軍鶏の黒騎士

臆病虚弱

大陸・エラガバル第二帝国領・遊牧民平原辺境領域篇

辺境の救世主

 

 太陽の沈まぬ日が近づく頃、大陸の辺境、広大な遊牧民平野を眼前に据える森にて、男たちの怒号が飛ぶ。


「あの尼、ただ殺すだけじゃおさまらねえ!」


「待ちやがれ! このクソ尼ぁ!」


 三人の男は空の矢筒と弓を背にかけ、棍棒を持って一心に、先を行く修道女を追いかけている。叫ぶ口元には泡が零れ、三名の眉は一様に跳ね上がって憤怒の形相をしている。一方、修道女は森を知り尽くしているのか、軽やかに木々を抜け、茂みを跳び、彼らの追跡を汗一つなく逃れている。それは丁度草食獣が疲れ果てた肉食獣を弄ぶような軽やかさである。だが、少しして森は開け、そこには渓谷が広がった。


 「ハァ……ハァ……。行き止まりだ。一応狩人なんでな、この辺の森は調査済みだ」


 「ようやっとぶっ殺せるぜ、よくもまぁ……」


 修道女は息も絶え絶えの男たちにくるりと振り返る。その時、彼女の瞳は三人の後ろへと注がれ、彼女は笑みを浮かべた顔から少し驚いた表情を浮かべる。その直後、さらに彼女の表情は怯えたものに変わる。


 「た、助けてください、そこの方!」


 「あァ? この期に及んで……」


 そう叫ぶ男が振り向くと、そこには身の丈200センチを優に超す筋骨隆々、黒い羽毛に覆われた身体を晒す、バケツが如きグレート・ヘルムを被った勇士が、その鉄の仮面の中で呼吸音を響かせながら立っていた。


 「ゴオーッ……。ゴオーッ……。」


 「うおぉお!?ッ なんだぁッ、テメッ!?」


 男たちは狼狽し、異様ないでたちの男、その放つ風格と、獲物を追っていたとはいえ狩人という生業の自分たち三人に覚られることなくこの大柄の男が背後を取ったという事実に慄いた。この鋼鉄のような体躯に蛇のような姑息なしなやかさがあるというのか? だが、男たちの怒りはそれで収まるほど安くはなかった。


 「こ、このアマは俺達を……」


 「助けてください! 彼ら、急に私を襲ってきたんです! お礼も致します!」


 可憐なる修道女は年若く、純真な眼差しを大男に向ける。男の兜の隙間の奥に光る瞳は女を向いたのち、直ぐに三人の狩人たちに向けられた。


 「ゴオーッ……。ゴオーッ……」


 男たちはそのことを直ぐに覚った。それは直感的なもので、あの細い兜の隙間の奥を彼らの瞳が捉えたわけではなかったが、恐るべきプレッシャーが彼らを支配したことが何よりの証拠であった。

 男たちが修道女によって自身らの言い分を封殺されたことには、怒りを覚えることはなかった。ただ一つ、『しくじった』と彼らの頭脳は一様に後悔し、冷や汗を一気にかいた。


 「ゴオーッ……。吾輩は、エラガバル第二帝国選帝侯ドラクル・シンジが騎士アマデウス・T・レックスが嫡子、ギャリナ・T・レックスである。義によって其方の尼僧に助太刀し……」


 大胆不敵にも腕組をして大男は宣言する。古い騎士の仕来り、突撃する騎士の士気をあげる名乗り口上だ。今では律儀に行う者も限られるこの習慣。三人の狩人はその風格に圧迫され、死の恐怖すら感じたが、それ故か冷徹な観察眼が働いた。

 この大男は、その黒い羽毛の下には鎧はおろか鎖帷子すらも身に着けておらず、鋼鉄のグレート・ヘルムと腰巻の他には殆んど何も身に着けていないのだ。自らを騎士と称しながら剣の一つも腰にはなく、脇差やナイフすらも持っていない様子である。手には獣人族特有の黒い爪が光っているが、形勢としては三名に利がある。羽毛を見たところ鳥の獣人、そのような者の何を怖がる必要があろうか。

 と三人のうち一人が他二人へと目を向けた。他の者も眼を交わし、無言のうちに結託して、かの大男が口上を終える前にそれぞれが三方から飛び掛かった。


 「……貴様ら下賎の悪漢による不埒な行為に対して、吾が名の下に粛清する!」

 『ガキィィイイン』


 三人の振るった粗鉄で補強される片手棍棒は同時に男の黒い羽毛に埋まり、男の身体を殴打する。だが、それらは同時に、金属のぶつかる音を立ててぺっきりと折れ、棍棒の先は茂みの中へと飛んでいった。この男の身体は鋼鉄製だとでもいうのだろうか。


 「ばけもの」


 言い終わらぬうちに三人は丸太を優に超す太い脚部による回転蹴りによって、首の骨を折られ、『ぱかっ』と卵が割れるような軽い音を立てて絶命した。


 「フム……。失礼、少々品のないモノをお見せしてしまいしたな」


 腕組のまま上段回し蹴りを繰り出した男は脚を優雅に降ろし、言い知れぬ風格を醸し出したまま、修道女へ伺った。


 「いえ、そんな、美しかったですわ……。危ないところをありがとうございました。是非、是非ともお礼をしたいのです……。私と共にこの先の村の教会へ来ていただけないでしょうか」


 男は彼女に何か思うことがあるのか外からは見えぬ兜の中で一瞬思案したが、その懇願に際して頷き答えた。


 「ウム……。ではお礼に与ろうか、村というのは何方かな。恥ずかしながら吾輩、道に迷っておってな」


―――


 「レックス様は何故このような辺境を旅しているのでしょうか」


 修道女は道すがら黒い騎士に質問をする。黒騎士はその修道女の軽やかな足取りを傍目に答える。


 「吾輩は仕えるべき君主と得るべき所領を見つけるため、アウリウム公国へと旅をしているのだが、道中この深い森に迷ってしまい困り果てていた、よければその道も教えていただけるとありがたい」


 「ええ、明日道を案内します」


 「かたじけない……ええと、お名前は」


 「ああ、失礼いたしました。自己紹介がまだでしたね。エブリエタースです」


 「シスター・エブリエタース。心得た」


 黒騎士は少々逡巡していた。このシスターの機敏なる動き、そして先ほどの賊が言いかけていたこと、また、賊を殺した際の動きをこのシスターが目で追いその仔細を記憶しているであろうこと……。これらの事から黒騎士はこのうら若きシスターに、並々ならぬ『何か』があることを知覚していた。だが、彼にとって重要なことは『殺した賊の言い分に利があるかないか』や、『自身が不正義をおかしたか否か』などでは全くない、ただ『自身が騎士であるか否か』、そして『強者を如何に殺せるか』であり、悪漢に襲われたシスターを救ったというのは、彼にとって多少は満足できるもので、旅を続けるうえでも礼を貰う事も大事なことであった。

 要するに、シスターに隠し事があろうが彼には聴く理由も必要もなかった。何かあっても先程のように殺せばよいのだ。それに彼女は今のところこちらに好意的だ。故に彼は話していくうちに気になっていたことも忘れていった。


 「見えてきました、あそこから森を出ると村です」


 鬱蒼とした森を抜けると畑が一面に広がっていた。まだ収穫期には遠い、緑の麦畑。ここまで広く豊かな畑は、この大陸でもっとも広大な国家である、エラガバル第二帝国の辺境では中々見ることのできない稀なものである。ここより他の辺境領土の多くは牧畜や遊牧に適した木の育たぬ平原である。


 「見事な畑だ。領主はさぞ高名な者あろう」


 「ここは教会領です。この地域の領主は先の共産党の蜂起と遊牧民の侵入で亡くなり、相続者がいなかったため教会が引き継いだのです」


 「なんと……。領主なき土地とは。教会にこのような豊かな所領の管理ができるのか」


 「そのために私たちが聖座より派遣されたのです。教会はこちらです」


 兜の中で黒騎士の声が響く。


 「フム……。旧首都より来られたという事は……。失礼ながら出自は大侯爵家であられるか」


 「ええ、ユーフォルビア家の出身です。幼少より修道会で神学を修めておりましたのであまり家の事は知りませんが……」


 「ふふん、このような地で高貴なる方に出会えるとは、なんと数奇なことか」


 黒騎士は上機嫌で村の道を行き、要塞へと続く橋へと至る。村は多くの村人が居住しながら酒場であろう建物は寂れ、痩せた村人たちは怪訝な顔で道を行く二人を見つめていた。それは一人二人の村人にとどまらず、すれ違うものすべてがそうであった。

 小川の先、教会は古い要塞の中に位置し、中心の礼拝堂は石造りの荘厳で堅牢な様子ながら、併設された倉庫のような建物は木造の急ごしらえであった。恐らくはここに首都へと運ばれる税が納められているのであろう。

 教会の建物に急ごしらえの廊下で接続された居館は、以前まで先の話に上る領主の館であったのだろう、その時の様子が多少ながら残っている。だが、多くの箇所は粗末な補修工事により見るに堪えないものとなっていた。

 木蝋に塗られた大扉を開き黒騎士は礼拝堂へと入る。ステンドグラスの光が差し、アラベスクがあしらわれた壁の中、声が響く。


 「オヤ。シスター・エブリエタース、遅かったですね……。そちらの方は……」


 礼拝堂の奥の教壇に立つ男性、黄色がかった袈裟を身に着けた坊主姿の僧が黒騎士とシスターを見て尋ねた。


 「ゲンジュー僧正、こちらはギャリナ・T・レックス卿、アウリウム公国への旅の途中、悪漢に襲われるわたくしを救ってくださった恩人です」


 ゲンジュー僧正は法典を仕舞い、教壇を降りて黒騎士へと近づいた。


 「この教会の管理を教皇猊下より仰せつかる僧正、ゲンジューです。レックス卿、この度は我が教会のシスターの窮地を救っていただき、ありがとうございます。神仏の恵みがあらんことを」


 手を差し伸べるゲンジューに黒騎士はそのかぎ爪を引っ込めてしかと握手を交わす。黒騎士はその握手の力強さと自身より一回り小さいもののしっかりと頑強な体格から、この僧の実力を推し量り、敬意と熱意を向けた。


 「騎士として当然のことを為したまでだ。吾輩も道に迷い困っていたところを助けられた」


 「いえ、この末法の時勢、人の命を救うというのは稀有なことです。どうぞ今日は泊っていってください。畑以外に何もない村ですが教会にはワインもあります。精進料理で宜しければ振舞いましょう」


 黒騎士はその言葉の疑念に対して兜の中で怪訝に眉を顰めつつ首肯して答えた。


 「では、ありがたくいただこう」


―――


 黒騎士は教会の食堂にて席に座ると、その兜を脱いだ。周囲の修道士や修道女は一瞬その姿に驚き、動きを止めた。赤々とした鶏冠と肉髯にぎょろっとした眼を付け、嘴を持ち、それ以外は漆黒の羽毛で覆われた軍鶏の顔だ。その身体の羽毛から鳥の獣人であることは承知されていたが、蛮勇の士ともてはやされ、騎士を名乗るこの獣人の食客がまさか鶏などとは夢にも思わなかったのだろう。大方鷹や鷲といった猛禽を予想していた。だが、ただ一人、シスター・エブリエタースはそんなことに構いもせず、夕食の始終、傍らに彼の旅の話を聴きせがんだ。彼女は淑やかな言葉を用いながらも黒騎士の存在に何か陶酔めいたものを覚えていることは黒騎士には感じられた。


 「ギャリナ様はアウリウム公国へ向かわれていると仰られていましたが、そちらへ向かうのはどのような理由があるのでしょうか」


 適切な食器を使い少量の菜食料理を口に運びつつ、黒騎士は答えた。


 「吾輩は先に申したように所領も君主もなく、未だこの名は世界には知られていない。吾輩はこの名を上げることで、それらを得ようと考えておる。アウリウム公国は今、地下迷宮の探検者をあらゆるものに許可していると聞く、そこにおいて武勇を上げ、遺物を得、財を築き、吾輩は騎士となるのだ」


 「つまり、その身一つで騎士へとなるという事でしょうか」


 「フフフ、騎士となるのではない。吾輩は騎士だ。生まれてからずっと。放浪の身から少し身を起こすだけのことよ」


 黒騎士は杯に注がれた深い赤のワインを一口飲んだ。食事における作法は完璧といっていい。シスター・エブリエタースにはそのことが分かる。


 「貴方のような高貴な方がなぜ……」


 「星の廻り……。数奇な運命よ。父は高貴なる騎士であったが、身を崩したのだ。私に相続された唯一のものはこの兜のみ……」


 シスターは憐憫から謝罪の言葉を出そうとした、が、黒騎士の答えがそれを遮った。


 「素晴らしい!」


 「……!」


 「実に素晴らしき運命だとは思わないか。吾輩は放浪の身として真に己の力で騎士と成り、世界に名を残すのだ! 所領も、主君も自らの手による闘争によって得る、これは貴いことだ!」


 何の根拠もなく、何の名声もないこの黒騎士の言葉は熱を帯び、シスター・エブリエタースの心を打った。彼女自身も困惑するほどに。

 夕食のあと、黒騎士は宿舎として扱われる居館へ通され、一階の一室をあてがわれた。彼が最後にベッドで眠ったのはいつだったのであろうか、長旅の疲れを癒すように彼は直ぐに眠りに落ちた。


―――


 「なにするものぞ」


 眼を開くよりも先にその言葉が口をつく。黒騎士は並々ならぬ鋭敏な感性により自身の眠る部屋に忍び寄る抜き足の音を感じ取り、深い眠りを即座に終えた。

 夜目の効かぬ黒騎士であるが、その姿から奇襲は専ら夜に行う、而して彼は夜半目の代わりに音を探る。その精度は現在、歴戦の彼が生き残っていることが表している。


 「ひっ……ま、待ってください。話をどうか……」


 「ほう……。賊の類ではないようだな。慣れぬ事はするものではないぞ……」


 「は、はあ……。その通り、あっしらはこの村のものでございます……。どうか、あっしらについてきて話を聞いてもらえないでしょうか……。ここではあっしらの命があぶなくていけねえ」


 「フン……。良かろう。吾輩もこの村について気になるところがあった。先達したまえ」


 黒騎士は夜の闇と同化する漆黒の影として教会、要塞壁を抜け村の拉げた居酒屋へと入った。

 居酒屋の灯は付けられず、暗がりの中農民たちが密かに集まっていた。それはこの村全ての農民はおろか、鍛冶師や粉ひき、墓守といったものまでが揃っていた。


 「して、吾輩に何用かな」


 圧倒的な数の中、全く動じることなく黒騎士は先達した農夫に訊いた。


 「ここには村人のほとんどが集まっている。あっしらはアンタに、あの教会の坊主をぶっ殺してもらいてえんだ」


 「フム。傭兵業の依頼か。そちらも受け付けてはいるが、生憎吾輩には一宿一飯の恩が彼らにある。貴様らの出せる礼では……」


 「あんた、騎士になりてェんだろ? 所領のない放浪騎士だってな、聞いたぜ……。この村アンタの所領になるぜ」


 「正当性がなくては他の領主や教会に破門されることになる。なにか大義名分でもあるのか」


 「元々教会領ってェのは他の領主に気にいらねえもんだ。この村が教会領になるってときだってあわや戦争一歩手前まで行ったもんだぜ、行商に聴きゃあ隣村の領主は兵をその森の手前まで送ってたんだとよ。あの坊主が割って入って止めちまったがな、坊主を殺しちゃ領主といえど罰は免れねえ。そんな目の上のたん瘤を外様とはいえ高貴な出のアンタが取っ払って、更に首都当たりの王侯の騎士になっちまえばもう安泰だろうよ」


 「ふふん……。一介の農夫にしては頭が回るな……。誰のレクチャーかね」

 兜の顎の部分に手を置きながら、黒騎士は鋭い質問を投げる。


 「そ、そんなこたぁいいだろ。とにかくアンタは所領を得られる。俺達はあの坊主が気に入らねえんだよ」


 「そうだ、あの野郎、俺達の教会を踏みにじりやがった」


 「この居酒屋だって、売っていい酒は教会のワインだけだって言ってとんでもねえ値段を吹っかけやがって……」


 「前の領主だって年貢は多くとってたさ、だが今じゃ俺達の食う分もねえ! 試練だ何だ言いやがって」


 「少しでも反抗したり、奴らの教えとやらに反することをすれば、罰だ、聖戦だ、なんだ言って見せしめにされる。元兵士の奴らはみんな裁判送りさ」


 「あいつ等さえいなくなりゃ、俺らはどうでもいいんだ、俺らもアンタが来なけりゃ、分の悪い闘争になるとこだったんだよ」


 ガヤガヤと人々は言い立て、そのどれもが怒声や悲哀の声である。


 「フム……。良かろう、民草の為に立つのもまた騎士の誉よ。聞けば相当な圧政。大義名分も十分といったところか」


 それにあの僧侶と死合うのは望むところと黒騎士は兜の中で笑う。そのまま彼は出口へと向かう。


 「では、教会のゲンショーを殺してくる」


 彼にとって一宿一飯の恩義は『闘争』よりも下であったようだ。


―――


 殆んど闇と同化した黒騎士は月も見えぬ夜半、来た道を戻る。教会の礼拝堂には明かりが点いているようで光が漏れている。夜の礼拝か。しかし……感づかれていることを悟りつつ黒騎士は教会の大扉を軽々開き、聖歌と方角礼拝、読経とを繰り返す修道士たちと相まみえる。彼らはステンドグラスの光に包まれ、神聖な防護をその身に纏っている。中央では僧ゲンジョーが手を合わせ数珠を以て祈りを捧げている。一般的な教会の礼拝風景、だが参列者は居らず、シスター・エブリエタースの姿も見られない。


 「吾輩は、エラガバル第二帝国選帝侯ドラクル・シンジが騎士アマデウス・T・レックスが嫡子、ギャリナ・T・レックスである。この辺境の村人との協定に基づき、また吾輩個人の希求から、ゲンジョー僧正、貴様との決闘をここに申し出る!」


 聖歌、礼拝は続く。僧はゆっくりと振り返り、扉の前に立つ黒騎士を見る。その目は既に闘争のほのおがたぎっている。


 「私の名は『ゲンジョー』世界正教教会教皇『バルジンジ三世』及び神聖首座寺院クシナガラ大僧正『マツオ』より賜りし、このエラガバル第二帝国教会領辺境司教位を守る者。教皇の名においてその決闘、受けて立とう!」


 神聖なるオーラが一段と増す。神官たちによる聖歌・礼拝は神聖術と呼ばれ、神による奇跡を再現し、神による恩寵を顕すとされている。黒騎士はその光に拒まれる、圧倒的な邪気を放ち、兜の中では嘴の端を歪ませた満面の笑みを浮かべている。

 

 「存分に死合おう……貴様の血肉を見せてくれ!」


 一閃。

 黒い稲妻の如く黒騎士は礼拝堂を駆け巡った、ゲンジョーの目はその軌道を追う。背後を取った黒騎士の後ろ回し蹴りは正確にゲンジョーの延髄を捉えた!

 だが、その攻撃はゲンジョーの恐るべき筋肉によって神経へのダメージを与えることなく阻まれる。黒騎士は初めて、生身相手の自身の蹴りの不発の感触を得て、言いようのない悦びを感じるのだった。


 「僧に肉弾戦とは、愚かな」


 ゲンジョーは黒騎士の蹴りを入れた右脚に対して回し蹴りを当てる。その足の太さは異常に肥大化し、魔力とは異なるパワーに満ちていた。魔術師との戦いの経験ある黒騎士はその魔力にも似た力に足を圧され、態勢を崩しかける。


 「ほう、吾が渾身の蹴りに数日分の法力を入れても耐えるか、なんたる偉丈夫」


 互いの蹴りは鍔迫り合いの様相を示し次の一瞬でそれが解かれ、拳の出し合いとなる。


 『ガキィィィィン』


 金属の激しくぶつかり合うような、おおよそ人間同士の拳のぶつかり合いでは発せられない異音が聖歌を打ち消すようにこだまする。両者の肉体は互角――いや、黒騎士は魔力の助けなく己の肉体によって仏の力『法力』に競っているのだ。ゲンジョーはそのことに驚愕と焦りを抱いていた。

 ――このままでは、私は負ける。速すぎる! と。そう、黒騎士の力はゲンジョーと互角、しかし、その拳の繰り出される速さ、俊敏なる動き、蹴りの速さは明らかに黒騎士が上手、チョップと正拳、回し蹴り、下段蹴りの多彩な応酬に対してゲンジョーは防御姿勢が多く、このままでは徐々に不利、削られてゆくのだ。


 「オオオオオ!」


 『ガキィン』


 「ヌオオオオオ!」


 『ガキィン』


 「ウオオオオオ!」


 『ガキィン』


 防戦一方のゲンジョーは拳を振り上げる黒騎士に対して腕に法力を充填させ、正拳突きの準備を行う。『ここで渾身の一撃を放ち、奴の攻撃ごと殴り抜ける!』 ゲンジョーの筋肉は既に異常な肥大化を果たしていたが、黒騎士の攻撃によりその傷も無視できなくなっていた。


 「食らえ、無法者ォ!」


 黒騎士は兜の中で笑った。


 『バゴォオオオン』


 爆発、あるいは雷鳴かと思われる破壊音、これは黒騎士の下段蹴りによりゲンジョーの足元ごと周囲の礼拝用の椅子が破壊された音、その蹴りはさながら爆発物。渾身の正拳突きは黒騎士に避けられ、足元の救われたゲンジョーは倒れ込み、うずくまる形で防御に徹した。そこへ、黒騎士の無慈悲な連打が加わる。


 「ウオオオオオ!」


 『ガキィン』

 

 裂傷。


 「ヌウオオオオオ!」


 『ガキィン』


 鮮血が飛び傷が抉られる。だが肉はその臓器をしかと守る。


 『やはりこの無法者は格が違う……!』


 既に黒騎士の背丈を優に超す巨大な筋肉の塊となったゲンジョーの肉体は、だがしかし、黒騎士の強烈な連打によりその内臓へと攻撃を届かせようとしていた。


 『!ッ』


 黒騎士は背後よりの攻撃に気づき、ブリッジによって回避した。それは光の矢、稲妻の如き力を帯びた聖なる攻撃であった。


 「決闘を穢すか! 修道士たちよ!」


 修道士たちは答えず、それぞれが聖典を持ち攻撃を用意している。神聖術における攻撃術は少ないが、相手の動きを止める効果は絶大。黒騎士はその経験が少ないながらも、その矢の危険性を察知した。


 「我々は騎士ではない。貴様も騎士ではない、野蛮な無法者に名誉で答える必要はない!」


 起き上がったゲンジョーはその巨躯から腕を振り上げ、黒騎士目掛け拳を殴り落とす姿勢を構えた。


 「ヌゥウウ!ッ」


 黒騎士はブリッジ回避から倒立の要領で前へと進みその振り下ろしを避ける、四方から発せられた光の矢を更に避けるべく、腕を以て跳躍を行い、ゲンジョーの肩へと飛び乗る。


 「小癪なァッ」


 ゲンジョーが肩に乗る黒騎士を殴るが、彼はさらに教会の壁へと跳躍し、壁を走って修道士たちの方へと向かった。


 「闘争に参加するのなら、おぬしらも標的よ!」


 壁を蹴り、光の矢の雨の中修道士たちに、黒騎士は矢のように突っ込み、電撃を受けながらぶつかった。


 『ドガァアアアアン』


 黒騎士にぶつかった五人の肉塊が生き残った六人の修道士にかかる。


 「う、うわぁあああああ!」


 恐慌。恐怖。衝撃。悲観。

 世俗から離れた世界に生きる修道士、ましてや修行中の見習いは死への恐怖を思い出し、絶望と共に失禁していた。勇敢なる者、死線を潜り抜けた事のある者は直ぐに二の矢を準備し放とうとした。しかし、そこに立つ黒騎士は既に地を蹴り、こちらに弾丸の如く飛び込みぶつかろうとしている。電撃など無意味。


 『パァン』


 破裂音と共に立ち向かい、光の矢を撃った修道士二人が肉塊となった。


 「ゴォーーッ、ゴォーーッ」


 グレート・ヘルムの中で響く呼吸音は不気味に続き、土煙の中、腰が抜け立てなくなった修道士は、命乞いの言葉を紡ごうと、呼吸を忘れて口を動かしている。


 「た……ッ……たすけ……ッ……ああっ……」


 「……!ッ」


 黒騎士は背後より忍び寄るゲンジョーの攻撃に気づき、跳躍宙返りを試みた、しかしゲンジョーはさらに巨大化し、黒騎士をタックルにより跳ね飛ばして石の壁にぶつかった。


 『ドガァアアアアン』


 まさに異形! だが、彼ほどの手練れでなくては辺境の地を兵なく統治するのは不可能なのだ。


 「ヌウウウ……」


 一撃で強烈な打撲を受けた黒騎士はよろりと立ち上がり、ゲンジョーを見る。だが。


 「遅い!」


 『バゴォオオオン』


 ゲンジョーの拳が黒騎士の胴体ほとんどを捉え、殴り抜ける。


 「その罪を償え……無法者!」


 黒騎士は石畳の瓦礫の中、再び起き上がる。その身体の無数の打撲傷も意に介さず、冷徹にゲンジョーを見定め、壁を使った立体的な行動を再び試みた。ゲンジョーは思考する。


 『ダメージは確かにある……先程の起き上がりを刈れたのが証拠。だが、まだ来るか……。こちらの法力もあとわずか。肉体がしぼむことはないが……先程のようになればマズい……!』


 「一気に決める!」


 黒騎士は天井よりゲンジョー目掛け、回転しながら飛び降りる。


 『手に何を持って……!ッ』


 黒騎士は修道士の腕をゲンジョーに投擲!


 『パァン!』


 骨と肉による強烈な打撃! ゲンジョーの肉体、そして精神に的確な攻撃だ!


 『なんたる無法! 何たる惨状! 貴様には神も仏もないというのか!』


 「獣め!」


 黒騎士にとって死体は単なる肉塊。供養するならば勝手にすればよい。己に生きるためならば何でも利用する。ただ、それだけであった。

 黒騎士はゲンジョーの背後に着地する。


 「冒涜者め!」


 振り返ったゲンジョーに先程の修道士が生きたまま投げつけられる。


 『ダメだ!』


 修道士はゲンジョーの身体にぶつかるが、彼がすぐに手で落ちるのをすくい一命をとりとめる、だが、黒騎士は無慈悲に現状とその修道士に飛び蹴りを放つ。


 『ダメだ! ダメだ! やめろ!』


 『ドガァアアアアン!』


 「闘争の世界に甘えはない……。慈悲もない……!」


 黒騎士はそう語りつつ、この一撃で生まれたゲンジョーの肉体の傷に対して連撃を行う。それに際して叫ばれる声はまさに鳥の如き響きと音量であった。


 「ハァアアアア『ドガッ』アアアアアアア『ドガッ』アアアアアア『ドガッ』アアアアアアアア『ドガッ』アアアアアアアアア『ドガッ』アアアアアアアアアア『ドガァアアン』アアアアアアアアア!」


 『ドチャァアッ』


 連撃により傷は拳と蹴りによって削りだされ、肉は飛び、血は飛散し、最期の攻撃によりゲンジョーの内臓が掴み出された。

 絶命したゲンジョーの肉体はみるみるしぼみ、内臓が開かれた僧の体一つ、崩壊しかけた礼拝堂の中に残った。


「素晴らしい闘争だった……貴様の名は忘れぬ」


 黒騎士は興奮と悦びの中で記憶の中のゲンジョーへと感謝を述べ、父より教わった礼を一人、行った。



 「……さて、もう終わったぞ。目的くらいは話してもらいたい……。それとも吾輩に対してまだ闘争を挑むか? 連戦は御免こうむりたいが……シスター・エブリエタース」


 礼拝堂の廊下へと続く扉が開き、シスター・エブリエタースがニッコリとした笑みを浮かべて出てくる。周囲の死体を全く気にするでもなく彼女は黒騎士へと近づく。


 「美しい闘争でしたわ……。ギャリナ・T・レックス卿。本当に……」


 恍惚とした調子で彼女は黒騎士にそう言い、手を取る。


 「貴方は私の救世主メシアなのです……。このつまらない世界の希望……。先の私を追っていた悪漢も、村人の反乱も、私の仕組んだことです」


 「その理由は……。吾輩に関係が?」


 困惑と予感の中、黒騎士はそう尋ねる。


 「私は首都の、修道院で育ったと言ったでしょう? そこでは、何もかもが光り輝いていて、綺麗に整っていて、邪なものも、過度な輝きも、嘘も、性も、穢れも、何もない、本当につまらない場所だったのです。だから私は、教えに背き、禁書を漁り、嘘と混乱を楽しんだ……。このような辺境の地へ来たのは、教会の権力の目が届かないから、つまらない世界から離れられると思ったから……。でも……」


 「フン……。ここもつまらなかったと?」


 「努力はしました。村人に反乱をそそのかして、禁書庫で見た『共産主義』を教えたり、付近のそう言った勢力を手引きしたり、旅人をそそのかして殺してみたり……。でも、私は大事な一つの事に気づかなかったのです」


 「……外へとでることか?」


 「そうとも言えますね。貴方のように己の命ひとつを賭けて生きること。それが今まで私の探していた答え……。ですが、ギャリナ様。今の貴方ではいずれ、終わりが来るでしょう。今回も……。村人たちは外で教会に火を点けて、ここへ共産主義者を呼ぶつもりです。貴方を殺して」


 「ならば、迎え撃つ……この身体で」


 「相手は村人とはいえ、数は貴方の思う以上。それに今の貴方は手負い」


 黒騎士の身体は幾つもの打撲傷を黒い羽毛により隠している。だが、幾つかの骨は折れ、満身創痍である。


 「だが、吾輩は浮浪の身。いずれこの命尽きるもの。己が命一つ、それだけで吾が夢を……」


 「貴方のお供をさせてください」


 「……ほう……」


 「貴方は私の救世主、貴方は騎士になるべき御方。是非貴方の旅に私をお連れください」


 「……良い……」


 「!」


 「……騎士には仕える者が要る、そなたを吾が従士として迎えよう! 良い、よいぞ、そなたにはいずれ吾が所領の一部を与えよう! 吾輩は遂に家臣を手に入れた! よいぞ、よいぞ! フハハハハハハ!」


―――


 「おい、もう終わったんか?」


 「……分からねえ、だが、音はしねえ」


 「もう燃やす用意はある、増援はほんとに来るのか?」


 「ああ、手筈は整ってる。今日の晩には赤旗掲げて……」


 『ギィイイ……』


 大扉は開き、そこには黒騎士とシスター・エブリエタースが立っていた。黒騎士はシスターの神聖術による恩寵により羽の艶さえもよくなり、傷のほとんどは治っていた。


 「あ……な、なぜ……しすたー……その、きしと」


 「私は騎士ギャリナ・T・レックス卿の従士、シスター・エブリエタースです」


 「もう朝か、諸君。おはよう。さて、僧ゲンジョーは死に、修道士も全て死んだ。これがその首だ」


 村人たちに向かい僧ゲンジョーの首が投げられる。黒騎士がチョップにより切り取ったものだ。


 「さて、諸君らとの協定により、この土地は吾輩の所領となるのだが……諸君らは一体何をしているのかな?」


 村人たちはどよめきの少し後、怒りの表情を向けた。


 「お、おれらはもう『共産党』の勢力に入った! ここにいる二百人の村人の総意だ!」


 「もう領主なんてまっぴらだ!」


 「出ていけ! 人殺し!」


 「うそつき!」


 「人殺し!」


 村人たちは一触即発の雰囲気となり、暴動が始まらんとしていた。それを見て黒騎士はまた、笑みを浮かべる。


 「クックック……領主など要らないか……であれば貴様ら全員は今、放浪者、無法者。吾輩と同じ立場……されば吾輩の約束を破った面子、守るためにここで全員殺そうか! 覚悟はしておろう、下郎どもよ」


 「お手伝いいたしますわ、ギャリナ様」


 二者は満面の笑みの中、攻撃を開始し、周辺の人間の首がチョップにより数十人飛び、雷が人を炭へと変える。暴徒と化した村人たちであったが、血気盛んな前列の二十名ほどが為す術なく死ぬと、恐慌状態となり、我先にと逃げ始める。命乞いが飛び、悲鳴がこだまする。その後も一方的な虐殺が続き、それがどうなったかを伝えるものは、今ではもうほとんどいない。

 だが、放浪騎士ギャリナ・T・レックス卿とその従士の話はそれ以降も数多く存在するのである。

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