇もなく、彼女の剣は長髪を切り落としていた。


「これは、今は邪魔です」


 男のような短髪になったイヴェットは、それでも気丈に笑みを見せた。だが、俺には見えた。彼女の手が髪を切る時、一瞬ためらったのを。

 確かに汚物の清掃に長髪は邪魔だ。だが、女性が断髪する残酷さを、俺だって理解できる。俺の前で、イヴェットは被災地の苦楽を共にすることを行動で示したのだった。



 それから俺たち災害派遣協会のフィクサーとフランキスクス隊は、共同してカラブリアの復興に勤めた。

 当然、汚物にまみれて働くイヴェットを教会騎士たちは止めようとした。そばで働く俺を怪しむ奴もいた。「もしやこの男に脅されて……」と言わんばかりだ。しかしイヴェットは俺の潔白を証明してこう言った。


「私たちは人々の苦しみを共に味わい、その中でも高潔に歩むという模範を示すために来ました。フィクサーの方々に従いましょう」


 その言葉で、騎士たちも納得したらしい。彼らも共にシャベルを握って汚物を片付けた。

 心を閉じていたカラブリアの人々も、自発的に前に進もうとするのを俺は見た。

 今まで俺が訪れた被災地では、ほとんど見られなかった光景だ。物資を奪い合い、被害の少ない者を羨み、フィクサーたちに文句を言う。それが当たり前だったのに。

 カラブリアも最初はそうだった。しかし、被災者の苦痛を受け入れ、毅然として一番弱い者に寄り添うイヴェットに、皆が次第に感化されていったのだ。

 小悪党たちは隠していた食料を差し出し、親を失った子供たちは老人を助けた。子を失った親は互いに励まし合い、町の有力者たちは馬から降りて手押し車を押した。

 不思議な光景だった。これほど美しい光景があるとは思いもしなかった。イヴェットという一人の女性騎士が、皆を変えていく。敬虔さというものを、久しぶりに俺は目にした気がした。



 しかし、復興作業が続くある日のことだった。

 皆の心のよりどころとなったイヴェットのところに、一通の手紙が届けられた。

 次の日の朝。


「申し訳ありません、ウォーレスさん」


 市街地への石材を運ぶ馬車を手配していた俺に、イヴェットがやってきた。


「どうした? 昨日の手紙に何か書いてあったのか?」

「フランキスクス隊に出立の命令が下りました。教皇庁に戻れとのことです」

「そりゃ急だな。教皇も人事をお間違えになるってことか」

「いえ。猊下は私たちの派遣を祝してくださいました。むしろ……」

「むしろ?」

「ラエティア公ファルネーゼ枢機卿の考えではないかと。あの方は私たちを私的な騎兵隊にしたいと常々仰っていました」


 ファルネーゼ枢機卿のことは知っている。聖職者と権力者の二足の草鞋を履くしたたかで強欲な奴だが、芸術に理解があるパトロンでもある。


「いいじゃないか。ラエティアと言えば文化と芸術の花開いている土地だろう?」

「私たちはラエティアではなく――」


 イヴェットが何かを言いかけ、すぐに口を閉じた。


「いえ、命令をいただいたからには動かなくてはなりません」

「すぐにここを出るのか?」

「なるべく出立を引き延ばしてみます。カラブリアの再建を見ずに去るのは残念です」

「惜しいな。あんたは聖座教会の誇りだ」


 俺が口にしたのは本音だった。彼女が被災地で奔走する姿は、まさに聖女のように見えただろう。


「……すみません。僭越でした。ファルネーゼ枢機卿についての発言はお忘れください」

「ああ、分かってる。誰だって口が滑る」


 去り際、俺はイヴェットに聞いた。


「あんたは本当にここに留まりたいのか? ラエティアでお飾りの騎兵隊として暮らすよりも、人々を助ける仕事がしたいのか? 本気でそう思っているのか?」

「もちろんです。私は主に、ひいては苦しむ人々に仕える騎士ですから」


 イヴェットは即答した。迷いのない目をしている。こいつが騎兵隊を率いれば、どんな被災地にも希望を届けられると俺は確信した。

 カラブリアを離れるのは俺が先のようだった。



 帰ってきたオーガスティンの街は、相変わらずろくでもないところだった。俺は下水道に続く縦穴の蓋を開けて中に入る。部外者には迷路だが、俺は楽々と目的地にまで行ける。

 たどり着いたのは地下の酒場だった。下水道の終点とは思えない豪勢なつくりをしている。上の街から吸い上げた金で建てたここは、盗賊ギルドの本拠地だ。


「邪魔するぞ、青二才ども」

「誰だてめぇは」


 俺が勝手知ったる顔で中に入ると、男たちが椅子から立ち上がった。


「おいおい、最近の連中のふ抜けっぷりには呆れるな。お前らそれでも盗賊か?」

「なんだとこの野郎!」


 盗賊ギルドの面々が気色ばむ。しかし、その時カウンターから声が響く。


「止めておけ。今入ってきた奴はな、お前たちが足元にも及ばない手練れだぞ」


 カウンターに出てきた初老の紳士を見て、俺は笑った。


「久しぶりだな、マーロン。新人教育がなってないぞ」

「あんたがいなくなってから、ここの連中も不器用になる一方だ。何しろ、黙っていても街から金が落ちてくるんだからな」


 マーロンは当惑する盗賊たちを一喝する。


「何をぼさっとしている! 『灰色烏』のお帰りだ! 先代のギルド長に礼儀を尽くせ!」


 その言葉で、連中は慌てて立ち上がって俺に頭を下げた。マーロンは俺をカウンターに招く。


「まあ座ってくれ、ウォーレス。久しぶりに顔を見られて嬉しいよ。老骨も昔の武勇伝がよみがえるってものだ」

「俺も会えて嬉しいが、昔話がしたくて帰ってきたわけじゃない」


 灰色烏。それが昔の俺の通り名だ。孤児だった俺は盗賊ギルドに拾われ、ギルド長にまで上り詰めた。足を洗った俺だが、また戻ってきた理由は簡単だ。


「おい、まさか」


 マーロンが驚きと同時に、嬉しそうな顔をする。こいつは俺が灰色烏だった時、右腕として沢山の仕事を共にこなしてきた。


「そうだ。仕事だ」

「嬉しいよ。またあんたと一緒に盗みができる。で? 獲物は?」


 俺は腰を下ろして、話し始める。かつて部下だった男に自分の作戦を語るのも懐かしい。


「ラエティア公ファルネーゼ枢機卿を、権力の座から追い落としたい。密輸の帳簿、武器の違法生産、親族の不正。あいつの抱えている山ほどの醜聞の証拠を、政敵に送り付けてやるのさ」


 俺がそう言うと、マーロンは悪党の顔で笑った。


「こんなに血がたぎる仕事は久しぶりだ。やっぱり俺たちにはあんたが必要だよ」


 周りの連中はおずおずと俺たちに近寄り始めた。あの人が灰色烏だって……というささやきが聞こえる。


「それにしても、灰色烏が古巣に舞い戻るだけならともかく、大仕事を持ってくるなんてな。一体誰に頼まれたんだ?」


 俺は注がれた密造酒を久しぶりに味わいながら答える。


「私用だ。つまり、これは俺の依頼だな」

「……信じられないな」


 マーロンは当然驚く。こいつは昔から几帳面な奴で、どんな相手からでも金を取り立てていた。疑うのも当然だろう。俺は正直に言うことにする。


「惚れた女のためだ。悪いかよ」


 次の瞬間、マーロンは大笑いした。


「はははっ! そうかそうか!」


 だがすぐに笑うのをやめ、再びマーロンは周りの連中に怒鳴る。


「聞いたかお前たち!? 我らの灰色烏に女ができたそうだ! 祝杯をあげるぞ!」


 周りの歓声をよそに、マーロンが興味深げに俺に顔を近づける。


「しかし、女の頼みで枢機卿を失脚させる――か。あんたの女はずいぶんと高くつく奴だな」


 そう思うのも無理はないだろう。


「いいや。これは俺の個人的な仕事だ。女には教えない」


 マーロンは拍子抜けしたらしい。手元が狂ってテーブルに酒がこぼれた。


「無償の愛って奴か? らしくないな」

「惚れた弱みって奴だ。女のために一世一代の大仕事ってのも悪くないだろう?」


 俺がそう言うと、ウォルターは俺の肩を叩いてからうなずいた。


「いいとも。五本指に連絡しよう。盗賊ギルドもあのジジイには何度かツケを踏み倒されている」


 五本指。俺が引退する時に、ギルド長の代わりに任命した五人の幹部のことだ。全員灰色烏の一声で動くことだろう。

 久しぶりの悪徳。でも、今回俺が盗む理由は依頼でもなければ私欲でもなかった。



 それからしばらくして、ファルネーゼ枢機卿の悪事についての詳細な情報が、各地の有力者に届けられる。教皇の寝所にまで、彼の不正を暴く手紙が置かれていた。ファルネーゼ本人は不正を否定したが、結局彼は枢機卿を引退し表舞台から退くこととなる。

 そしてファルネーゼの後継者の元に、差出人不明の手紙が一通届けられた。そこにはただこう書いてあった。


「カラスはお前の頭上にいる」


 と。その下には一つの意匠が描かれている。鍵をくわえたカラス。裏社会の伝説――灰色烏の印だった。



 収穫祭。カラブリアにとっては大災禍に見舞われてから最初の祝祭だった。今年は収穫はなく、人々はやつれているが、絶望しきってはいない。そして、その中心にいるのがイヴェットだった。


「ここにいたんですね、ウォーレスさん」


 再建途中の市庁舎を見ていた俺に、イヴェットが声をかけてきた。相変わらず男のような短髪だ。しかし今日はきらびやかな鎧を身に着けている。華やかさと凛々しさ、何よりも優しさがある。


「少し飲みすぎたからな。風に当たっている」

「よいお酒でしたからね。久しぶりにいただいてしまいました」


 イヴェットもほんのりと頬が赤い。


「あんたも酒を飲むのか」

「ええ。酔いすぎない程度に」


 俺の隣にイヴェットは立つ。カラブリアに来たばかりの時よりも、彼女は痩せたようだ。でも、その瞳は前よりも美しくなった。


「あんたの髪、短いままだともったいないな」


 酒のせいでつい口が滑った。


「あの時は驚いたよ。いきなり自分の髪を切るんだからな」

「騎士として、必要なのは容姿ではなく勇気と真摯さですから」


 俺が真面目な顔をして言うと、彼女はそう答えた。


「もし私が髪を伸ばす時が来るとすれば、それはカラブリアの復興が一区切りついた時。そして――良き殿方に、髪を伸ばしてほしいと頼まれた時でしょうか?」


 冗談だろ、と笑い飛ばすつもりだったが、俺はその機会を逸した。


「ウォーレスさんが戻ってきて嬉しいです」

「悪いな。少しよそで野暮用があったんだ」


 俺は平静を装ってそう言うが、イヴェットはなぜか食い下がる。


「ファルネーゼ枢機卿の引退に伴い、私たちの教皇庁への帰参は白紙となりました。おかげで私たちは今、ここにいられます」

「よかったじゃないか。神様のご加護って奴だな」


 俺の記憶には、あの日――全身を汚しながらも毅然として清掃に携わったイヴェットの姿がある。それは、彼女の誰も奪うことのできない信念と誇りだ。


「ウォーレスさん、あなたのおかげです」


 突然イヴェットはそう言ってきた。俺は驚く。俺の正体を知っているのか? そんなはずはない。


「俺は何もしちゃいない。自分の仕事をしているだけだ」

「私たちがここに留まれるようにしてくださいました」


 俺は言葉を失って、イヴェットの顔をまじまじと見た。彼女の唇が動く。


「――元盗賊ギルドの長、灰色烏さん」

「おい、イヴェット。飲みすぎだぞ」

「教皇庁の目は至る所にあります。なぜあの日、私があなたに声をかけたかお分かりですか?」


 イヴェットは俺を見返す。彼女はただのお嬢さんではない。れっきとした教会の手であり目だったのだ。


「初めから、あなたの動向に教皇庁は注目していたんですよ。元盗賊ギルドの長が、引退してフィクサーになっている。何を企んでいるのだろう、と」


 俺は天を仰ぎ観念した。そして苦笑いを浮かべて、両手を上げる。


「それで? 俺は何か企んでいたか?」

「いいえ。私が見たのは、誰もが逃げ出したくなる汚物を前にして、黙々と働く頼もしい一人のフィクサーでした」

「俺もそうだ」


 俺は彼女の言葉に応じる。


「俺は教会の連中は信用していない。だから、あんたがここに来たとき、一日で逃げ出すと思っていた」

「それで? どうでした?」

「俺が見たのは。誰もが逃げ出したくなる汚物を前にして、黙々と働く美しい一人の騎士だった」


 俺は深呼吸した。初恋をした少年のように胸が苦しくなる。あの日のイヴェットを俺は思い出す。

 魅せられてしまったんだよ、灰色烏が。


「――本当に美しいものを見てしまったんだ。だから、助けたかったんだよ。俺なりの方法で」

「そう言っていただけて嬉しいです。騎士として、一人の人として」


 イヴェットははにかんだようにほほ笑む。俺はとうとう目を背けた。騎士と元盗賊のこんな会話など、滑稽すぎて誰にも聞かせられない。


「元盗賊に手助けされるのは嫌だったか?」

「いいえ。あなたは私の――ひいては皆の恩人です」


 俺に対して、イヴェットはちゅうちょなくそう言った。


「あなたは良い人です。心からそう思います」

「面と向かって言うな。俺は灰色烏だぞ。あのファルネーゼ公だって、気に食わなかったから引退させてやっただけだ」

「ふふ、そういうことにしておきます」


 俺も焼きが回ってしまったようだ。一人の教会騎士さえだませないんだからな。


「そろそろ行きませんか。私はもう少しお祭りを楽しみたいです。エスコートしていただけると嬉しいのですが」

「教会騎士様も案外と世俗的なんだな」


 俺はイヴェットに向けて手を差し出す。彼女は俺の手を取った。そのまま俺たちは表通りへと出た。通りには人々の笑顔があふれていた。子供たちが走り回る姿を見ると、こちらも心が晴れやかになる。


「俺はフィクサーとして生きていくと決めたんだ。安心しろ、もう盗賊ギルドには戻らない」

「では、一緒ですね」


 いきなり彼女がそう言いだして俺は驚いた。


「は?」

「私たちはこれからも各地の被災地に救援を行うつもりでした。ベテランのフィクサーを一人騎兵隊に所属させたかったのですが――これこそ主の計らいですね。ウォーレスさんの過去は口外しないでおきます。ああ、よかった」


 しれっとそんなことを言い出すイヴェットに、俺は呆れた。盗賊がこんなに簡単に手玉に取られるなんて、マーロンが見たら大笑いするだろう。


「イヴェット」

「なんでしょうか?」

「俺をはめたな」

「さあ、どうでしょうね」


 くすくすと笑いながら、イヴェットは俺の横を歩く。こいつがこんなにしたたかな女とは思わなかった。幻滅したかって? まさか。ますます惚れてしまいそうだった。



 ――それから後。

 五本指は「ボスが戻ってくるなら下で働きます」と意気込んでいたが、俺はギルドには戻らなかった。これからは裏社会のパイプ役として盗賊ギルドは発展していくべきだ。

 フランキスクス隊は災害派遣協会と協力して、大災禍から人々を助けている。最近はモンスターとの戦いも有利になってきた。

 灰色烏はどこかに飛び去ったのだ。



 そうそう。イヴェットは最近髪を伸ばし始めた。またあのきらめくような長い金髪を見ることができる日が来るだろうか。

 できることなら、その姿を誰よりも近くで見られる男でありますように。


~Fin~

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