第6話 一夜を超えて

「え?」

「言った通り。さっき辞めたわ、私達」

「大丈夫なんですか」

「もう転職決まってるのよ」

「はぁ、流石…」

「アンタみたいに、勢いで辞めたりしないわ」


 バスローブ姿の河嶋さんは、そう言って化粧机に頬杖をつく。


「フフ」

「こんな事になるとは…」

「まぁ、運ね。私達が二人とも浮気されてなかったら、こうはなってないわ」

「何とも…」


 俺は胸の中で眠りにつく、上田さんの肩を撫でた。規則正しい鼻息と共に、彼女の長いまつ毛が揺れ動く。



 結局酒の勢いに呑まれたのか、俺は二人のアパートで一晩、いや一夜を過ごした。無我夢中だった一連の流れだったけれども、全くもって後悔は無い。


「ん、…」

「起きた沙織?」

「んん…」

「顔洗ってきなさい。パンでいいわね」

「…はい…」


 目を半分ほど閉じた状態でフラフラと起きた上田さんを、河嶋さんが正面から抱き留めた。廊下に続くドアを開けて、つるんとした上田さんの額に口づけをした河嶋さんがいる。


「あの、河嶋さんは」

「ああ、違うと思うわ。確かにこういうのは沙織にしかしないけど」

「ハァ…」

「付き合い長過ぎなの、私達。胸の内開けるのお互いだけだから」


 返しのキスが施された頬を撫でる様は、一種の彫刻を思い起こさせた。俺は昨晩見下ろしていた、バスローブで覆われた素肌を記憶から呼び覚ましてしまう。


「元気ねぇ」

「はっ、いやその」

「いいわよ。嫌じゃない」


 俺に枝垂れかかる河嶋さんの背中に腕を回すと、彼女は静かに頭を胸に預けてきた。


「辞めるの、後悔してないの」

「そうですか」

「アンタがいたから、続けていたのに」

「言ってくれればなぁ」

「言ったじゃない」

「そうでしたね」

「私達を認めてくれて、ありがとう」


 俺は堪らず、河嶋さんと顔の距離を近づけた。するとその時、廊下のドアが開く。


「あー、抜け駆け」

「ん…いいじゃない」

「先輩ずるいですよ」

「胸貸したんだから我慢しなさいな」

「二人だけは嫌です」


 酔いが覚めたのか、勢いよくベッドに乗り込んできた上田さんは、河嶋さんの向かい側に滑り込んだ。


「フフ、元気ですね」

「ちょ、二人とも…」

「こんなに朝から漲るなんて、浮気しちゃうかもですね」

「そうやって揶揄う」

「フフ。三嶋さん、昨日の約束覚えてますよね」

「そりゃもう」


 俺は彼女達の出す課題に、全力で取り組む。報酬は極々単純だ。


「過程評価で、お願いします」

「いいの?厳しくなるかもしれないわよ」

「自分は過程で評価してもらう方がいいです!」

「頑張って下さい」


 俺は大きく頷いて、二人の背中に腕を差し入れる。三人の顔がゆっくり近づくと、朝の光は全く気にしなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

派遣切りにあった孤独な俺 〜でも何故か歳上・歳下の女上司と良い関係になりました?〜 永野邦男 @kirarohan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ