魔法使いの鬼

 日の沈まぬ日、遊牧民平原を進む人影二人。一人は荷車を引き、一人はそれに付き従い進んでいる。荷車を引く片方は黒鋼のグレート・ヘルムに漆黒の羽毛で覆われた体躯を持つ偉丈夫。名をギャリナ・T・レックス。没落貴族の末裔を自称する軍鶏の獣人族、己の体一つで騎士へと舞い戻ることを望む男。それに従うもう片方はシスター・エブリエタース。蛮勇と己をしかと持つ英雄に惹かれ、従士として旅を共にする背教のシスター。

 この一行は虐殺した村より多くの物資と荷車を略奪したのちアウリウム公国を目指してエラガバル第二帝国の街道を歩いていた。三日ほど、平原を進んでいた。この辺境地域は遊牧民により多くの村々が略奪の被害に遭い大きく発達することはほとんどない。不作があれば簡単に崩壊する。それ以外の理由でも不安渦巻く地域の小さな集団は簡単に壊れるものだ。だからこそ、この辺境の村は特別な理由なしに旅人を歓迎することは少ない。故に一行は物資の尽きる前にこの辺境領域より抜け出す必要があった。


 「今日の日は沈まぬようであるなぁ」


 黒騎士ギャリナはシスターに間延びした声でそう言った。


 「そのようですね。ギャリナ様の故郷では、この日に何か祭儀などはありましたか」


 「うーん、吾輩、実は幼少の記憶が曖昧であり、よく思い出せぬのだ」


 「あら、それは失礼いたしました」


 「いやあ、よいのだ、不愉快なわけではない。ただ妙に思い出せぬだけなのだ。……ふーん」


 黒騎士は首を掻く。実際彼の記憶は非常に断片的であり、修練の記憶や両親の記憶は特に曖昧になっている。旅立ち以降の記憶はしかと持ち続けているが親の顔は靄がかかるように分からなくなっていたのだ。


 「私はこの日は終日礼拝でしたので大変だった記憶があります。私達以外の人はお祭りでしたから楽しそうでした……もう私はお祭りを楽しめるので、またいつか、街でこの日を過ごせたら、お祭りを見てみたいです」


 「安心したまえ、吾輩はアウリウム公国にて騎士になる。あすこなら祭りもあろう」



 談笑しつつ進むうち、一行は小さな農村へと着く。街道に通じる村だというのに活気のないその村は宿場もない様子だが、少なくとも人はいる。黒騎士は何か仕事をすれば食料、水、その他物資にありつけるだろうと思いつつ、村の中心へと向かう。

面妖な男に気圧されつつも不安な表情をした村人の一人がシスターに近づく。


 「もし、旅の方。シスターとお見受けしますが……」


 「ええ、わたくしはこの旅の騎士ギャリナ卿の従士をしております。正教に準ずるシスター・エブリエタースですわ」


 「ああ、騎士様、シスター、どうか我々をお救いください。この村は、怪物に狙われているのです」


 「怪物とはまた……如何なるものか、お聞かせ願いたい」


 年長の村人はおずおずと語る。村長だろうか。


 「ここ数日、村の周囲で、今までに見た事のない生き物が幾度となく見られているのです、更に角と尾が生えた男も見られ、不吉な予兆が出ているのです。村を守るアンドリュー様のもとにも近づけないのです」


 「アンドリュー? ここは確かハマーシャの領土では?」


 シスターが伺う。


 「ええ、この村はここより南東の領主ハマーシャ様の領土。かつては遊牧民の略奪者に襲われ、村の多くのものが奴隷や農奴として扱われ、ハマーシャ様がその度に戦ったものです。ですが数年前、ハマーシャ様の徴募軍が遊牧民ラージャーンの軍勢に敗れ、村は彼らのものとなりました……その際、ここより少し離れた……森の奥の塔に住まう魔法使いアンドリュー様が遊牧民を一人で倒し尽くし、それ以来遊牧民は魔法を恐れ近づかなくなったのです」


 「ほほう、相当高名な魔術師であろうか」


 「ええ、なんでもアウリウム公国で魔法の研究をされていたようで、人嫌いで離れた塔に住まわれておりますが、村人は感謝し毎日の食料の奉納を欠かしません。滅多に外に出られないので我々も様子は分かりませんが、この村の英雄です」


 「その魔術師のもとにも行けぬと」


 「ええ、ここ数日は怪物の存在もあって近づくことができないのです。森の中には怪物が潜み、向かった村人は帰ってきておりません」


 「フム……怪物とな……アウリウム公国の地下ダンジョンや魔術師のダンジョンに住むと聞くが……これは小手調べに丁度良い。我々がその魔術師を伺おう、そのものに怪物の対処について伺えばよいのだな?」


 「ええ、さようです……ありがとうございます、旅の御方。アンドリュー様と共に村をお救いください……何も無い村ではありますが旅の食料や他にも何か必要なものがございましたら何なりと……この村の存続にかかわることですので」


 「忝い。では、荷車を預けて行こうか」


 「はい、行きましょう」


 荷車にはシスターが抜け目なく防護神聖術が掛けており、盗まれる心配は少ない。また、盗まれたとしても黒騎士の健脚ならばどれだけ早く逃げようとも、シスターを抱えつつ追いつき首を撥ねることができるので心配する必要すらない。

一行は獣道に近しい森の道を行き、魔法使いの塔へと向かった。


――


 森の小道を行き、しばらく経った。黒騎士とシスターは立ち止まる。シスターは微笑みを浮かべ歓喜する。黒騎士もまたその大兜のなかで嘴の端の筋肉を歪ませている。


 「出できたまえ。気配でわかる。それとも吾輩の言葉は通じぬか?」


 反応なし。言葉は通じないと見た黒騎士とシスターは、まずシスターが神聖術の詠唱を開始する。既に失われつつある言語の残滓、古い聖典の物語の意味も不明な言葉を紡ぎ出す。

 シスターの周囲を囲うように現れた光の矢は黒騎士を器用に避けて周辺の木陰に潜む怪物を正確に撃ち抜いた。


 『ギィッ』


 微かな断末魔が一斉に響く。木陰より怪物たちが表れ、撃ち抜かれたものの生き延びた者たちが一瞬遅れて現れる。


 『ヌゥウウン』


 『ズゥウウン』


 風がぬるりとそのような音を立てる。黒騎士の蹴りが空を切り現れた怪物の身体を抉った。

 怪物たちの姿はで、多くは人型だが皮膚は爛れ、内臓はまろび出て、生物としての体裁を為していなかった。それは純粋に人を襲うのみの装置、肉でできた機械人形のようなものだった。


 『ブシュウウウウ』


 景気よく抉られた怪物が血を吹きだし、肉人形から肉塊へとなり下がる。


 『ぽん』


 『ぱん』


 『ぽん』


 軽い音を立てて怪物たちの頭はきれいに吹き飛んでいく。

 柔らかい。そう黒騎士は感じる。ただ数で押してくるだけ、村人程度ならばこれくらいで殺せるというのか。他愛もない。黒騎士は残念そうに怪物を殺してゆく。


 「フム……軽すぎやしないか」


 「手ごたえがあまりありませんね……。あ、ギャリナ様、こちらをご覧ください」


 シスターが怪物の死体を指す。


 「毛皮です。それによく見ればこの臓器人間大の大きさではないです……動物のものでしょう」


 怪物の死体はバラバラの動物を無理に繋げた様なものであった。骨も多くは動物のものである。


 「畜生ふぜいであればこの弱さも納得がゆく。この怪物らはまがい物……大方ダンジョンの低層階や低級の魔術師が操るものであろうか、しかしなぜここに……」


 「あの塔の魔術師が何か企んでいるのでは」


 「それが一番考えやすいな……まあ、行ってみれば良かろう、この程度なら物の数ではな」


 黒騎士が振り返る。気配が間近まで悟れなかった。相当の手練れである。そこには複数の縫合痕のある大柄の人間が立っていた。胸が6つ、男の物と女の物が繋げられ、腕も人間六人分はあろう大きさの物が四本、脚はムカデのように通常の人間の物が10本ほど、顔の部分には三つの頭蓋が少しの表情筋を残しつつ剥き出しになっており、邪悪な魔術を感じさせる。


 「カヒューッ……カヒューッ……」


 呼吸音以外を発さない化物は俊敏な動きで森の木々の合間を抜ける。複数の脚が器用に身体を進めて行くのだ。


 「ヌウゥ!」


 黒騎士は飛び掛かり、頭部を狙い蹴りを放つ。しかし人間とは思えぬ間接と背骨の動きにより怪物は流体のように体をくねらせ、頭部への攻撃を躱す。それでも黒騎士の蹴りは肩の肉の一部を抉り取る。


 『ザシュッ』


 だが、化物は走る勢いをそのまま落下する黒騎士にぶつけ、胸で体当たりを繰り出した。


 『バァン』


 「ウゴゴッ」


 黒騎士は幾つかの木々を背にぶつけ、跳ね飛ばされる。だが、着地し、すぐさま地面を蹴って化け物に向かって一直線に走り向かう。

 されど筋肉量はあの僧以下よ。ならば……。と黒騎士は走りの勢いそのままに化物の腹へ拳を突き立てぶつかる。


 『パァン!』


 彼の狙い通り彼の突きは化物の筋肉を突き破り骨を穿ち、化物の下腹部を貫いた。脚の神経も絶たれたのだろう、化物の脚は力を失う。


 「ハァアッ!」


 『バァン!』


 そのまま黒騎士は上段蹴りにより化物の三つの頭を一度に吹き飛ばした。


 「フム……これは人間を繋いで作ったようであるな」


 「お見事でした。ギャリナ様。……人間型はやはり強いようですね」


 「フフン、面白い……塔に入っても楽しませてくれると良いが……」


――


 肉と骨と臓物を乱雑につなげられた化け物たちは黒騎士とシスターの無慈悲な攻撃により摺りつぶされ、塔までの道は肉と血により染められた。


 「これは……噂に聞く魔導人形ゴーレムか……」


 塔の入り口を守るのは身の丈4メートルはあろうかという大きな人型の岩人形。岩石に魔術によって命を吹き込まれたそれは乱雑な削り出しながら間接は中空となり魔術によって繋がっており機敏かつ柔軟な動きができる。ゴーレムは塔の大扉を開く役割のようで近づいた二名をみるや動き出し、大扉を開いた。


 「……入ってよいのか?」


 「招かれてはいるようですね」


 黒騎士は血を払い、シスターと共に塔の中へと入ってゆく。

 塔の中は少々狭く、長い螺旋階段に少しの蝋燭の灯が輝いているほかには特に装飾はない。黒騎士は階段の方に気配を感じた。殺気はない。ただの人間……? それにしては、少々大きい。近づくと階段の最下段の傍らに机と椅子を置き、体格に明らかに見合わぬ本を読んでいる3メートルほどの巨躯を備えた男が居た。男はフード付きのローブを着ているが、その頭には明らかな角を備え、口には牙、そして、足元には爬虫類のような尾を備え、手の甲や頬に赤い刺青が見られる。これらは噂に聞く、『鬼族』の特徴と一致する。黒騎士はその男の巨躯の割に筋肉量が少ないことを見抜きつつ、男に話しかける。


 「失礼、吾輩は騎士ギャリナ・T・レックスである。森の外にある村より言伝を預かっている。この塔の主アンドリュー殿に宛てたものである。彼はご在宅かな?」


 鬼族の男は驚いたように立ち上がるがその巨躯に反し小さくまとまった姿勢で腰を低く据え返答する。その姿からシスターと黒騎士の二人はこの男の無害さと肝の小ささを悟る。


 「ああ、これはどうも、お客様。こちらこそ失礼しました。私はアンドリューの弟子をしておりますムハンマド・カトウです。……アンドリューは塔の最上階に居りますが……一週間ほど私も姿を見ていません」


 「それは、大丈夫なのですか? その、食事などは……」


 「ああ、それは私が毎日二回給仕しているので大丈夫です。一応食事は食べているのですが、研究に没頭したいと言って部屋にこもっていまして……この一週間声だけしか聴いていないのです」


 そう説明する中、階段の上から箒がひとりでに階段のほこりを払いながら降りてきた。


 「フム……あれは貴殿の魔法かな」


 「ああ、はい、まだまだ見習いでこれ以外の魔法はからっきしで、師匠からもまだあまり教わっていないのです。ここにきて日も浅いので」


 「とにかく、アンドリューさんに会わせてほしいのです。ここ一体の怪物は明らかに魔術の物、村の人たちはアンドリューさんに守ってもらいたいと願っていましたが、これに関わっているのではと私は思っています。無実を示すためにもアンドリューさんのもとへ行きたいのです」


 「ああ、では、とりあえず、上に行きましょうか。師匠は非常に人嫌いなので直接は難しいでしょうが、話を聞くことはできるでしょう」


 塔の螺旋階段は無機質さと異様な精緻さを備えており、これが魔法による建築物であることを示している。掃除も行き届いており、ほこり一つない。そんな石階段を上ってゆくとやがて、扉のある上階へと至った。扉には監獄よろしく下部に扉が付いており、おそらくここで食事の出し入れをしているのだろう。また、扉には『アンドリュー、作業時間AM9:00~PM5:00 邪魔するな!』という看板まである。ムハンマドはドアを一定のリズムで15回ノックした。


 「なんだ、まだ5時前ではないか。今は作業中だ」


 塔の隅々にまで響く老人の声がそう言う。扉の前の彼はおどおどしながら答える。


 「すみません、お師匠。ですが村からの伝言を持った騎士の方が……」


 「伝言ん? 村が儂に何の用だ、儂の手を煩わせるような……」


 「吾輩は、ギャリナ・T・レックス。放浪の騎士である。吾輩が村より与った言伝は、貴殿の森の周囲と村に度々現れる怪物の対処をお願いしたいとのことだが……ここに至る過程で怪物を見たところ、吾輩の従士、シスター・エブリエタースがそこに魔法の残滓を見た。このことについて貴殿の身の潔白を証明して頂きたい」


 「身の潔白……クックック。何を言うかと思えば、儂はこの塔より出ておらぬ。そこに居る吾が弟子もそう言うておろう」


 「ですがお師匠様、私はその部屋の中を見た事がありません、窓もある筈です、師匠ほどの魔術師であれば使い魔や飛行魔法によって外に出ることも……」


 お人よしなムハンマドはとつとつと語る。不満そうな師の声が返ってくる。


 「……間抜けが。何故儂に不利なことを……まあ良い、既に入り口は塞いだ。貴様ら全員死ね」


 『バアン!』


 扉は吹き飛び中から獣の腕と人間の頭部を備えた怪物が表れる。四つの腕により移動し、脚は動いていないその怪物は四つの頭部で何やら呟いている。凄まじい大きさの腕に、すかさず黒騎士は飛びつきその腕の上を走り、頭部へと蹴り込む。その頭部の口から四方へ魔力の矢が放たれる。先程のつぶやきは魔術の詠唱。簡易的な魔術を魔導書などによる補助なしで行うのはダンジョンの魔法による怪物の特権と言える。


 「フン!」


 黒騎士は壁を背に魔法の矢が当たるギリギリの場所で躱し、魔法の矢は壁にぶつかり爆発する。何たる身のこなしか。彼はそのままの勢いで側転と共に怪物の頭部へと近づいてゆく。


 「アアアアアアアアッ!」


 『パキョっ』


 首を刈るように繰り出される黒騎士の蹴りが黒鋼の鎌のようにうわ言を呟く四つの頭を吹き飛ばす。だが、身体はまだ生きており、拳を振るいシスターへ攻撃を仕掛ける。


 『ガァン』


 「うぐぅっ……」


 シスターを庇いムハンマドは自身の腕で巨大な拳を防ぐ。肉体の強度は鬼族として高いのだろうか。

 シスターはそれと同時に雷の刃をその手から放ち、怪物の肉体から四肢を切断する。動くこともできなくなった怪物は倒れ込みうごめく。黒騎士は虫を踏みつぶすように怪物の胴体を踏み貫く。


 『パチョッ』


 怪物は死んだ。おそらくは。


 「どうやら吾輩らの標的はアンドリューのようだな」


 黒騎士は扉の奥、闇の中へずかずか入りながらそう言う。


 「先ほどはありがとうございました。ムハンマドさん。……では、我々はアンドリュー様を殺しに行きますので」


 シスターもそのまま扉へと入る。


 「あ、ちょっと、わ、私も行きます」


 室内は暗く、生臭い。怪しげな本と魔術の儀式のあとが並び、闇の中、様々な薬品や紋様が怪しい艶を反射させている。

 ムハンマドが呪文と共に念じると小さな灯が彼の頭上に現れる。

 室内の様子は明らかとなり、様々な薬品が所狭しと並ぶ薬棚、スクロールを納める棚、調合台、そして部屋の中央を占める血に濡れた魔法円の台と大量の肉片、骨、頭蓋……ここでこの怪物たちが作られていたことを物語っている。


 「これは……惨い」


 ムハンマドがそう言うなか、黒騎士とシスターは部屋の奥の下へと続く梯子を発見する。


 「どうやら下があるようだな」


 「お先にどうぞ、ギャリナ様」


 「……時にムハンマド殿。其方、このまま吾輩らがアンドリューを殺すのについてくる気か?」


 魔術の痕跡や薬品を注意深く見ていた彼は、驚きながら答える。


 「へ、あっ、はい。こうなっているところを見過ごしていた責任がありますし……」


 「私たちがアンドリュー様を殺せばあなたが困ることも多いのではないでしょうか?」


 「あ、いや、その……私、全く才能がなくて……ここに来たのもこうした品も教えを受けながら出ないとあまり扱えないからで……鬼族は魔術師に向いていないと……それを見つめ直すきっかけなのかもしれません」


 彼は俯きがちにそう言う。


 「フム……だが、ムハンマド殿は何れにせよ魔術師であるのだろう? 吾輩も所領も主君もないが騎士である。向いているいないを考えずにこの辺境の地で魔術師を志した。ということは其方、吾輩と同じく己を魔術師として生きているのではないか? それ以外の生き方などとうにできぬはずだ」


 ムハンマドは何かに気づいたように黒騎士を見る。


 「……僕は……そうです……森の果ての鬼族の村を飛び出して……ここまで迷いながらやってきました……でも僕はこれ以外に、生き方を知らない……いや、知りたくないのです。許せないのです……こんな初歩の魔術以外にできることはほとんどないけれど、初めて魔術を知り、それを褒められた日から、僕は……」


 「……良い志だ。吾輩と似るところも見える。では行こうか、だが、無理はするでないぞ」


 黒騎士はそう言って梯子を下りる。シスターもそれに続く。ムハンマドは意を決し彼らについてゆく。


 梯子を下りきるとそこには地下へと続く螺旋階段と大きな門があった。恐らくは外に出る者であろう、日の光が隙間から漏れている。一行は迷いなく地下への階段を降りる。シスターはその階段を降りるに従い闇の瘴気が増してゆくことを感じ取る。黒騎士もその先に潜む今までにない存在を予感して、悪寒を感じ取っている。

階段の果てには鉄の扉がある。禍々しい雰囲気が周囲を覆い、奇妙な呪文の詠唱が響いてくる。


 『ドガァン』


 黒騎士は鉄の扉を蹴り壊し、部屋に入る。


 「生きていたか馬鹿共」


 奇妙な人肉と骨で作られた門の前の玉座に尊大な態度で座るローブの老人がそう語る。やせ衰え、目の窪んだ白髪の老人は、余裕の表情で杖を掲げる。

彼の後ろの門から小さな地を這う化物が表れ、こちらに向かってくる。


 「悪魔……師匠はここに地下迷宮を作るつもりだ」


 ムハンマドはそう叫ぶ。

 シスターは祈祷文を詠唱し聖なる光を室内に顕す。小さな悪魔はその光に当てられると煙を放ち、焼け焦げて行く。


 「聖職者か……厄介だな」


 アンドリューは杖を振りシスター目掛け火の玉を投げつける。シスターはひらりとその身を躱す。


 「ギャリナ様、私はあの門を妨害します。このままではあの門から悪魔が際限なく出ることになります」


 シスターはそう叫ぶと妨害呪文を門に向けて詠唱する。


 「儂がいる限り貴様程度の妨害、物の数ではないわ」


 だが、アンドリューはそう言い終わる前に玉座から飛び退き、黒騎士の奇襲を躱した。


 「ほう、やりおる」


 黒騎士の呟きに対して、即座に対応したアンドリューは杖の先より炎を放射する。黒騎士は玉座を破壊した勢いのまま地を蹴り、天井へと飛び、そのまま天井を蹴ってアンドリューの後ろを取るように地面に飛び降りる。


 「ヌウゥウッ! ワァアッ!」


 『ドゴォン』


 アンドリューは後方へ、掌から波動を放ち、反作用により自らの身体を黒騎士から離す。そうして奴は振り返ると杖を握り締め自身の周囲に四つの魔力の塊を出現させ、黒騎士に向けて放つ。黒騎士は軌道からその魔術の正確な追跡能力を把握する。彼は側転により回避を続けるが、その隙にアンドリューは門より二体の悪魔を招来する。先程の地を這うトカゲじみた悪魔とは異なり屋根に取り付けられるガーゴイルである。それらはニヤリとした顔からムハンマドとシスターを狙い火球を放つ。


 「仕方あるまい! ヌウゥン!」


 黒騎士はムハンマドとシスターに降りかかる火球を殴り消し、四つの魔力弾もその身に受ける。


 「カカカ、役立たずを守り死によったわ!」


 「ハァアアアアア!」


 『スパァン!』


 笑うガーゴイルが一体消し炭になった。

 黒騎士は燃え盛る拳でアンドリューへ攻撃を仕掛ける。アンドリューはガーゴイルを盾に攻撃を防ぎ、火炎放射を再び行う。


 「クソッ……なんだコイツは」


 炎の中からガーゴイルを貫き、黒騎士が表れる。アンドリューは恐れつつ、掌から波動を放ち黒騎士を後ろの壁へめり込ませる。


 『ドガァアン!』


 「想定外の存在、だがこの段階になれば……来い! 上級悪魔グレーターデーモン!」


 門の中から異界の神が如き頭部がぬるりと現れる。シスターと黒騎士はその威光からその強さと、己との実力差を悟る。このままアレがこの場に現れれば自分たちは必ず死ぬ。黒騎士は瓦礫の中から立ち上がる、だが、時間が足りない。


 「お師匠、これ以上は見過ごせない。村の人々やこの人のため、僕は貴方を殺します……」


 「魔術の一つも覚えられぬ、野蛮で知能の低い鬼族の貴様に何が……」


 アンドリューは声を失う。そして悟る。『窒息魔法』魔術師の古代呪文の中でも第六位階に相当する高位呪文。対象者一人の周囲を真空状態に変え窒息死させるもの。呼吸護符や仲間術師による妨害呪文と言った対抗策がなければ――どんな高位魔術師であれ死を待つのみ。

 アンドリューは油断していた。家事手伝いの魔法しか扱えぬ愚鈍で覚えの悪い、鬼族という知恵遅れの種。己の力の前に為す術なく死ぬ姿を無数に見てきた。アウリウム公国の地下迷宮で鬼族の愚かな戦士たちや部族をよく蹂躙した。その成功体験が、ムハンマドの持つ唯一の呪文を探る発想さえも失わせた。そして、アンドリューは高慢にも魔術師の居ないこの辺境と油断し、魔術妨害護符を付けてはいなかった。

 要するにアンドリューは窒息し、ゆっくりと死ぬのを待つ以外に何もできないのだ。


 「……!……!……」


 アンドリューは何も発することもできず、倒れ、そのまま死んだ。


 「このままだと、あの悪魔が……」


 シスターは必死に妨害呪文を詠唱する。門の成長は術者の死によって止まったが閉門までは時間が掛かる。上級悪魔グレーターデーモンは門よりその手を伸ばし、シスターへとその爪を掛けようとしている。だが。


 『ドガッ』


 黒騎士の蹴りにより悪魔の皮膚に彼の爪痕が残る。だがその柔軟な皮膚は傷つくことはない。黒騎士は悪魔を押し込めるように連打を開始する。


 「ハァアアアアアアアッ!」


 『ドガッドガッガガガガガガガ』


 傷つかない、まだ、まだ、打撃は続く。ムハンマドはアンドリューの死を確認すると妨害呪文をシスターと共に門へと掛け始める。

 上級悪魔グレーター・デーモンは呪文を呟き始める。シスターとムハンマドはそれが古代呪文最上位第七位階の爆発呪文であることを察知する。この周囲の森が吹き飛びクレーターとなるであろうその強大な呪文は一言ずつ紡がれる。


 「黙れぇえええええええええい!」


 『ドッドドドドドドド』


 黒騎士は上級悪魔の頭部に連続した蹴りを放ちその呪文を妨害する。空中での七段にも及ぶ蹴りの連打! 何たる瞬発力と動体視力か。

 門の閉門が近づき、悪魔は頭を引っ込め、その腕を振るう。


 「うぐぉおおっ……!」


 『グッシャアアアン』


 黒騎士はすかさず防御姿勢をとり、両腕に深い傷を負う。

 だが、やられるだけの黒騎士ではない。


 「セイャアアアアッ!」


 『バキィイ!』


 先程から一点に攻撃を集中していた爪の付け根を狙い、黒騎士は渾身の蹴りを繰り出す。爪は根元からべっきりと折れる。そのまま手は門の中へと逃げるように入ってゆく。

 門は閉門し、悪趣味な肉と骨の外枠はぐちゃぐちゃと崩れ落ちる。

跡に残ったのは腕から血を滴らせる黒騎士と疲弊しきった鬼族の魔術師、シスター、そして怪しげな輝きを放つ上級悪魔の爪だけであった。


――


 「……わかってるさ、怪物はもういなくなった、それは分かってる。だがね、アンタらを信じろってのは無理な話だ。そのデカい化物がアンタらの仲間にいること、あのアンドリュー様が死んだこと、この二つを受け入れたうえでアンタらに感謝しろなんてのは無理な話だよ。この村は小さい。アンドリュー様が死んだってだけで何が起きるかわかったもんじゃない。アンタらにしてやれることは……儂のなけなしの財を報酬として飲んでくれんか」


 村長はそう懇願する。


 「フム……まあ、致し方なしと言ったところか。シスター、ここは引き下がろう。攻撃は準備しなくていい」


 黒騎士は振り向かずに後ろで攻撃の用意をするシスターを静止する。


 「そうですか? もっと搾り取ることもできそうですが」


 「いや、十分だ。搾り取ったところで、仲間三人。そう多くを持てば無駄になる」


 そう言って黒騎士は荷車を持つ。


 「ああ、いえ、ギャリナ様、僕が持ちます」


 ムハンマドはそう言って負傷したギャリナを気遣い、荷車を引く。


 「フム……我々と来てよかったのか? ムハンマド君」


 「ええ、勿論です。僕は貴方によって救われたようなものですから」


 彼はそう言って笑う。


 「そうか……ならば行こうか。シスター、ここからアウリウム公国はどれくらいだろうか」


 「あと数週間ほど歩く必要があります。道中に幾つか村があるのでまた立ち寄ることになりますね」


 「フム……では先を急ごうか、これだけの仲間が居ればもはやアウリウム公国のダンジョンは恐れるものでもなかろうて」


 黒騎士は意気揚々と出発する。魔術師の塔の怪しげな薬とスクロールによって少し重くなった荷車も新たな仲間の手によって軽々と押してゆかれるのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

軍鶏の黒騎士 臆病虚弱 @okubyoukyojaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ