生きている意味なんて

青樹空良

生きている意味なんて

 気がつくと今日もここにいる。仕事をクビになってから、毎日と言っていい。

 会社に行くわけでも無いのに、スーツを着てこんなところにいる自分が惨めだ。

 寂れたデパートの屋上で、古ぼけたベンチにぼんやりと腰掛けている。

 頭上には腹が立つくらいに晴れた空。

 金網の向こうに見える世界には、小さな人の群れ。

 スーツに身を包んだり、平日だというのに私服で歩いている人だったり。

 どいつもこいつも、俺がこんなところで仕事にも行けず、家にもいられずじっと何かに耐えていることを知らない。

 ため息をつく。

 100円を入れたら動く遊具が勝手に喋っている。

 俺以外誰もいないのに。俺が乗るはずも無いのに。

 あいつは誰も乗っていなくても仕事があるのに、自分なりにきちんと仕事をこなしていたはずの俺には今、仕事が無い。

 ひどい話だ。

 妻に会社に行くと言って家を出るのも疲れてしまった。

 今日は家を出るときに妻の顔を見ただろうか。それさえも忘れてしまった。

 何もかもが嫌になる。

 誰かの気配がして顔を上げる。

 さっきまでは誰もいなかったはずの屋上に、小さな人影が見えた。

 子どもだ。女の子。それも、小学校にまだ入っていないくらいの歳だろうか。俺には子どもがいないから、年齢はよくわからない。

 周りに親の姿は見えない。

 女の子は、じっと俺を見ていた。

 きっと、買い物をしている間ここにいろとでも言われたのだろう。一人だけでここにいる俺が気になるのだろうか。

 俺は女の子から目を逸らした。

 ぼんやりと地面を見る。

 何もせずに一日を過ごすというのは結構辛い。金があれば別なのだろうが。

 目の前に影が差す。

 いつの間にか、あの女の子が目の前に立っていた。

 どうしたの? などと声を掛けるべきなのかもしれないが、言葉が出てこない。


川村かわむら大和やまとさん」


 急に名前を呼ばれて驚く。それも、高い子どもの声で。

 口調は妙に落ち着いている。


「あなたはいつまでここにいるのですか?」


 やはり、たどたどしくはない。子どもの声帯で、大人が話しているような口調だ。

 俺は顔をしかめる。

 この子は一体何を言っているのだ?


「忘れていますよね?」


 何を?


「やっぱり」


 女の子が呟く。そして、ポケットから手帳を取り出した。付箋の貼ってあるページを開いて、読み上げる。


「川村大和さん。あなたは死んでいます」

「は?」


 生きているじゃないか。

 ここにいるんだから。


「死因は、自殺。この屋上からの転落死。つまり、飛び降りです」


 淡々と、読み上げる。

 頭が痛い。


「理由は、」

「理由は、人生に希望が持てなかったこと。生きていても死んでいても同じだと思ったこと」


 口をついて出る言葉。


「なんだ、覚えているじゃないですか。手間を掛けさせないでください」

「覚え……」


 覚えている?

 俺は立ち上がる。ふらふらと金網に近寄って、下を見る。

 道路にはいつもと変わらず、車が走り、人が歩いている。

 金網に手を掛ける。

 金網に手を掛けた。

 上って、そして……。

 数日前の。いや、数ヶ月前?

 わからない。

 忘れていた。

 そもそも、俺はいつからここにいた?

 死んだ日から?

 フェンスを乗り越えたことは思い出した。

 地面が近付いてくる感覚も。

 けれど、その前から俺はここにいた。

 仕事に行かなくなって、それでも家を出て、行くところが無くて。

 記憶が曖昧だ。

 家に帰っていなかった。

 死んでからは。

 なら、死ぬ前は。

 家に帰って、それでも妻と顔を合わせられなくて。

 薄暗いリビングで、冷めた飯を食って。

 いつの間にか別々になっていた寝室で寝て。

 起きて、会社に行って。

 生きていても死んでいても同じだと思った。

 死んでも、死んだと気付かずにここにいた。

 俺は、生きていたときから死んでいたようなものだったのか?


「では、行きましょうか」


 女の子が手を差し伸べる。


「どこへ?」


 俺の問いかけに、女の子は空の上を指さす。


「死んだことに気付かない人は、一人では上に行けないのです。だから、迎えに来ました」

「上?」

「放っておけば、迷子の魂だらけで地上が溢れてしまいますから」


 女の子は仕事の顔をしている。

 そうか、こんな小さな子にすら仕事がある。

 お迎え、というやつだろうか。

 馬鹿みたいに、嫌になる。

 俺は、どうしてそんなに固執しているんだろう。

 そんなに大事だったろうか。

 でも、それ以外に何かやりたいことが、俺にはあっただろうか。

 昔はあったような気がする。

 それが、もう、思い出せない。

 生きていた頃からなのか、死んでからわからなくなったのか、そんなこともわからない。

 だから、ただ、続けていたことが無くなってしまったことだけが気になっているのか。

 俺は、生きていたかったのか、死にたかったのか。

 生きているときも、死んでいたのか。

 それに気付かず生きていたのか。

 死んでからも、死んだことを忘れるくらい、俺はもう何もかもがどうでもよかったのか。

 ああ、本当にどうでもいい。

 生きていることも。

 死んでいることも。

 俺は、女の子の手を取った。

 顔色一つ変えずに、女の子は俺の手を握る。

 その手は、冷たかった。

 生きている、という感じがするくらい。

 境目なんて、どこにもないのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生きている意味なんて 青樹空良 @aoki-akira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説