えにし

 何度輪廻転生しても魂があなたの形をしている限り、私は何度でもあなたに恋をする。


 私にとっての彼は運命だけれど、彼にとっての私は運命ではない。残酷な現実に気づいたのは高校三年生の、冬。

 志望校に無事合格し、お世話になった先生方へ挨拶をしに行こうと職員室に向かっていた時、すれ違いざまたまたま彼と体が触れ合ったことで私は存在しないはずの記憶――いわゆる前世の記憶というものを思い出した。

 初めはとても混乱した。自分の脳内が誰かの知らない記憶で浸食されていくことに自分自身がぐらぐらして、記憶が取り戻されるたびに気持ち悪くて嘔吐した。

 けれども記憶の中で彼がたいそう幸せそうに笑うから、私がそれを慈愛のこもった穏やかな眼差しで見つめるから、信じてみたくなった。運命ってやつを。

 タイムリミットは、卒業まで。


 卒業が迫る校舎の中で、くだんの彼――佐々木和人くんは毎日一人机に向かっていた。北校舎の二階の窓際の一番寒い席、それが佐々木くんの居場所だった。記憶を思い出す前から佐々木くんに淡い思いを寄せていた私は、近くの席を確保してはいつもそっと佐々木くんのことを眺めていた。澄んだ水を湛えた美しい瞳を豊かな睫毛が彩り、鼻筋はすっと通って、ぽってりとした唇は意志の強さを表すかのようにきゅっと引き結ばれている。その綺麗な横顔を盗み見てはその度に小さくほうと感嘆のため息を溢す。そんな毎日を過ごしていた。

 記憶を取り戻す前の私はこの淡い恋心に鍵をかけて葬ることに決めていた。しかし、私は彼の瞳に宿る熱情を、注がれる愛を知ってしまった。もう、知らなかった時には戻れない。合格は決まっているからしばらく残りの学生生活を謳歌したっていいのに、飽きることなく佐々木くんは机に向かっていた。それを真似するかのように私も毎日机に向かった。それ以外にできることなんてなかった。同級生というだけの接点なんてあってないような私たちなのに「実は前世で私とあなたは恋人同士だったんですよ」なんて言い出すわけにもいかないし、将来のことを考えて真剣に勉強をしている彼に話しかけるのも憚られた。

 どうにか知恵を振り絞った結果、私は彼に毎日ちょっとした差し入れをすることに決めた。勉強をしていれば当然頭が疲れる、そこで甘いものを差し入れすればブレイクタイムに休憩がてらちょっとでもお話ができる。そう思ったのだ。

 幸いお菓子作りは好きだったから思いついた夜からさっそく準備を始めた。初めて渡すのは定番のクッキー。冬だからスノーボールを模した白くて丸いころんとしたクッキーを作った。バレンタインのお返しによく作っていたなあなんて思い出す。一応味見をして質素にラッピングを施す。ああ、ドキドキするなあ。

 ドキドキのあまりよく眠れなかった私にも、平等に朝はやってきた。クッキーを大事に大事に手提げ袋にしまって、私は家を出た。冬の澄んだ空気がツンと鼻を刺す。冷たく透き通った空気を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出す。よし、行くぞ。

 いつもの時間、いつもの席に変わらず佐々木くんはいた。真剣に問題と向き合う佐々木くんの姿はいつだってかっこよくて、前世も机に向かっているときのしゃんとした姿に見惚れていたななんて思い出す。私も勉強道具を出して机に向かう。一時間ほどたったころ、彼が身じろぎするのを感じて、私は意を決して言葉をかけた。

「さ、ささきくん」

 声をかけられると思っていなかったのか彼は少し目を見開いた後私の声に応えた。

「どうしたの、渡辺さん」

「これ、一緒に食べない?」

 そう言って私がクッキーを取り出すと、彼の顔が少し綻んだ。ああ、良かった。変わらず甘いものに目がないみたい。

「もちろん。これ、手作り?」

「そうだよ。もしかして人の作ったもの食べられなかったりする……?」

「いや、そんなことないよ。ありがたくいただくね」

 佐々木くんが私が差し出したクッキーを手に取って口に運ぶ。咀嚼するにつれて顔がゆうるりと緩んで、幸せそうに口角が上がる。その様子があまりにも可愛くて、気づいたら私は佐々木くんにクッキーを差し出していた。

「もうひとつ、どう?」

「いいの?」

「もちろんだよ」

「喜んでいただきます」

 佐々木くんがかしこまってクッキーを受け取ったのがなんだか面白くて声をあげて笑ってしまった。そんなに気に入ってくれたのなら嬉しいなあと思って佐々木くんの方を見ると、彼は妙な表情をして固まっていた。

「どうした? なんか変な味でもした?」

「いいや、そんなことないよ。……渡辺さんがそんな風に笑うの、珍しいなって思ったから」

「私、そんな変な笑い方してた?」

「ううん。いつも静かに笑ってるイメージがあったから、少しびっくりしただけ。可愛いなって」

 可愛いと言われた私は面食らう。そうだったこの人、天性の人たらしだった。誰からも好かれる陽だまりのような人だった。私はたっぷり十秒ほど固まってから何とか言葉を絞り出した。

「……ありがと」

 その様子が面白かったのか今度は佐々木くんが声をあげて笑う。ああ、相変わらずとびきり素敵な笑顔を浮かべる人だ。つい昔を懐かしむように目を細める。ねえ、早く思い出してよ。そして私をあなたの運命にして、離さないで。そんな気持ちを胸に秘めながら私たちはまた机に向かった。

 クッキー、ガトーショコラ、マカロン、トリュフチョコレート、チーズケーキ、お菓子と共に緩やかに時は過ぎていった。私たちは今まで話していなかった分を取り戻すかのように色々な話をした。進学先の大学のこと、将来の夢、好きなお菓子、他愛もない話をたくさんした。佐々木くんと喋っているときは心が満たされて、その思い出だけで一生を生きていける気がした。

 

 そしてついに、卒業式の日がやってきた。温かいメッセージに彩られた黒板、涙ぐむ先生、寂しそうな友達。たくさん写真を撮って、たくさん話をした。この一日を人生に焼き付けるかのように。

 式が終わってしばらくした後、私はいつもの席に向かった。そこに行けば佐々木くんに会える気がしたから。――私の予想通り、佐々木くんはそこにいた。

 さすがに勉強道具は持っていなかったようで、佐々木くんはスマホをいじっていた。ボタンが無残にもむしり取られた学ランに思わず笑みを溢す。ああ、君はこの世でも人気者なんだね。そのことが無性に嬉しかった。

 私の笑い声に気が付いたのか、佐々木くんが顔を上げる。まるで私のことを待っていたかのように安心した笑みを浮かべた佐々木くんにこちらまでほっとした。

「佐々木くん、今日もここにいたんだね」

「うん。……ここにいれば渡辺さんに会える気がして」

 そう言ってこっちをまっすぐに射貫く、まるで前世の私に向けたかのような熱っぽい佐々木くんの眼差しにたじろぐ。私が何も言えないのを察して、佐々木くんは言葉をぽつりぽつりと紡ぎ始めた。

「こんなこと言ったら笑われるかもしれないけどさ、俺、生まれた時から前世の記憶があって」

 ひゅっと息を呑む。それって、それって。

「最初から全部わかってたわけじゃなくて、年を重ねるごとにちょっとずつ思い出したんだけどさ。なんか一個、どうしても思い出せないことがあって。ずっともやもやしてたんだけどさ、入学式の日に渡辺さんの姿を一目見た時確信したんだ。ああ、運命の人だって」

 黙り込む私を置いて佐々木くんは言葉を紡ぎ続ける。

「でもクラスも違うし、接点がほとんどない状態で話しかける勇気もなくて。それに、今回は俺なんかに縛られずに好きなように生きてほしいって思ってさ。ずっと遠くから見守ってたんだ。そしたらさ、渡辺さんはいつも俺の座る席の近くにちょこんと座って熱っぽい視線を向けてきてさ。知ってる? 俺がどれだけ嬉しかったか」

 佐々木くんがとびきり幸せそうに言うものだから、それが切なくて嬉しくて涙が出る。私も、私も早く伝えなきゃ。

「佐々木くん」

「うん、なあに?」

「待たせてごめんね。私を、あなたの運命にしてください」

 その言葉を聞いて佐々木くんが大きく目を見開く。そして破顔した。

「もちろん! 愛してるよ、――」

 久しぶりに呼ばれたその名前に、心が満たされていっぱいになった。ねえ、もうその手を離さないでね。来世も、その先も、願わくばずっと一緒にいられますように。そっと祈りながら、私たちは互いの体温を分け合った。

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